第4話
「ただいまー」
「おかえりなさーい!護姉ちゃん!」
「おかえりなさーい!」
昼休みの一件が終わってからはや数刻。
あれから私たちは5限の授業に間に合うように教室へと戻り、生徒としての本分である勉学に勤しんだ。
屋上の件については、昼休みに話し合ったように水瀬くんに一任することになり、そのことを放課後にもう一度彼に確認を取りつつ、現状特にすることがない私と歩は帰路へと着いた。
帰り際では歩から寄り道を提案されたものの、それを断り私は一目散に帰宅を果たす。
そして自宅の玄関を開けた先で私を待っていたのは、元気一杯の挨拶をする二人の双子だった。
「護姉ちゃん今日は早いな! 一緒にチャンバラしよ!」
「ダメだよー! 護お姉ちゃんは今日私とおままごとする約束してるんだから!」
「何をー! おままごとよりチャンバラの方が面白いんだぞー!」
「何よー!」
帰宅早々私に遊んでコールを言ってくるこの双子、何を隠そう私の弟妹である。
弟の方が福永律。福永家の長男であり、末っ子である元気一杯な小学生。チャンバラが大好きで手加減しない殴打は最近中々キツくなってきた。
妹の方が福永倫。福永家の三女であり、蓮と双子の小学生。おままごとが大好きなのだが、最近次女のせいなのか次女の見ているアニメのせいなのか、変な知識をおままごとの設定に含ませている。近いうち次女を絞めよう。そう決めた。
「ほらほら、倫、律。喧嘩しないの。後で二人とも遊んであげるから、まずお母さんに挨拶させて」
そんな二人が何で遊ぶかで揉めそうになるのを抑えつつ、私はリビングに向かい鞄を置きつつ、お母さんがいる場所へ足を運ばせた。
向かった先は家の中で他の扉よりも厳重な鉄の扉。それに手をかけて開けると、私の鼻には嗅ぎ慣れた、独特な消毒液の匂いが流れ込んだのだった。
「ん? あら、護ちゃんおかえり。今日は早いのね」
「こんにちは、花子さん」
扉を開けた先、そこには一般的な家屋には存在しないであろうはずの受付用のカウンターと待合室、そしてそこで待つ数人の患者さんと、受付カウンターの前に座るスタッフの花さんがいたのだった。
「先生なら今診察中だけど、もう少ししたら今日の分は終わりよ」
「分かりました。お母さんに時間ができたら私が帰ったことだけ伝えてもらえれば大丈夫なので」
花さんが今の状況を教えてくれたので、私も花さんへ言伝を伝える。
そう。私、福永護の家は町の診療所、「福永診療所」を営んでいるのだ。
と言っても命を預かるようなことなどほとんどない、本当に小さな診療所だが。
私の母、福永愛はこの診療所で町医者として働いており、そこで日夜町の人たちの健康や体の調子を診察している。
そのためこうして学校から帰ってきても診察中であることが多く、その場合は受付の花子さんに帰宅した旨を伝えているのだ。
「律や倫は大丈夫でしたか? 二人だとやっぱり抑えが効かなくて注意しといても暴れちゃったりするので………」
「大丈夫大丈夫。子供のうちは元気が一番よ。患者さんもみんな慣れっこだしさ」
「やっぱりうるさくしていたんですね………」
花子さんの言葉に私はため息を吐きつつ、後で注意しておきますとだけ伝える。
というのも診療所の建物は福永家の家屋と兼ねており、3階建てとなっている。ただ1階はほぼ診療所に取られており、私たちの生活スペースはほとんど2階より上で構成されているのだ。
そのため1階の診療所の上に我々福永家の生活スペースがあるため、大きな音を立てると1階の診療所に迷惑をかけてしまうためなるべく大人しくするように心がけており、双子にもそう伝えているのだが、ヤンチャ盛りの律や倫が簡単に言うことを聞いてくれることなんてなく、毎度騒いでは私か受付スタッフの花さんに怒られているのが我が診療所の日常となっている。
ちなみに家屋の正面玄関は診療所の出入り口になっており、私たち家族は裏口から出入りする様にしている。
「お手柔らかにね。あ、あと冷蔵庫におやつ入ってるから食べちゃって」
「えっ、すいませんいつも。いいんですか?」
「いいのよ、旦那が出張先で買ってくるお土産の余り物なんだから。好きに食べちゃってよ!」
そう言いながら上品に笑う受付スタッフの花さん。
この人はこの診療所の開院当初から勤めてくださっているベテランのパートさんだ。
面倒見がとてもよくて、私や次女が学校でいない時は律と倫の世話をよく見てくださっており、本当に頭が上がらない人である。
「それじゃあ私は自宅の方にいますので何かあれば内線してもらえれば」
