第15話

彼は、いつの間にか私と教頭先生の間に入り、私に触れようとしていた教頭先生の腕を強く掴んでいた。

掴んだその手は見ているだけでも分かるぐらいに力強い握力を発揮しており、掴まれた教頭先生の腕はみるみるうちに白くなっていく。


「だ、誰だお前!?」


唐突に目の前に現れ腕を掴んだその男子生徒の姿に驚きを隠せない教頭。

教頭はその男子生徒から無理矢理腕を外すと、掴まれたところを摩る。

怒り心頭といった様子を教頭が見せるが、そんなことなどどうでも良さそうに私の前に立つ男子生徒、水瀬界人くんは私の方を向き、心配そうな表情を見せる。


「大丈夫福永さん? 何かされたかい?」


「み、水瀬くん………どうしてここに………」


私はといえば水瀬くんの心配に答えることもできず、ただ質問だけを投げかけるのみ。

覇気のない私の様子に水瀬くんは今度は悲しそうな表情を見せながら、私の頭を撫でるのだった。


「ごめんね。随分と無理をさせちゃったみたいだ。こんな思いさせるつもりじゃなかったのに。本当にごめん。あと、今撫でてるのは安心させるためだからノーカンだよね?」


「何、言ってるんですか………アナタは………」


謝罪と共に投げかけられる軽口に呼吸を整えながら私はなんとか返事をする。その様子に問題ないと思ったのか、水瀬くんは最後に小さな笑顔を向けながら、ついに背後に構える教頭へと振り返った。


「お前、そうだお前。屋上に登りたいと言っていた生徒か。一体なんのつもりだ!」


「なんのつもりって………こっちのセリフなんですけど。貴方は福永さんに何をするつもりだったんですか。流石にこれは想定外すぎて僕も焦りましたよ」


先生の激昂とも取れる言葉に水瀬くんは淡々と答える。

口にした通り、教頭先生が行おうとした凶行に驚愕と呆れを感じているようで、小さくため息すらついている。

そして教頭先生はといえば水瀬くんから問われたことに対して一瞬口を詰まらせるも、すぐに態度を改めて諭すように言葉を紡いでいく。


「これは………そうだ。指導だよ指導。別にやましいことなんて何もない。教員に対して口が過ぎていたから少し指導を施そうとしただけさ」


何を今さら言っているのか。

そんな言葉が私の口から飛び出そうとする。先ほどの教頭先生の迫ってくる雰囲気、あれは間違いなく私に危害を加えるものであった。教員である者がそんな凶行を未遂といえど行い、なおかつ苦しい言い逃れをしようというのか。

耐えきれない怒りが身の内から湧き出し、私は咄嗟に口を挟もうとするが、それを水瀬くんに手で制される。

なんで、と目で彼に訴えると、彼はただ冷えびえとした顔つきで教頭先生を見るのみで私の方を見ることはなかった。


「はぁ。この学校では教員は生徒に対して身体的指導ができると。それが世間一般的にセーフかどうかはまぁ今後においておくとして。聞きましたよ。屋上の件、教頭先生の判断で否決されたと」


「………は? な、なんだ。君もその話か。それがなんだというのだね!」


水瀬くんから転換された話題に教頭が一瞬呆けた声を出す。

しかしその後、水瀬くんから話を逸らしてくれたことを理解して安心したのか焦った様子を隠さずに声をあげる。

いつもの威厳はなくとも、威圧を放つその姿に腐っても大人の力をみた私だが、水瀬くんはそんな圧力に屈せず、淡々と言葉を口にする。


「いえ別に。教頭先生の意見も論理の飛躍はありますが、生徒の主張のみで学校側が意思を変えなければならないというのも変な話ですからね。そこは今後もきちんと話し合いをさせていただきたいと思っていますよ。もちろんこんな直談判せずにアポを取った上で。ね、福永さん?」


「な、なんですか、もう」


水瀬くんがこちらに細めた目を向ける。そこになんらかの責める意思を感じた私は少したじろぎながら言葉を返すが、それ以降水瀬くんからアクションは返ってこなかった。彼の目が向ける相手は既に教頭先生へと変わっていたのだ。


