第14話

校門をくぐり昇降口を向かう途中、視界に入ったグラウンドや校庭、テニスコートをそれとなく見る。

そこでは体育系の部活に所属しているのだろう生徒たちが部活の朝練をしている姿があった。

それを見ながら朝早くからすごいものだと素直に感心する。私も今日は朝早くからの登校ではあるけれど、これを毎日できる意欲は流石にない。

早くに起きるのは眠いしキツい。できるならば眠れるだけ眠りたい欲求だって私にも存在している。

なのに部活に明け暮れるあの人たちは、その欲求に立ち向かい朝早くからの行動に心血を注いでいる。

きっとそれに引き換えるだけの何かを部活に持っているのだろう。

ふと、思い立って先ほど受け取った部活のアンケート用紙をパラパラとめくって見てみる。


「そうだよね。運動部も結構あったんだ」


見返してみれば、多くの運動部のアンケート用紙にも要望に丸をつけているのが見受けられる。

文化部はもちろんのこと、運動部にもこの案件は大きくことを及ぼすものだったのだ。

そうなれば文化部と運動部合わせて、学校のほとんどの生徒がこの件に対して強い要望を持っているということになる。

もしこの一件が上手くいけば水瀬くんの願いが叶うだけでなく、多くの生徒たちにとっても有益なものになることは間違いなかった。

その事実が、少し私の心を軽くしてくれた。

言うなれば大義名分を得たと言ったところだろう。

人間誰しも、正当性のある言い訳を持てば自信を得るものだ。

仕事でも自分個人の意見よりも多数の意見を証明した論拠を示せれば、プレゼンだってなんだってハキハキと喋られるとどこかで聞いたことがある。

ならば今、優勢の正義を持っているのは私なのではないかと、そんな期待が私の胸の内に湧き出てくる。

うん、きっと大丈夫だ、と。

先ほどとは違う自信が私の心のうちに出てくる。

そうした自信は私の態度にも表れ、足取りが先ほどよりさらに軽くなったのを感じた。

楽観とも取れるその行いに私自身も内心呆れながらもそれを止めることは職員室に到着するまで結局なかった。

そして職員室にたどり着いた私は、いつものように中から外が見えるようにするためだろう開けっぱなしの状態のドアから中の様子を覗き見る。

朝の早い時間ということもあり、教師の人数は昼間の時よりもまばらだったが、その分一人ひとりを確認することができた。

そして視線を彷徨わせていれば、ようやくお目当ての人を視認する。

すかさず姿勢を正し、小さく礼をしながら職員室へと入ると、臆することなくその人の前まで歩いて行く。近づいていけばあちらも私の存在に気づいたのだろう。作業中だった顔を上げてこちらに視線を向ける。


「おはようございます。教頭先生」


「ん? おはよう。君は………一年生かい? 何か用かな?」


見慣れない顔の私に挨拶をかけられた目的の人物、教頭先生は一瞬怪しげな視線をこちらに向けながらしかしすぐに荘厳な表情に直し、こちらに用件を尋ねてきた。

以前に一度職員室の前で顔を合わせていたはずだが、あの時は水瀬くんとしか会話をしていなかったせいであろう、印象に残らなかったようで教頭先生は私の顔を覚えていないようだった。覚えていてくれれば話は早かったけど、そこはしょうがない。用件を一から話し始めれば問題ないだろうと、私は言葉が詰まらないように気をつけながら、そして意図がはっきり伝わるように少し気合を入れて声を出した。


「はい。一年生の福永護です。実は以前から木下先生と屋上の件で話し合いをしていた者の一人なんですが、その件で少しお話をさせていただければと思って、本日は訪ねました」


「………あぁ。屋上の件のことか」


私が用件を伝えると教頭先生は眉間に少し皺を寄せながら口にする。

やはりどうにもこの件に関して教頭先生の心象は良くないようで、その露骨な態度に私は少々たじろぐ。

しかしここで引き下がる気はそうそうない。きっちりと話をして説得に努める覚悟を私は既にしてきているのだ。


「木下先生から話を聞いたのですが、署名活動すら難しいとのことで」


「まぁ色々あってね。申し訳ないがその件については木下先生を通してもらって構わないか? あいにく私もこうして忙しい身で些事に時間を取るのも難しいのだが」


些事、という言葉に少し、私の眉の筋肉が自然に動いた。

どうやら教頭先生はこの件は取るに足らない生徒のわがままとしかとっていないようだった。

そんな話も聞かずに決めつけるような態度しか取らない目の前の人に、生徒から教師に向けてはいけない感情を少々迸りながらもグッと押さえ込んで私も負けじと口を開いた。


「ご迷惑であることは重々承知です。ですがこちらとしてもただの個人的な主張のみでこの一件を企画した訳ではありません。一度でいいので話を聞いていただければ、重要性を理解していただけるかと思っています」


