第10話

「えっ? 署名活動の許可が出せない?」


生徒会の人たちからアンケートを渡されて、それを朝の内に担任である木下先生に渡したその日の午後。

4限の授業を終えてお昼ご飯を食べようとした私、福永護と友人の加納歩は、教室の外から誰かに呼ばれた。私たちを呼んだのは、今日の朝に職員室とHRで顔を合わせた木下先生であった。

木下先生は私たちを呼ぶと人通りの少ない廊下の隅に移動して、署名活動の不可の事実を伝えたのだった。

あまりに唐突に告げられた事実に、私はすぐさま疑問の声を投げる。


「なんで。というか決定が早すぎませんか。アンケートを出してお願いしたの今朝ですよ?」


先生は私の言葉に首肯で答えて、事の経緯を話し始める。


「君たちがアンケートを持ってきてくれた後、職員会議でその話を議題に上げたんだよ。アンケートが届いて要望が多数寄せられている、ってね。もちろんこれですぐに対処が決まると僕も思っていなかったし、そう言った要望があるという事実を職員全員で認知してもらう程度の考えで話したんだけど、反応は、悪い方向で速かった」


「悪い方向って………」


先生の言葉を恐る恐る反復する歩。先を促しながらもその様子は、その先の言葉を聞くのが怖くてたまらない雰囲気だ。

そんな歩に気を遣いながら、先生は話し始める。


「教頭先生が即刻却下をあげたんだ。他の先生たちの反応も待たずに、安全面と校則を理由にね」


「そんな…」


先生の言葉に項垂れる歩。落ち込む歩の背をさすりながら私は異議を木下先生にあげる。


「でも今回は署名活動への要望のはずです。これだけの要望がありながらそれすらもダメというのは流石に…」


「それも尋ねてみたけど、結局通らない案件に対して署名活動という大掛かりなことをされたら風紀が乱れる、というのが教頭先生の意見だ」


「風紀って………」


署名活動のどこが風紀を乱す要素があるのか。

学生が一つの目的のもとで自主的な行動を行うことは目下推奨されるべき事柄ではないのか。

異議の尽きない私の心中だが、しかしそれを今ここで木下先生にぶつけたところでなんの意味もなさない。

木下先生は私の納得いかない表情を見ながら、もう一度口を開く。


「僕の他にこの議題に対して肯定的な意見を言ってくれる人もいたが、発言はほとんど教頭先生によって封殺されていた。今後どうなるかは分からないが、正直これ以上の進展は望めないだろう。教頭先生曰く、学生の好きなことをさせては当時の学生運動の二の舞になる、とのことらしい。残念だけど、僕からできることはここまでだ」


