第16話

キーンコーンと鐘の鳴る音が耳に聞こえた。

もちろんそれは本物の鐘の音ではなく学校の指定の音楽から流れる電子音であるが、一般人にとってそれが本物の音か電子音で作られた音かなど区別がつくはずもない。

聞く人によっては音の違いなどがわかるのだろうが、あいにく私は齢15年と少しを生きただけのただの女子高生。そんな些細な違いなんて気付くほどの人生経験を積んでるはずもなく、耳に入るこの音も小さい頃は学校のどこかに鐘があってそれが鳴っているものだと勘違いした記憶もあるし、この歳になってもどこかの番組でやっているような格付けチェック的なように聴き比べをしたら2択でハズレを引く可能性も大いにある。

そんなふうに、人間の成否を判断する能力とはあやふやなものであり、当てにならないものだ。

今回の事件もそれに連なる例なのかもしれない。実際に罪を犯した教頭は事件が明るみになったことで悪人というレッテルが貼られることになるが、しかしそれまでの10年間は、彼は罪を犯したにも関わらず、悪人ではなく荘厳で威厳のある教頭として周りから見られてきた。

実際にその本質が明らかになるまでは、私たちはその人や物のことを外面的な特徴や個人的な判断でしか視ることができず、教頭は罪を犯した10年間、その罪を信頼される教頭の皮を被り続けることで、周りから自分への見方をごまかし続けていたのだ。

本質は人の見せ方ひとつで変わり、他人にとっては、見せられているそれを本質と勘違いさせられる。

不条理と思われるかもしれないこの考えだが、多くの人間は等しくこれを行っている。

たとえ悪意がなくても、誰かに良く見てもらいたい、綺麗と言ってほしい、褒めてもらいたい、そう思って着飾ることすら本質の誤魔化していると取ることもできるし、多くの人はそれを悪びれずむしろ褒め称えまでする。だから本質を隠すことを一概に悪と断ずることはできない。無論、だからといって教頭の罪が許されるわけではないが、その行動原理は理解できるものだということを伝えたい。罪を憎んで人を憎まず。人を裁くのは法。決してオラオラ言う不良高校生ではないのだ。

そう、だから。きっと誰かが何かを隠したがることは、きっとそれそのものは罪ではない。それは人間のあるべき当たり前の真理。私たちはそれを責める道理なんて持っていないのだ。

もう一度、キーンコーンと鐘のなる音が私の耳に入ってくる。

部屋に備え付けられた時計を見れば時刻は8時半。すでに各教室ではホームルームが始まっているだろう時刻となっている。

そんな時間に私、福永護とそのクラスメイトである水瀬界人くんは、先ほどまで一騒動があった応接室のソファーにて隣り合うように座っていた。


「………」


「………」


お互いに会話はなかった。先ほどまで一緒にいた木下先生は一足先に教室に向かい、今頃はホームルームを執り行っているはずだろう。ではなぜ、私たちはその担任教師である木下先生より先駆けてホームルームに座して参加していないかといえば、それは無論、先ほどまでの騒動が関連していた。

木下先生によれば現在渦中の人物、主犯である教頭は相田さんも含めた学校側から聞き取り調査が行われており、そしてそれに合わせて現在進行形で手の空いている教師や事務員の方達が警察や教育委員会に連絡しているらしい。少ししたら学校に内密に訪れて、事件についてあらためて話を伺うとのことだ。

私たちはこれから訪れるその人たちに先ほどの騒動の内容について説明を行わなければならないらしく、こうして授業そっちのけで待機を言いつかっている状態なのだ。

木下先生はそれを伝えると、面倒なことを押し付けて申し訳ないと言ってくれたが、元々今日の騒ぎの発端は私だったためそれについては困惑することはなく、逆に気を遣っている先生に謝りたいぐらいだった。

水瀬くんもまた先生に問題ない旨を伝えると、その後先生を二人で送り出し、私たちは何をするでもなく、こうしてソファーにただ無言で座り込むだけで時間を費やしていたのだった。