「さて教頭先生。先ほどのとおり教頭先生の意見は説得力には欠けるが、断る文句としては理解できました。ただ一点、そこに教頭先生の隠しごとがなければ、ですが」


「っ! 一体何が言いたい!」


水瀬くんの一言、「隠し事」という言葉に教頭が明らかに態度を変える。

顔を背け、目が泳ぐその仕草は明らかにやましいそれを隠す人のそれだ。


「水瀬くん、隠し事って一体。それが屋上と何が関係しているというんですか?」


一体何が起きているのか分からない私は思わず水瀬くんへと話しかける。

私の問いに水瀬くんはこちらに顔を向けると、では説明しようか、と一言添えて、語り始めたのだった。


「ことの発端は10年前。日本で起きた例の大災害に遡る」


その言葉をはじめに水瀬くんは人差し指を立てながら言葉を紡ぐ。


「あの大災害により主要のインフラ施設及び公的機関は大きな打撃を受け、それに伴い全国では公的設備の耐震強度の見直しと整備に予算が割り当てられることになった。そしてそれは高台に建てられて津波などの災害時の緊急避難場所として割り当てられているここ、公立郡ヶ丘高校も同じだった。そうですね、教頭先生?」


水瀬くんはそこで一旦話を区切り、教頭へと話しかける。しかし教頭はその問いに対して答えを返さず、先ほどよりも汗ばんだ顔で水瀬くんの話を聞いているのみだった。

水瀬くんは教頭のその対応を肯定と受け取り、話を戻す。


「10年前の耐震工事は学内アルバムで確認している通り、それは間違いなく施工されている。そして学校はそれに伴い危険防止のために屋上の解放を取りやめた。そしてそれを制定したのは教頭先生である、と。素晴らしい考えだと思います。未然に事故を封じるのもまた教員としてあるべき姿なので」


水瀬くんはニヒルな笑みを浮かべたまま、教頭を褒め称える。しかしその有り様はまるで問い詰めるかの如きものだった。教頭も水瀬くんの纏う雰囲気に気付いたのだろう。賞賛されているにも関わらず、教頭の表情は固まったまま水瀬くんから目線を外せずにいた。


「そして今、生徒たちによってその屋上の解放が企画された中。教頭先生、貴方は苦しい言い訳まで使ってそれを止めようとしている。それはなぜか。そこに貴方が10年前に起こした、隠したい秘密があるんですよね?」


「さっきから何を言っているのだ君は。こんな茶番はうんざりだ。私は忙しいと言っているだろう! さっさと教室に戻りたまえ!」


水瀬くんの焦らすような問いかけに、ついに教頭が怒鳴りとも取れる声をあげた。

その一喝に私は竦んでしまい、水瀬くんもそんな私を庇うように位置どりを変えた。

その隙にか、教頭は鼻を鳴らしてそのまま応接室から出て行こうとする。話を有耶無耶のままにして逃げる算段かと私はその後ろ姿に声をかけようとするが、それに及ばず教頭が応接室から出ることはなかった。


「おっと、申し訳ないがこのまま帰すわけにはいかない」


「っ!? なんだお前は!」


教頭が出て行こうとする直前に応接室の扉が開き、その先から現れた人物が教頭の足を止めたのだ。

突如扉の向こうから現れた謎の人物に驚愕する教頭と一緒に、私もまた、現れた人物の姿を見て思わず声を上げる。


「相田さん!? なんでここに!?」


「やぁ数日ぶりだね福永さん。君も困った子だ。まさか一人で件の人物に乗り込んでいくとはね」


相田さんは私から声がかかると朗らかな笑みを浮かべて挨拶をしてくれるが、正直こちらはそれどころじゃない。なんで彼女がここにいるのか疑問を浮かべていれば、教頭がまた声を上げる。


「一体何者だ! 部外者が勝手に立ち入って何をしている!」


教頭の怒声に堪らずドウドウと落ち着かせるポーズをとる相田さんだが、教頭を見るその目が笑っていないことに気づく。相田さんは落ち着かせるポーズのまま、教頭の質問に仕方なさげに答えた。


「あー、一応自己紹介しておくと、私は便宜上そこの彼の保護者だよ。部外者かといえばギリ部内者だ。そして何をするかといえば、これから貴方を追い詰める、と言えばいいかな? 界人、これ持ってきたよ」


相田さんはそれだけ言うと手に持つ封筒のようなものを水瀬くんへと投げ、そのまま応接室の出入り口を塞ぐ位置で腕を組んで立つのみだった。

水瀬くんは相田さんから封筒を受け取れば、感謝の言葉を口にしながらすぐに教頭の方へと声をかける。


「ありがとう空さん。教頭先生、ご紹介します、相田空さんです。私の保護者を請け負ってくれていまして、こう見えても現役の弁護士なんですよ。そしてこの人には僕から一つお願いをしていまして、10年前に耐震工事を行っていた建設会社を調査をしてもらっていたんですよ」


