第7話

「それで、ここが水瀬くんが言っていた『別のところ』、ですか」


「うんそうだよ。早く入ろう?」


職員室を後にした私たちはその後、水瀬くんに案内されて今日ご飯を食べる場所に連れてかれた。

人目のつかない場所だと言っていたので校舎裏とかの屋外かな、と私と歩は目星を付けていたのだが、彼に案内されていったのは校舎の中であり、そして着いた先は確かに人目の付きそうにない教室だった。

しかし、私たちの心中はそんなことはもはやどうでも良く、視線の先にあるその教室の文字にだけ囚われてしまっていたのだった。

だってそこには。


「み、水瀬くん。ここ、『生徒会室』って、書いてあるんだけど?」


「? そうだよ? 生徒会室だもん」


そう。連れてかれたその教室には、扉に大きく、【生徒会室】という張り紙が出されていたのだ。


「って、『生徒会室だもん』じゃないですよ! なんてところ連れてくるんですか! こんなところでご飯なんか食べられるわけないでしょう! 頭おかしいんですか!」


「どうどう護! 気持ちは分かるけど! 暴力はダメだよ!」


まさかのところに連れてこられて、トチ狂ったことを言う水瀬くんに私は堪忍袋の尾が切れて詰めかかろうとすれば、それを歩が抑える。

ええい、止めてくれるな。この男め、少しミステリアスな感じでこちらの興味を引き込んでこようとすれば、いきなりこんなことをしでかしおって。生徒会といえば学生自治会とも言うべき高尚な団体だぞ。まだ入って一ヶ月余りの私たちがこんなところ近寄るのもきついというのにこの男め、ここでご飯を食べようなどとぬかすとは!

思えば了承も得ずに女子を背に担ぎ高い木の上まで登るような男だ。『別のところ』と提案した段階でもっと警戒すべきだったのに、福永護、一生の不覚! やはりここで成敗すべきか!

と、心中で水瀬界人に対して思うところを吐き続けていれば、そんな彼は私たちの様子なんか気にせずにその生徒会室の扉を開いたのだった。


「お邪魔しまーす。雄斗入るよー」


「「あーーー!!!」」


唐突な彼の行動に私と歩は揃って声を上げる。

何という身の程知らずなことを。私はその場からすぐに立ち去る準備を始めると、しかし、生徒会室の中から聞こえてきた声にその足を止めたのだった。


「………界人、連絡もなしにいきなり来るのはやめろと言っただろ」


「えー、別にいいじゃん。どうせ暇なんでしょ」


生徒会室の中から聞こえた声が確かに水瀬くんの名を呼んだことを理解した私と歩は、互いに顔を見合わせながら「へっ?」と間の抜けた声を上げると、そのままその顔を水瀬くんの方へと向けた。