ふと時計に向けていた視線をそのまま隣に座る水瀬くんへと向ける。水瀬くんは何をするでもなく、ただ黙ってソファに腰をかけているだけ。かれこれ10分以上は待たされているのに、スマホや文庫本の類を取り出すこともなく、真剣な表情で座っているだけだった。


(………こうして見ていても水瀬くんが企業の社長だなんて信じられない)


水瀬くんを見ながらふと頭の中で思うのはそんなこと。

木下先生に正体を問われたあの時、それに答えた水瀬くんの回答は、なんと企業の社長という肩書きであった。

その時のことを思い出せば、名刺を差し出された木下先生の非常に驚いた表情がすぐに思い起こせた。

当たり前だろう。目の前の、これまで教鞭を揮っていた相手がまさか会社を運営していて、さらに代表責任者だなんて、普通の人なら平常を保っていられない。それでいても、木下先生のその真っ当な反応はなかなかインパクトが大きかったが。

無論その横で私も先生ほどではないが驚愕を示していた。目も大きく見開いて、名刺と水瀬くんを何度も顔を往復させていたと思う。

今でも信じられないぐらいだ。私と同じ年齢の目の前のこの男子が、そんな凄い人だなんて、と。

私が数秒視線を寄越していれば、水瀬くんも私の視線に気付いたのだろう。同じく視線だけをこちらへと向けてきた。そしてぶつかる視線が数秒。私は逸らすことなく見続けていると、観念したように水瀬くんの方が視線を背けた。


「………………」


「………………」


そして続く沈黙の時間。

これが実は待たされている間の時間に数回にわたり行われている。

私もずっと水瀬くんの方を見つめているわけではないが、先ほどのように目線を動かした際にふと水瀬くんの方へ目を向けると、それに気づいた水瀬くんがこちらに目をやり、そして私よりも先に逸らす。これが続けば私も何かの遊びかと思い、後半からは目線をやって何秒ほどで水瀬くんがこちらへ目を向けてくるか数えていたほどだ。

そんな楽しみ方を思いつきつつも、私の方から水瀬くんには決して声をかけない。

それまでは今度会ったらシバくだの、説明責任を果たしてもらうだの言っていたのに。いや、実際に今でも説明してもらいたいし、なんならシバきたいんだが。

でも彼が私の目の前に現れて、危険から救ってくれて、教頭の悪行を暴いて、自分の正体を明かして、そして企業の社長であると知って、そんな有り得ない状況が続いてきたら、なんだかどうでもよくなった。

先ほど述べたように、人には隠したいことがあって然るべきだ。それを責めるのは道理に反するし、無理やり聞くのは野暮というものだろう。それに加えて水瀬くんが企業の社長などと聞いてしまえば、隠したいものの数も一般のそれと比べもつかないほどあるだろう。そうであるなら、水瀬くんが言いたくないならもういいや、と考え直してしまったのだった。

自分のことながら、なんとも移ろいやすい性格をしているものだと呆れもするが、相手が水瀬くんだとすれば諦めもつく。まともに相手にするだけ損を見る、ということだ。全く馬鹿馬鹿しい。

でも、そんな水瀬くんだからこそ、私はここまで彼に向かいあえたのかもしれない。

何を考えているか分かんなくて、何をしでかすか分かんなくて、なんでもしそうと期待できる彼だから、きっと私は彼のために自分のしたいことを見つけられた。

だから、これは私のしたいこと。言うなればわがままだ。水瀬くんのために頑張った私に水瀬くんからご褒美が欲しかった。ただ、彼から先に話しかけてほしい、そんな小さいわがまま。それだけのため、私は自分から声をかけずに、水瀬くんから声がかかるのをずっと待っているのだった。

