第6話

話を終えた私たちは、その後いつも通りに授業を受けて学生の本分をこなした。

水瀬くんは私たちに今後の予定について、署名活動を行うかもしれないと言っていたが、それに伴って準備が必要になると伝えると授業が終わるたびに教室を出てはどこかに向かって行ってしまったが。

私と歩はそんな彼の行動に首を傾げながら、ただ水瀬くんの指示を待つのみで特に何をするでもなく、時間は緩やかに進んでいった。

そして4限目が終わったのち、水瀬くんから私たちへついに声がかかったのである。


「二人とも! 職員室に行くよ!」


「…水瀬くん、昨日も言ったと思いますが、お昼休みなのですからまずお昼ご飯を食べるべきだと思いますが」


開口一番の彼の言葉に私が苦言を放つと、しかし水瀬くんは続けて言葉を返す。


「木下先生が頼んでいた事例を集めてくれたんだよ! 先にそれを受け取って、見ながらご飯食べればいいんじゃないかなって!」


「あぁ根回しばっちりということですね畜生」


「護、言葉が悪いよ…」


水瀬くんの提案に私が軽く愚痴をこぼすと歩が嗜めてくれる。いけないいけない、水瀬くんを前にするとつい口が悪くなってしまいがちだ。自制をしなければ。

私が自分の口に手を当てて反省していれば、水瀬くんはさらに言葉を続ける。


「それで、教室だと事例も見づらいだろうから今日は別のところでご飯も食べよう! いい場所知ってるんだ!」


「………まぁ確かに他の生徒にむやみに見せるものでもないとは思いますから良いですけど。そのいい所とは何ですか?」


「………それは行ってからのお楽しみで!」


水瀬くんの何だか怪しさ満点の提案に私と歩は顔を合わせながら悩むそぶりを見せるが、他の生徒になるべく見せていいような内容ではないのは確かなため、とりあえず彼の提案を受け入れることにした。

そして私たち屋上突破計画隊はお昼ご飯を持ちながら(私はそれに加えて提出し忘れていたレポートを隠し持ちながら)職員室へと向かった。

職員室に到着すると、以前のように扉は開きっぱなしで廊下から中の様子が見えるようになっており、私たちはそこから先生を探す。しかし先生は職員室内にはいないようで、私たちは一旦廊下の隅で作戦会議を行った。


「木下先生、まだ職員室に戻ってきていないみたいだね」


「戻ってくるまで待ちましょうか?」


「もう私お腹ペコペコだよ〜」


どうやら木下先生はまだ前の授業から帰ってきていないようだ。多分授業中の内容に関しての質問で時間を取られているのだろう。木下先生は質問に対してとても丁寧に答えてくれるから人気が高く、質問に行く生徒も多いらしいからそのためかもしれない。

とは言いながら、このまま待っていても木下先生がいつ帰ってくるか分からない以上、待ち続けるのが得策とも言いづらい。歩のお腹も本人が言っているように腹の虫が収まることを知らずに鳴き続けている。水瀬くんの提案とは違った運びになるが、一旦どこかでお昼を食べながら頃合いを見て職員室にもう一度来るのがいいかもしれない。

と私が言おうとしたその時、廊下の隅にいた私たちに近づく誰かの影に私は気がついた。一体何だと私が一瞬怯えて体を竦ませると、そんな私の様子に気がついた水瀬くんが瞬時に私と歩を背中に回しながらその影の前に立った。

そこにいたのは、初老の男性でありながら威風のある雰囲気を醸し出す男性だった。その顔はこの中の誰もが見覚えのある、そうーーー。


「やぁ君たち、そんなところでどうしたの」


入学式の時に私たちにありがたい訓示を送ってくれたお人、教頭先生で間違いなかった。

教頭先生は落ち着いた物腰で私たちに声をかけながら、こちらの反応を窺う。


「え? あっはい、今きのーーー」


一瞬その影に怯えていた私だったが、その正体が教頭先生だったことが分かり、少しホッとする。そして私たちのことについて尋ねられたのでとりあえず返事だけでも返そうとしたその時、私の言葉を遮って水瀬くんが教頭先生に話しかけたのだった。


「こんにちは教頭先生。今は他の先生から受け取り物を待っているところでして。お邪魔でしたら用事が終わり次第すぐに退散するので。すみません」


「ーーーいやいや、気にしないで。職員室の前で生徒が集まっていたからね。気になっただけだよ」


水瀬くんは教頭先生に自分達のことを伝えながら、しかしそれを話す時の顔が若干強張っていることに私は気づいた。一体どうしたのかと私は戸惑っていると、教頭先生は水瀬くんにもう一言言葉を投げた。


「そういえば水瀬くん。昨日は屋上に行ってみたいと職員室で話していたけど。あれは一体?」


「ーーーそうですね。学生のうちには一度、少しは学校の屋上には行ってみたいという欲があるので。少し相談していただけですよ」


「そうかそうか、ならいいが。屋上は危ないからね。要望が通るかは少し難しいかもしれないね」


「えぇもちろん、それも承知の上です」


「そうか、それじゃあ、他の先生たちの邪魔にならないようにね」


教頭先生はそれだけ言うと職員室へと戻って行った。

残された私と歩は教頭の放っていた威風に圧倒されて縮こまっていた息を吹き返し、戸惑いを口にする。


「すっごい緊張したー。教頭先生、入学式の時に上がってたのは見たことあったけど、間近にすると威圧感半端ないね」


「そうだね。それと教頭先生、屋上の件知ってたね。そういえば職員会議にかけるって木下先生も言ってたし、当然か。それにしてもプレッシャーが凄い…ってどうしたんですか、水瀬くん」


