第11話

「はぁ…」


帰り道。

郡ヶ丘高校から私、福永護の自宅までの道のりは片道徒歩およそ30分ほどとなっている。

学校が高台の上にあるため道の途中には少し長めの坂道があり、行き道は息が少しだけあがる程度の上り坂だが、帰りは苦労せずに緩やかに歩くことができる下り坂となっている。

普段はその坂道を一緒に歩く友人が隣にいるのだが、本日はその影も見えない。

そう、今日の昼休みのあの一件以来、私と歩は一度も言葉を交わしていないのである。


「本当に何やってるんだか…」


生徒会室で別れた後、昼休み終わりで教室で歩を見かけた時に声をかける機会は何度かあった。

私はその時に一言謝罪を入れるべきだったのに、しかし、いかんしても声をかけづらく、結局教室でも一言も話さないまま、こうして一人で下校するに至ったのである。


(こんな、気まずい空気を作るつもりじゃなかったのに)


歩の、生徒会長や明日香先輩の言っていることはすべて正しい。

この件は完全に水瀬くんが主導で動いていた案件。言うなれば彼が責任者だ。そして今回のような不測の事態に陥った時はまずは責任者に話を通すことが最優先事項である。

だから水瀬くんが帰ってくるのを待ち、指示を仰ぐのが最も正しい選択であることは理解している。

そしてそれを理解してなお私が納得を得ないこの心情は、結局私のわがままでしかないのだ。

私はそんなわがままをなんと歩にも押し付けようとしてしまった。


「バカだなぁ、私」


どうしようもない自分に自分で悪態を吐きながら私はトボトボと家路を歩いて行くと、ついに我が家にして町の診療所である「福永診療所」にたどり着く。

さて、落ち込むのもここまでだ。玄関をくぐれば溜まった家事仕事や弟妹たちの世話をこなさなければならない。

重い体に喝を入れて私は鍵で扉を開け、家の中へ入り帰宅の挨拶をした。


「ただいま………ってあれ?」


私が扉を開けた先を見るとそこには洗濯物が入っているのであろう洗濯カゴを持って階段を上がろうとしていた妙齢の女性、もとい私の母である福永愛がいたのだった。


「びっくりしたー、急にドア開いたから。おかえり護。学校お疲れさまー」


「あ、うん、そちらこそ………ってお母さん診療所は?」


お母さんは私が開けたドアに驚きながらも、笑顔で私を迎え、私もそれに釣られて挨拶を返す。

しかしお母さんはいつも帰ってきた時には診療所の仕事のせいで顔を合わせない。この時間に家で出会うことなどありえないため、私は少し戸惑いながらひとまずそのことを尋ねる。

するとお母さんは少し困った顔をしながら私の質問に答えてくれる。


「あー、今日花さんが親戚の法事らしくて休みだったのよ。だから受付の人いないしとりあえず臨時の休診とってあったの。言ってなかったっけ?」


「聞いてないよ………じゃあ律と倫は?」


お母さんの適当な性格に呆れながら、次にいつもなら帰ってくるとすぐに顔を出してくる弟妹について聞けばお母さんは続いて笑いながら答えてくれる。


「さっきまで一緒に遊んでてもう寝ちゃったよー。いやー私疲れちゃった。あ、洗濯物今からしておくから………ってアレ?」


律と倫のアグレッシブな遊びにくたびれたのだろうお母さんはタハハと疲れの見える笑顔を見せる。そんなお母さんにまた私は呆れながら、その手に持っている洗濯カゴを奪うように取り上げた。


「いいよ、疲れてるんでしょ? 後はやっておくから休みなよ。せっかくの休診日なんだから」


「ダメよー、いつも護にやってもらってるんだから今日ぐらい私がお母さんしないと」


私の申し出に頑として譲らないお母さん。いつも家事仕事を任せていることをやっぱり気にしているようだが、それはそれとしてせっかくの休みに家事仕事をさせては私のメンツにも関わるため、私も譲らずに反論する。


「いやいやお母さんはいつもお母さんしてるよ。それに、これは私がお母さんの手伝いをしたいだけだから。ほら離して」


「そ、そう? ならお願いしよっかな」


私の説得にようやくお母さんは聞き応じて洗濯カゴから手を離すが、その後に一言口を添えるのだった。


「あ、でも先に手洗いうがいしないとダメよ! 最近危ないんだから!」


「はいはい…」


こういうところちゃんと医者だなと本当に思う。


***


「洗濯物終わったよー………って何その紅茶とお菓子」


手洗いうがいを済まし、洗濯物を干し終えた私は居間に戻るとそこにはダイニングテーブルに紅茶とお茶うけを用意して待っていたお母さんの姿があった。

初めてみる光景に思わず私は突っ込むが、お母さんはといえば私が戻ってきたのを見るや待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべティーカップを持ち上げてこちらに声をかけた。