水瀬くんはというと、向けられた私たちの表情を見ながら、ニコっと笑い、生徒会室の中にいる人を指差しながら衝撃の告白をしたのだった。


「僕、今の生徒会長と友達なんだ」


水瀬くんの言葉に、私たちは間の抜けた顔をさらに継続させることとなった。


***


「3年の萊田雄斗だ。一応生徒会長をやっている。んで、さっき紹介してもらった通り、界人とは昔からの友人でな。君たちも固くならなくていい」


「固くなる要素ある?」


「お前は逆にもっと緊張しろ。俺の立場がないだろうが」


「は、はぁ………」


生徒会長と水瀬くんの掛け合いを目の前に、私は言葉にもならない声を口から出してその光景を眺めるばかりだった。

生徒会室の前で私たちが呆けたあの後。私たちはそのまま水瀬くんに手を引かれ、結局生徒会室に踏みいった。

そして生徒会長ともう一人の女子生徒の方に歓迎され、差し出された椅子に座り、あったかいお茶を出され、少し豪奢な机を挟んで、今まさに自己紹介を受けていたのだった。

そして生徒会長の紹介が終わり、次にその後ろに控えていた女子生徒の方が前に出る。


「2年の萊田明日香です。生徒会副会長をしています。おそらくそこの阿呆に突然連れてこられて混乱されているでしょうが、生徒会室ということは気にせずくつろいで下さい」


「あ、ありがとうございます」


明日香先輩と名乗ったその方は、自己紹介を済ますと優雅に頭を下げて、柔和な笑みを私たちへと浮かべてくれた。

あまりにも整った立ち振る舞いに対して見惚れていた私と歩は、ぎこちなくお辞儀を返す。

そしてお辞儀をしながら私はふと、明日香先輩の言葉の一つに疑問を抱く。


「ん? 萊田?」


確か生徒会長の名字も「萊田」だったはず。妙だな。

そんな体は子供、頭脳は大人な彼みたいなフレーズを心で唱えていれば私の呟きが聞こえたのだろう。生徒会長がその疑問に答えてくれる。


「あぁ、俺と明日香は兄妹なんだ。だから同じ名字」


「そ、そうなんですね」


帰ってきた何ともシンプルな答えに、私は引っかかったこと自体に罪悪感を感じ、またもぎこちなく返答を返してしまう。

横を見れば歩も私と同じなのだろう。いつもの溌剌さは今は全くお首にも出していなかった。

しかしそれも当たり前だ。だって生徒会などという、私の人生の中で一番関わりのないだろう存在の本拠に、いきなり連れて行かれて紹介などされれば、一般的な学生なら誰でもそうなる。

だというのにその実行犯である水瀬界人はといえば、私たちの隣で同じく椅子に座りつつも、生徒会長たちの自己紹介など目もくれず、差し出されたお茶を啜りながら先生から渡された事例にのみ目を向けているのみだった。何だコイツ。はっ倒してやろうか。

そんなふうに水瀬くんへの殺意を増しながら、しかし先輩たちへの緊張も解けない複雑な心境にて縮こまっていれば、私たちの様子が気にかかったのだろう、先ほど自己紹介をしてくれた明日香先輩が私たちを見ながらニコッと顔に笑みを浮かばせると、挟んでいた机を回り込んで私たちの近くまで寄ってきたのだった。

明日香先輩のいきなりの行動に私と歩は驚いていれば、当の先輩は私たちに声をかけてくれる。


「いやー初々しいなぁ。一年生でしょ? なんかすごい新鮮な感じがする。名前なんて言うの?」


「えっ!あの、はい。福永護と言います」


「わ、私は加納歩です! 1年生です!」


「いや学年は分かってるって。緊張しすぎ。可愛いなぁ」


明日香先輩は緊張している私たちを笑いながら、さらに距離を近づけていく。

それに私も歩も小さく悲鳴を上げながら、とんでもなく綺麗な方が近くにいることで頬を紅潮させた。

仕方がないだろう。明日香先輩はそれほど誰から見ても眉目秀麗な女性だったのだから。

パッチリとした二重の目にふっくらとした唇、整えられた眉など、一切の無駄がなくまさしく神より与えられ給うたそのご尊顔は、拝謁しているだけでお金をとってもいいレベルに感じられる。

さらにはしっかり手入れされているのだろう艶のある長い黒髪からは、普通の人からは感じえない高尚な香りを漂わせており、視覚だけでなく嗅覚までも私たちは明日香先輩の虜となってしまっていた。

これだけ言うとまるで私が変態みたいに聞こえるかもしれないが、これは仕方ないことだ。全部事実なのだから。

そんな夢のような時間を噛みしめていれば、突然隣の男子がその空間を潰したのだった。


「明日香ちゃんなんかババ臭いよ」


隣の男子、水瀬の野郎はこんな美人な明日香先輩にこともあろうにババ臭いなどほざく。しかもこちらを見ることもなく、目線は木下先生からもらった資料に向けて。

あまりの態度に私は紅潮させていた顔を一変。幸せな時間を壊した水瀬くんへ形容し難い顔を向けるが、しかし、そんな私よりも先に明日香先輩が水瀬くんへと声を上げたのだった。