目線はずっと教頭先生に向け、臆することなく言葉を伝える。

その私の態度に教頭先生も少し息をついている。これはいけるかと考えていると、しかし教頭先生の目線が私ではなく、私の後ろに向いていることに気づいた。

一体何を気にしているのかと思い私もチラと後ろを覗けば職員室の他に先生がこちらの様子に目を向けているのに気づいた。

どうやら生徒が朝早くから職員室に赴いて教頭先生と話し込んでいることに気になっているようだった。注目を集めていることに少し気恥ずかしさを感じ始めるが、もう後には引き下がれない。このまま話を通し続けることを決意しながらも、それと同時に教頭先生がなぜ周りの視線を気にしているのか疑問に感じる。教頭先生にとっては些事であるこの案件に周りを気にする理由があるだろうか。

感じた疑問に目を細める私だったが、その瞬間に教頭先生から何か動きを感じてそちらへ顔を向き直した。


「わかった。一度だけ話を聞こう。しかしここでは他の先生の邪魔になる。応接室が今空いているから詳しい話はそちらでいいかな」


「っ! はい! ありがとうございます!」


根負けしてくれたのか教頭先生が立ち上がり応接室へと案内してくれる。

良い流れだと私は内心で喜びながら教頭先生の案内する応接室へと着いて行った。

応接室は職員室と扉で挟んだ形で隣に造られていた。

教頭先生が扉を開けると、その先は質素な雰囲気ながらも部屋の隅のガラスケースにトロフィーや賞状が飾られた部屋となっていた。部屋の中央には対となった立派な革のソファーと漆が綺麗に塗られた木の机が置かれ、外からの客人に当校の威厳を分かりやすく伝えられるような内装になっていた。

私も応接室内に入れば、教頭先生が私に上座を差し向けてくれたので、頭を下げてそれに応じる。先生が先に席に着いたのを見届けてから、こちらに席に着くように勧められるのを待ってようやくソファーへと腰を下ろした。


「ふむ、どうやら礼儀はなっているようだね」


「………ありがとうございます」


私の部屋に入ってからの行動に対して見定めを下したのだろう教頭先生の言葉に、私は低くなりそうな声を抑えながら努めてありがたい雰囲気で言葉を返した。

いかんいかん。話を持ちかけたのはこちらなのだから見定められるのは当然のこと。こうして話を聞いてもらえるだけ温情をいただいているのだから失礼のないように言動を気をつけないと。なんなら手持ちのお菓子すら持って来ても良かったレベルだ。いやそれは賄賂だ。

心中で自分を戒めながら私は手持ちの資料を一旦机の上に置き、本題へと入る。


「先日木下先生からもお伝えしていただいた通り、私たちの目的は生徒の屋上使用の許可です。そしてそれに向けてまず、全生徒たちの意見の収集のために署名運動をの是非を先生たちにお願いしたのですが、これが否決されたと伺いました」


「あぁその通りだ」


私の言葉に感情もなく答える教頭先生。どうやら本当に話を聞くだけのつもりらしい。その態度に思うこともないが、負けじと話を続ける。


「しかし屋上はこの事例にもあるとおり、以前では生徒たちにも解放されており部活動だけでなく文化祭などの行事にも使用されていた例があるはずです。今ではそれがダメというのもおかしいのでは………」


「それは君、危機管理というものだよ」


屋上使用事例の資料を教頭先生にも見えるようにめくりながら私が言い分を伝えれば、それに教頭先生が食いつく。まるで浅慮だと嘲るように教頭先生は私の意見に反対意見をぶつけた。


