第12話

「………へぇそうだったんだ。初めて聞いた」


「うん。まだ言ってなかったからね」


私は結局、すべてをお母さんに話した。

クラスメイトと屋上へ上がる計画を立てていること。それを考えた水瀬くんのこと。手伝ってくれる歩のこと。協力してくれた生徒会のこと。そして、計画が頓挫しようとしていること。

私の打ち明けた話をお母さんはどれも優しく聞いてくれた。

そうして私が全部を話し終えた時、お母さんはありがとうと言いながら先ほどのように私の話に驚きを示したのだった。


「それにしてもすごいね護。高校に入ってすぐなのにそんなことしてたんだ」


「全然すごくなんてないよ。だって私、歩にひどいことを………」


お母さんの言葉を素直に受け止められない。

だってそうだ。私は私のわがままでみんなに嫌な思いをさせた。こんな私に誉められる資格はない。

罪悪感が自分の胸中に蘇り自然と顔が俯く。そんな私の手をお母さんは包み込むように両手で取ってくれる。


「護は、少し綺麗好きだからね。掃除もしっかりしてくれて、いつも家中ピッカピカ」


「お母さん?」


突然のお母さんの行動と関係がなさそうな話に私は戸惑う。

一体なんの話だろう。掃除は確かに家事の一端として毎日するけど別に好きではないのだが。なんなら心の整理が追いついてないのだから掃除は苦手と言ってもいいのかもしれない、ってやかましいわ。

戸惑いから心の中で一人漫才をし始める私だったが、そんなことは知る由もないお母さんは構わず話し続ける。


「きっとそれは自分で掃除するからなんだろうね。誰かに掃除してもらったらきっとモヤモヤしちゃう。だって自分でしなかったから。でも誰かに掃除してもらっても嬉しい人ももちろんいる。それって多分人それぞれなんだろうね」


「う、うん………」


掃除の話をずっと続けるお母さんに私はまだその意図を掴めずに困惑しつつ、でも言っていることは同意できるためとりあえず頷く。

お母さんはそんな私の様子を確認しつつ、もう一度口を開いた。


「護はきっとね、掃除と同じようにその屋上に上がる計画を水瀬くんだけに任せることにモヤモヤしちゃったんだよね。でもきっとそれは悪いことじゃないんだよ。そのモヤモヤは護が護であるひとつの要素。だから護だけはそれを否定しちゃダメよ」


「っ! でもそのせいで私、歩にひどいことを言っちゃったのに」


お母さんの言葉に僅かに心を揺さぶられる。

このわがままはあっていいものだと認められることに、少しばかりの安堵を覚えたのは確かだった。

しかし私はやってしまった過失は間違いない。自分のやりたいことのために、私はそれを歩にぶつけた。きっとそれは良くないことだ。それだけは間違いなく言える。

私の言い分にお母さんはうーんと唸りながら頬に指を当てる。


「護が気にするのも分かるけど、でもそれってまだ護が謝れば済む話なんじゃないの?」


「うぐっ」


「でも護は今日、歩ちゃんにあらためてちゃんと謝らなかった。それって護の中でそれだけじゃ納得してないことがあるからじゃない?」


「うぐぐっ」


お母さんに核心を触れられて唸る私。

そうだ。私はこんなにも罪悪感に苛まれているにも関わらず、心の片隅では歩や生徒会の人たちの意見にまだ納得していない思いを持っている。

だからこそ嫌になる。頭でみんなの意見が正しいことを理解しながら、それでも自分のわがままを抱える自分自身の自分の醜い部分を突きつけられて気分が悪くなる。

あまりにも分かりやすい態度をとる私にお母さんは面白くなったのかフッと笑いながら話しかける。


「護、さっき言ってたでしょ。幸のサポートができれば十分だって。きっと同じことなんだよ。護はその水瀬くんの計画が上手くいってほしくて、でも上手くいかなくて、結局全部水瀬くんに任せちゃう自分が嫌になっちゃて。それで心の中がぐちゃぐちゃになっちゃったのよね」


