第17話

何度目かのキーンコーンという鐘の音がまた耳に入る。

時計を見れば時刻は既に午前10時を過ぎており、先ほどのチャイムが2限終わりの鐘の音だと理解する。

そんな中、私と水瀬くんは職員室からちょうど退出するところだった。


「うーん、ようやく終わったねぇ!」


「えぇ本当に。何回同じ話をしたことやら」


先ほどまで行われていた聞き取り調査を思い起こしながら私はつい顔を顰めてしまう。

応接室にて水瀬くんとの話し合い、という名の私の思いの打ち明けを水瀬くんに聞いてもらった後、しばらくしてすぐに聞き取り調査のために派遣された教育委員会と警察の人がやってきた。

両者は私たちに向かいあい聞き取りを始めてくれたが、実際に水瀬くんが教頭の悪事についての詳細とその調査方法などを話すと、その内容が信じきれないのか話の途中で、そんなとか、まさかとか、あり得ないなどと壮大に驚いた顔を浮かばせながら言葉を挟ませてきた。その挟みようといったらさながら大人気アイドルユニットの代表曲大サビで挟まれるコールのごとくであり、もはや水瀬くんの話がサブスクに追加されてミリオンダウンロードされる日も遠くないだろうと予見できるほどだった。あってたまるか。

しかしよかれと思って行われるコールも、やり過ぎてエスカレートしてしまえば運営側から目を付けられて出禁にされるケースも少なくない。行き過ぎたコールとオタ芸は運営及び他の善良なファンたちに迷惑しかかけないのだ。NO MORE LIVE泥棒! いやそれだと違う意味になるか。

まぁつまりはそれと似た感じで、話の途中で相槌や合いの手を挟み込み過ぎてしまえば、途中からコイツ本当に話聞いてんのか…と疑われてしまうということだ。

ましてや当の事情を説明している人物はまだ成人もしていないどころか入学したての高校生。そんな学生が自分のことを社長と紹介したり、教頭の悪事を弁護士に手伝ってもらいながら調査したなどと話したところで信じられないのは無理もないだろう。

しかし、だからと言って無遠慮に話の節々で言葉を挟まれては、正直聞いている私も気分は良くない。水瀬くんも最初は余裕の笑みを浮かべていたけど、途中からは相手から見えない位置のこめかみに青筋を立てていたのが横目で垣間見えた。器用ですね。

果ては、君は本当のことを言っているのかい? 嘘だと只事じゃないよ、と忠告するかのように疑いの声をかけられた時には私も怒鳴りつけてやろうかと思いもしたが、しかし真実はすでに解き明かされており、その犯人も押さえている以上ここで言い争ったところで意味はないと悟り、私も水瀬くんも最後は愛想笑いで流してようやく聞き取り調査は幕を閉じたのだった。

無事解放された私はその開放感を味わうべく、凝り固まった体をほぐすように大きく伸びをする。そうすれば腰と背筋、ついでに肩からもポキポキと小さく音が鳴り、窮屈な空間にいたことを証明してくれた。

私の動きに合わせるように水瀬くんも手を首にまわしながら、そのまま首を大きく回す。そうすると水瀬くんの首からも大きくバキバキと音がけたたましく校舎の廊下に響き渡った。いやどんだけ凝ってんですか。

水瀬くんの体の調子に若干引きながらも私は彼に声をかける。


「それじゃあこのまま教室に戻りますか?」


「うん、そうだね。後のことは空さんが上手くやってくれるだろうし、問題があったら向こうで人員を補充するだろうから大丈夫かな?」


「はぁ、人員補充ですか………」


水瀬くんの発した単語を私は口の中で反芻するが、意味は全く理解できていない。

なんだ人員補充って、警察ですかと思いながらも、まぁおそらくは水瀬くんの会社関連なのだろうと結論づけ、それに対して突っ込むのは諦めて別の話題を上げながら私たちはそのまま教室へと歩き出した。


「それでは今後の屋上に上がるための計画としてはどうするんですか?」


「それなんだよねぇ。本当は今回のこの事件を足がかりに学校と交渉して屋上にあがる手筈を整えるつもりだったんだけど、こうなっちゃったから完全にノープランなんだよねぇ」