水瀬くんは相田さんの紹介をしながら封筒を開くとその中から何枚かの資料を取り出し、それを教頭先生の目の前に突きつけながら言葉を続ける。


「これはこちらで集めた学校と建設会社のメールや送付状などのやりとりの資料です。相手の名義には、教頭先生、貴方の名前が書かれていますね?」


「っ!?」


水瀬くんの言う通り、水瀬くんの見せた資料は何かのやりとりの文章が記されており、その宛名には教頭の名前が載っているのが分かる。ここから導き出されるのはつまり。


「貴方は10年前、当時耐震工事を行っていた建設会社との窓口役を務めていた。それがこの資料から解ります。違いますか?」


「だからなんだと言うのかね!! それが何か悪いとでも言うのか!?」


水瀬くんからの問いに教頭は明らかに動揺を示した。

しかし態度は強情に強気な姿勢を崩さず、言外に水瀬くんの問いに肯定しながらその因果性を逆に問うてくる。

教頭の不審な態度と水瀬くんの追い詰め方に私はただ見ていることしかできないが、しかし分かることがある。

今水瀬くんは、教頭が今まで隠し通そうとしてきた『何か』に既に辿り着いていることに。


「悪いことはありません。ただ建設会社の窓口をしていた人が工事が終わると同時に屋上の使用禁止を提案し、10年経った今でもその解放に拒否の意思を示している。これには何か感じることがありませんか?」


「何がだ! 私はただ………!」


「やり取りの中には請求書などの金銭が関わることについても書かれています。なんならそのやり取りの方が多い節も見受けられる」


教頭の言い分に寄せる耳を持たず水瀬くんは話を進める。先ほど取り出した資料の1ページに目を通し始めるとその一部分を音読していった。


「記載されている中では『支払いは現金で』と書かれています。変な話だ。10年前だろうと、どこでも支払いは振込が基本だったはずなのに。ここでは現金で為されていることが書かれている」


「いや、それは!」


疑問をぶつけられた教頭は大きく狼狽える。

先ほどの水瀬くんの話と教頭のこの反応に私はついにことの次第を漠然と捉える。

もしかして、教頭が隠し、水瀬くんが今解き明かそうとしている『何か』とは、それは。


「水瀬くん、これってもしかして………」


私が推測したことを口にしようとしたその時、水瀬くんがこちらをいたずらっぽい顔しながらチラと見て口に人刺し指を当てる。

まるで今から最大の見せ場を見せるため、邪魔だてしないように注意するかのように。

私は水瀬くんのその仕草に不覚にも見惚れてしまい、声を出すことができなくなってしまう。

私が口を閉じたのを見届けた水瀬くんは、私から目線を外すといまだ狼狽する教頭先生へと顔を向け、ついにその真実を突きつけたのだった。


「教頭先生。貴方はこの建設会社とのやり取りのなかで、横領を行いましたね?」


ビシッ、とでも擬音が出てくるように、水瀬くんは高らかに教頭の罪状を宣言した。

まるで推理小説の一節のようなその現場に誰もが黙り込み、空気に浸る。

しかしその空気に馴染めず、破るように声を出す愚か者が目の前に一人いた。水瀬くんに罪状を突きつけられた本人、教頭だった。


「何を、馬鹿な。言いがかりだ!」


動揺を隠せない様子はそのままに、いまだ気丈に振る舞う教頭。

その姿勢はあっぱれだが正直説得力が全くなく、私は疑うことなくその視線を犯罪者に向けるものにするが、どうやら目の前のこの人物には効かなかった。

水瀬くんも教頭の態度に呆れるように息をつきながら、話を続ける。


「まぁ話最後まで聞いていただければ。やり方はこうだ。貴方は建設会社に金額の違う見積を前もって二つ作らせ、その中の金額が高い方を学校側に提示しながら、実際は安い見積の方で建設会社に依頼を出した。そしてその差額分の工事費用を着服したんだ」