「………そう、なのかな」


お母さんに自分の心のうちを暴かれながら私の心中はしかし、落ち着いていた。

私の話を聞いてここまで私のことを分かってくれるお母さんに、今更虚勢を張る意地など残っていなかったのだ。

すっかり意気消沈した私は肩を落とす。


「私、どうすればいいのかな」


「そうねぇ」


私の問いに悩むそぶりを見せるお母さん。

しかし問うた私は既に答えを見つけている。

お母さんの言う通り、歩と生徒会の人たちに謝ればいいだけだ。

この前はごめんなさい。みんなの言う通りです。水瀬くんに任せましょう、と。

きっとそれがすべてをうまくまとめる方法。私のわがままだけで事態を変えるわけにはいかない。

自分の中で答えを組み出す私がそれに納得しようと頷いたその時。お母さんが悩むそぶりを止め、口を開いた。


「こういう時は自分の好きなように動くのが一番いいわね」


「え?」


お母さんの言葉に私は固まる。予想だにしていなかった答えに思考が止まってしまった。

そんな私を放りながらお母さんはなおも話続ける。


「歩夢ちゃんや生徒会や水瀬くんのことなんか気にせず、護がやりたいことをやりたいようにやればいいのよ。きっとそれが護の心をスッキリさせてくれるに違いないわ」


「いやいや、そんな無責任なことを言わないでよ」


「無責任なんかじゃないわ。だって大事な私の娘の相談よ。大真面目に言ってるの」


そう言う通りお母さんの顔は大真面目なそれだった。

でもそんなこと通るわけがない。私の好きなようになんて、そんなの迷惑がかかってしまう。

困惑する私に、しかしお母さんは間を設けずに言葉を続ける。


「だってそうじゃない。周りの同調圧力でやりたいこともできないなんて、一度きりの人生やってる意味ないじゃない」


「それは、それが言える人だけのセリフだよ。私には、そんなことを言う資格は………」


「資格なんて、この際いらないでしょ? だって護はずっと水瀬くんに好き勝手されてきたんだから」


「それは、でもだからって私も好きにやるなんて勝手すぎる………」


お母さんの言葉はまるで私の心を解きほぐすように、しかしやらない言い訳を封じるように針のように私の心に刺さってきた。私はそれから避けるように言葉を紡ぐが、その言葉はさっきより弱くなっていく。

きっとその態度が私の答えだったのだろう。お母さんは微笑みながらさらに語りかけてくる。


「護。護は将来の夢とかないって言うけど。でも今、護はやりたいことあるんじゃない?」


「………」


もう言葉は出てこない。

否定することだってできる。『私にやりたいことはない』と、ただそれだけを言えばいいのだ。

でも、それが言葉にできなかった。


「護は歩ちゃんの思うことや生徒会の人たちに言われたことでそのやりたいことをやめちゃうの?」


仕方ないじゃないか。

それが一番正しい方法なんだから。そうすることがうまく纏まることなんだから。

でも。それが納得できなかった。


「護。聞かせて。護のしたいことを」


お母さんの瞳が真っ直ぐこちらを見つめているのを感じる。

私は俯いたまま、その瞳を見返すことができない。

どうしようか。いやどうしようもない。

私が動いたってどうもしないんだから。

でも、それでも____。


「………水瀬くんは本当に、無鉄砲で、連絡も相談もしないで報告ばっかりで、それでいていろんなことをよく考えてて。最初は呆れてたけど、どんどん水瀬くんのこと気になっていっちゃって。一緒にいるのが楽しくなってきたんだ。でも途中で倒れちゃうし、私たちに隠し事たくさんするし、肝心な時にはいないしで、嫌になる時もたくさんある」


気づけば、水瀬くんへの恨み言が私の口から出てきていた。

何も考えなくてもスラスラと言葉になっていくのが自分でもびっくりで、聞いているお母さんも驚いたようであらあらと声を出している。

本当に、なんでこんな人と知り合っちゃったのか不思議で、でも嫌じゃなくて。

それ以上に一番嫌なのが___。


「私は、水瀬くんを見返したい。貴方がいなくてもやってやったと、言ってやりたい」


こんなにも私の心を占めてくる彼に何もやり返せないことだ。

あぁなんだ。たったそれだけのことだったんだ。

これは私のわがままで、私の意地だ。実行すればきっと、みんなに迷惑をかけるかもしれない。

でも、これが。


「それが、護のやりたいこと?」


「うん。これが私のやりたいこと」


俯いた顔を上げれば、そこには私を見つめる微笑みを浮かべたお母さんの顔があった。

今お母さんの目にはどんな顔の私が映っているのだろう。

願わくばそれが、格好いいものだったら嬉しい。

ありがとう、お母さん。

私、やってみるね。


***


「お姉ちゃーん………」


「ん?………あっごめんなさい。今妹が部屋に来て。では先ほどの件よろしくお願いします」


私がお母さんと話し、あることを決意した同日の夜。

あのあと私とお母さんは少しお茶をしながら話したあと、お菓子と紅茶の匂いに釣られた律と倫がやってくる前にお茶会はお開きになった。

その後は久しぶりにお母さんと一緒にキッチンに立って晩御飯を作ったりと色々と家事をしながら、一通り終えた後に自室へ戻れば、ドアが開く音と一緒に私を呼ぶ馴染み深い声が聞こえたのだった。