「………なんですかその目は」


私が今後の屋上突破計画について尋ねれば、水瀬くんは困ったような表情を浮かべながら小さく視線をこちらへと向けてくる。

その視線に何かしらの含みを感じたので問い返せば、水瀬くんはわざとらしく聞こえるようにため息を吐く。


「はぁ〜、福永さんが単独で教頭にカチコミに行かなければなぁ。もっと算段も立てられたんだけどなぁ。人に報連相の重要性を語っていながらなぁ」


「はぁ!? 今頃何言ってんですか貴方は!? 元はといえば水瀬くんが私たちに何も話を通さなかったせいで私はこんなことしちゃったんでしょうが!」


「でも福永さん。人にされて嫌なことは自分もしちゃいけないでしょ? 僕が相談しなかったからといって福永さんも相談しないのは通らないんじゃない?」


「ここぞとばかりに屁理屈を………! というか人にされて嫌なことって認識あるんじゃないですか!」


水瀬くんの嫌味を火種に、鞘に収まったはずの問題がまさかのぶり返し始めて私たちはそのまま言い争いを始めてしまう。

普段の水瀬くんならしないだろう挑発が私に飛び、私はそれを受けて言い返す。

それが少し懐かしく感じて。

私は水瀬くんの言いように怒りながらも、少しだけ楽しみながらその応酬を快く受け入れたのだった。


「だいたい貴方は体調管理がなっていないんですよ。倒れるまで作業するのは愚かし……!」


「? どうしたの、福永さん………!」


そうして言い合いを続けながら歩く最中、私は水瀬くんへの言葉を途中で止めて目の前に注視する。

水瀬くんも急に言葉を止めた私に疑問を持ちながら私の目線の先を見て、同じく口を噤む。

私たちの視線の先、そこには私たち屋上突破隊、その残るメンバーである彼女の姿があったのだった。


「歩………」


「護………と水瀬くん。学校、来てたんだね」


職員室から教室へと向かう途中の渡り廊下。授業と授業の間の休み時間にて教室の外を出る生徒がほとんどいないこの時間。その廊下に私の友人、加納歩は一人待ち受けるように私たちの前を立っていた。

私と水瀬くんの姿を確認した歩は小さく呟きながらこちらへと歩き始める。

いつもの溌剌な雰囲気はなく、何か意を決した様子の歩に、私は少したじろいでしまう。

思えばまだ歩とは生徒会室での出来事以来、私は一言も言葉を交わしていなかった。まさか歩はあの時のことを怒って、私に何か言おうとしているのだろうか。

だとするなら、甘んじてそれを受け入れなければならないだろう。私はあの時、歩に自分勝手なことを言ってしまったのだから。その罪に対して罰は受けなければならない。一発殴られるぐらいは覚悟しなければ。

そしてその後で、ちゃんと話し合おう。私はあの時、歩とも話し合うことを避けてしまったから。

今度は逃げずに、私が思っていることをしっかりと話して、それで歩が思っていることをちゃんと聞こう。

そう決意し、私は一歩だけ前に出て歩と向き合う。歩は少し俯いた姿勢をしており表情は伺えない。しかし歩く先は正確に私へと向いており、ついに私の目の前にたどり着いたその時、歩は。