水瀬くんは教頭が行ったであろう見積の着服の方法を説明する。

確かにそのやり方ならば、先ほどの話の通り現金での受け渡しさえやれば着服は可能かもしれない。

しかしそこで新たな疑問が私の中で生まれた。


「でも金額の違う見積もりなんてどうやって出すんですか。見積を作るのは建設会社だから、そこで不正なんてできないはず………」


そう、予算の違う見積を作る以上、何か差異が生まれる条件を見積に付け加えなければならない。

その条件が一体なんなのか水瀬くんに問えば、水瀬くんはフッと笑いながら私に逆に問いかけてきた。


「あるでしょ? 今まで僕たちが話していた、真っ先に疑うべき場所が」


「………まさか、屋上を!」


水瀬くんからの問いに私は少し黙考してその答えに辿り着く。水瀬くんもその私の答えに頷きながら話の続けた。


「そう。教頭先生、貴方は屋上への耐震工事、これを含まない見積を建設会社に作らせた。そうですね?」


「馬鹿な、何をいうか!」


問いかける水瀬くん。問いかけられた教頭は先ほどよりも増して青ざめた表情を浮かばせながら、しかし言葉だけは強気に反論する。

水瀬くんはそんな教頭の態度にあと一押しと考えたか、推理を捲し立てる。


「例の災害を受けてこの郡ヶ丘高校が耐震工事を行うことになった際、偶然にもその担当責任者になった貴方はその業務の最中でこの横領計画を思いついたんでしょう。そして金額の違う見積を用意する上で目に付けたのが屋上だった。貴方は建設会社に全体の工事の見積と屋上の工事のみを省いた見積を作らせ、学校側には全体の工事の見積書を見せながら、建設会社にはもう一つの見積で依頼を出した。そう屋上の工事を省いた見積でね」


あたかも目の前で見たかのように教頭が行ったであろう計画を語る水瀬くん。その迫力に負けたのか、それとも図星をつかれて恐れを覚えたのか、教頭は苦虫を噛み潰したかのような顔をしながら水瀬くんを睨みつける。

そんな中、私は水瀬くんの推理を聞いて一つの仮説を思い浮かび、声を漏らす。


「まさか、工事と一緒に屋上への出入り禁止の校則作ったのは、そのため………?」


「その通りだ、福永さん!」


私の呟きに指を鳴らしながら水瀬くんは肯定する。


「この計画を立て、無事に遂行できた教頭が次に懸念したのが屋上の不良工事、いや不施行工事の発覚だ。バレた場合に真っ先に疑われるのは責任者の教頭だからね。そのために行った隠蔽工作が屋上の侵入禁止の校則だったんだ。教頭は自分の預かり知らぬところで屋上を使用されるのが怖かった。もしそこで事故などが起きた場合、屋上の設備点検が行われる。不施工がバレる可能性が大きくならないように教頭は何がなんでも生徒の屋上の使用を隠したかったんだろう」


「なるほど………それだと屋上の使用が制限された辻褄も合いますね」


水瀬くんが理論づける推理が止まることなく披露され、その威容に私は圧倒されながら相槌を打つ。

そして屋上の使用禁止の裏にこのような秘密が隠されていたことに驚く私とは別に、水瀬くんの推理を聞いて笑い声を出す人物が他にいた。先ほどから出入り口で立っていた相田さんだ。


「なるほど。理由はどうあれ生徒の身を案じていたのは確かだったわけか。まぁ一番の理由は臭いものへの蓋だったわけだが」


水瀬くんの説明に今まで黙って聞いていた相田さんが皮肉を挟みながら教頭の方を見る。教頭は何も言い返せず悔しそうな表情を見せるのみだったが、逆にそれまで教頭を追い詰めていた水瀬くんが相田さんに慎むようにとでも言いたげな目線を向け、彼女は仕方なさげに目を閉じて大袈裟に肩を上げることでそれに答えた。


「そして今回、僕たちが屋上に上がるための計画を立てた時、教頭の心中は穏やかじゃなかっただろうね。なんとしてでもその計画を止めなくてはと思惑していたはずだ」


「だから、あんなに反対していたんですか。自分の不正を隠すために………」


水瀬くんから告げられた真実に、私は声を漏らす。これが本当に起きたことならばとんでもない不祥事である。私は驚きながらも件の人物をもう一度視界に入れる。そうすれば、その人物はいつの間にやら顔を俯かせながら、ブツブツと言葉を漏らしているのがわかった。


