第13話

明くる日。

日も浅い午前7時。

夏が近いこの季節ではこの時間でも日の出の光が明るく街を照らし出してくれていた。

とは言いつつも、やはり人間が活動するにしては少しばかり早い時刻に、私、福永護は学校へ登校するべく家を出たのだった。

無論、いつもの登校時間に比べれば明らかに早い時間である。

周りにはポツリポツリと出勤途中のスーツ姿の人の姿は見えるが、私の他に登校する生徒の姿は見えず、郡ヶ丘高校の制服を着た生徒は私一人だけだった。

なぜこんな早くに私一人、家を出たのか。

その理由は、昨日お母さんに宣言した私のやりたいことを行うためである。

それがなんなのかは後ほど語るとして、まず言っておくことはこの行動のために私は日常のやるべきことは怠らなかったことだ。普段の生活の中でやるべきことはすべて済ましてある。

お母さんや妹弟たちは朝ご飯はきちんと作り置いているし、食卓の上に既にラップを巻いて置いている。

弟妹たちのお弁当も前日にお母さんと一緒に作って冷蔵庫に入れており、きっとお母さんが各自に渡してくれるだろう。

宿題もして身支度も問題ない。

そう。この行動から私が伝えたいことは、自分のやりたいことというのはすべてにおいて優先されることではない、ということだ。

やりたいことを行う場合、普段自分が負っている仕事や責務を全うした上で行うのがあるべき姿だと私は考えている。

どこかの水瀬界人のように説明責任を果たさず勝手に行動する私ではない。

いつもしていることをこなし、その上で自分のしたいことをする。それが私、福永護なのだ。

そんなふうに自分のこれまでの行動を振り返って意気揚々と歩きつつも、ふと体に違和感を感じる。

不調とは違うその違和感にふと自分の胸に手を当ててみれば、今にも音が聞こえてくるんじゃないかというほどドクドクと鼓動する心臓が誇張してくるのに気づいた。


(うわ、思った以上に緊張してる………)


あぁ、でもやるしかない。

自分で決めたことだ。諦めるのも自分の勝手だが、引き下がってしまったら自分が自分でなくなってしまう。

そんな大袈裟な思いが私の心を占め、自然と足に力を乗せてくれる。

うん、きっと大丈夫だろう。

きっとこの思いがあればちゃんと言える。

根拠のない自信が溢れながら、私は学校へと無かった。

先行く足は存外軽やかでいつもの学校までの坂道を登り、気付けば私の目に学校の姿が映る。

さて、まずは目的の場所の前に、立ち寄らなければならない所があるなと考えを巡らせていれば、目に映る学校の校門のそばで誰かが立っているのが視界に入った。

持ち物検査でもしている先生だろうかと少々憂鬱な気分を患うが、どうやらその人は私の予想とは外れた人物であった。


「おはよう福永さん。待ってたわよ」


「っ! 明日香先輩! おはようございます!」


校門の前に立っていたのは昨日私が生徒会室で無礼を働いてしまった方の一人、明日香先輩であった。

明日香先輩は気さくに挨拶をかけてくれて、私は明日香先輩がいることに若干驚きながらも挨拶を返した。

昨日あんなことがあったというのにこうして朝から待っていてくれるとは、なんて優しい先輩なんだと感激しつつ、しかしそれに甘えてはいけないと自分を律し、私は昨日の件について謝罪を述べた。


「先輩、改めて昨日はすみませんでした。私、先輩たちに失礼なことを言ってしまって………」


「いいわよあれぐらい別に。私も兄さんも全然気にしてないというか、むしろ貴方たちの助けになれないことを気にしてるぐらいなんだから」


「そんな、今日だって助けてもらって、本当にありがとうございます」


「これぐらいだけよ。私たちができることなんて」


そう言うと先輩は手に持っていたA4サイズのコピー用紙の束を私に差し出してくれた。

私はお礼を言いつつ、それを受け取って中身を確認する。

それは間違いなく、昨日の朝に先輩が見せてくれた各部活のアンケートと、先日まで生徒会に預かってもらっていた屋上の使用事例の資料そのものだった。


「ありがとうございます。これでなんとかできそうです」


中身を確認した私はもう一度お礼を言うが、明日香先輩は構わないと言うように顔の前で手を大きく振る。

こういった素振りが明日香先輩のクールな一面を助長するのは本人は存じているのだろうか。一瞬頭に浮かびつつも、全く話に関係なかったのですぐに頭から振り払えば気づけば明日香先輩が呆れたような顔をこちらに向けているのに気付いた。