「護、ごめんなさい!」


「………えっ?」


私の目の前で頭を下げていた。

想像だにしていなかった事態に私は自分でも分かるぐらい狼狽える。

どうして、謝るのは私の方なのに。なんで歩が頭を下げているの。


「えっ、なんでどうして。歩、怒ってるんじゃ」


「? 何言ってるの? 怒ってるのは護でしょ? 私、護のこと考えずにあんなこと言っちゃって………」


「いや、ちがっ! 私の方が自分勝手なこと言って歩に嫌な気分にさせちゃったから………っ!」


「はいはい、ストップストップ」


突然のことに混乱する私と、話の食い違いに戸惑う歩。

しどろもどろと言葉がもつれあう中で、間から水瀬くんが無理矢理入り込み、その場を整理してくれた。


「二人とも落ち着いて。なんだか話のすれ違いを感じるけど。一体何があったの? 落ち着いて、僕に話してごらん?」


そうしてどんと構える水瀬くんに、私と歩はポカンと呆けながら視線を向ける。

しかし次第に時間を経つにつれ、こうして私たちが謝る原因を作った元凶を思い出し、私は水瀬くんに向ける視線をジトっとしたものへと変えた。

その真理に歩も同じくたどり着いたのだろう、歩もまた水瀬くんに私と同じような目を向けており、そして気づけば二人して目を合わせ、どちらからともなく吹き出してしまう。

水瀬くんはさっきまで謝りあっていた私たちが噴き出す様子を見ながら何が何だかわからない風に首を傾げ始める。

時間にして数日しか経っていないだろうに、なぜかこうして三人で揃うのが懐かしく感じる。

そしてそれが、途方もなく嬉しく感じてしまったのはきっと、私だけではなかっただろう。


***


「本当に、あの時はごめんね護」


「だから、謝るのは私の方だって。私の勝手な意見を歩に押しつけたんだから」


歩と合流した私たちはそのまま教室へと向かうことなく、少し離れた中庭のベンチへと移動して話すこととなった。

あの場で話していても長話になるだろうし、道行く生徒や先生たちの邪魔になってもいけない上、何より立ったままでは落ち着けないと、水瀬くんからの提案であった。

私と歩は彼の提案にとりあえず賛成の意を示し、そのまま中庭へと移って今に至る。

ベンチに座った私と歩は気分を落ち着かせると、先ほどの話の続きとして、まずお互いに謝り合うことから始めた。


「ううん、あの時の護の言ったことは何も間違ってない。私は水瀬くんに全部任せようと………押し付けようとしたんだよ」


「そんなの、言い方の問題だよ。この計画は水瀬くんが主導で行ってたもので、言うなれば責任者だったんだから、彼に判断を委ねるのは当たり前のこと。それを私は、自分のわがままで歩を責めて………だから謝るのは私の方なの」


「違うよ! 護は水瀬くんを心配して………っ!」


「はいはい二人とも。話がリピートしてるよ」


自分の非を譲らない私と歩は落ち着かせたはずの心を再熱させまたも話がエスカレートしていく。

落ち着いて話し合おうと決めたそばからこれである。自分のことながらイヤに頑固だと正直呆れ果てる。

でもここで歩の謝罪だけを受け入れて私が被害者ぶることだけは絶対に嫌だった。それは事実がどうだとか実際に誰が悪いとかそういう問題ではない。

ただ私の気が済まない。その一点の問題から私は歩への謝罪を覆すことはできなかったのだ。

歩もおそらくは同じ気持ちなのだろう。お互いが謝り続け、相手の謝罪を否定していくうちに、結局話はまたも熱を持ち始め、廊下での出来事が再演するかと思った直前。近くから水瀬くんの声が聞こえ、直後に私たちの目の前に何かが突き出された。確認してみればそれはペットボトルのお茶のようで、水瀬くんが手に持ったそれを私たちの前に突き出しているようだ。


「ほら、これ飲んで落ち着いて」


水瀬くんは突き出したペットボトルを私たちに受け取るように促してくれる。

見れば出された350mlほどのペットボトルは新品そのもので買ったばかりのものだとすぐにわかった。ふと視線を小さく周りにやれば中庭の隅にひっそりと自販機が置いてあるのに気づく。おそらくそこで買ってきたのだろうと気づき私は少しばかり逡巡しながら礼を言う。


「………ありがとうございます。いくらですか?」


お礼に少しばかりの溜めが入ったのはもちろん、私と歩夢のこの会話の原因がこの男、水瀬くんにあるからだ。

だのに他人事のように仲裁に入るこの男はどれほど面の皮が厚いと言うのか。

………まぁ事情を知らなければそんなものかとも思い返し、私はそのペットボトルの代金を払うべく財布を取り出せば、水瀬くんはそれを手で制した。


「いいって。ほら僕って社長だし。お金たくさん持ってるから」


「お茶ひとつでそんな得意げになられても反応に困るんですが………」


水瀬くんの自慢するような口調と笑顔に私が呆れて言葉を返すも、彼は特に気にせずお茶を出し続ける。おそらく私たちが手にするまでずっとそうしている気だろうと気づき、私は小さくため息を吐きつつ、もう一度お礼を言いながらお茶を受け取った。