「だ、大丈夫? 何か電話してた?」


「え? あー大丈夫大丈夫。ちょうど終わったところだから。それより幸こそいつ帰ったの? あぁそうだ。お帰りなさい」


振り返るとそこには私の部屋のドアから半身を出して恐る恐るこちらに話しかけてくる幸の姿があった。

私は通話中だったスマホを切り、幸へと体を向けると、幸はまたドギマギとし始める。


「えっと、ただいま。さっき帰ったんだけど、リビングに入ったらお母さんが久々にキッチンにいてびっくりしちゃって、そうしたらご飯もう少しで炊けるからってお姉ちゃん呼んできてって言われて………」


「あぁそうなの。ありがとね幸」


「う、うん」


私がお礼を言えば、やっぱり挙動がおかしい幸。そういえばあれ以来ちゃんと話してなかったっけと思い返す。

これはお母さんの言う通り確かに様子がおかしいし、なんならなんで気づかなかった私。本当に姉としてできていないなと反省しつつ、私はスマホをしまい幸へと声をかけた。


「ご飯までもうちょっと時間あるでしょ。少し話さない?」


「え“っ」


「いや何その反応」


まさかの幸の反応に若干低い声で聞いてしまった私。そんな私に幸はいやいやいやと何かを否定するように両手を胸の前で振りながら言い訳し始める。


「お姉ちゃんと話したくないってわけじゃないよ!急だったから驚いちゃっただけで! というか話したい! うん私はとってもお姉ちゃんと話し合いたいです!」


「いやそんなにかしこまらなくても………」


幸の大袈裟な反応に呆れつつ私は部屋のベッドに腰をかけて空いている隣のスペースを手でポンポンと叩く。

幸もそれの意味することを気づいてくれたようで、私が叩いたスペースにまたもおそるおそる腰をかけた。

そうして、少しの間無言の間が続く。

私の隣では幸が所在なさげにソワソワして落ち着かない様子。

それがなんとも愛おしく、私はしばらくその様子を横目で眺めるばかり。

そうしていれば幸はなにかの意を決したようで、小さく頷くと私の方へと勢いよく顔を向けたのだった。


「あのね、お姉ちゃん。この前は!」


そうして、幸が私に何かを言おうとした瞬間。


「幸、この前はごめんなさい」


「はえ!?」


私は幸の言葉に被せて謝罪を入れてあげた。

そうすれば突然な私の謝罪に、虚をつかれたように驚きの声をあげる幸。

私はといえば、謝ったというのにその顔にはしてやったりという顔になっていることが間違い無いだろう。鏡を見なくてもわかる。

そして数秒驚いた幸の顔を堪能した後、私は大袈裟に笑い声をあげ、ネタバラシをしたのだった。


「ごめんごめん。幸、様子が変だったから。この前の話のこと気にしてるんだろうなぁって思って、先に謝っちゃった」


「えっなんで分かったの?……っていやそうじゃなくて!」


私のネタバラシになんで気づかれたのか困惑する幸だったが、瞬時に思考を切り替えてこちらへと詰め寄る。どうやら本当に気にしているようでその顔は先ほどより深刻だった。


「お姉ちゃんにひどいこと言ったのは私なんだから、謝るのは私の方だよ! なのになんで………」


「そっか。そこまで幸を悩ませちゃったのか。だったらやっぱり謝るのは私の方だよ」


「だからなんで」


私の言動の意図が察せられないのだろう。幸はなおも困惑している。

その姿が、どことなく学校での私の姿を思わせる。水瀬くんに振り回されている時の私ってこんなにテンパってるのかなと思うと少し情けなく感じるのと同時に、妹への罪悪感が増してきた。

うん、私はちゃんと説明しよう。きっとそれが私にできることなんだ。


「確かに私はね幸に言われたこと、少し気にしたよ。家に帰ってきて凜や蓮のお世話をして、家事をこなして、勉強して、自分の時間を全然取れない毎日なのに、幸からしてみればそれって大したことのない日常だったのかって、理解されてないことにちょっとだけ傷ついた」