「うるさいわね、大体何しにここにきたのよ。この子たちすっごい迷惑してるっぽいけど。なんか厄介ごとに巻き込んでんじゃないでしょうね」


「迷惑してるのは明日香ちゃんにマジマジ見られてるからでしょ? ねぇ福永さん?」


「いや水瀬くんのせいですけど」


「なん………だと………」


突如始まった明日香先輩との言い合いに水瀬くんは私に意見を求めてきたが、これを一蹴してやると信じられないといった顔を私へと向けてくる。

逆になぜ今までの行いから私が味方になってくれると思ったのか、これが分からない。


「ホラねやっぱり。高校生になっても人を迷惑に巻き込むのは変わっていないじゃない。分かったならさっさとこの子達を置いてどこか別の場所に行ってきなさい。しっしっ」


「いやなんで福永さんたちを置いて行かなくちゃならないんだよ。僕が他に行くんだったら二人もついてくるでしょ。ねぇ二人とも」


「えっ、いやですけど」


「私もせっかくなら明日香先輩とお昼を食べたいなぁ………」


「なん………だと………」


信じられない顔リターンズ。

そんな冗談を挟みつついれば、ようやく私たちも緊張がほぐれてきてお昼を食すこととなった。

みんなでお弁当箱を取り出しながらご飯を食べ始めれば、水瀬くんだけひとりお弁当箱ではなく、小さい風呂敷からラップに包まれたおにぎりを取り出した。あぁ今日はスカ弁なんですね。

そんな水瀬くんのお昼ご飯を見て生徒会長が彼に話しかける。


「界人、今日それだけか?」


「うん、そうだよ。朝時間なくてね」


水瀬くんのお昼ご飯が気になったのだろう生徒会長が尋ねると、水瀬くんは気にすることもなく答える。

水瀬くんの反応に対して仕方なさそうな表情を生徒会長が浮かべると、自分の弁当箱の蓋にいくつかおかずを乗せて水瀬くんに渡したのだった。


「ご飯はちゃんと食え。ほら俺のやるから」


「いいの? それ明日香ちゃんが作ったやつでしょ?」


「よかぁないわよ」


生徒会長の善意に水瀬くんが尋ねれば、即座に明日香先輩から言葉が飛んでくる。

お昼ご飯を食べるにあたり生徒会長の隣に席を移していた明日香先輩は不満な様子を隠そうとせず、鋭い視線と一緒に言葉を水瀬くんに向ける。

そんな明日香先輩にほらぁと水瀬くんは漏らすも、しかし明日香先輩はさらに言葉を続けた。


「でもまぁいいわよ。兄さんのために作ったんだから、兄さんが好きなようにすれば………」


明日香先輩は不満げな様子を表しつつも、しかし仕方のなさそうにため息を吐きながらそのおかずを水瀬くんに食すことを許した。


「悪いな明日香」


「だから、別にいいって………」


生徒会長はそんな明日香先輩に申し訳なくなって謝罪の言葉を入れつつ頭を撫でれば、明日香先輩は恥ずかしそうにしながらも拒絶することなく、受け入れていた。


「………あの三人、仲が良いんだね」


「うんまぁ………仲が良いだけで済みそうになさそうだけど」


と、まぁ傍目から三人のそんなやりとりを見ていた歩と私は聞こえないように小さく話すのだった。

それで結局水瀬くんは生徒会長からもらったおかずをありがたーく頂き、美味しそうに頬張ると、同時進行で先ほどまで見ていた資料を全員に見えるように広げた。


「そうそう。それで、今日はお昼食べに来たのとちょっと一緒に見てほしいものがあって、それで遊びに来たんだよね」


「飯はいつものことだが見せたいものってのは、これか?」


水瀬くんは広げた資料を見せながら生徒会長に訪れた目的を伝える。

生徒会長もはその言葉を聞いて要点を得ると広がった資料を眺めた。


「うん、実は今ここの屋上に登ろうと僕たちで計画を立ててるんだ。そのために過去の資料を先生から借りてて、それがコレ。で、二人は今回この計画に手伝ってくれることになったクラスメイト」


「ほぉ、それは奇特なことだな」


事の経緯を聞いた生徒会長はこちらに珍しいものを見るような目を向けてくる。おそらくは先ほどの奇特というのは水瀬くんの行動のことではなく私たちのことを指しているのだろう。そんな見方をされるのは何だか複雑だが間違っていないのでなんとも言えない。