歩も同じようにお礼を言いつつ水瀬くんからお茶を受け取るも、その顔は若干の困惑を含んでいた。一体どうしたのだろうと歩に顔を向けていると、歩は戸惑った声で私と水瀬くんに質問を投げた。


「あの、社長って、どういうこと?」


「あー………」


歩の質問に、私はその困惑の意味を悟る。

そういえば水瀬くんの正体について歩はまだ何も知らないんだった。先ほどまで非日常的な現場に出くわしていたからか当たり前のことを頭から抜け出していた。

どのように説明、いやどこから説明すれば良いだろう。

水瀬くんが会社の社長を務めていると言ったところで信じてもらえるだろうか。そも、なんで社長などしているのか、と聞かれれば正直私も知りたいところで答えられる気がしないし、水瀬くんも答えてくれる気がしない。

というより本当になんでこの男子は高校生で会社の社長などやっているのか。未だ私もその答えは知らないのだから答えられるわけもない。

答えられる答えがないのだから問われたとしても答えを返せない状況に私は頭を抱える。結局答えとは何ぞや。

それはこの世の真理? 到達すべき根源? 人が帰るべき場所?

歩への質問の返事に困り、私はいつの間にか宗教の問答でよくありそうな悩みに陥っていると、その横で水瀬くんが颯爽と歩の質問に答えたのだった。


「うん、言ってなかったけど僕社長なんだ。あ、これ名刺、良かったら見る?」


「いやそんな簡単に教えるんですか!?」


水瀬くんのあまりにもカラッとした対応に思わず抱えていた頭を放り出し大きな声で突っ込んでしまう私。

今まで隠し通していたことなのに、今日聞かれただけでそんなあっさりと教えるなんて、と驚愕する私に水瀬くんは変わらぬ笑顔で言葉を返す。


「うん、だって福永さんには知られてるし、加納さんにだけ隠すのもなんだかなぁって思ってたからね。それに友達に隠し事はあんまり多くない方がいいし」


「今まで隠し事してた貴方が言える義理ないでしょそれ」


何を今更なことを言い出す水瀬くんに突っ込みつつ私はとりあえず陥っていた悩みを投げ捨てて、名刺を受け取った歩をチラリと見る。

正直こんなことを急に言われても信じられないだろう。最悪先ほどの聞き取り調査をしていた大人たち同様、疑いの目を水瀬くんに向けるのが関の山。しかし実の友達である歩から水瀬くんにそんな目を向けてほしくないという願望から、歩を見ようとする私の視線は非常に恐る恐るとなった。

