第9話

水瀬くんが倒れ保健室で起きたあの珍事から時間を経て、翌朝。

あのあと保健室で呆けていた私を帰ってきた歩と生徒会のお二人が心配してくれた。

私は今しがた起きた出来事について要領のえない口調で説明しただったが、生徒会のお二人は私の手にあった名刺を見て事の次第を理解したようで、気にするなという金言だけを与えてくれて、教室に戻ることを促してくれた。

説明が一切ない出来事のオンパレードに歩は頭に疑問符を浮かべ、私はそれに加えてモヤモヤした感覚を胸に残しながらとりあえず生徒会のお二人の言う通りに教室へと戻り、その日は何事もなく終えたのだった。

そして翌朝の現在。いつも通りの時間に家を出て、通学路の途中で歩と合流して学校へと向かった私たちは昇降口に入る途中で、二人で集まっている生徒会長と明日香先輩の姿を見つけたのだった。


「あ、生徒会長と明日香先輩だ。おーい!」


二人の姿を認めた歩は元気よく声をかける。

顔見知りとはいえ先輩にこうしてあどけなく声をかけられるのは間違いなく歩の長所だなと感じつつ、私も歩に倣い二人に向けて頭を下げる所作をする。

歩の声に気付いたのだろう生徒会のお二人はこちらに顔を向けると、手を上げて答えこちらへと歩いてくる。


「おはよう福永さん、加納さん。昨日はあの阿呆のせいでとんだことになってごめんなさい。あいつの代わりに謝っておくわ」


「いえ、とんでもないです。今日改めて水瀬くんから謝罪と説明の言葉をいただく予定ですのでお構いなく」


「そ、そう。………福永さんって結構根に持つのね………」


昨日のことで水瀬くんの代わりに謝辞をくれる明日香先輩に私は笑顔で答えると、明日香先輩はなぜか私に怖いものを見るような視線を送る。

そんな明日香先輩を流すと、生徒会長が私の言葉について言葉を挟んだ。


「そのことなんだが、今日水瀬は登校しないと連絡が来ていた」


「えっ、水瀬くん今日来ないんですか?」


生徒会長から伝えられた事実に歩が心配そうに声をあげる。おそらく水瀬くんの身を案じてのことだろう。

でも昨日の彼の容体を見ていた私からすると、一日寝れば問題ない様子だったため少し疑問を感じる。いや私の見立てが全て正しいわけがないのはかくも承知の上なのだが。

そうして考えていれば、私は生徒会長にその連絡をくれた人物の方に思考が向く。


「あの、もしかしてその連絡をくれた人って相田空さんですか?」


「あぁうん、まぁそうだが…」


言いづらそうにしつつも肯定の声をあげる生徒会長。

私はその事実を受けて目を細めて生徒会長を見つめる。


「知り合いだったんですね。あの人一体何者なんですか? 名刺には弁護士って書かれてましたけど水瀬くんとはどういう関係なんですか? 苗字が違うのになんで水瀬くんの保護者を名乗ってるんですか? お二人はそのことをご存知なんですよね?」


相田さんと生徒会長が知り合いという事実を知った私はこれ幸いと昨日から溜め込んでいた疑問をぶつけまくる。

生徒会長は矢継ぎ早に飛んでくる私の質問に対して困ったように顔を顰めさせるが、そんなことは関係ない。先日は自分で答えを探せと言っていたがこの際だ。全部説明してもらおう、と私は生徒会長に詰め寄ろうとすれば、その間に明日香先輩が割り込んできたのだった。


「はいはいストップストップ。いきなりわけわかんないことが起きて説明してほしい気持ちはわかるけど、それは私たちに求めるのはお門違いよ。事情は知っているけど私たちが話さないといけない義務なんてないんだから、迷惑をかけた本人である界人が帰ってきてから本人に聞いてみなさい」


「むぅ…」


明日香先輩の仲裁に私は渋々引き下がる。正直納得はしていないが、このまま私が駄々をこねるのも格好がつかない。明日香先輩の言う通り水瀬くんが次に登校してきた時に締め上げてでも答えさせることを私は決意したのだった。