「確かに以前は解放していたがね、君も知っているだろう? あの大災害もあり教育機関全体で危機意識を強く持つようになったのだよ。生徒が怪我をしてからでは遅いからね。危うきに備えるため念のために屋上の侵入禁止を校則に入ったのだよ」


教頭先生は強気な態度でその言い分を語りかけてくる。鼻につくその態度に少し物申したい気分になった私は、補足のために付け加える。


「はい、存じています。確か高校の耐震工事に合わせてだとか。校則に付け加えたのも教頭先生なんですよね?」


「………あぁその通りだ。何かと危ない時期だったからね」


私の補足に肯定する教頭先生だったが、その態度は先ほどよりと比べて少し落ち着いたものだった。

いきなりの態度の急転換に不思議に思いながらも私は次に話を進める。


「その対応はとても素晴らしいものだと私も思っています。ですが、現在は多くの部活で練習場所の競合が発生しており、それについての対策に向けて屋上の解放は妙手かと思います。この資料をご覧ください」


そうして私は次に生徒会に取って頂いた部活動へのアンケートを見せる。


「ご覧のとおりアンケートでは多くの部活動から要望を頂いています。これは有志で取ったアンケート資料なのですが、多くの部が要望に丸を付けています」


「ふむ。そうか。よく集めたものだね」


机の資料を教頭先生に差し出せば、教頭先生は手に取ってパラパラと目を通してお褒めの言葉を口にするも、そこには感情は込められていなかった。

これに対しての感想はそれだけか、と内心で思いながらも表に出ないように努めて次に話を進める。


「屋上は現在学校内唯一のデッドスペースになっているかと思います。これを活用すれば部活動の活性化にもつながります。また運動部の方でも今では練習場所の確保に難儀しているようで………」


「あぁもういいよ」


「は?」


私が言い終える前に教頭先生はそう告げて、話を無理やり終わらせる。

淡白で、冷徹なその言葉に私は有無を言わず話を中断せざるを得ず、代わりに呆けた声をあげてしまう。


「よく話せたね。えらいものだ。練習したのだろう? 一年生なのによく頑張った。でも決まっていることでね。これ以上の口出しはやめてもらおうか」


「い、いやまだ話は途中で………」


教頭先生の言葉に私は動揺を繕うことすらできないがそれでも話を聞いてもらうために説得をする。

だがそんな私の努力も意味もなく、教頭先生はすげもなく手を振り顎で出口を指し示すばかり。


「これ以上話を聞いても同じことだよ。さぁもう十分だろう。おかえりはこちらからだ」


なんだこれは。

あまりにもぞんざいな対応に、私は憤りや呆れを超えて疑問を頭に抱える。

あまりにもおかしい。確かに教師にとっては私たちの言うことは生徒が勝手に吠えているだけのわがままの声に聞こえるかもしれない。でもそんなわがままでも正当性を持ってもらえるように私たちはこうして“理由“を説いているのに、なんで目の前のこの大人はここまで無下にできるのか。

その“理由“がまったく理解できず、気づけば私は教頭先生に向けて親の仇の如き睨みをきかせていた。


「どうしてですか………こんなのおかしいです。私たちは今すぐに屋上を開放してほしいと言っているわけではありません。活用方法について提案し、それを生徒に賛否を問うべく署名したいと言っているだけですよ。なのになんでここまで頑なに否定されるんですか。納得できません!」


もはや最初の落ち着きなど私には持ち合わせていなかった。

心からの疑問を教頭にぶつけるその姿はさも癇癪を起こす子供のそれだっただろう。

それが自分でも分かっていた。分かっていても、それでも私はその思いの昂りを抑えることはできなかった。

だってこの計画は、水瀬くんが倒れるまで考えた計画なのに。

こんな形で頓挫するなんて、許せなかった。


「はぁ………まったくこれだから若いものというのは。いいかい? 君は知らないだろうが、昔学生運動というものがあってね、学生が学校に向けてよく過激な要求をしたものなんだよ」


私の感情的な主張に、教頭は呆れたように首を横に振りつつため言葉を吐く。

一体それがなんの関わりがあるものか、私が問う前に校長はもう一度口を開いた。


「当時は酷かったものだ。学校に火炎瓶を投げる阿呆までいたものだよ。私はね、懸念しているのだ。学校側が生徒の要求を飲んでいれば学生がつけあがることを。一度受け入れてしまえば次第にその要求は肥大化し、終いには学生自治まで言いかねないとな」