………………だとしても流石に声がかからなさすぎて、不満も感じてはいるけど。


「んっんん………」


視線を交わす遊びを続けて幾度目か、水瀬くんは急に口の前に拳を持ってきて声を整えるように喉を鳴らした。

幾度のループの中には無かったいきなりの水瀬くんの行動に私は少し驚き、ついに視線だけでなく体ごと彼の方へ向けると、水瀬くんも同じくこちらへ体を向けて私の顔をじっと目つめていた。

そして彼は唐突に立ち上がると、ようやく私へと口を開き声をかけてくれたのだった。


「福永さん、本当にすみませんでした!」


「………………」


ソファに座る私に向けて直角の体制で頭を下げ、謝罪を述べる水瀬くん。

その姿はさながら不祥事の発覚した企業の責任者が記者会見で謝罪をする様子に合致した。

ふと今回の教頭の事件に関しても、学校側が記者会見を行うとするのならこんな綺麗な謝罪を校長たちはするのだろうかという想像が頭をよぎる。

しかし不謹慎にも程があるなとすぐに考えを払拭しつつ、私は目の前で下げられた水瀬くんの頭をじっと見る。

つむじの位置が綺麗だなとか、髪サラサラだなとか、色んなことを考えていれば、返事が返ってこないことに不審を感じたのか頭を少し上げて水瀬くんがこちらを覗いてきた。


「あ、あの。福永さん?」


申し訳なさそうな、様子を伺うような、まるで捨てられた子犬のような顔でこちらを見る水瀬くん。

私はそんな水瀬くんに、ニコッと笑顔を見せると特に気負うこともなく軽やかに声をかけた。


「誰が頭を上げてもいいと言ったんですか?」


「ご、ごめん!」


ふむ、偉い偉い。

立場の違いをちゃんと理解しているようだ。

さて、先ほどはもうどうでもいいやと心の中で思っていたが、しかし水瀬くんが自分から謝ってくる分には話は別です。

こうした機会にしっかりと反省させるのもしつけの技術だとかをどこかの育児書で読んだことがあった気もしますしね。知りませんけど。

まぁしかしいつまでも頭を下げさせたままではおちおち話もできないため、ひとまず水瀬くんを元の状態へと戻そう。


「はい、もういいですよ。しっかりと反省の意を噛み締めて、今後同じミスを繰り返さないように気をつけてください」


「あ、ありがとうございます」


私の寛大な心に礼を言いながら水瀬くんが複雑そうな表情で姿勢を戻しソファに腰をかける。

そして私はホッとした様子の水瀬くんへもう一度声をかける。


「それで水瀬くん。さっきの謝罪はどれのことを指していたんですか?」


「えっ………どれって………?」


私の問いかけにギョッとした顔で聞き返す水瀬くん。それに私は答えず、笑顔だけで返す。

水瀬くんはそれだけで、聞き返す選択肢を捨て、悩むように頭を回し始めそしておずおずと答えを口に出した。


「えっと、これまでの多大なる迷惑とご心配をおかけしたことについて、とか?」


「そのテンプレート文章で顧客の心を掴めると思っているんですか? カスタマー舐めてます?」


水瀬くんから謝罪会見でよくあるテンプレートな出足文章が飛び出た瞬間、私は突っ返すように眉を目を細める。水瀬くんもそれで納得してもらえると思っていなかったようで、ハハハと冗談めかして笑って誤魔化した。なんだその態度、謝罪する気あるのかこの野郎。というか言い方がダメです。もっと取引先に言うみたいに言ってくださいます?