私が引き下がったことを確認した明日香先輩は、仕方なさそうに一つため息を吐きながら言葉を続ける。


「まぁこうして待っていたのはその界人が今日登校しないってことを伝えることともう一つあって。事前に界人から調査を頼まれていたんだけど、昨日のうちに統計が揃ったからもう一度みんなで確認しておこうかと思って、二人を待っていたの」


「調査? 統計? なんのことですか?」


明日香先輩の節々の単語に反応しつつ歩が質問する。

明日香先輩はその質問に勿体ぶるように口元に笑みを浮かばせながら答えたのだった。

「屋上についての使用要望に関しての事前調査。つまりはアンケートよ」


***


場所は変わり、もはや入ることに緊張もしなくなった生徒会室。

昇降口前で明日香先輩の話を聞いた私たちは件のアンケートを確認するため、教室に向かう前に一度生徒会室に立ち寄ったのだった。

机の上には明日香先輩が言っていたアンケートだろうA4の用紙が目立つように積まれており、生徒会のお二人はその一部をこちらへと渡してくれたのだった。


「アンケートなんてやっていたんですか? いつの間に…」


私が驚いて声を出すと生徒会長が答えてくれる。


「昨日話していた部活集会の時に顧問には隠して部活動すべてに渡していたんだ。昨日の放課後にようやく全部集まったから本来なら界人も含めみんなで確認するつもりだったんだが、あんなことがあったからな。とりあえず二人には早急に見てもらおうと思ったんだ」


「でもいいんですか? 学校に内緒でこんなことしちゃって」


生徒会長の説明に歩が質問を挟む。

それに対して生徒会長は安心させるように微笑を浮かべながら心配ない、と口にする。


「この程度なら生徒間調査と言うことで咎められる心配もないしな。新聞部がする取材みたいなものだ。怒られることはないだろう。まぁ界人の口添えの下なんだが………」


「まぁそうですよね………」


改めて水瀬界人という男の抜け目のなさに呆れるため息を吐きながら、私はアンケート用紙に目を向ければそこに記入されている内容に目を見張る。


「すごい、ほとんどの部活が屋上の使用に要望を出してる………」


「本当だ! 音楽系の部活の他に他の文化部も屋上を使いたいに丸を付けてるよ!」


歩の言う通り、アンケート用紙には『学校の屋上を使用したいか?』などの項目があり、その下に『要望する』か『要望しない』のチェック欄があり、それに丸をつける方式の簡単なタイプのアンケートとなっていた。

それにほとんどの部活が『要望する』に丸がつけられていることに私たちは気づいた。

さらにはチェック欄の下に選んだ理由を記入できる自由欄があるのだが、そこにも全ての部活動が屋上を使用したい理由が書かれていたのだった。


「吹奏楽部、軽音部、合唱部は思っていた通り練習場所の確保のため。さらに他の文化部は写真部や新聞部が撮影や取材のために使用したいって…ほとんどの部活が屋上を使用したいって書かれてるよ!」


「本当だ…思っていた以上に反響があるみたい」


歩が要望の欄を嬉しそうに読み上げる。

私もまた歩に釣られるように口から出した声に喜色を含ませてしまう。

そんな私たちを覗きながら生徒会の二人が同じく嬉しそうな口調で私たちへと声をかけた。


「さっきも言ったように正式な請願書とは違う有志のアンケートだから、特に効力がある何かってわけじゃないけど、学校側を説得する材料としては十分なものだと思うわ」

明日香先輩の言葉に生徒会長が口添える。

明日香先輩の言う通りこのアンケートは生徒側で勝手に行った調査活動のため、水瀬くんの行おうとしている請願書を作るための署名活動といった公の活動とは違い、何か即効性の効果を生むことはできないだろう。

しかし、今後屋上使用に向けて本格的な活動を行う際に、このデータは学校側に提示できる説得の材料として扱えることは間違いないのは、私から見ても明らかなのが分かる。

今後の展望についてかなり明るい兆しが見え始めたのだった。


「それでここからは頼みたいことなんだが、このアンケートを君たちの先生に渡してもらえないか?」


「これを、木下先生にですか?」


生徒会長から突然頼まれたことに疑問に感じて首を傾げる歩。

私もまたなぜそのようなことをするのか分からず生徒会長の方へ顔を向ける。

すると生徒会長は訳知りそうに腕を組み、事情を話した。


「界人から話は聞いている。木下先生と話を通して屋上に上がるための準備を進めているんだろう? アンケート自体は元々教師陣にも確認してもらう手筈で、元々は界人から木下先生を通して渡す予定だったんだ。だけど昨日あんなことになったからな。悪いが界人の代わりに渡しておいてもらえないか?」