「はいはい。護ちゃんも家事頑張ってねー」
花さんにお別れし、もう一度厳重な扉を通って私は診療所から自宅へと戻る。
そしてそこに待ち構えていたのは今か今かと待ち望んでいた遊び盛りの弟妹の姿であった。
その光景から今から自分に行われる凄惨な状況を予見し、私はふとため息をこぼす。しかしーーー。
「はぁ…よし! 頑張ろう」
これがいつもの日常だ。
それから私は律のチャンバラと倫のおままごとを同時にこなしつつ、洗濯と料理の算段を頭の中で行う。
律はボコスカとゴム性の棍棒で殴ってくるし、倫はおままごとで私に家庭を顧みずに仕事ばかりしていて妻の浮気に気づかない唐変木な夫の役をやらせてくるが、こんなことで動揺する私ではない。
律の棍棒を片手でいなしつつ、倫の求めている役柄をしっかりと演じるのが真のお姉ちゃんというもの。
そうやって二人の遊び相手をしていれば、時計の長針と短針がIの字になる頃になっており、律も倫もお腹が減って疲れてきたので、その隙に洗濯機の方へ向かい洗い物の区別を付ける作業に入った。
「律ー、倫ー、今日体育なかったー? 体操服大丈夫ー?」
「倫は大丈夫ー!」
「あ! 今出すからちょっと待って!」
「早くしなさーい! 匂い残っちゃうよー!」
律を急かしつつ、洗い物の区別を終えた私は洗濯機に洗剤と柔軟剤を入れ込み、追加で来た体操服を放り込みながらスイッチを押す。
我が家の洗濯機は乾燥機も兼用する万能洗濯機のため、夕方のこの時間に洗濯をしても夜中には乾くようになっており、どうしても私が帰ってからでしか洗濯をできない我が家にとってはとても重宝している。ありがたやありがたや。
そうして洗濯物をほぼほぼ片付けた後、今度は晩御飯の準備のためにエプロンを着込みながらキッチンへと向かった。
その時、玄関の方からドアが開く音とともに、聞き覚えのあるただいまの声が聞こえたので、一旦足をそちらへと向ける。
玄関に着くとそこには誰かが靴を脱ごうとする姿があり、私はそれを見受けるとなんでもなく挨拶を投げた。
「おかえり幸。ご飯今からだからもうちょっと待ってね」
「ただいまーお姉ちゃん」
そうして挨拶を返してくれるのは、両耳にピアスを付けて髪を茶髪に染めて顔にはメイクを全力で施している福永家の次女、福永幸だった。
その風貌は一見して町医者の娘とは到底思えないそれであるが、これは一年ほど前から幸が中学校でメイク部なるものに入った影響で周りに感化されてこうなったらしい。そしてこれらについては学校側でも許可されているとのことだ。信じられない限りだが。
「今日は撮影長引きそうって言ってたけど早かったのね」
「んー、実際長引きそうだったんだけどねー。巻いてきちゃった」
「そうなの。それじゃあ先にお母さんに挨拶してきてね」
はーい、と言って去る妹の背中を見送りながら私はキッチンへと戻り、夕ご飯の支度を始めた。
その間、妹のことについて思いを馳せる。
幸は中学でメイク部なる部活に入り、そこの推薦もあってモデル業を中学生ながら始めるようになった。
最初は知らない世界に入っていく妹を心配したものだが、元から愛想が良く、ファッションやおしゃれに人一倍興味や関心が強かった幸は業界の人からのウケが良く、すぐにモデル業に溶け込んでいった。
また我が妹ながらルックスもとても際立っていたため、今では若者に人気があるファッション誌の所属モデルになったらしく、一部の界隈ではとても有名であるらしい。
それもあり、中学校でも染髪やメイクについては少しについては多めに見られているとのことだ。
(そうだ。歩と幸って結構気が合いそうよね。今度うちに呼んで幸を紹介してみよう)
そんなことを考えているとリビングの扉が開き誰かが入ってくるのがキッチンから見えた。幸である。
「ウイース。お母さんのところ行ってきたよー」
「はーい。お母さんもう上がってきそう?」
「うーん、もうちょっとぐらいかかるんじゃないかなー。ご飯いつごろ出来そう?」
「後30分ぐらいかな」
「じゃあそれぐらいにはお母さん上がってくると思う」
「適当なことで」
幸と会話をしつつ料理の手は止められない。ご飯と味噌汁の支度はできたので後はおかずと副菜の準備だ。副菜は適当な野菜の煮浸しで良いとして、おかずは冷蔵庫の中に余っている肉と野菜の回鍋肉にしよう。つまりは肉野菜炒め。物は言い様である。
そうして手を動かしていると、幸から質問が投げられる。
「倫と律はどうしたの?」
「宿題。さっきまで一緒に遊んでたから今のうちにさせているの」
「あらあら。お姉ちゃんに言われたらあの二人も大人しく宿題せざるおえないか」