「いい加減にしろ………」


次第にその呟きが大きくなっていき、耳で拾うことができるようになると途端にその人物、教頭は顔を上げて怒り心頭の表情を露わにしながら声を張り上げたのだった。


「お前たちが言っているのはただの状況証拠だ! 私が実際にそんな不正をしたという証拠があるのか! ふざけたことを抜かして馬鹿にするのもいい加減しろ!」


教頭は荒げた声を張り上げる。迫力のあるその声に私はまたもすくみ上がりながら、その教頭の言葉に反応する。

教頭の言うことはその通りだ。先ほど水瀬くんがあげた推理は、詰まるところ仮説でしかない。物事の辻褄は合わさるが、事実関係が確実かどうかの裏がないのだ。物的証拠、証言がなければこの推理は意味をなさない。

それを教頭に問われたことに私は不安を感じ水瀬くんの方に目を向ければ、しかし教頭から言葉がぶつけられたと言うのに、彼はなんでもないような表情を見せている。

そして水瀬くんはその余裕な表情のまま、教頭先生に言葉を返す。


「教頭先生、貴方は僕たちが本気で、こんな推測だけで貴方に会いにきたとでも?」


「………な、何が言いたい?」


水瀬くんの余裕な態度に怪しさを感じたのか、教頭は荒いだ様子を潜め、水瀬くんの質問に質問で返す。

そんな移ろいが激しい教頭の態度が面白かったのか、出入り口で立つ相田さんは口から小さく笑い声を漏らしながら私たちにも聞こえるぐらいの声量で言葉を呟いた。


「建設会社とのやりとりの資料を見せた段階で気づいてもおかしくないだろうに。まぁ仕方ないか。甘い汁ばかり吸ってきたお前に察しろというのも難しい話だ」


「な、何を言っている」


言っている意味がわからないとでも言うように教頭が分かりやすくたじろぐ。

そんな周りの様子から私はようやく理解した。

教頭は既に詰んでいるということに。


「証拠がお望みでしたら、お見せしましょう。こちらです」


水瀬くんはそう言うと封筒から先ほどの資料とは別の、様式の違う用紙を取り出す。

そこには何かの金額と、どこかの建設会社の名前とともに郡ヶ丘高校の名称が書かれているのが見受けられた。

一体何について示す書類なのか。首を傾げる私を前に水瀬くんは高らかに口を開いた。


「これは建設会社から学校側へ宛てた領収書の控えです。支払いは現金だったため本来の領収書は貴方が握り潰し、偽の領収書を学校側へ渡したと思いますが、控えは無論、建設会社にも残っています。いやしかしこれ手に入れるのは苦労したみたいですよ。空さんが頑張って説得してくれたおかげです」

お金のやり取りが公的に行われた場合に発生する書面のやりとり、すなわち領収書の受け渡し。

お金のやり取りが発生する両者間で確実にお金の受け渡しが発生したことを証明する書面のそれは、本来過払いや二重請求を抑制するために使われるもの。

しかし、ことここに至ってこれが今証明することとは。それは当時学校が建設会社に渡した金額の証明。もしこれが、学校が耐震工事に掛けたはずの金額とずれていた場合。それはつまり。


「当時の受け渡しに使われた金額の矛盾を生む、不正が行われた決定的な証拠になる___!」


思わず漏れ出た私の呟きに水瀬くんが口角を上げて答える。


「ここに記された金額と学校側で保管されている貴方が作ったであろう偽の領収書の金額を照らし合わせれば、簡単に何が起きたかわかります。屋上工事の費用が消えていること、そしてそれが誰の手元に消えたのかについては、無論これまでの話がすべて物語っていますね?」


にこやかに笑う水瀬くんは手に持つ領収書をパタつかせながら教頭に問いかけるように声をかける。

教頭は歯軋りしながらも、しかしそれでも負けずに反論する。


「だが領収書など、10年前のものなど学校に残っているはずも………!」


「あぁ無論、領収書でなくとも収支報告書でも問題ない。私は弁護士だからね、こういったことには慣れている。どうせなら建設会社の方とも一緒に話あおう。そうすれば、話はスムーズに流れるだろうしね」