「私と歩に相談もせず勝手に話を進めていたこと、体調管理もできずに倒れたこと、貴方がいない間私たちに何も連絡していないこと、教頭の件についてこちらに黙っていたこと、あと隠し事が多すぎることエトセトラです! これらについて本当に反省しているんですか!」


「は、はい! もちろん!」


我慢の限界が近づいたので私が肩をいからせながら水瀬くんの迷惑の具体例を挙げていけば、水瀬くんはその勢いに押されていつもの飄々とした態度はどこに行ったのか、縮こまるように謝ってくれる。

そんな水瀬くんの様子に私もいつもの調子が出ず、申し訳なさそうな顔を向ける彼をマジマジと見ながらため息を一つ吐く。


「まぁ、私はもういいですけど。本当、色々心配しましたし………不安だったんですよ」


「うん………本当に、ごめん」


私の一言に、水瀬くんは顔を俯かせながらまた謝罪の言葉を口に出す。

それが何に対してなのかはわからないけど、その言葉にこもる思いはきっと本物なのだろうことは伝わり、それが分かった以上私は彼をそれ以上責めることはできなかった。

だって私は、彼にかけられた迷惑と同じぐらい彼から助けられていたのだから。


「はぁ………水瀬くん。私もすみません。それとありがとうございました」


「………えっ? なんで福永さんが謝るの?」


私の突然の言葉に水瀬くんが困った表情をする。

そんな顔をされたら謝り損に感じてしまうが、でも今言わなかったら私はきっとこれからずっと後悔してしまう。そう確信できたから、私は戸惑う水瀬くんに理由を話した。


「いえ、私も水瀬くんに連絡せず、指示も仰がずに勝手に教頭に話をしにいってしまいましたから。そんな身勝手な行動で教頭から襲われそうになって、結局水瀬くんに助けられてしまって。迷惑ばかりかけてしまったので、謝っておかないと、と思ったんです」


そう言って、私は頭を下げる。

さんざん水瀬くんを責めた私だが、しかし私自身も水瀬くんに迷惑をかけたのは事実だ。

こうして水瀬くんが駆けつけてくれなければ、私は今どうなっていたか分からない。

そうなったのもすべて、私の浅慮な行動が原因なのだから、こうして謝り、感謝を述べることに躊躇いはない。

そうして頭を下げた私を見ながら、水瀬くんは眉を下げながら困ったような表情をする。


「そんなの、僕が福永さんたちにきちんと連絡を入れなかったせいだから、気に病まないでいいのに」


「いやまぁそれはそうなんですけどね」


水瀬くんの言葉に顔を上げながら私が頷けば、水瀬くんがずっこける勢いで肩を落とす。リアクション上手いですね。

そうして遺恨を残さないように互いに謝りを入れていけば、私は水瀬くんを座らせて、一つだけ彼に尋ねた。


「………いつから、この件について知っていたんですか」


「………最初はまったく知らなかった。本当だよ。でも屋上の使用事例と、学校年表を見てから疑問を感じて裏で調べていったんだ」


私が質問すると、水瀬くんは少し溜めながら、しかしゆっくりと口を開いて答えてくれる。

どうやら最初からこの件について把握していたわけではなかったようだ。


「実は、使用事例を木下先生に返しに行った時に教頭が当時工事の担当窓口をしていたことを聞いていたんだ。それでさらに疑いを増して、そこから屋上が何かの不正に使われていたかを深く調査しようと決めたんだ」


「………その時から既に動いていたんですね」


調査の経緯を語る水瀬くんに相槌を打ちつつ、私たちの預かり知らぬところで既に動き始めていた彼になんとも言えない思いが生まれ、私は少し拗ねるように声を挙げてしまう。

私のその様子に気付いたのだろう、水瀬くんは申し訳ない顔を浮かべながら小さく頷き、続きを話す。


「色んなことを調べたら、10年前の工事が行われた時と同時期に、教頭の所有している口座に多額のお金が入金されていることが分かった。建設会社からの横流しかと思ったけど、入金自体は教頭自身で行われていて、教頭単独の犯行であることが濃厚だと睨んだんだ」