「お疲れ様、護。ティータイムしようと思って、一緒に飲も♪」


「あぁ、うん。いいけど」


お母さんの唐突な提案を訝しみながら、しかし絶妙に鼻腔をくすぐる美味しそうな紅茶の香りに負けて私はその提案に応じて席に着く。

目の前には先ほど淹れてくれたばかりなのだろう紅茶と、ひと目見ただけで分かる高級なお菓子があり、自宅にも関わらずまるでどこかの喫茶店の風格を醸し出していた。

いつもと違う雰囲気に私は恐縮しながら私はお母さんに一つ尋ねる。


「どうしたのこの紅茶とお菓子。お母さんこんな趣味なかったでしょ」


「失礼ね、いやまぁ実際ないけど。花さんが前にお土産にくれたのよ。高いものだからお客さん用に残してたんだけど全然使ってなかったのをさっき思い出して、もう食べちゃおうかなって」


「また花さんかぁ………申し訳ないなぁ」


お母さんの答えに私は花さんに申し訳なさを覚える。

花さんには以前からお土産と称していろんなものを頂いており、家族でそれを食すのがもっぱらだ。

小さい頃は何も考えずに喜んでいたが、今となっては申し訳なさの方が先に立ってしまう。

この紅茶とお茶菓子もきっと何千円とするものなのかと考えるとゾッともする。

今度会った際にはあらためてお礼を言おうと私が考えていると、そんな私にお母さんがもう、と口を挟んだ。


「子供がそんなこと気にしなくていいの。お礼は私からしてるんだから気にせず食べなさい」


「はいはい分かりました。ただ律と倫、あと幸にも少し残してあげないと」


お母さんの言葉を軽く流しつつ、私はキッチンから他の皿を取り出しつつお菓子の取り分けを始める。

二人でこんなの食べたって知ったら絶対に怒るだろうからなぁ。

そうして三人の分のお菓子を分けていると、その様子をお母さんがジッと見ていることに気づく。

一体なんだろう怪訝な表情をすると、お母さんはようやく声を出した。


「本当に護はしっかりしてるわね」


「な、何いきなり?」


唐突なお母さんの言葉に私は戸惑い取り分けようとしていたお茶菓子を取りこぼしてしまう。

あっと気づいた時にはこぼしたお茶菓子は机の上で割れてしまい見るも無惨な姿になってしまっていた。あぁまったくお母さんが変なこと言うから割れてしまったではないか。これを流石に下の子たちに譲るのは申し訳ないし私のお菓子と交換して………。


「ほらそうやって下の子たちにいつも気を配って、割れたお菓子を自分の方にしちゃうところとかさ」


「えー別にこんなの普通でしょ?」


「普通じゃないわよ。護はすっごくしっかりしてるわ」


お母さんは私の行動に指摘し誉めてくれる。私はそれが気恥ずかしく目を背けながら否定するが、お母さんも譲らずに話を続けた。


「私ね、護には本当に感謝してるの。お父さんがいなくて私ひとりで診療所をやらなくちゃいけなくなってから、家のことをずーっと護に任せっきりになって。それで下の子たちや幸のこともしっかり面倒見てくれて、本当に感謝してもしきれないぐらい」


「なに急にあらたまって。何かあったの?」


普段なら聞かないお母さんにお礼に私は少し照れながらも突然のことに対して訳を聞く。

対してお母さんはうーんと悩みながら私の質問に対しての答えを探しているようだった。


「いやねぇ、もちろん感謝は本当にしてるんだけど………幸からお姉ちゃんと喧嘩しちゃったって聞いちゃって気になってたの」


「あぁ幸が………」


お母さんの答えに納得する私。おそらくは先日のモデルの話の件だろう。

私はすっかり忘れていたけどもどうやら幸にはあれの件で悩ませてしまっていたようだ。少し申し訳ない。


「夜中にね急に幸が部屋に来て、『お姉ちゃんにモデルを勧めたら怒らせちゃって、やっぱり私のこと嫌いなのかな………』ってすごい落ち込んだ表情で相談してきたのよ。私びっくりしちゃって。護が幸のこと嫌うはずないって言っても全然聞いてくれないんだもの」


「そこまで気にしてたの?」


お母さんから聞いた幸の話に私も気まずい感情がうごめく。

確かにあの時幸に言われたことは私も少し思うところはあったけど、それもすでに喉元を通り過ぎて熱さも残っていない。既に済んだことと私は思っていたけど、幸の喉には小骨が残っていたようだ。