木下先生はそう言うと、私たちに背を向けて歩いていってしまう。

私は遠ざかる先生に何か一言声を掛けようとその背を見れば、先生の手が青白くなるほど握りしめられていることに気づき、かける言葉を見失った。

そうして、私たち屋上突破計画隊のプランは、頓挫してしまうこととなったのだった。


***


「そうか、教頭からそんな提案がされたのか………」


「はい。先ほど木下先生から直接話を聞きました」


場所は変わって生徒会室。

私と歩は木下先生から聞かされた事実に困惑を覚えながら、今後のことについて相談するためにすぐに生徒会室まで赴いた。

そこで自分達に話された内容をそのまま生徒会長と明日香先輩たちに伝えると、二人も私たち同様、驚愕と困惑が入り混じった表情を見せる。


「まさかこんなに早く却下されるとはな。勝算を高く見立てていたつもりはないが、あまりにも対応が早すぎる」


「えぇ………正直疑問が残る結果ね」


生徒会長と明日香先輩は教頭先生の発言に不可解な部分を感じているのか、各々が呟く。

その呟きに対して歩も同じことを感じていたのだろう、あのぉと声を上げながら二人に質問をした。


「これで却下されちゃったらこのあとどうすればいいんですか………? まだ私たちにできることはないんですか………?」

いつもの溌剌とした雰囲気はなりを潜めて、歩は消え入りそうな声で尋ねる。

そんな歩の言葉に生徒会長は、気まずそうな表情を浮かべながら言葉を返した。


「………現状、俺たちの方から提案できることはもうない。俺たちはただ材料を提供していただけだからな。これ以降の進展に関しては、悪いが君たち次第と言いようがない」


「そんな、急に梯子を外すようなこと………!」


生徒会長の言い分に私が言い返そうとすれば、その間に明日香先輩が割り込んでくる。

明日香先輩はこれまでの朗らかな雰囲気から一変、氷のような表情を浮かべて私を見つめる。


「やめなさい。元々これの発案は水瀬界人だったはずよ。アイツがいない今、その責任の所在を私たちに求められても困るわ。文句はすべてあの阿呆に向けなさい」


「………っ!」


明日香先輩の言葉に私は何も言い返せない。

だって水瀬くんがそう言っていたのを私は覚えていたから。生徒会の方々はそんな彼に巻き込まれていただけの協力者に過ぎなかったのだから。


「ま、護ぅ………」


明日香先輩の冷たい態度に私の背後で歩が萎縮する。

空気が悪くなるのを肌で感じる。

そんな雰囲気を宥めるように今度は生徒会長が私と生徒会長の間に割り込んだ。


「すまない。無論俺たちもこれが失敗に終わったからと言って君たちを邪険に扱う気はない。だが、これ以上の助言は、正直何もできない。今後の動きについては界人と相談してほしい。ただそれだけが言いたいだけなんだ」


生徒会長は明日香先輩を抑えるように肩に手を置きながら、私たちへ状況を教えてくれる。

生徒会長の言っていることは正論だ。建てた計画がダメになった以上、発案者である彼の意見を聞いて、あらためて計画を修正する必要がある。

でも、それは結局水瀬くんに頼ることになる。倒れるまで一人で突っ走り続けた彼に、また頼らなければならない結果になってしまう。

そんな未来を想起しながら、私は生徒会長の言葉に言葉を返さない。代わりに私の後ろから歩が返事をする。


「そ、そうだよね。きっと水瀬くんが何か良いアイデアを出してくれるよね! そうだよ護!」


生徒会長の言葉に歩はうんうんと頷いて私の方を見つめてくる。

その目はそうしようと、同意を求めてくる目だ。

私はその目と見つめ合いながら心の隅で歩の意見に同意する。そうだ、きっと水瀬くんならばこの状況をなんとかする一手が考えつくだろう。私たちはそれを享受して、彼について行けば良いだけだ。そうすれば、私の、水瀬くんの夢が叶う瞬間を近くで見るという目標も叶うかもしれない。なんせ今までもそれでうまくいっていたのだから、今後もそうなるに違いない。

でも、それでも私は納得できなかった。

だって、だってそれは私が忌み嫌っていたーーー。


「歩は、それでいいの?」


「え?」


気づけば、私は無意識のうちに歩に問いかけていた。

歩は私の質問の意図に気づかず、小さく声を上げるだけ。

そんな歩に私はさらに問いかけを続けてしまう。


「倒れるまで自分勝手に動いて、私たちには何も教えてくれなくて、困ったときには近くにいない、そんな彼に、ずっと頼りっぱなしで、本当にいいと思ってるの?」


次々と溢れる言葉に歩は言葉を返さずに口も閉じずに呆けてこちらを見返すのみ。

そんな歩の様子を見て、私はようやく自分が何を言ったのかを理解する。


「ごめん、ごめん変だよね。こんな、生徒会の人たちにも頼れなくて、わたしたちだけじゃどうしようもない状況なのに、水瀬くんに頼らなくちゃいけないのは当たり前のことなのに、私なんで………」


気づけば私は頭を手で押さえて俯いてしまう。

一体何を言ってるのか自分でも要領を得ない。

ただ、それでも一つだけこんがらがった頭の中で思う事は。

私は、私たちは何もしていないこと。

ただ彼に着いて行き、彼の話を聞いていただけのこと。

その事実だけを痛ましいほどに思い出し、私は顔を上げてもう一度声を出す。


「ごめん、歩。いきなりのことで少し混乱しちゃって。生徒会長と明日香先輩も、申し訳ございませんでした。今後のことについては、水瀬くんとまた相談させていただきます」


「え? ちょっと待って護………!」


「ごめん、歩。少し一人になりたいから、私もう行くね………っ!」


私に何かを言おうとしてくる歩から逃げるように私は踵を返すとそのまま扉から生徒会室を出た。

その間、私の心中を占めるものは自己嫌悪だけ。

だってそうだろう。

私は、私の無力さを友達にも押し付けようとした、史上最低の女なのだから。


(消えてなくなってしまいたい)


胸中の私の呟きは、消えることなく私を蝕み始めた。

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