「入金って、どうやって調べたんですか………」


私の呟きに対して水瀬くんは小さく、つてを頼ってね、とだけ返す。

さながら探偵小説のような話に私は信じきれずに呆れるが、実際に先ほど目の前で推理ショーまで行われたところだ。

信じられない話だが、実際の話なのだと頭を切り替えて、水瀬くんの話に耳を傾ける。


「教頭による単独の犯行だと分かった後は、犯行の実態と証拠を探るべく建設会社に出向いたよ。当時のやりとりの資料を手に入れるには、やっぱり公的機関との案件だから建設会社もなかなか首を縦にふらなかったけど、それでも空さんが交渉を頑張ってくれて手に入れてくれた。それで手に入った当時の二つの見積書の差額と、口座に入金された金額が合致して、教頭の行なった犯行を見抜いたんだ」


水瀬くんはそう言いいながら少し笑いをこぼす。


「空さんには無理を言ってしまって申し訳ないことをしたなぁ。今度何かお返しをしてあげないと」


「随分と、仲がいいんですね」

おそらく相田さんを思い浮かべていたのだろう、宙を見ながら声を漏らす水瀬くんに私ふと言葉をかける。

水瀬くんもそれに反応して、照れたようにもう一度笑みを浮かべる。


「そうだね。随分とお世話になってて、ね。彼女は、僕の会社の顧問弁護士なんだよ」


「顧問弁護士………」


ドラマなどでしか聞いたことのないワードについオウム返ししてしまう私。

なにしろ顧問弁護士といえば大企業とかが抱えているイメージが強いので、それを聞けば水瀬くんの会社のスケールの大きさと相田さんの凄さを図り知れてしまう。いや怖い。なんか少しでも粗相をはたらけば名誉毀損とかしてきそう。いや水瀬くんに限ってしないでしょうけど。

想像するだけで益体もないことを考えていると、それを知る由もない水瀬くんが話を戻し、事件の経緯について続けて話してくれる。


「そうして調べていって教頭の横領の証拠となる資料にまで辿り着いたんだ。まぁそれまでに倒れちゃったり色々しちゃったんだけど、それは置いといて。手筈が整った僕たちは、あとはどのタイミングでこの事実を突きつけるか考えていたそんな時、明日香ちゃんから福永さんのことで連絡を受けたんだよ」


「明日香先輩から? 一体何を、ってまさか今日のことを………」


水瀬くんの口から出た意外な人物の名前に私は驚きを示しながら同時に推察する。

その推察を証明するように水瀬くんは苦笑いを浮かべながら頷いた。


「うん。福永さんが今日、教頭に直談判しに行くってね。聞いた時は本当にびっくりしたよ。僕はすぐに福永さんを止めようとしたんだけど、それは明日香ちゃんに止められちゃった」

「なんで………」

水瀬くんの言う明日香先輩の行動を想起して、私が言葉を漏らす。

明日香先輩もきっとその時には水瀬くんから教頭の件を聞いていたはずだ。にもかかわらずどうして水瀬くんを止めたのか。私が分からずに戸惑っていれば、水瀬くんは複雑そうな表情へと顔を変えながら答えを言う。


「好き勝手している僕が、福永さんを止める権利はない、って。それと福永さんにも好き勝手する権利はあるって。そう言われたよ。勝手だよね。そのせいで福永さんが怖い思いをしたって言うのに!」


「………そう、なんですか。えぇ、いえ本当に。すごい先輩です」


水瀬くんの責めるような口調に合わせながら私も声を漏らしつつ、しかし心の中では明日香先輩に感謝を言う。

きっと明日香先輩も、止めたかったんだろう。電話口の時も、朝あった時も、明日香先輩は私を心配してくれていた。危ないことになる可能性もあって、それも危惧してくれていたのだろう。それでも、明日香先輩は私の思いを、やりたいことを尊重してくれて、その上でやりたいようにしたのだ。

