第19話
「失礼します、福永です」
「………ただいま戻りました」
明日香先輩が意気消沈をした後、私が介抱し続けることでなんとか歩くまでには心を立ち直らせてくれると、私たちは目的地の生徒会室までたどり着いた。
扉をノックして返事が聞こえたのち、扉を開けて私と明日香先輩が挨拶をすれば、生徒会室の中から返事が聞こえてくる。
「おかえり。二人ともお疲れ様だったな………って明日香どうしたんだ?」
「ごめんなさい兄さん………私はダメな先輩、略してダメんパイなの………」
「明日香先輩、意味不明です………」
歩けるようになったものの未だ自分の卑下をやめない明日香先輩を隣からひっそりと突っ込む。
私のために心を痛んでくれるのはありがたいが、なにぶん自傷が過ぎて見てるこちらがさらに痛ましい。
これだと明日香先輩をここまで追い込ませてしまったことに逆に私がノイローゼを起こしそうなので、できれば早く立ち直ってほしいが、現在そうなることは影もなさそうだった。
そうして出そうになるため息も我慢しつつ、挨拶を返してくれた生徒会長の方へアハハと苦笑いを飛ばせば、生徒会長はそんな私と落ち込む明日香先輩の様子を見て状況を理解してくれたようであり私の代わりにため息を吐いてくれたのだった。
「なんだ、明日香またか。すまないな福永さん。明日香のフォローに回ってくれたようで。後はこっちでなんとかするからその段ボールを机の上に置いといてくれるか」
「あ、はい。かしこまりました」
生徒会長のお言葉に甘えて明日香先輩をお任せしつつ机の上に段ボールを置きにいけば、生徒会長が明日香先輩に話しかける姿が目の端に映った。
「明日香、また自分を責めてるのか。悪い癖だぞ。ほら、段ボール貰うからな」
「ごめんなさい兄さん………こんな私なんてダメな生徒会副会長、略してダメん長なのよ………」
「意味不明だ」
明日香先輩がなお落ち込みながら生徒会長に泣きつき始める。
生徒会長もそんな明日香先輩に呆れつつ片手で段ボールを受け取ると、もう片方の手で器用にも泣きつく明日香先輩の頭を撫でた。
そんな二人の先輩の姿にまたも苦笑いが浮かび、これ以上見ていては二人(特に明日香先輩)の尊厳に関わると感じて視線をそっと外すと、移動した視線の先にはにっこり笑顔をこちらに向けた女子の姿があり、彼女はこちらが気づくと大きな声で挨拶をしてくれたのだった。
「おかえり護! お疲れ様!」
「ん、ただいま。歩」
いつものように朗らかに挨拶を交わしてくれる友達の姿に引っ張られ、私も苦笑いから自然な笑みに顔が変わるのを感じる。
歩は私から挨拶が返って来たのを確認すると、なぜだかデヘヘと笑い声を上げてにこやかだったその顔をさらに崩した。
その表情の変化と笑い声に気味の悪さを感じ、私はつい身を引いて瞬時に顔を引き攣らせる。
「何その顔………」
「いやーだってさー、明日香先輩のあんな姿見れると思ってなかったからさー。すっごい貴重な瞬間見てるなーって。だから、デヘヘー」
「いや趣味悪」
歩の言に私は顔をさらに引き攣らせるも、当の歩はそんなことは気にせず、いまだ生徒会長に泣きつく明日香先輩を覗き込んでいた。まさかこの時になって明らかになる友達の悪い趣味に若干引きながら、その行為をやめさせるため咳払いを一つ挟んで声をかける。
「それより歩。署名の入力、続けなくていいの?」
「あ! そうだそうだ、いけないいけない」
歩は私の言葉を聞くと明日香先輩に向けていた視線を振り払うと、目の前の机に置いてあるノートパソコンに目を向けた。
私と同様、歩もまた屋上突破計画の実権が生徒会に委ねられた後、こうして生徒会に赴いて隠れながらその手伝いをおこなっていた。
現在歩が行っている作業は、署名用紙に書かれた名前を全校生徒の名簿に照らし合わせながら整理し、名簿にあればノートパソコンに打ち込んでいく事務作業である。
この作業は署名内の偽名や生徒でない者の名前を弾くためと、署名内容を電子化させる目的のもとで行われている。
この作業がなかなか大変で集中力をかなり必要とし、長く続けていれば目が次第に滑っていき名簿と照らし合わせ中に漏れを起こす場面もかなりある。
そのため、歩と私、生徒会の人たちで変わるがわるでこの作業を交代して行っており、現在は歩がその担当をしているのだった。
「大丈夫? 疲れたなら私交代するけど?」
「ダイジョブダイジョブ。まだ始めたばかりだし、護打ち込むのおそ………じゃなくて帰ってきたばっかりだしさ。休んでていいよー」
「………うん分かった」