教頭の反論を封じるように相田さんが言葉をかぶせて声をかける。

その相田さんの言葉に教頭は開けた口を閉じざるおえない。

ついぞ、教頭は自分が詰んだ現状を理解したのだ。

そしてその教頭に向けて、水瀬くんは満足したように最後の言葉をかけた。


「さぁ教頭。何か言い訳があるのでしたら、聞きますが?」


チェックメイト。

誰の口から出るでもなく、しかし応接室中にそんな声が聞こえてきたような気がした。

そんな幻聴を感じるほど、目の前で行われたクラスメイトによる推理ショーは見事なものだったのだ。

何が起きたのか、全容をすべて目に映した私だったが、しかしその迫力に最後は息を呑むほかない。

しかしそれでも残る疑問。

それはこの推理ショーを行った水瀬くんの正体。

これほどまでの資料と証拠。ただの高校生が手に入れられるわけがない。

さらに弁護士と水瀬くんの保護者を名乗る相田さん。彼女が一体何者なのかもまだわからない。

真実が暴き出された中で生まれた疑問に、私は推理が終わった今困惑だけが頭に残る。すれば頭はその困惑を処理するべく情報の整理を行い、その解決策を私に伝える。つまり、当の本人、水瀬くんに直接尋ねることだ。

私がおそるおそる水瀬くんに顔を向ければ、水瀬くんもまた私から声がかかることを見越していたのだろう、どことなく申し訳なさそうな表情でこちらに顔を向けていた。

これまで抱えていた疑問。水瀬くんの正体を問えるその瞬間に、多大な緊張感を感じる。

きっとここで問わなければ、これまで通りの日常を過ごせるかもしれない。

何も聞かず、助けてくれてありがとう、とだけ伝えれば、以前のような関係でいれるのかもしれない。

でも、それは嫌だ。

それはきっと私のやりたいことでない。

だから、これまでの関係を崩すことになっても、今ここで聞く。

きっとそれが私のやりたいことなんだ。


「水瀬くん、貴方は一体_____」


意を決した私の問い。しかしその問いが最後まで水瀬くんの耳に届く直前。何者かの声がその問いに覆いかぶさり、霧中の彼方へと追いやったのだった。


「………私じゃない」


私の声にかぶせた言葉の在処はすぐそこにいた。先ほどの水瀬くんの推理ショーにより汚職の真実を明らかにされ、項垂れていた人物、教頭だった。

教頭から発せられた言葉はその後も続き、亡霊の囁きのように応接室の中に響き渡る。


「………確かに私は当時耐震工事の窓口だったが、その金額の違いは私の預かり知らぬ問題だ。私はただ言われた通りに仕事をしていて、その中で事務的なミスが発生した可能性があっただけだ。横領など断固としてしていない!」


「………今更そんな言い訳が通用するとでも?」


「黙れ!!!」


教頭は、なんとこの後に及んで汚職の事実について否認を行ったのだった。

水瀬くんはそんな教頭に呆れた目を向けるが、そんな視線はないものかのように教頭は声を張り上げて水瀬くんの言葉をかき消した。


「私がこの学校で教頭という立場に着くまでにどんな苦労をしたかも知らないお前らに何かを言われる筋合いはない! 物事の分別もつかない生徒の世話を幾日をしながら渉外対応や地域住民との折り合いも考えないといけないこの仕事に就けば、少しはいい思いをしたくなるのが人間だ! だいたい何だ! ただ屋上に上がるためだけにここまでしやがって! お前らはそんな小さいことのために俺の人生をダメにしたいのか! この人でないどもが!」


教頭はそうして自らの苦労を語り尽くせば、あろうことか自分の罪を棚上げにして、こちらを自分の人生を破滅させようとする人でなし呼ばわりしてきた。

あまりにも愚かな発言と破綻した論理にさらに呆れた表情を見せる水瀬くんと相田さんの表情が視界の端に見える。

追い詰められた犯人の最後の負け惜しみにしか聞こえなかったのだろうか。その言葉に反応も反論もしようとする気配は感じなかった。でも、私は違った。


「っ! アンタねぇ………!」


教頭の言葉に頭がカッとなり、水瀬くんにむけていた体をそのまま教頭に向け、出された言葉に言い返そうと口を開く。

だってそうだ。今まで自分の利益のために自分の罪を隠し、10年間生徒たちの自由を奪ってきたこの教師が、自由を勝ち取るために倒れるまで必死に働いた水瀬くんを冒涜するなんて許せない。

頭に血ののぼった私はそのまま教頭へと詰め寄ろうとし、近くでは水瀬くんそれを止めようと、私に手を伸ばすのが感じられる。それでもこの男に何かを言ってやらねば気が済まない私だったが、しかしそれを止めたのは意外な人物の声だった。