実際、危険な目には遭いそうになった。でもそれも、明日香先輩はきちんと予見して、こうして水瀬くんに連絡をとってくれていた。

本当にすごい先輩です。


「それじゃあ、あの場に水瀬くんと相田さんがいたのは明日香先輩のおかげ、だったんですね」


「うん。それで、今日の朝までに急いで資料をまとめて、空さんと一緒に学校に来てみたら、既に応接室に通されてるって他の先生たちに言われてね。仕方なく応接室の外で話を聞いていたんだ。止めはできないけど、何かあったらまずいと思って。そうしたらあんなことが起きて………その後は福永さんの見た通りだよ」


水瀬くんはそう言い終えて最後に、これがこれまでの経緯、とだけ付け足した。

私は小さく頷きつつ、口を少し開いて息を吐いた。

なんてことはない。話は私の知らないところで大きく進んでいて、私の思いもよらない事態になっていただけだった。それを私は知らない中で勝手に話に入り込み、勝手に口を挟んだだけ。

それを理解した途端、開いた口からフッと笑いがこぼれる。

どうしようもない自嘲の笑いだ。


「はぁ………つまり、私が首を突っ込まなくても、事態は水瀬くんたちで解決に向かっていた、と。そういうことですね」


「まぁ、そうなるのかな」


私の問いかけに目を逸らしながら応える水瀬くん。

言葉を選んでくれることもできただろうに、しかし彼は正直に事実だけを私に伝えてくれる。

気が利かないというか、あえてそれを外してくれるところがとても水瀬くんらしく、そしてそれが今の私にとって少し心地よかった。

そんな水瀬くんに感謝しつつも、胸の内では自己嫌悪が止まらず、無意識にため息が溢れてしまう。

本当にままならないものだ。やりたいことをやると宣言してこの体たらく。自分が情けなくて仕方ない。

あまりにも不甲斐ない自分の存在に心中にて責め立てていれば、水瀬くんがふと逸らしていた目をもう一度私へと向ける。

一体なんだろうと思い、私もそちらへ目を向けると、水瀬くんが再び頭を下げたのだった。


「ごめん福永さん。こんなことに巻き込んでしまって。僕は君に怖い思いをさせるために、この計画に参加してもらったわけじゃないのに………本当に申し訳ない」


「水瀬くん………」


水瀬くんの下げた頭が視界に入る。

今度はつむじや髪質に気は行かず、頭を下げた水瀬くんのその心に思いを馳せた。

きっと、水瀬くんにとってそれだけがずっと気掛かりだったのだろう。私たちに余計なことをさせずにただ屋上に上がるという最終目的だけに目を向けてほしいという思い。その思いから水瀬くんは私たちに何も言わず、自分で教頭の件を解決させようと動いていた。

でも結果として、私が独断で動いたことで今回の事件に巻き込まれてしまった。

水瀬くんはそれを自分の不手際だと思い、こうして頭を下げているわけだ。

そんな水瀬くんの思いがこの下がった頭一つで伝わり、私はまた小さく息を吐く。

そして目の前の水瀬くんの頭にゆっくりと手を近づかせ、優しく撫でるように触れた。


「ほらやっぱり。バカですね貴方は。謝るところはそこじゃないです」


「福永さん………?」


私の手が頭に触れたことに驚いたのか水瀬くんが小さく顔を上げてこちらに目を向けてくる。

それに対して私は頭に触れた手へと力を少し加え、無理矢理水瀬くんの頭を下げさせながら、もう一度口を開いた。


「今回私が危険な目に遭った原因は教頭のせいで、その要因を作ったのは私のわがままです。確かに水瀬くんがもう少しきちんと話をしてくれていればこんなことにならなかったかもしれませんが、そこまで背負い込もうとするのは少し、傲慢じゃないですか?」


「そう、かな」


「そうですよ」


言って、私は彼の頭から手を離し、次に肩を掴んで顔を上げさせる。

水瀬くんの顔は不安そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべており、私は先ほどの自嘲していた自分と重ね合わせながら、仕方なく小さく笑いかけた。