生徒会長の視線に苦笑いで応えていると、今度は明日香先輩が私たちへと心配そうな表情で声をかけて下さった。


「大丈夫二人とも? この阿呆に何か弱みでも握られたの?」


「あぁいえそんなことはないです。私たちは自分の意思で水瀬くんに協力しているので。ね、歩?」


「あ、はいそうです! 水瀬くんすごくって、近くで見ててすごく勉強になるんですよ!」


明日香先輩の危惧に私自身の本音を返しつつ、歩へも話を回す。そうすればいつもの溌剌さを取り戻した歩も水瀬くんをフォローしつつ、満点の笑顔を咲かせた。

そんな私たちの様子に安心した様子の明日香先輩は、そっかとだけ返すと、今度は水瀬くんの方が機嫌を損ね、明日香先輩へと怪訝な顔を向けたのだった。


「明日香ちゃんは失礼だなぁ。僕が誰かを脅すような人間にでも見えるかい?」


「そうね。誰かを脅すような悪人には確かに見えないけど、無自覚に周りを振り回す遠心分離機には見えるわね」


「確かに」


「福永さん!?」


三度にわたる私の裏切りについに水瀬くんは私の名を叫んだ。

少し意地悪しすぎたかなと思いつつも、これまで振り回された借りに比べればまだ軽いものかと思い直し、私は水瀬くんを無視しつつそのまま食事を続けたのだった。


「まぁ界人が周りを振り回すのはいつものことだから置いといて、この事例からどうやって屋上にまで上がるつもりなんだお前?」


「まぁ過去の事例を見つつそれを参考に署名活動でもと思ってるんだけど………ここを見て」


生徒会長が話を戻しつつ、話を振られた水瀬くんは資料のある一部分、使用頻度を表した年表を指差した。

私たちはそれを眺めれば、一つの事に気づいた。


「ここ10年間の使用頻度が、10年前に比べて明らかに減っていますね」


「あ、本当だ。昔は吹奏楽部とかの練習場所として使用されたこともあるんだね。でもここ10年ではまったく使われてない」


年表の10年前の年から急に使用頻度の記入欄が減った事に言及すれば、それに歩が補足するように付け加える。

見れば確かに10年までは部活動の練習場所として提供されていたり、文化祭の際には展示物の掲示する場所にも使用されて一般解放されていたことも多く見受けられるが、それ以降の年は学校関係者にしか使われていないことがわかるし、しかもその頻度も非常に少ないのが見受けられる。