しかし私の視線に入った歩は私の予想に反し、渡された水瀬くんの名刺をキラキラとした目で見ていたのだった。


「えっ、これ本物の名刺!? というかこのWorld creatorって通販、私メチャクチャ使ってるサイトなんだけど!?」


「いや割と簡単に信じるのね」


あまりにも飲み込みが早すぎる歩に呆れながら突っ込む。

どうやら歩は水瀬くんの話を疑うことなく信じたようだった。話が早くて助かるけど、逆にこの子がいつか何かの詐欺に遭わないか心配になったりもする。

まぁそれはそれとして。

現在、私たちから歩に伝えなければならないことが山ほどある。

教頭のこと、水瀬くんのこと、今後の屋上突破計画のこと。

………私の無鉄砲だった教頭へのカチコミに関しては少しはぐらかしてもいいだろうが、まぁ今日起きたことは余さず歩に伝えるべきだろうと私は考えている。

教頭の悪事については、正直話すべきかは悩むが、私たちが知っていて、歩夢だけが知らないことは無くしておきたい。

きっとそれが私にとっての、そして水瀬くんのとってのけじめの付け方なのだろうと思っている。

私が水瀬くんの方へと顔を向ければ、水瀬くんも私の言いたいことを理解したのだろう、こちらに頷き返し歩へと顔を向ける。

歩はといえばまだ水瀬くんの名刺に目を向けていたが、私たちが顔をむけていることに気付き、名刺からこちらへと視線を渡してくれた。


「あのね、歩。言わないといけないことがあって。実は____」


「待って。その前に、私から二人に言いたいことがあるの」


私が歩にこれまでの事情を説明しようとすれば、それを遮って歩が声を出す。

いつもの歩ならしないその強引なやり方といつもと違うその声色に、私は驚いて歩を見る。

歩は真剣な表情でこちらを見据え、次に水瀬くんの方を見た。水瀬くんもまた歩の視線を受け、少し不思議そうな表情を浮かべる。

私たちを見た後、歩は唐突に自分のスカートのポケットを弄り始めた。そうしてあーでもないこーでもないとポケットの中身を分別していくと、目当てのものを見つけたのか、それを指で掴み私たちの元へと突き出した。


「これは………?」


「ルーズリーフ?」


歩が私たちの前に出したそれは折り畳まれた取り外し可能なノート用紙、所謂ルーズリーフと呼ばれる紙だった。

大事そうにそれを手に持って差し出した歩は、私たちの疑問に頷きつつ、ルーズリーフを開きながら私たちに話をしてくれた。


「私ね、あの後歩に言われてから悩んだの。私が水瀬くんのためにできることってなんだろうって。全部人任せで何もできない私が変わるためにはどうすればいいんだろうって」


「歩………」


そんなことない、と断言してあげたかった。そうして抱きしめてあげたかった。

でも歩はそんなことを望んでいないのは分かっている。それは、手で開けられていくルーズリーフが証明してくれる。


「それでただ泣いてるだけの私を、生徒会の人たちが叱ってくれて、教えてくれて、一緒に考えてくれたんだ」


「そっか………そうだったんだね」


歩の言葉に水瀬くんが返す。

その顔がなんだか優しいもので、旧知の中である水瀬くんと生徒会の人たちの間でわかりあうものがあったのかもしれないと予測できる。

しかしそれは結局はそれも予測にしか過ぎず、水瀬くんのその顔の本意を読み取ることはできない。私たちはただ、歩が成したことを聞くだけ。


「それで考えたんだ。頑張って頑張って頑張って。生徒会の人たちにも手伝ってもらって。役に立つかどうか、分からないけど………それでも。これを考えたんだって、二人に見てもらいたくて。見て、くれるかな?」


そう言い終えて、ついに歩はルーズリーフを最後まで開いた。

そこには今後の屋上突破計画に関しての署名を集めるための算段の企画が載せられており、ところどころに絵も含まれてどのようなやり方で人に注目させるかなども大雑把であれど記されている、所謂企画書がそこにあった。

手書きで書かれたその企画書は、歩によって書かれたものだとすぐにわかるほどの丸文字で埋め尽くされ、一見可愛らしく見えるも、ところどころには消しゴムで消し尽くされた跡も残っており、歩がどれほどこの企画書に情熱を注いできたのかが見てとれた。


「すごい………これを歩が?」


「うん………いや、生徒会の人に手伝ってもらったところの方が多いんだけどさ。でもちゃんと考えたんだ。どうかな?」


照れながら、しかしどことなく怯えるように歩はその企画書の出来を私たちに問うてきた。

そんな友達の様子を目にしながら、私は素直にその企画書に驚きを見せる。

その企画書には、SNSや配信を通じて郡ヶ丘高校の屋上解放を生徒たちに訴えるやり方の企画が記載されていた。

SNSのアンケート機能や、動画配信サイトの生配信サービスを使って屋上解放の重要性を説いたり、質疑応答をしたりと具体的な方法まで簡素ながらも書かれており、きちんと企画書の形を成していた。