「そんな顔しないでください。申し訳ないのは私の方なんです。勝手に首を突っ込んで迷惑をかけたのは私なんですから」


「だから、それは僕がちゃんとしていなかったせいだから………」


「はいはい。もういいいですよ。何回目ですかこの会話」


水瀬くんがまた謝りそうになったので、すんでのところでそれを止める。こんなことをしていれば水掛け論で話が終わらない。きっとこれは理屈ではどうにも解決しない話なんだ。


「きっと最初からもっと話さないといけなかったんでしょう。私たちは」


「………うん、そうだね」


私の言葉が重くのしかかったのか、水瀬くんはそれを機に口を閉ざした。

そうだ。きっと私たちはもっと話し合えていればこんなふうにならなかった。

それでも、話し合う、というのは簡単に聞こえるようで、それを実際に行うとすると簡単じゃないのを私は知っている。

ただ自分のことを話すだけではそれは一方的な自己満足でしかないし、話を聞いているだけではそれは相槌を打つだけの赤べこでしかない。

自分のことを理解してほしいという気持ちと、相手を理解したいという気持ちがつながり合い、ようやく話し合いという席は設けられるのだ。

しかしそれでも、設けられたのは話し合いの席だけ。

そこから、どう伝えればいいのかなんてのは、正解はなく。

私たちは今ようやく、その席に座ったばかりだったのだ。


「水瀬くん。私は貴方のことがよく分かりません」


「福永さん?」


私の突然の言葉に水瀬くんが首を傾げる。

私はその様子に気づきながらも、話を続けた。


「出会った当初は木に登って街を眺めていて、そしたら私も木の上に連れて行かされて。正直迷惑な人だと思っていました」


「そう、なんだ」


私の気持ちを聞いて水瀬くんは落ち込むように、でもそれも仕方ないとでもいうように、顔を陰らせる。

しかし私の話はそこで終わらない。彼の様子をみながら、続けて口を開いた。


「貴方から屋上に上がりたいという話を聞いて、なんで私まで、と最初は思っていました。でも、一緒にいるうちに貴方からいろんなことを知れて、貴方といろんな人と会えて、貴方からいろんな考え方を触れることができました。気づけば私はそれを………楽しんでいたんです」


口から出した言葉に、嘘はない。

そう思えていたから、それに気づいたから、私はこうして「したいこと」を見つけられた。

その思いを伝えることがきっと、今ここで彼と話し合う上で大事なんだと、私は目を水瀬くんから離さなかった。


「水瀬くん、貴方が何者で、何を考えているのかは未だに私には分かりません。でもこれだけは確かめさせてください。私は貴方の掲げた「したいこと」のために、一緒に手伝いたいです。貴方はそれを許してくれますか?」


宣言するように。もしくは問うように。

水瀬くんから目を離さず私の思いを口にする。

口にしただけでその思いが伝わるなんていうのは、希望論でしかないのは分かっている。

人は言葉の裏を読む生き物だから。嘘をつき、気が変わりやすい生き物だから。

口にした言葉が本物かどうかなんて、確かめる方法などなく、出来るのはその余地を潰していくことだけ。

だから私が今口にした言葉が水瀬くんにどう伝わっているのかも分からない。

でも。それでも。口に出さないと、話し合いなんてできっこない。

その事実を、これまでの経験で重々思い知らされていたからこそ、私は迷わず思いを言葉に変えられた。

私の言葉を受けた水瀬くんを見る。

戸惑っているだろうか。言葉の意図を探るだろうか。

そんな考えが一瞬頭をよぎりつつも、しかしすぐに消え去る。

だってそうだ。水瀬くんはずっと最初から無理矢理私を巻き込んできたのだ。

そんな彼が、目の前で私がこんなことを口にして言葉の裏を読むなど、そんな無粋なことをするわけがない。

目の前の水瀬くんはその顔を喜色の表情へと変えながら、嬉しそうに声を上げる。


「もちろん! これからも手伝ってね! 福永さん!」


「そうですか。ですよね」


ホントに表情豊かだこと。

遠藤平吉ですか、貴方は。

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