「いい加減にしてください!」


その声は部屋の中に誰の声でもなかった。男性の声だったが、水瀬くんに比べると壮年で、教頭に比べるとうら若い印象を持つ声だった。

しかしその声は私がこの高校に入学して毎日のごとく聞いていた声であり、馴染み深いものだった。


「っ!? ………木下先生?」


いきなり現れたその声の主を確かめるべく、発生源である応接室の入り口の方向へ私は顔を向けると、そこには私たちのクラスの担任、木下弥次郎先生が立っていたのだった。

木下先生はいつもの温厚な雰囲気をなりに潜め、目尻を吊り上げ、眉間に皺を寄せた怒気の感情を顔に表している。

いつもは見ないそんな表情の木下先生の姿に私が驚いていれば、誰かが私の手を掴んだことに気付き、そちらに顔を向ける。するとそこには水瀬くんが困ったような顔をしながらこちらを覗いており、そのまま教頭から離されるように応接室の隅に連れて行かされた。


「まったく、頭に熱が上りすぎだよ福永さん」


「だ、だって」


私の行動を窘める水瀬くんに反論しようと口を開こうとするが、水瀬くんは唇の前に人差し指を持ってきて私のその行動を抑え、視線を木下先生へと向けた。

私も水瀬くんと同じ方向へ視線を向ければ、木下先生が応接室に入ってくる様子とともに、その後ろから他の先生たちが木下先生と同じく、怒りを込めた表情とともに入ってくる様子が見えたのだった。


「なんで先生たちが………」


突然の事態に私が困惑した声を上げてもう一度水瀬くんを見れば、水瀬くんは得意げな表情を浮かばせながらその答えを口に出す。


「初めから、僕と空さんの二人だけで教頭を追い詰められるとは思っていなかったよ。だから聞いてもらっていたんだ。応接室の扉の向こうから他の先生たちに、今回の僕達の推理と、それを聞いた教頭の様子を」


その言葉を聞いてようやく気づく。相田さんのあの立ち位置の意味について。

応接室の出入り口を塞ぐように立っていたあれは、教頭を部屋から出さないためだけでなく、応接室の外にいる他の先生たちのことを、教頭に悟らせないためでもあったのだ。

そして、教頭が本心を口に出した先ほどの瞬間、先生たちはすべてを察して部屋に乗り込んだのだ。

私がようやく状況を把握していけば、木下先生は教頭の前に立ち、怒り心頭の顔を教頭へと向ける。

教頭はと言えば、先生たちが現れたことによって先ほどの負け惜しみの熱が完全に冷めたのか、自分の立ち位置を理解したようでオロオロと目線を泳がしながら目の前に立つ木下先生と対峙する。


「き、木下先生、それに他の先生方まで。まさか先ほどの話を聞いていらっしゃったんですか。あれはこの子たちのただの戯言で………もちろん本気になんてされてないですよね?」


「黙ってください教頭」


教頭のすがるような声をバッサリと切り捨てる木下先生。

その迫力に、様子を見ているだけの私まで背筋が凍る。普段の先生からではまず想像もできない低い声に、そして後ろから覗く他の先生たちの教頭へ向ける冷めた視線に、私は応接室の空気が一気に冷たくなった感覚を得たのだった。


「教頭、なんてことを………貴方は自分が何をしたか分かっているんですか。私たち教職に立つ人間は、これからの未来を形作る若者たちを教え支える大切な役割を担っているんです。貴方はそれを侮辱したんですよ!」


木下先生は諭すように話し始めるも、言葉が連なるにつれて語気を強めていく。

教頭は何か言い返そうとしている様子ではあるものの、木下先生のその迫力に負けて声を出すことすら叶わず、さらに言葉がぶつけられる。


「教頭、貴方の言う通り、教育者は大変です。親御さんから大切な子供を預かる責任、生徒を正しい道へと導かないといけないという重圧、自分の時間すらまともに作れず、悩みは増える一方の、ひたすら先が見えない職業です。それでも私たちは生徒たちにとって、かくあるべきという標にならないといけないんです。生徒たちはそんな私たちに信頼を置いて付いてきてくれるんです。貴方はその信頼を踏み躙ったんです!」


木下先生の言葉に後ろの先生たちも口を並べて、そうだ、その通りだ、と声を投げる。

言葉をぶつけられた教頭といえば、うめきのような声を漏らしながらたじろぐばかり。しかしそんなことを気にせず、木下先生は再度物申すように口を開いた。


「それに教頭。貴方は彼らが行おうとしていることを小さいと言いましたが、それは違います。彼らは今、真摯に自分のやりたいことに向き合い成し遂げようとしているんです。その行いに大小なんてものはありません!」