正直に言ってしまえば、驚愕だった。まさか歩がここまでのものを作れるとは、と。

私の知っている歩は可愛いものや流行のものに目がなく、少しばかり天然で、物怖じはしないのに変なところで恥ずかしがるけど、まごうことのない普通の女の子だったから。

だから、こんな企画書を歩が作るなんて、想像もしていなかった。

でも、歩は作り上げた。

生徒会の人とたくさん話し合い、たくさん考えたのだろう。そしてこの企画を考えついた。

思えば、歩はSNSや動画サイトの話を普段から話していた。きっとそれを元にしたんだろう。

それはきっと私たちには思い付かないことで、歩はそれにちゃんと気づけた。

その歩の思いの結晶がこの企画書なのだろう。

私は歩が手に持つルーズリーフを見ながら、気づけば目に涙を溜めて歩に声をかけていた。


「歩、すごいよ。これ考えるの、きっと大変だったに違いないのに。ここまでしてくれて。本当にすごい!」


「っ! うん! ありがと………っ、護!」


私の表情から感情移入してしまったのか、私の声を聞いて歩も同様に目に涙を溜める。

気づけば私たちは手を取り合ってブンブンと振っていた。それだけ感極まっていたのだろう。

そんな中、一人蚊帳の外だった水瀬くんは、歩が私の手を取った際にすっぽ抜けて宙に舞ったルーズリーフを器用に掴むと、手に顎を乗せつつ思案顔で歩の企画書を眺め始める。

私と歩はそれに気づくと振っていた手を止めて水瀬くんの方を見た。

そうだ。この計画の主導者はあくまで水瀬くんだ。

最終的な水瀬くんの決断が下らなければ、この企画が通ることは無い。

私と歩は息を呑みながら祈るように水瀬くんを眺める。

すると水瀬くんは突然瞑目し、口の中でボソボソと何かを呟き始め、そしてその目をいきなり開けて歩に言葉を投げたのだった。


「………OKだ、加納さん。これで行こう! 希望が、見えてきた!」


「………ほ、本当っ!? これ、大丈夫かな!」


水瀬くんのGOサインに、驚きながら歩は信じられないとでも言うように声を上げる。

私もまた水瀬くんの言葉に喜びつつ、彼の次の言葉を待つ。

水瀬くんは、自信満々の顔をしながら私たちに声をかけてくれた。


「うん! 少し手を加えないといけない部分はあるけど、SNSというツールを使えば………これで現状を打開する案が見えた!」


「っっっっっっ………ったーーー!」


水瀬くんの返事を皮切りに、抑えきれない喜びを大声で表現した歩はそうすると、そのまま座っていたベンチから飛び跳ねて私の方へ飛び込んできた。

急に飛び掛かってきた歩に私は驚きつつ、そのまま躱してしまえば歩が怪我をしてしまうので、覚悟を決めてその体を受け止め、倒れないように体中に力を込めたのだった。………っく、重………。

絶対に口に出してはならない心の声を隠しながら水瀬くんの方を見てみると、彼は愛おしそうに私に抱きつく歩を見ていた。

その視線は決して同情で歩の案を呑んだ社長の目などではなく。

まるで成長した社員を慈しむような、そんな社長の目だったと、私は感じた。


(きっと水瀬くんも、嬉しいんでしょうね………)


水瀬くんの姿を目に映しながら、ふとそう思う。

これまで見てきた水瀬界人はずっと、自分だけで行動していた男だった。

それは無論、そうせざるおえなかった部分もあり、彼にとっては考え抜いた思考の末だったのだろう。

そうして、置いて行かれた歩がこうして、自分から企画を練り上げてくれたことが嬉しいんだろう。

これが彼にどんな影響を与えているのかは、わからない。

でも、これで彼に少しでも私たちの思いを伝えられたのなら、私と歩の喧嘩も、決して無駄ではなかったのかもしれない。そう思うのは少し烏滸がましいだろうか。

そうして言い訳がましく自分の経験に意味を与えながら、いまだ自分の企画が通ったことに喜んで私に抱きついている歩をあやしつつ、私は水瀬くんに声をかける。


「それじゃあ、まずSNSで呼びかけを始めますか? あ、いやその前にアカウントを作るところから始めないと………」


歩の企画を行うにあたり行うべき最初の作業を口に出せば、水瀬くんは小さく首を横に振った。

そのアクションに私は思わず首を傾げると、水瀬くんは不敵に笑い始める。


「大丈夫。アカウントは僕の方で用意するよ。でも、SNSへの呼びかけは………より良いタイミングで仕掛けよう」


そうして不敵な笑みをさらに深くし、もはや恐ろしい形相へと顔面を変えた水瀬くんを見て私は。


(なんか、ろくでもないことしでかしそう………)


こんな水瀬界人という男に対して、惹かれていることに少しばかり呆れるのだった。

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