「幸から話を聞くと、まぁ幸の考えすぎかなって思っちゃうところもあったんだけど、でもやっぱり娘たちの悩みにはしっかり聞かないとって感じちゃって。それでいい機会だし護ともお話ししようかなぁと思ったんだ」


「………そっか。ごめんね」


お母さんの言葉にお母さんとしての強さを感じ、私はなんともない心強さを感じて少し微笑みながら、しかし心配をかけてしまった申し訳なさから謝罪の言葉が出ていた。

その私の謝罪の言葉にお母さんはすかさずムッとした表情へと顔を変える。


「なんで護が謝るの。変な子ね。いいから、何か悩みがあるんじゃないの? それとも本当はモデルの仕事したいとか?」


「いやそうじゃないけど………」


お母さんは謝る私を窘めながら私に相談をねだってくる。

思っていたティータイムと違う展開になり私は少し迷いながら、でもまぁいいかなと思い直していざ口を開いた。


「お母さんは知ってるでしょ。私には………将来の夢とかそういうのないって」


「………えぇそうね。小学校の時に作文で、将来の夢に『特にないです』って書かれた時には思わず声を上げちゃったもの」


私が話すことに相槌を打つお母さん。

そう、私には将来の夢はない。目指したい目標もなければ、輝かしい夢も抱いたこともない、普通の人間なのだ。


「うん。でも私自体それをあんまり悪いとかそういうふうに思ってなくてね。いつか見つかればいいなぐらいにしか思ってなかったんだけど、でもそう言う将来の夢とか目指すものを持っている人を見てると、なんだかキラキラしてて羨ましいなって思っちゃうんだ」


「分かるわ。私も歳をとってきてから若い人のそういう夢に向かう姿を見てるだけで何か元気もらえるもの。プリキュアとか」


「あぁうん。よく律と倫と一緒に見てるもんね」


閑話休題。


「幸は今モデルの仕事していて、順調に上手くいってて、本当にすごいなって思ってる。でもだからといってそれでモデルを私もやりたいとも思わなかったし、私はそんな幸のサポートができれば十分って思った。だけど幸はそんな私がどうも淡白に見えちゃったみたいで………私も幸の言葉で私自身を否定されちゃったみたいで、それで少し、ね?」


「………そうなの。それは悲しいすれ違いね」


私の話に深く頷くお母さん。

そんなお母さんの様子に私は安堵の息を小さくもらす。


「幸とのことは私から幸にまた伝えておくから。お母さんは気にしないで大丈夫だよ」


「そう? じゃあ任せるけど、でも何かあったら言ってね?」


幸とのことでお母さんに迷惑をかけることは私の本意ではない。

それでなくとも普段から多くの患者さんの診察で心労極まっているお母さんに家庭内のことでさらに負担などかけたくはない。

だからこそ、こうしてお母さんの持っていた悩みのタネを減らせたことは私自身としても嬉しいことだ。

私の言葉で幸へのフォローを私に任せたお母さんは安心したように紅茶に口をつける。

私もそれに倣い、いまだ香ばしい香りを漂わせる紅茶に口をつけると、それと同時にお母さんが話し始めた。


「それで、他の悩みはどうなの?」


「っ!」


突然のお母さんの発言に口の中の紅茶を咽せかける。

寸前でなんとか飲み込んで吹き出すのは抑えたものの、飲み込んだ際に気管に入ってしまったのだろう、結局咽せてしまった。

そしてそんな私の姿をあらあらと見ながらお母さんが私の背中にまわりさすってくれるが、なんとも言えない状況に戸惑いを隠せず、ようやく咽せりを治めた私はお母さんへと声を上げた。


「急に何! 他の悩みって………」


「え? でも護、帰ってきた時落ち込んだ表情あったから何かあったのかなぁって思って。違った?」


なんともとぼけた表情でサラッと核心を突いてくるお母さんに私は思わず言葉が詰まる。

なんとすごい観察眼だろう。正直少し怖気を感じた。

母は強しとよく言うが、それはうちの家庭でも同じだったようだ。


「それで、どうなの?」


「えーっと………」


詰め寄ってくる目線に目を逸らす。

正直学校でのことをここで相談するのは心情的に憚られる。

少し複雑な事情だしお母さんに相談して解決することでもない。何よりそれを相談してお母さんにまた悩みのタネを与えるのも嫌だった。

でも今のお母さんは私に悩みがあるのを完全に見抜いているようであるし、シラを切り通してお母さんとも険悪になるのも嫌だったため、私はそれとなく伝えることに決めたのだった。


「実はね………」

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