私が歩に交代を持ちかけると、歩はとても丁寧に言葉を選んでそれをお断りし、再度署名用紙と名簿を見比べながらパソコンへの打ち込み作業を再開し始めた。
意外だと思うが、実は歩はこうしたパソコンの扱いに慣れている。
元々SNSへの投稿や動画投稿サービスの利用にパソコンを使用していたためか、こうしたデジタル的な作業は歩にとってはあまり苦ではないようで、現在その経験がかなり重宝されている。
そして私はといえば、こうしたパソコン関連は学校の授業以外ではあまり触ったことはなく、調べ物などももっぱらスマホでしているため、まったく経験がない。タイピングスピードもかなり遅く、使い方は毎日歩に教えてもらっているほどである。みなさん知っていますか。パソコンだと「SHIFT」と「Z」を押すことでなんと「一つ戻る」ができるんですよ………。
そのため最初は作業をやらせてもらう機会も多かったのだが、現在では先ほどのようにやんわりと断られることが増えつつあるのだった。悲しくない、悲しくないぞー。
そうして心の声を叫ばせながら、屋上突破計画は自然と役割分担がなされて着実に進んでいった。
現在は署名用紙を集めながら打ち込む作業が主だが、これが終わればようやく以前に水瀬くんが木下先生に話していた請願書の作成に入れるだろう。
だいぶの見通しがたてばモチベーションも上がってくるもので、そうなるとなんだか休憩する時間ももったいなく感じてきて、自然と体は手伝いのために動いていた。
といっても生徒会室にはパソコンが一つしかないので、打ち込みの作業を歩と並行して行うことはできない。(出来たとしても私に回ってくることはないだろうが)
なのでそれ以外で役に立てることをしようと、私は生徒会室の隅に置いてある電気ケトルに近づき、みんなにお茶を出してあげようと準備を始めた。
これらの生徒会の備品については手伝いをする際に事前に生徒会長から使用を許可されているものだ。
最初は私も歩も使うのを躊躇っていたものの、私たちが手伝いに来た際に毎回生徒会長や明日香先輩がお茶を出してくれるため申し訳なく感じて、いつしか代わりにお茶を淹れるようになったのである。
今ではパソコンをうまく扱えない私の主だった仕事になりつつあり、これこそが私の存在義となっているのだった。虚しい………。
まぁさっきのように荷物を運ぶなどの雑務もあるので、他の手伝いなどももちろんしているのだが。
さて、そうしてお茶を淹れる準備をしていると、ふと誰かが近づいてくる足音に気づく。誰だろうと足音の方へ顔を向ければ、先ほどまで明日香先輩を宥めていた生徒会長の姿がそこにあった。
「すまない、仕事を手伝ってもらっているのにさらにお茶汲みまで。後はやろう」
「いえいえ! 私パソコンあまり得意ではないのであまりお力になれていないのでこれぐらいはさせてください。それより、明日香先輩は大丈夫ですか?」
「あぁ大丈夫、だいぶ落ち着いたよ。時々あんな感じになるんだ。実は根っこはあまり気の強い方じゃなくてな、小さい頃も何か失敗した時はああして泣きじゃくってたものだ」
「そうなんですか………意外です」
そう言って生徒会長からその背後へと視線を回せば、机に顔を乗せてなお落ち込む様子の明日香先輩の姿を見付ける。生徒会長、治ってないんですが。あれで落ち着いた方なんですか。
「まぁ最近はあまり見せない姿だったんだがな。それだけ今回のことに親身になってあげてたんだろう」
「………本当にすみませんでした。勝手な行動をしてご心配をおかけして」
歩が明日香先輩を見ながらまたデヘヘと笑っていることに視界に入りつつ、それを見なかったことにして私は生徒会長に深く頭を下げる。
終わってみてから考えれば、今回の私の行動は本当に身勝手なものだった。
水瀬くんの指示を待てばもっとうまく対処できたはずなのに、とあの日から何度も自分を責めている。
そしてこうして明日香先輩や生徒会長、多くの人に心配をかけて、本当に申し訳ない。
騒動の後お二人にはすぐ事情を話して既に謝っているものの、何度謝っても謝り足りない。
でも、今の私には謝ることしかできないから、だからもう一度謝罪の意をここに示した。
生徒会長はそんな私の行動に戸惑いの声をあげる。
「あぁすまない、責めるつもりで言ったんじゃないんだ。顔を上げてくれ」
「はい、でも………」
生徒会長から言葉で顔を上げつつも、申し訳なさが消えることはない。
そんな私の気持ちを察したのか、生徒会長はこちらを明るくしようとしてくれたのか、微笑みながらまた言葉をかけてくれた。