「それにしても、昨日いきなり電話がかかってきたからびっくりしたわ。まさかあの後に福永さんから連絡が来るなんてね」


「はい。私も自分が思いのほか、面の皮が厚いことに今回初めて知りました」


明日香先輩からの苦笑と共に出される言葉に私は自嘲の意を込めて返す。

私が昨日幸と部屋で話す前に電話をしていた相手は明日香先輩だったのだ。

お母さんと話した後に部屋に戻った私は、先日貰った明日香先輩の携帯番号にすぐにかけ、生徒会室での非礼のお詫びと私がやりたいことの考えを伝え、協力をお願いしたのだ。

うまくいく保証はなかった。あの一件があってそげなく断られることも考えていたしその時は代わりになんでもするつもりでもあった。しかし明日香先輩は私のことを許してくれるだけでなく、喜んで協力を受け入れてくれた。そうして、こうやってアンケートのコピーを私に持ってきてくれたのだった。


「でもいいんですか? 昨日は協力できないって言ってましたけど………」


「これぐらい問題ないわ。昨日もコピーが欲しければあげるって言っちゃったもんだしね。それに生徒会の主導で動くんじゃなくて、あくまで一生徒の依頼に生徒会としての裁量で答えてあげてるだけなんだから。これで怒られたらたまったもんじゃないわよ」


「そ、そうですか」


明日香先輩の肝の強さに圧倒されながら、もう一度お礼を言う。

明日香先輩はくどそうに私のお礼をはねつつも、チラと心配そうに私を見る。


「本当にやる気? 正直無謀というか、もう少し時間を置いた方がいい気がするけど」


「………そうですね。でも、やると決めちゃったので」


明日香先輩からの忠告に頷きつつ、それでも行う決心を明白に伝える。

そんな私の態度に呆れるようにさらに明日香先輩は言葉をくれた。


「そう、でも心配にもなるわよ。急に電話で『教頭に直談判しにいくから協力してください』なんて言われたら。正直今でも意味不明だけど」


「そうですね。自分でも正直、なんでこんなことしようなんて思ったのかびっくりしてますけど」


明日香先輩の言葉に自分で呆れ笑いを浮かべつつ答える。

先輩の言う通り、私はこれから教頭へ直談判をしに行くつもりなのだ。

昨日お母さんと話をした後に、どうすれば水瀬くんを見返せられるかを私は考えた。

そして考えて考えて、そしてついに考えつかなかったのだ。

そもそも私にそんな技量も経験もひらめきもあるはずもなく、そんな才能あればそれこそ自分のやりたいことをとっくに見つけている。

だから私は、やれることを考えた。

まずは水瀬くんの最終的な目標は、生徒が屋上に恒常的に上がれるようにすること。

差し当たっての課題は学校側にその有用性を認めさせること。

そして現在の障害は、教頭がそれに反対していること。

ならばやることはこれだけだと考えついたのは、ただの正攻法だった。

これまでの屋上に上がった事例の資料と部活のアンケート資料を使い、反対する教頭に納得してもらうこと。

たったこれだけしか考えつかない私はなんと凡夫たるものかと呆れもしたが、しかし何もしないという選択は選べなかった。

やりたいようにやる。それを決心した時点で私はもうそのために動くしかなかったのだった。


「まぁいいんじゃない。やりたいようにやれば。どう転ぶか、いいようになることをまぁ祈ってるわ」


「ありがとうございます。それじゃあ」


明日香先輩の激励に一言返してその場を後にしようとする。すると学校の校門を通る私の背後から明日香先輩はそうそう、と言いながらなんでもないように声をかけてくれる。


「福永さんが好きなようにやるのも勝手だけど、その分他の人も好きなようにやってることぐらいは心に置いておきなさい。先輩からの最後の忠告よ」


「………? はい、分かりました」


どこか意味ありげな言葉に私は疑問を抱えながらもとりあえず頷く。

私のそんな姿が滑稽だったのか、明日香先輩はフッと失笑する。

………なんで笑ったんだろう今。

自分が意図してないところで人に笑われるのってかなり恥ずかしいのでそういうのやめてほしいのだが。

明日香先輩の意味深な言動に怪訝な態度を見せれば、明日香先輩はすぐに悪かったと謝ってくれて、私を先へと促した。


「ほら早く行きなさい。教頭と話す時間をなるべく取るために朝早くから来たんでしょ?」


「えぇ………まぁはい」


引き止めたのそっちでは、と心の中で少し悪態を吐きつつ、しかしここまで協力してくれた明日香先輩にもう一度頭を下げて今度こそ私は校門をくぐった。

さぁ、私の勝負の始まりだ。

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