「それはまぁ…私は構いませんけど。歩は大丈夫?」


「うん大丈夫! 任せてください!」


生徒会長の頼みに私はそれとなく頷きながら歩に話を振れば、歩の方はどんと胸を張って上機嫌に頼みを受けた。どうやらアンケートの内容に気分を良くしたらしい。


「頼もしいわね。それじゃあコピーを準備してあるからそちらをお願いね」


「はーい!」


明日香先輩がそう言うと、私たちは持っていたアンケート用紙を返してコピーを待つ。

その間に私は先ほどの話で疑問に思ったことを生徒会長に尋ねた。


「それにしても、なんで生徒会の方で直接先生に渡さないんですか? 私たちを挟むよりも手っ取り早い気がしますけど…」


「あぁそれは………界人から、先生への話には必ず仲介に自分か福永か加納を挟むように、って言われてたからな」


「え? なんでそんなこと水瀬くん言ったんですか?」


生徒会長が話した水瀬くんの言葉に歩が疑問の声をあげる。

私は生徒会長の話から水瀬くんの意図を察し、あー、と声を上げながら、未だ頭を傾げる歩に説明した。


「多分、水瀬くんは自分達が知らないところで話が進むのを避けるためにそんなこと言ったんじゃないかな。例えば………歩が自分から遊びの約束をたくさんの人にして、でも自分が知らないうちに遊ぶ時間とか場所が決まったらどう思う?」


「それはもちろん、なんで私抜きで決めるの?って思うよ!」


私の質問に歩は怒った口調で返答する。もしもの話なのになんでそんな感じ入れるのだろう………


「そうでしょう? それと同じ。今回私たちが………というか水瀬くんがだけど………生徒会の皆さんにアンケートの調査をお願いした立場なの。だからその結果を受け取る相手は私たちでないといけないし、先生にこれを渡すのなら、生徒会じゃなくて私たちの手で渡すのが筋なんだと思うし、多分水瀬くんもそう思って生徒会長にそれを伝えたんじゃないかな? 実際どうでしょうか?」


「正解だ」


私が歩に所感を伝えながら答え合わせを求めて生徒会長の方へ声をかけると、生徒会長は満足げに首を縦に振る。どうやら当たっていたようでホッと一息つけば、歩からまた疑問の声がかかる。


「でも私たち、水瀬くんからそんなこと何も聞いていなかったよ?」


「そうだね。それだけは本当に意味分からないし無責任にも程があるから次水瀬くんが顔見せてきた時は一緒にシバこうか歩?」


「生徒会室で物騒なこと言わないでよまったく」


私が怨念のこもった言葉を呟きながら歩も共犯に道連れさせようとすると、後ろから明日香先輩の声と共に何かの紙束で頭を小突かれてしまう。うぐ、少しはめを外しすぎたようだ。いけないいけない。

内心で後悔をする私を呆れるような目で見てくる明日香先輩は先ほど頭を小突いたのに使ったであろうその紙束を私の目の前に差し出してきた。無論それは準備してくれたアンケートのコピーである。


「じゃあこれお願いね。一応アンケートの原本は私たちの方で保管しておくから必要だったら言ってね」


「かしこまりました。水瀬くんのわがままに付き合っていただいてすみません」


明日香先輩からアンケートを受け取りつつ、ご迷惑をおかけしたことを伝える。

すると二人は顔を見合わせて、急に笑い出す。一体どうしたというのか。


「いやいや福永さん。アイツのわがままに一番付き合っているのは貴女じゃない」


「俺たちは昔馴染みだから今更どうってことないが、ほぼ初対面でここまでアイツに付き合える君も中々だと思うぞ?」


「えっ………あっいや私は、なし崩しであって………」


口々にお前が言うなと言うように笑う生徒会の二人に私は少し恥ずかしくなり、助け舟を求めるように歩の方を向けば、歩は歩でなぜか口を尖らせていた。なんで?