「っ! ご、ごめんなさい………」

私の暴露に落ち込んだのだろう。幸は顔を俯けて誤りの言葉を差し向けてくる。

でも、そんなのは別にいらなかった。


「いいよ。謝らなくて。もう気にしてないし。というか、あの時も思ったけど、こういう時に謝られるってすごい惨めなんだよ?」


「えっそうなの?」


私の言葉に幸は驚いた顔で聞き返してくる。まぁこういうのって当事者にならないと分からないことだしなぁ。


「そうだよ。幸が私に対して謝ってるのって、モデルをする暇もなく家のことで大変な私を憐れんでの謝罪でしょ? そういうのって逆に迷惑というか、惨めになるっていうか」


「いやそれは被害妄想が過ぎるけど………ウケる」


ウケんな。急にギャルに戻るな。びっくりするでしょ。

下の子への教育上よろしくない言葉を発した幸の頭を軽く叩きながら同時に話を続ける。


「まぁだから謝るのは違うかなって。それに私もあの時ちゃんと話しておけばよかったかもって、思ってたぐらい、だし………」


そうして話していき、気づく。

あれ、これって今日の私のことか、と。

幸はあの日、私の気を悪くさせたと思って謝り、私は惨めさを感じた。

私はあの時、歩に対して言葉を放った後、調和を保つためにすぐに謝って話をせず出て行った。

だとするなら、幸との時に私が感じた惨めさを歩にも与えてしまったのではないかと。

私は今にして気づいたのだった。

それに気づいた瞬間、幸に続き、今度は私が顔を俯けて落ち込む番となった。


「お、お姉ちゃん。急にどうしたの?」


「いや別に。人にされて嫌なことって自分でも気づかず人にしてるんだなって、今にして気づいただけ」


「うん、なに言ってるのかちょっとよく分からない」


私の情緒不安定っぷりに幸が若干引きながら、優しく背中をさすってくれる。なんて良い妹なんだろう。でも最近スマホで深夜までテレビ見てるようだから良くない妹であるのも知ってる。複雑。

そうして別のことを考えて若干精神を立て直せば、俯いた顔を上げてもう一度幸へと向き直す。


「まぁ幸が気にすることじゃないよ。幸は今までどおりにモデルの仕事とか、好きなことをすればいい。家のことは私がサポートするから。それが私のやりたいことだから」


「お姉ちゃん………」


私の心からの言葉に思うところがあったのだろうか、緊張がほぐれた幸が私の名を呼んでくれる。

そうすればこれはいい機会だと思い、私は続けて前から思っていたことをそのまま幸にぶつけた。


「あ、でもやっぱり私がモデルに、って話はダメだからね。あの時も言ったけど私モデルなんか向いてないし、というかその話ってたぶん姉妹を同時にプロデュースして話題作りにしたいだけだろうし、裏がありそうでなんか嫌。幸は大丈夫だろうけど私は使い潰されそうで怖い」


「お姉ちゃん………」


私のぶっちゃけた言葉に熱が覚めたのだろう、若干引いた幸が私の名を読んでくれる。

あれー思っていた反応と違っておかしいなぁと思いながらも、その距離感はこうしてちゃんと話す前と比べればいつものように戻っており、いつの間にか朗らかな雰囲気が私たちの周りを形成していた。

それが何よりも今の私にとって嬉しかった。一度ヒビの入った関係になってもこうしてまた作り直せるということを知れたのだから。

もちろん、これが家族関係だからというのもあるかもしれない。どれだけ険悪になろうと家で顔を合わせる関係が嫌でも続く以上こうなるのが必然であるのかもしれない。

それでも、私はこの経験を活かしたいと思った。私がこれからする行動の末に、歩や水瀬くんとこうして笑いあえる関係になれればと強く思う。

そんな、ともすれば誓いとも取れる私の心の叫びがふと、言葉となって口から溢れ出す。


「それに、今はやりたいことあるから」


「やりたいこと? 一体なんなの?」


「んーそうだなぁ」


突然の私の言葉にこてんと首を傾げながら問い返す幸。

妹の可愛らしいそんな仕草に微笑みながら私は頭の中で言葉を選んだ。

私がやりたいこと、これからやろうとすること、その行動を一言で表すとするなら一体どんな言葉が適切なのだろうか。

指を手に当てながら若干楽しげに思案している私に幸はよくわからない表情を向けてくる。

そうして数秒と思案を楽しめば、ふと面白い言葉を思いつく。

これを幸に言えば幸はどんな顔になるのだろう。

そんな楽しみを胸に秘めながら私はようやく幸にその答えを伝えたのだった。


「カチコミ、かな?」


私の答えに、幸はただ呆けるのみだった。

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