「幸もご飯できるまでに宿題終わらせたら?」
「私はいいのー。今帰ってきたばっかで疲れてるからー」
そう言って幸はリビングのソファーに寝転がると、リモコンに手をやって徐にテレビを点けて見始めた。
ダラダラとしたその姿に思うところがないでもないが、仕事終わりなことは本当であるため叱りつけることなどできはしない。
妹に込み上がる言葉をグッと堪えつつ、料理に集中しようとすれば、また幸の方から言葉が掛けられた。
「そういえばお姉ちゃん、郡ヶ丘高校ってお姉ちゃんの高校だよね?」
「え? うん、そうだけど、どうしたの?」
「いや、どうということはなんだけど、今日業界っぽい人がその高校の名前言ってて聞き覚
えあるなーと思ったから聞いてみただけ」
「へー、うちの学校から誰かモデルでも出るのかな」
幸の言葉に相槌を打ちつつ、少しばかり考える。
「もしかしたら狙ってる子がその学校に通ってるとかで情報集めてたりして。お姉ちゃんかもしれないよ」
「バカ言わないで。そもそも私なら幸を通せば済む話でしょ。まぁ話が来ても断るけど」
「えー、なんでー!」
幸が茶化してきたのを適当に流すが、幸のその情報は私としては気が気でない話である。
というのも、実はモデルの話については以前から私にも来ていたのだ。
幸がモデル業をするにあたり事務所の方が親御に挨拶のために福永家にきた時のことだ。
私もお茶出しのために少し顔を見せたら、幸と一緒にいた事務所のマネージャーかプロデューサーだかの人が私の顔を見て挨拶と一緒に、今後はあなたも興味があれば、と声を掛けられたことがあったのだ。
その時はこちらの機嫌を取るための社交辞令かと思ったけど、その後幸を通して結構なスカウトの話があったことからマジのお誘いだったことを理解し、以降関わらないように気をつけている。
家事や勉強もあるのにモデル稼業など、幸ほど器用ではない私にできるはずがない。
だから、私なんかがモデルなんてできっこない。
「お姉ちゃん私に負けないぐらい綺麗だしスタイルも良いじゃん。絶対私の次くらいには人気出るからモデルやった方がいいって!」
「褒めながらマウント取るのやめなさい」
実の姉に対しても容赦のない今時女子特有のマウンティングトークに突っ込みながらモデルの話については断固拒否の姿勢を崩さない。
しかしそんな私の態度が気に入らないのか、幸はなおも食ってかかる。
「なんでダメなの! お姉ちゃん部活も習い事も何もしていないじゃん! 帰って律や倫の遊び相手になってご飯作ってるだけじゃん! それならモデルぐらいしても別に問題ないでしょ!」
「ーーーっ!」
その発言を。
幸の放ったその発言を私は。
どうしても看過できず、気づけば持っていた包丁で叩きつけるように野菜を切り裂いた。
「っ………お姉ちゃん?」
私の様子の変化に気付いたのだろう。幸は恐る恐る私の名前を呼び、こちらの様子を伺っていた。
私は幸の呼びかけに応えることはできない。
口を開いてしまえば、私の中の私じゃない何かが幸に対してとんでもないことを口走ってしまいそうだから。
だから代わりに大きく深呼吸をした。
幸を傷つけないため。
私が私でいるために。
「………幸、私にモデルなんてやっぱり無理だよ。私は幸みたいに笑顔があんまり得意じゃないし、カメラの前にいると緊張で強張っちゃうんだ。幸も知ってるでしょ?」
「う、うん」
ようやく開いた私の言葉に、幸の方こそ強張りながら返事をする。
まずい、怖がらせちゃったみたいだ。幸の緊張をほぐすためにも話を終わらせてご飯の支度を進めよう。
「だからモデルなんてできないの。ほら、ご飯もうちょっとかかりそうだしやっぱり宿題してきなさい。着替えも済ませてね」
それだけ言うと私は今度こそご飯の準備に集中する。
幸も私がいつもの様子に戻ったことに気づきつつ、私の言う通りに自分の部屋に戻るようだった。
それに少し安堵しつつ野菜の切断をしようとした時だった。幸はリビングを出る間際、私に一言だけ言葉を投げたのだった。
「うん…お姉ちゃん、その、ごめんね…」
「………」
私は返事をしなかった。
したく、なかったのだ。
だって、謝罪なんてされたくなかったから。
謝られたことを認めてしまえば私は、惨めな今の気持ちが。
もっと惨めになってしまうから。
そして、キッチンに1人残った私は、そのまま口を開くことなく家族の食事を作り続けたのだった。
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