水瀬くんはそんな私たちの反応に頷きつつ、ここが変なんだよねと呟きながら生徒会長へとさらに言葉を続けた。


「それで確認したいんだけど、生徒会の方で屋上の使用に関しての要望とかはこれまでなかったの?」


「いや、特にはないな」


生徒会長は考え込みながらも思いつく事例がなく、首を横に振る。

その答えに水瀬くんはフーンと答えながら顎に手を添えて考え出す。

考え込む水瀬くんに変わり、今度は明日香先輩が声を出した。


「でもそれって変よね。10年前まで普通に使用されていたんなら、今はなんで誰も使わないの?」


「た、確かに」


明日香先輩の質問を肯定しつつ、なんでそうなっているのか考える。

なんだろう。読み解けばおかしな部分がたくさん出てくる。これは一体。

水瀬くんと同じように考え込み出した私だったが、それに先んじて水瀬くんが生徒会長と明日香先輩へと声をかける。


「生徒会に学校年表ってある? 10年前まで載ってるやつ」


「あぁあるぞ。ちょうど去年創立50年記念で作られた学校アルバムと一緒に載ってたはずだ」


「見せてくれる?」


水瀬くんの問いに生徒会長はちょっと待ってろ、とだけ答えると、席を立ち戸棚から物を取り出そうとする。

明日香先輩もそれに並び立ち生徒会長を補佐する。

そうして2人が立ったのを機とみて私は水瀬くんに話しかける。


「水瀬くん、どういうつもりですか。この事例を元に生徒に呼びかけるのでは?」


「それは変わってないよ。でもそれよりまずは、昔は登れたのになんで今は全く登られなくなったのか。その疑問を解決するのが優先すべきことだと思うんだよね」


「それは確かに、気になりますけど」


水瀬くんの言葉に否定しきれず私は黙ってしまうと、ちょうど生徒会長たちがアルバムを見つけて水瀬くんに渡す。

水瀬くんは受け取ったそのアルバムを捲りはじめると、ある部分でページを捲る指を止める。そこには先ほど彼が言っていた。学校年表が記されていた。

私と歩、生徒会の二人も気になって水瀬くんの後ろからそのページを覗くと、10年前の学校の年表部分には簡潔な文字のみが書かれていた。


「………『学校の耐震工事あり』ですか」


「あー、この時って確か大きい災害とかあったもんね………」


私がその一文を読み上げれば、歩が小さく言葉を漏らす。年表から時代の背景を考察したのだろうその呟きに、私も自然と首を頷かせる。

この年は前年に国内で大きな災害が起き、多くの施設で古い施設の見直しが起きたとは聞いたことがある。

この郡ヶ丘高校も同じくあの災害の後、危険を排するために防災対策を講じた高校だったのだろう。

そうしてこの学校の歴史を辿っていれば、次に生徒会長から違う視点から言葉が語られた。


「もしかすると、この耐震工事を機に屋上の開放をやめた可能性もあるな」


「兄さん、それってどういうこと?」


生徒会長の言葉に明日香先輩が質問する。

生徒会長は顎に指を添えながらその質問に推論で答えた。


「災害が起きたことで危機管理意識が向上したということだ。屋上を生徒に開放するということはそれだけ事のリスクを伴う。もしかすると学校側はこの時に工事に合わせて校則に今の屋上への侵入禁止の項目を追加したかもしれないな」


「それもあるかもしれないね。まぁ憶測でしかないからまた調べる必要があるけど」


生徒会長の推測に水瀬くんが頷きつつその件も調査する旨を話す。


「それなら、これからどうするの? ここまでの話を聞いてると屋上が使えないことにもちゃんと理由があって、登るのが難しそうに思うけど…」


水瀬くんたちの話を聞きつつ、歩が今後の行動方針に関して尋ねる。

水瀬くんは屋上に登れなくなったことに対しての原因について追究を追っていたが、もし先ほどの推測が正しければ、歩の言う通り屋上に登れないことにも正当な理由があるため、こちらの要望が通りにくいことに対しての裏をとってしまっただけに思えてしまう。

歩の疑問に賛同するように私も水瀬くんへ視線を送れば、彼はしかし動ずることなくそれに答える。


「やることは変わらないさ。もし屋上に登れないわけがあるんだとしても、登れるようにすべきという確固たる理由をこちらでも用意すれば、まだ可能性はあるよ」


「その理由っていうのは、どうこじつけるつもり?」


水瀬くんの言葉に反応するのは、怪訝な視線を先ほどから彼に向けていた明日香先輩。

明日香先輩の質問に水瀬くんは不敵に笑いつつ、ある一つのことに言及した。


「ねぇ、吹奏楽部に合唱部、軽音楽部の練習場所の確保、上手くいってないでしょ?」


「えっ? それが何よ………ってそういうことか………」


「あぁ、だから俺たちを巻き込みにきたんだな………というかなんで知ってんだ………」


水瀬くんの発言に一瞬要領を得なかった明日香先輩と生徒会長だったが、少し考えた後に腑に落ちたようで、しかし納得いかないような複雑な表情をし始めたのだった。


「えっと、つまりどういうこと?」


そんな二人の様子にまだ理解の及んでいない歩は私の方へ向き、わけを尋ねる。

私も水瀬くんの発言と二人の様子、そして先ほど出ていた以前の屋上の使用内容を思い出して意味を理解したため、とりあえず自分の推測を歩へと話す。


「さっきあったでしょ。屋上を吹奏楽部が練習場所にしていたって。それで、なんで水瀬くんがそれを知っているかは知らないけど、今吹奏楽部と合唱部、軽音楽部は練習場所の確保に悩んでいる。それじゃあもし今、昔のように吹奏楽部の練習に屋上が使えるようになったら………」


「練習場所の問題が解決した上に、屋上が使えるようになる、ってこと!?」


歩の回答にピンポン、と水瀬くんが答えた。

そして付け加えると、そのために部活の事情に詳しい生徒会に協力を取り付けるため、水瀬くんはこうして話をしに来たのだとも推測できる。

なんでわざわざ生徒会室で話なんか、と思っていたがまさかここまで考えているとは。

私は呆れと驚きが混ざった視線を水瀬くんにぶつけると、彼は私のその視線を受けて照れるようはにかみ始める。なぜだ。

そして生徒会の二人の方へ向くと、付け加えるように他の使用の案も話し始めた。


「それ以外にも運動部では体育館やグラウンドが使用できない部の臨時の活動場所としても活用できると思うし、文化祭とかのイベントでは垂れ幕の展示や出し物の発表場所にも使えると思うんだ。実際にそういう使用を以前にもしているみたいだし、これを提示しながら各部活や生徒たちに呼びかけをすれば無反応ってことはないんじゃないかな?」