私と歩が教頭先生に対して各々感想を述べていれば、水瀬くんが全く喋らないことに私が気づき声をかける。

するとそれでようやく水瀬くんも私の方を向き、張り詰めていた顔をいつもののほほんとした笑顔に変えた。


「ううん何でもないよ。それじゃあとりあえず先にご飯でもーーーって、言ってる間にやっと来た」


振り返りながら今後のことについて話そうとした水瀬くんだったが、言葉の途中で目線を私から横目に移した。私たちも彼の目線の先に顔を向けると、そこにいたのは先ほどから私たちが待ち焦がれていた木下先生その人であった。


「あっ、やっときたー」


「遅いですよ先生」


「あれ、水瀬くんたち。もしかしてずっと待ってた?」


私たちは先生がようやく来てくれたことへの安堵からか好き勝手言っていれば、先生はそんな私たちの様子からこちらの状況を理解して少し申し訳なさそうな声を出したのだった。

そんな木下先生に水瀬くんは開口一番に用件を伝える。


「先生、過去の屋上に登った案件についての事例、集めてくれたって聞いたんで受け取りに来ました!」


「水瀬くんは耳が早いなぁ。そうそう、昨日のうちに事務の人にお願いして集めてもらったんだよ。コピーを用意してるから今準備するね。あ、ちなみにこれは校内情報だから持ち出し禁止だよ。見る時は絶対に学校内でって約束してね」


「わかりました。でもそんな機密情報を私たち生徒に見せていいんですか?」


先生の注意事項に返事をしながら私は気になった質問を一つ尋ねる。

そうすれば先生は何でもないように問題ないと口を開いた。


「機密情報ってほどでもないからね。こういう情報だったら学校年表やアルバムなんかに乗ってる場合もあるし。持ち出し禁止は一応の注意だよ。まぁ今回の屋上の解放事例については結構情報が少なかったんだけど」


「そうなんですか?」


先生の一言が気になり思わず聞き返すと、先生も不可解に思っていたんだろう。澱むことなく私に話をしてくれる。


「うん、事例を見ればわかるけど、昔は結構解放してたらしいよ。でもここ十年ほどは生徒の方で使用された経歴は全くないみたいだね。水瀬くんの今回の件についても、なかなか難しいかもしれない………ってごめんごめん。すぐコピーを取りに行くよ」


先生は意味深にそう言葉を残すと、急いで職員室へと入り、事例を取りに行ってくれた。

その間私たちは先ほどの先生が残したことについて話をするのだった。


「ここ10年は使用された経歴がないかぁ。どうしてだろう?」


「さぁ。使いたいと思う生徒たちが減ったとか?」


歩の疑問に私がそれとなく答えるが、急にそんなことあるのだろうか。

屋上なんて生徒は結構使いたがりそうなものだし、それこそ部活動などはこぞって利用しそうなものだが。

私たちがそうして話していれば、真っ先に話に参加してきそうな水瀬くんが口を開かないことに不審に思った私と歩は彼の方を見る。

水瀬くんはといえば、考え込む表情を見せながら、いつの間にやら取り出したスマホを睨みつけながら何か操作をしているようだった。

すると会話に参加せずにスマホをいじる水瀬くんに歩は機嫌を損ねたのか、怒気を含めて声をかける。


「ちょっと水瀬くん! こっちが真剣に話してるのにスマホとか! やる気あるの!」


「あぁごめんごめん。少し調べ事してたよ。それで、何の話?」


「ほらー! やっぱり話聞いてない!」


水瀬くんの適当な返事にさらに怒り出す歩を鎮めていれば、先生がようやく事例のコピーを持ってきてくれる。

私たちは先生にお礼を言いながら受け取りつつ、水瀬くんの言う「別のところ」に向かおうとするが、その前に二人に隠れて私だけ先生に近づき、例のレポートをこっそりと渡したのだった。


「先生、遅れてすみません。書き直したレポートです」


「あぁこの前の。ありがとう。また見せてもらうよ」


先生は遅れた件については特に言及せず、私からレポートをそのまま受け取ってくれた。この反応を見るに翌日提出じゃなくてもよかったらしい。

だとするならば先日の私の夜更かしは無駄だったのでは………と頭の端に考えがよぎったが、今考えたところで時既に遅し。今後は提出期限をしっかりと確認しようと反省しながら私は下唇を思いっきり噛み締めたのだった。うん、全然切替えできてないな。

そんなこんなで木下先生へもう一度レポートの件のお詫びと事例のお礼を伝えつつ、二人に追いつこうと踵を返すと、そんな私の後ろ姿に木下先生が声をかけたのだった。


「福永さん、何だか楽しそうだね」


「っ! そう、見えますか?」


木下先生の言葉に私は驚いて硬直しつつ、ゆっくりと振り返りながら問い返す。

すると先生はびっくりするぐらいの笑顔で私にその質問に答えてくれた。


「うん、とっても。水瀬くんたちのおかげかな? とても生き生きしてるよ」


「っ!」


先生の言葉に、私は自分の頬に熱を帯びてくるのを自覚する。

そこまで言われるほど私は現状を楽しんでいるのか。

そんなに私は分かりやすいだろうか。

というか何でそこで水瀬くんの名前を出されるのか。

いざ指摘されて私の心の中は羞恥でいっぱいになったが、それを先生に当たり返すのはあまりにも幼稚すぎると思い、私は紅潮した顔を隠すように顔を伏せながら先生にとりあえずの返事をした。


「あ、ありがとうございます………」


それだけ返し、私は前を行く二人に追いつくため、少しだけ駆けてその背に向かったのだった。

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