その言葉に合わせてこちらへと視線を向ける木下先生。急な行動に私は少し緊張するが、隣の水瀬くんは気にしていないようでケロッとした表情を見せていた。

そんな私たちの様子がおかしかったのか、小さく破顔する木下先生だが、すぐに真剣な表情へと戻し、教頭先生へと向き合う。


「自分の欲求もあるでしょう、時に突飛すぎることもあるでしょう。実現が難しいと思われることであるかもしれません、それでもその経験には必ず意味が生まれるんです。私たち教員は生徒たちを支える立場にあれど、その経験の意味を見出すこと、それに口を出すことはできません! それは、生徒たちの一存です! それを理解できないと言うのなら教頭、貴方は教育者失格です!」


木下先生はそう言いつけると、その言葉が止めとなったのか教頭は膝から崩れ落ちて頭を抱えたのだった。

もはや言い残すこともないと悟った木下先生は、惨めな姿へと変わった教頭先生を見下ろしながら、一息をつく。

そうして、意外な人物の意外な側面を覗きながらこの事件は一幕を終えたのだった。


***


その後教頭は、おこなった汚職の全容について校長とともにが聞き取りを行うとして他の先生たちが別の部屋へと連れて行かれた。

相田さんは教頭が虚偽をしないように見張るためそれについて行き、応接室には現在、私と水瀬くん、そして木下先生が残る。

そうして、なんとなしに口を開きにくい空気が辺りに漂いながら、しかしそれに負けずに、まず先にと木下先生が私たちに心配そうな表情で声をかけてくれた。


「大丈夫かい二人とも。教頭に何かされていないかい?」


「あぁいや別に。大丈夫です」


「何言ってるの福永さん。教頭に襲われかけたじゃないか。そこは遠慮せずに伝えておかないと」


木下先生の問いかけに私が答えればすぐさま水瀬くんが隣から割って入ってくる。

私はと言えばそんなこともあったかと、もはや遠い昔のように思い返していると、木下先生が水瀬くんの言葉に素早く反応して私の方を見てくる。


「!? 本当かい福永さん! くそっ、生徒に手を出そうとするなんて、本当にどうしようもない………っ!」


教頭の蛮行に強い怒りを示す木下先生。その様子からどうやら最初から話は聞いていなかったようだ。

しかしどうして応接室に入らず外から話を聞いていたのか。その理由がわからず私が頭を傾げていれば、疑問に気づいた水瀬くんがこちらに話しかけてくれる。


「先生たちには空さんから僕達が話をしている間は中に入らず、外で話を聞いてもらうように説得してもらったんだよ。先生たちがいれば、教頭は最後に本性を顕すこともないだろうから」


「………本当に貴方は何から何まで計算ずくなんですね」


水瀬くんの答えに私は呆れるように声を漏らす。

これまでと同じように、何も考えていないようで、すべてを考え尽くしている水瀬界人という存在に感嘆を覚える。でも、今回のこれは、今までのそれとは話が違うレベルの大事だ。

他の建設会社のことまで調べ尽くして教頭を追い詰めたあの手際は、ただの高校生にできるものではない。

一体何者か。あの現場でついぞ尋ねることができなかった機会が巡り巡った今、しかしそれを尋ねたのは私ではなかった。


「………水瀬くん、今回の件。君の予測は正しかったわけだ。でもわからないことがある。ここまでの真実を暴き出した君は、一体何者なんだい?」


私より先に、それを問うたのは怪訝な顔をしながら水瀬くんを見る木下先生だった。

木下先生の問いを受け、水瀬くんは視線をこちらを寄越す。その意味はきっと私に対しての遠慮だろうか。

もしかしたら水瀬くんも私から直接その問いが欲しかったのだろうか。そんな烏滸がましい考えが頭をよぎりながらも、水瀬くんは仕方なさそうに私からその視線を外すと、ズボンのポケットから小さい何かしらの革のケースを取り出し、またそこから1枚の紙を引き抜き木下先生の前へと突き出し、一言申したのだった。


「改めて。郡ヶ丘高校1年生にして、ECショップ「World creator」代表の、水瀬界人です。以後、お見知り置きをお願いします」


一枚の紙、すなわち名刺を突き出す水瀬くんのその様は、まごうことなきサラリーマンのそれだったことを私は以後知ることになる。

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