「確かに、校則のこともあって屋上を使用したいという部活動は今までいなかった。しかしもしこの提案をされれば多くの部活がこぞって賛同するかもしれないな」


「むしろ今までよくその要望が表立って無かったのか不思議なくらいね」


水瀬くんの提案に生徒会の二人は考える姿勢をとりながら肯定的な意見を挟んでいく。

見ていればなかなか良い流れになっているのが分かる。初めはどうしてこんなことを、と水瀬くんの行動を疑問視していた生徒会の二人だったが、いつの間にか彼の言葉に乗せられて屋上を開放する方向に舵を取りつつあった。

私はもう一度水瀬くんの方を見る。

これまでの行動を見ていてわかったのは、彼には人を動かす才があることだ。

私や歩、木下先生に生徒会の二人。少なくない人が彼の及ぼす影響を受けて、少しずつ何かを変えようと行動し始めている。

そんな、言い換えれば彼に巻き込まれているとも言える現状に、私はなぜか嬉しさが込み上がってきていた。

それはきっと、彼が夢を叶える瞬間に一歩ずつ近づいているのを感じたからなのだろう。

そんな自分の押し付けがましい欲求に、少し自嘲していれば水瀬くんがまた話し始める。


「それで、僕はこの提案で一度木下先生に署名活動の許可を取ってみようと思うんだけど、その前にまず生徒会で次の部活集会の時にこれを提案してみてくれないかな?」


「それは構わないが、俺たちに全部押し付けるつもりじゃ………あるわけないか、お前が」


「そうね、水瀬界人が自分で発案したことを誰かに押し付けるなんてあり得ないわよね」


水瀬くんの依頼に生徒会は頷きつつも責任の所在を懸念し始めるが、即座に目の前の人物を見直して頭を横に振った。

さすが水瀬くん、色んな意味で信用されている、ってあぁ。そういうことか。


「なるほど水瀬くん。生徒会の方々を巻き込んだのは、さらにこの意図があったんですね」


「おっ、福永さん分かる?」


水瀬くんの意図を理解して思わず感嘆の言葉を出せば、水瀬くんも私が気づいたことに気づいたのだろう。

意味ありげな視線を私に向けた。

そんな私たちに疑問符を浮かべるのは歩と生徒会のお二人。どういうこと?、と尋ねてくる彼らに私は簡単に説明を行った。


「朝に話していたんですよ。私たちだけで署名活動をおこなっても、どこの誰か分からない一年生がやっている活動なんかほとんどの人が見向きもされないだろう、と。でも署名活動を行う前に信用のある生徒会の皆さんで部活の方々に事前に説明をしてくだされば、私たちの行動に理解を示してくれる人が少なからず出てくる可能性があります。彼、水瀬くんはそこまで考えて今回、生徒会のお二人に頼ることにしたのではないかと。そう考えたんですが、どうやら当たっていたようです」


「あぁなるほど! 確かにそうだ!」


私の説明に朝の会話の内容を思い出したのだろう、歩が得心したように手を叩く。

そして生徒会のお二人も私の説明に納得したようで感心した面持ちで私を見る。


「そこまで考えてる界人も相変わらずだが…福永さんもよくこいつの考えたことが分かったな」


「そうね、この阿呆の考えを読み解けるなんて貴方只者じゃないわよ」


「なんか二人とも僕を貶してない?」


「そうですね。水瀬くんと同レベルと言われてるようで良い気がしませんね」


「福永さん!?」


誉めているのかなんなのか分かりづらい賞賛の言葉に私は複雑な顔をしていれば、私が答える前に水瀬くんが口を挟んできたため、二人に乗っかって再度水瀬くんに面白い顔をさせる。何だか癖になってきちゃうなこれ。

そうして話を進めていく中で生徒会の人たちの協力を得られるようになった屋上突破計画隊。

今後の行動方針についてはある程度まとまり、お昼休みの時間ももう少しということもあり、水瀬くんから総括が入った。


「それじゃあまずは生徒会で次の部活集会の時に呼びかけを行って、それが済み次第に僕たちは先生から許可を取って署名活動を開始。内容に関しては『多くの部活動の使用場所を獲得のための請願』って形で進めようか」