「私たちはそのようなことは求めません!」


先生の懸念に私は声を大きくしながらそれを否定する。

そも教頭は知らないというが、学生運動ぐらい今時の学生は小学校の近代社会の授業で習う。勤勉な学生ならその成り立ちすらも知っており、それが当時の時勢や景気状態の大きく影響していた時事であることぐらい私も学習している。

現代においてそんな過激思想など一部の大学以外で起こるはずもなく、ましてやこんな小さい公立高校で例に挙げるのもおかしな話なのだ。

こんなことただの生徒である私が説かないでも社会情勢に詳しい教師が知らないわけがない。

なのに目の前のこの人は、なおもその苦しい言い訳をさもあり得るかの如く私に悠然と話す。


「君はそうでもこの活動を見た他の生徒はどうかな? 種火というのはどれだけ小さくても燃え広がるものだ。私は火事になる前にその種火を潰しておきたい。それだけさ」


「それは発想の飛躍です! 表面化されていない問題を無理矢理持ち出しているにすぎません!」


「君に何がわかるという!」


「………っ!」


突如の教頭先生の喝。それだけで私は言葉を開けなくなる。

それでなくても存在感が強い教頭先生がこちらに声を上げるだけで、私は萎縮してしまった。

それでも理不尽な言い分に耐えきれず、私は震える口からなんとか声を捻り出した。


「そんなの、おかしいじゃないですか………だったら私たちは何のためにこれまで………」


目の前が歪むような錯覚が起きる。目の前にいる教頭先生の顔をまともに見ることができない。

頭に浮かぶのは疑問だけ。何がダメだったのか。なんでこんなに否定されてしまうのか。元々こんな計画無謀だったのか。

疑問はやがて否定的な感情になり代わり私の心を蝕んでいき、気づけば呼吸が荒くなっていく。

始まる前の楽観的な思考は既に無く、私はただ、怖いものを見る目で教頭先生を見つめるのみだった。

その時、そんな怯える私の様子を見ていた教頭先生が、何かを思いついたように一言発した。


「まぁ私も鬼ではない。事と次第によっては口利きしないでもない」


「………どういう事ですか?」


急な目の前の人物の心変わりに私は荒い呼吸を整えながら問う。

あまりにも唐突なその言葉に怪訝な態度を隠せないが、そんな私を気にせず教頭先生は続けて言葉を口にした。


「言葉の通りさ。まぁ結果が伴うかどうかは分からんが、こうして直談判に来てくれた君に敬意を表して、というものさ。だがそれも無償でというのはあまりにも都合が良すぎるとは思わないか?」


そう言うと教頭先生はこちらに足を歩めてくる。

ただ歩いてくる、それだけの行動に私の中の危機意識が大きくアラームを鳴らす。

目の前の人物が、これから何をしてくるのか、考えたくもない想像が頭を大きくよぎった。


「な、何を………」


詰め寄るように歩みを進める教頭から逃げるように私も後ろへと逃げる。しかし、私が勧められた席は上座。つまりは出口からもっとも遠い席だ。背後に逃げ場などなく、唯一の出口は目の前の人物に塞がれていた。

恐怖の感情が私を襲う。


「や、やめて」


大声を出そうとしたが、口が震えてうまく言葉が出てこない。

なんで、どうして。先ほどとは違う疑問が脳裏を彷徨う。それに答える声はなく、私はついに目から涙をこぼしてしまう。

そんな私の様子が、目の前の人物の嗜虐心を煽ってしまったのか。「ソレ」は息を荒げながらついに私を手に取れる間合いにまで入ったのだった。


「なに、悪いようにはしないさ」


ただその一言。その一言だけで私の運命は決まった。

あぁ最悪だ。こんなことなら、自分のやりたいことなんて見ぬふりして、あのまま周りの流れに従っておけばよかった。

逆らえぬ時の流れを憂うように悔いだけが私の心を支配する。

そして襲いくる脅威に何も抵抗できない私はついにその凶行に屈する_____。その時。


「教頭先生、女の子には気軽に触れちゃいけないって習わなかったんですか?」


木の上で私の教えを覚えてくれた、彼の声が聞こえた。

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