「せんぱーい。私はどうですかー? 私もなかなか水瀬くんのわがままに付き合ってると思いますよー?」


「何その対抗心。今そういう流れだったの?」


なぜだか私に対抗心を燃やして自分も水瀬くんのわがままに付き添えるなかなかの奴であることを立候補する歩。しかし私からしたら歩はどちらかというと水瀬くんと一緒に悪ノリするから傾向が違う気がするけど。なんなら同ジャンル。私の胃を殺す同盟者的な。逃げられない。

恥ずかしくもあり、面倒臭くもあるそんな生徒会室の一幕。

水瀬くんと関わらなければきっと訪れることのなかったその幕間に私はふと、彼に出会えたことに悪くなかったと感じたのだった。


***


楽しさも一潮。生徒会長と明日香先輩に別れを告げ生徒会室を去った私と歩はその足で教室ではなく職員室へと向かった。

理由はもちろん、生徒会より受け取ったアンケート資料を木下先生に渡すためである。

別に授業の間や昼休みに渡しても構わないのだが、歩が興奮してすぐに渡しに行こうとせがんだため、まだ始業時間には余裕もあるし直行することとなったのだった。

そして職員室に到着した私たちはいつも通り開けっぱなしになっている出入口から木下先生を探す。しばらく視線を彷徨わせれば、自分の机で授業の準備をしている先生の姿を発見した。


「あ!木下先生!」


私と同じタイミングで見つけたらしい歩が大きい声をあげる。まだ興奮しているらしい。恥ずかしいからやめてほしい。

すると歩のその声に気付いたのかこちらに視線を向けると驚いた反応を示して、すぐに席を立って私たちへと来てくれたのだった。


「おはようございます。木下先生」


「おはようございまーす!」


「うんおはよう。どうしたの二人とも。こんな朝から」


私たちの来訪が珍しいのかすぐに要件を尋ねる木下先生。

まぁ普通はそうだよね、と私はすぐにアンケート用紙を渡そうと小脇に抱えていた紙束を用意しようとすれば、歩が突如もったい付けたように語り始める。


「ふふふ先生。実は先生に見せたいものがあるんだよ………先生きっと驚くと思うなぁ?」


「えっ何!? すごい気になるけど!」


歩の意味深な発言になぜか引き摺られる木下先生。随分とノリがよろしいことだと呆れながら私はアンケート用紙をそのまま先生の前へと突き出し、説明を挟んだ。


「水瀬くんと話していた屋上使用に関する件について見てもらいたいものがあるんです。これなんですが、一度目を通していただけますでしょうか?」


「見てもらいたいもの? ってこれは………」


先生は私の言葉を聞くと出されたアンケートを受け取ってパラパラとめくって中身を確認して行った。

さすがは教師。十を説明するよりも先に物だけで全てを把握してくれたようだ。

そうして目を通した木下先生は最後の1ページに目を通し終えると、口を開く。


「これは屋上使用に関するアンケート? こんなもの一体いつの間に」


内容を見て出所を質問する木下先生。当たり前の疑問であるため私は特に伏せることなくその質問に答えた。


「生徒会の方々に協力して頂いてアンケートを取っていただいたんです。有志での調査という名目ですが、問題はないでしょうか?」


「生徒会? それはまた大掛かりにしたね………あぁ、アンケートについては問題ないよ。これぐらいならよく文化部とかでよくやることだから」


「そうですか………良かった………」


先生の言葉に安心してひとまずホッと胸を撫で下ろす。

ここで何を勝手に、なんて言われたら心臓に悪すぎる。

そうしているとさらに先生はアンケート用紙を脇に挟んで、正式に受領した旨を伝えてくれる。


「うん、渡したいものについてはわかった。ついてはこれをもとに以前言っていた請願書作成のための署名活動の許可取りを検討してほしいってことでいいのかな?」


どうやら今後のことについての打ち合わせもここで始めてしまうようで、流れを確認する先生。

正直そこら辺は水瀬くんから何も聞いていないので、勝手に判断しかねるのだが、物だけ渡しておさらばというのも失礼だと思い、とりあえずの返答だけをお伝えする。


「そうですね。私も水瀬くんからは詳しいことはあまり聞けてはいませんが、おそらくはそんなところかと」


「えっと、随分と曖昧だけど情報共有とかはしていないの?」


「説明という何もかもの行為を省略しまくっている水瀬くんがそんな殊勝なことをしてくれるとでも?」


ふんわりとした返事に疑問を持った木下先生がこちらに尋ねてきたので、私は迷いなく水瀬くんに全ての責任をなすりつける。こちらに説明をしてくれない彼が悪いのだから仕方ない。