「それは構いませんけど、それだと最終的に部活をしている人だけが屋上に上がれるようになってしまうのでは?」


「その時はその時さ。天体観測のために天体部とか作ろうかな?」


「そんなことで俺たちの手間を増やすな」


部活動申請の仕事も請け負っているのだろうか、水瀬くんの発言にため息を吐きながらツッコミを入れる生徒会長。その姿は水瀬くんの奔放さを理解し尽くした貫禄を感じさせる。

ふと、その会話を聞いていると、水瀬くんとこの生徒会メンバーのお二人の関係について、私の中で興味が湧いてきた。

先ほどの会話から、この二人は昔から水瀬くんと関わっており、お昼ご飯も時々一緒に食べる仲なのだろうと言うことは読み取れる。

一体どんな関係なのか気になるな、と考えていると、当の水瀬くんは一目散に資料をまとめて解散の準備を行っていたのだった。


「それじゃあ僕は木下先生にこのことを伝えにいってくるね! もうお昼の時間も少ないし福永さんと加納さんは先に教室に戻っといて! それじゃあ!」


私の内心に気づかず、水瀬くんは颯爽と生徒会室を出ると職員室へと向かっていく。

こんなところまで連れてきておいて相変わらず勝手な人だなと呆れつつ、しかしいいタイミングだと思い私は同じく生徒会室を出る準備を始めていた会長と明日香先輩に質問を投げた。


「あの。お答えできればでいいんですが、お二人は水瀬くんとはどういう御関係なんですか?」


「あっ! 私もそれ気になってて聞こうとしてたんだ! どんな馴れ初めで?」


私の質問に同調して歩も質問と一緒に好奇心に満ちた目を二人にぶつける。

生徒会長と明日香先輩は私たちの質問に対して少し驚きつつ、しばし難しい顔をして唸り始めた。


「あ、あのお答えするのが難しいんでしたら、無理にとは聞かないので…」


二人があまりにも苦しそうな二人の唸り声を出したため、私は次第に申し訳なくなり深い追及について打ち切ろうと声をかける。歩もまさか二人がこんなに答えに詰まるとは思ってなかったようで、興味に満ちた目から慌てた様子に変わっていた。

そんな私たちの様子を見て逆に落ち着いたのだろうか。生徒会のお二人は小さく笑い声をこぼしながら、明日香先輩の方から話し始めたのだった。


「ごめんごめん。別に答えられないとかではないんだけどさ。あの阿呆が私たちとのことを貴方たちに話していないんだったら、私たちから教えるのも何だかズルいなって思って」


「ズルい、ですか?」


明日香先輩の妙な言い回しに私は疑問を浮かばせながら繰り返してつぶやく。

お二人はそれに対して小さくうなづきながら、次に生徒会長の方が私たちを見ながら言葉を繋いだ。


「界人はな、一緒に行動してみて感じているとおり変なやつだよ。行動力があって、常識知らずで、それでいて変なことばっかり知ってて。でも人を惹きつける『何か』を持ってる、おかしなヤツさ」


「まぁそうですね………」


「ホント不思議な人だよねぇ」


生徒会長の言葉に私と歩は頷きながら同意を示す。そんな私たちにまた生徒会長は小さく笑いをこぼしながら、言葉をまた紡ぐ。


「そんな界人だが、不義理なことは絶対にしないヤツだ。そこだけは信用できる。そんなヤツが君たちに自分のことを教えていないのなら、きっとまだアイツにとってはその時じゃないってことなんだろう」


「………随分ともったいつけて話されるんですね」


生徒会長の靄をかけたような話し方に、私は不審げに問いかける。

私の態度に気付きつつも、生徒会長は笑って流しつつ、話を続けた。


「もったいつけるさ。それほどのヤツだからな。だからまぁ、値打ちを知る前にありのままのアイツを知ってほしい。そう思えばこそ、ここで界人のことについて君たちに教えるのはズルいと思っても仕方ないだろう?」