「明日香はあれだけ落ち込むほどキミのことを好きになったってことさ。まぁ今回のことは確かに福永さんも明日香も少し性急が過ぎたが、終わったことだ、次に活かせばいい。そうして失敗を笑って済まして思い出にできる事こそ学生の特権だ」
そう生徒会長は微笑みながら言うと、ちょうど沸き上がった電気ケトルを手に取り、いつの間にか持っていたマグカップに注ぎ込んで私に渡してくれた。
差し出されたそれを受け取ると、中には黒い液体が湯気を立たせながら波打っていた。その特徴と匂いからコーヒーであることがすぐに分かる。
「家から持ってきている銘柄だ。なかなか味わい深いから飲んでみるといい」
生徒会長がそう言って勧めてくれる。
湯気を通して鼻腔をくすぐる特徴的な香りは、インスタントのものと確かに違っており、その味への好奇心を大いに掻き立てた。
そうして生徒会長のご厚意に甘え、一言お礼を伝えながらマグカップに一口付ける。
そして一言。
「………苦い、ですね」
「あぁ、そうだろうな」
受け取ったコーヒーは一口飲むだけで分かるほど濃厚な苦味を含んだ一品だった。
エスプレッソだろうか。家でも眠気覚ましにインスタントのコーヒーを嗜む私でも、その苦味に耐えきれず、思わず顔を顰めさせて素直な感想を述べてしまう。
そんな私の様子が面白かったのか生徒会長はくつくつと笑いながら私へもう一言声をかける。
「今回得た経験の味だな」
「………なかなか意地悪ですね、生徒会長は」
皮肉とも取れる、というか明らかに皮肉で言ったであろうその言葉に、私は口を尖らせながら言葉を返し、頂いたコーヒーをちびりちびりと飲んでいく。
そんな私の姿がまた面白く感じたのか、生徒会長はいまだ小さく笑い続ける。
しかしそうしながら、今度は試すような、または悪戯を仕掛けるような、そんな表情へと変えてま口を開く。
「界人と一緒だとこんな味の経験ばっかりだがな。キミにこの味わい深さを理解できるか?」
「………」
生徒会長の言葉を受けて、私は一拍、言葉に詰まる。
思い返すのは今回起きた出来事の数々。
そのどれもが私の記憶に鮮明に色を残し、忘れ難い経験となっていた。
その中には、今飲んでるこのコーヒーの味のように思い出したくない苦い記憶もある。
きっとそれは水瀬くんと出会わなければ経験することはなかっただろう。
そしてこれから水瀬くんに関わらなければ、経験することもないだろう。
もう一度、頂いたコーヒーに口を付ける。
やっぱり苦い。
味覚が麻痺するような苦味が口の中いっぱいに広がっていく。
それでも飲む口は止められない。
きっと知ってしまったからだろう。その苦味の奥に、風味豊かな全く知らない別の味があることに。
気づけば持っていたマグカップになみなみと入っていたコーヒーはなくなっており、私がそれを全て飲み切ったことを証明していた。
私は飲み切った後のマグカップの底をマジマジと眺めながら、ようやく生徒会長へと返事をした。
「どうでしょうか」
「?」
いきなりコーヒーをがぶ飲みした私にか、その口から出た返答に対してか、生徒会長が訝しげな目でこちらを見る。
そんな頭を傾げる生徒会長へ、私は思わず不敵な笑みを浮かべながら、マグカップの底から生徒会長へと視線を移し言葉を続けたのだった。
「教えてもらっただけでは、本当の値打ちは分かりませんから。これからも彼のそばで味わっていきますよ」
「………! ハハッ。これは、一本取られたな」
いつの日か言われた、生徒会室で言われた言葉を借りての返答。
その意図に生徒会長はいち早く気づくと、楽しそうに笑い始めたのだった。
コーヒーの苦味が支配する口に違和感を覚えながら、それでもその味を嫌いにはなれない。
きっとそれが、私の答えであり。
この味を知っていくことこそが、私の新しいやりたいことなのだろうと自覚する。
そうして、私の新たな決心が生まれたその時、和やかな生徒会室の雰囲気を壊すものが現れた。
それはノックもせずに生徒会室の扉を勢いよく開けると、隣に麗しいスーツ美女を携え、突然の入室者に驚く私たちを余所に、部屋全体に轟く大きな声で、また新しい厄介事を知らせたのだった。
「みんな! 屋上、上がりに行くよー!」
その怒涛の展開に、私はどんな顔をしていたのだろう。
あまり思い出せないけど、きっとあの時の私なら多分。
笑っていたことだろう。
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