私の返事から水瀬くんから受けた苦労を感じ取ってくれたのだろう、先生は同情するように小さな笑い声で答えてくれてそれ以上関与することを止めてくれた。ありがたいです。


「分かった、諸々了解。それじゃあこれをもとにいったん職員会議でかけ合うよ。結果についてはおいおい伝えるから」


「お手数おかけしますが、よろしくお願いします」


「お願いしまーす!」


引き継いでくれた木下先生に私と歩はお礼を伝えてそのまま教室へと向かうべく踵を返そうとすると、その直前に先生から声がかかる。


「そういえば、水瀬くんは今日お休みだそうだね。昨日も倒れたと聞いたし大丈夫かな?」


「水瀬くんから連絡があったんですか?」


先生の口からでた言葉に私はつい言葉をかけてしまう。自分でもびっくりなほど無意識に言葉が出てしまった。

どうやら私は自分でも思っている以上に水瀬くんの動向を気にしているらしい。


「うん。水瀬くんの保護者と名乗る人からさっきね」


「………その人ってもしかして、相田空って名乗ってませんでしたか?」


「えっ。あ、うん、そうだけど…知ってる人なの?」


私の質問に戸惑いながら答える先生は、それがどうかしたのとでも言うような表情だ。

私はというとまたも出てきた謎の女性弁護士、相田空という人物に心を掻き回されていた。結局あの人が何者なのかが、水瀬くんが登校して直接聞き出すまでわからないのがもどかしい。

そこで私は先生が何か知っていないか探りを入れることにした。別にこれぐらい構わないだろう。


「昨日少しだけお話ししたんです。弁護士で水瀬くんの保護者だということしかわからなかったんですが、おかしくないですか?苗字違いますし………先生は何かご存知なんですか?」


私の疑問を先生にぶつけると、木下先生は顎に手を当てて悩む仕草をとる。


「うーん、僕もよくは把握していないな。複雑な家庭があるのは時々あることだからそこら辺は踏み入って聞けないしね」


「そうですか………」


質問が空振り私は少しだけ気を落とす。

そんな私を気に病んだか歩が私の肩を軽く叩いてくれる。


「どんまい護! なんでその人のこと気にしてるのか知らないけどまた水瀬くんと会った時に聞けばいいじゃん! 気にしない気にしない!」


「あぁうん。そうだね」


歩の励ましに私は少しだけ気を紛らわせる。

するとそれに合わせて木下先生も話題をこちらに振ってきてくれた。


「そういえば相田さん、さっき電話してきたときタクシーに乗る直前だったみたいで、行き先にどこかの建設会社を言っていたよ。教師もたくさんのことを勉強しないといけないが、弁護士っていうのはそれ以上に多岐の分野を渡る職業だね」


「へー、建設会社。何かの裁判とかかな?」


先生の話に乗っかる歩。

話題を変えようとしてくれることにありがたさを覚えていると、私たちの耳に予鈴の鐘の音が入っていた。

それに合わせて木下先生が教室に戻るように促してくれる。


「それじゃあこれは僕に任せて君たちは教室に戻りなさい。本鈴が鳴る前に席に座っておくんだよ」


「わかりました。それではまた」


「HRでまた会いましょー!」


一抹どころではない、水瀬界人への大いなる疑問を胸に宿しながらしかし、私はその答えを得られないどころか探ることすらできずモヤモヤした心もちの中、今日という日を始める。

彼の夢が叶うことを夢見ながら、しかし彼のことを知りたいと思う心は複雑にして自分でも整理がつかない。

だからこそまずは直近の屋上の問題について、自分のできることをしていこう。そう私は考えていた。

なのに、また新しい壁が立ちはだかることを、この時の私はまだ知らない。

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