「まぁ兄さんは少し価値を高く付けすぎな気もするけどね」


生徒会長に続き、今度は明日香先輩が話し始める。


「私たちと界人は幼馴染。それだけよ。それ以上について何か知りたいんなら、自分で調べてみなさい。私たちから言えるのはそれだけってこと」


明日香先輩はそう言い切ると、話は終わりというように手を叩き、私たちにも教室に帰る準備をするように勧めた。

そうなってしまっては私も歩もそれ以上追求することはできず、仕方なく明日香先輩の指示に従い撤収の準備を始めたのだった。


***


「何だかいいように答えをはぐらかされた気がする…」


生徒会室を退室して少し経ち自分達の教室に向かう途中。

渡り廊下を歩きながら私は隣を進む歩へ不満そうに口を尖らせながらボソリとつぶやいた。

そんな私の呟きを聞いた歩はといえば、その呟きに小さく頷きつつ返事をしてくれる。


「そうだねー。なんで水瀬くんが生徒会の人たちと仲がいいのか、あんなに仲がいいのか、正直分からないことが多すぎてもやもやしちゃうよ」


「だよねぇ…」


歩の同意を得られたことで気が緩んだのか、私はいつもよりも気の張らない声を出してしまう。

水瀬くんが残したここまでの成果はとても大きいものであることは私自身もよく理解している。

先生に話を通して、学校の資料も手に入れて、生徒会の協力も漕ぎ着けた。

あとは思い描いている通りに生徒たちへ話が回り、署名活動が許可されて賛同を多く集められれば、望んだ屋上に上がり街の景色を望むという目標を掴むのも夢ではないだろう。

私自身、水瀬くんがその目標に辿り着くことを望んでおり、それが叶う瞬間を近くで見たいと思っている。

だからそれ自体はとても喜ばしく思っているが、しかしそれはそれとして、やはり水瀬くんという人物の背景が全く透けてこないことに少し不満を抱いているのだ。

そんな私の、言い換えればわがままな感情に理解を示してくれる友達に私は少し嬉しさを感じていれば、しかし歩は先ほどの同意の言葉に続けてさらに話し始めたのだった。


「でも。それでも先輩たちのおかげで私、少しだけだけど水瀬くんのことを分かれた気がするかも」


「? どういうこと?」


歩の言った言葉の意味を読み解けず、私はふと首を傾げて歩へと尋ねた。

生徒会の二人は何も教えてくれずに、自分達で水瀬界人のことを知れと言った。

正直少し意地悪だなと私は思った。水瀬くんに振り回されている私たちへ、なんでさらにそんな追加の試練を与えるのかと。

言えない事情があるならまだしも、「ズルい」というよく分からない理由で答えをはぐらかされてはこっちも少し納得しづらい。まして私たちは現在こうやって彼に振り回されている身なのだ、少しぐらい教えてくれてもいいんじゃないかと不満も抱いた。

しかし、歩はそんな私の不満を理解した上で、しかしそれでもと言葉を続ける。


「だってさ、先輩たちが水瀬くんのことを話している時の雰囲気が、まるで家族のことを話しているみたいでさ。それを見てるだけで、あぁこの人たちは水瀬くんのことがすっごく好きなんだなぁって。そんなふうに感じちゃったらさ、私が知らない水瀬くんのことを、この人たちはすごく知ってるんだなぁって、そう思えたんだ」


「っ!………そう、だね」


歩の言葉は、不思議なぐらい私の心中に溶けていった。

生徒会のお二人が水瀬くんのことを話している時の姿は、本当に楽しげだった。

気の置けない仲というのはこういう人たちのことなんだろうと思えるほど仲睦まじいその雰囲気は、知り合って数日の私たちではなし得ないものだった。

それはひとえに、あの二人が水瀬くんを好んでいることに違いないからであり、そして生徒会長は言外に、私たちでもそうなれると伝えたかったのかもしれない、と考えが頭をよぎる。そしてそのための道筋は私たちに自分の手で知って欲しくてあんなふうに言ったのかもしれない。

そうならば、その行為自体が水瀬くんの人柄を表しているのだと、私は歩の言葉でようやく腑に落ちた。


「私は全然ね、まだ水瀬くんのこと分からないよ。なんでCHAINやってないのとか、私のメールをなんで見逃したのとか、知りたいことだらけ。でもきっと、そうやって知りたいって思えることが一番大事なんじゃないのかなって、そう思ったりするんだ」


「………そうだね、きっとその通りだよ」


歩の言葉に、小さく頷く。

気づけば胸の内の不満は収まっていた。

知ることじゃなく、知りたいと思うこと。

そんな大事なことを教えてくれた大事な友達に私は一言だけ言葉を送る。


「歩、ありがとう」


「? 何が?」


顔を向ければ、そこには歩のキョトンとした顔だけがあった。

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