第3話

「それじゃあ福永さん、職員室行こう!」


4限のチャイムが鳴り終礼の挨拶をした途端隣の席の彼、水瀬界人くんはそう言って私の手を取った。

そんな水瀬くんの唐突な行動に私は呆れた目を向けつつ、彼の手を抑えながら言葉を返す。


「水瀬くん、ずっと待ち侘びていたのは分かりますが、ご飯ぐらい食べてからにしましょう」


「えー、ずっと待ってたのにー」


ぶーたれる水瀬くんに対して私はため息を吐きながら取られていた水瀬くんの手を退かす。

彼がずっとこの時間を待ち焦がれていたのは分かる。1限目からずっとソワソワしながら授業を受けていたし、私も横目でそれをずっと見ていたのだから。しかしそんな落ち着かない態度でありながら先生から問題を当てられても普通に答えていたのだからすごい。逆に水瀬くんの落ち着かない態度を見ていた私が平静をなくして普段なら答えられている問題を外していたのだが。なんだこの事態。

しかしそうであってもお昼休みの時間も有限だ。もし先生への相談が長引いて私たちがご飯を食べる時間が無くなったら休み時間の意味の根源が揺れてしまう。だからまずはご飯を食べて精力をしっかりとつけてからことに臨むべしであると、古き偉い本にも書かれているのですよ。知りませんけど。

そんな下らないことを考えつつ鞄からお弁当箱を取り出せば、同じくお弁当箱だろう桃色の巾着を持ってこちらにやってくる歩の姿が見えた。


「やーお二人さん、仲がよろしいようですなぁ。お昼をお邪魔してもよろしいでしょうか?」


「どこが仲がよろしい様子なの。私としてはご飯すら食べさせてもらえずに職員室に連れてかれそうになって少し怒り気味だし」


「でも福永さん、昼休みになったら行こうって言ったし、昼休み始まったらすぐにって思っても仕方ないじゃん」


「お昼ご飯すら差し置いて向かおうとするほど水瀬くんが待ち侘びるとは思わなかったんですよ。ほら、水瀬くんもお弁当出してください」


屁理屈をこねる水瀬くんを諭しながら、お弁当を出すように勧める。そうすると、彼は瞼をパチパチと瞬かせて驚いた顔をし始める。


「何ですかもう。お弁当忘れたんですか?」


「いや………一緒にご飯食べていいの?」


水瀬くんは伺うような感じでそう言った。

その様子は先ほどまでの傍若無人な振る舞いとは打って変わっており、私と歩は彼のそんな様子に思わずおかしくて笑いをこぼしてしまった。


「護を無理やり職員室に連れてこうとしてたのに、そこ気にするの? 水瀬くん面白いなぁ」


「一緒にご飯ぐらい別に構いませんよ。まぁ他で食べる予定を既にしていたなら止めはしませんけど」


「っ! いや、予定ない! 一緒に食べよう!」


お互い笑いながら水瀬くんへ言葉をかければ、彼は一目散に鞄から青色の風呂敷に包まれた弁当箱を取り出し、そこから私たちはご飯を食べながら、これから行う先生への相談のことについて話し合ったのだった。


「屋上に行きたいのは分かったけどさぁ、まず水瀬くんはどうやって先生にお願いするつもりなの?」


「それはもちろん、『屋上で街の景色を見せてください、お願いします!』って感じで」


「ド直球ですね………」


ほうれん草のお浸しを口にほおりながら水瀬くんに聞く歩に、水瀬くんは箸でおかずのハンバーグを切りながら高校球児もびっくりなドストレートな方法を言いあげる。あまりにも極端なやり方に私は呆れた目を向けながら箸で摘んでいた卵焼きを口に入れた。うむ、今日も味付けは完璧だな。さすが私お手製の卵焼きだ。


「まぁ具体的な案についてはおいおいまとめていこうかなって思ってるよ。でもまずはこっちから「こういうことがしたい!」って要望を分かるように伝えないと後々で「で、結局何がしたいの?」って言われちゃうからね。要望とそのための手段の許可。これを真っ先に先生に伝えて向こうの出方を取るのがとりあえずは優先しようかな………って二人ともどうしたの?」


「い、いやぁ………」


「結構考えてたんだな、と思いまして………」


水瀬くんの口から告げられる計画の一端を聞き、私と歩は先ほどとは一転、驚きの表情を水瀬くんへと見せた。

水瀬くんもそんな反応が返ってくるとは思っていなかったらしく怪訝そうな顔を私たちへと向けた。


「これぐらいは普通だよ。出来るか出来ないかは置いといてだけど。でもまぁ、これも昨日福永さんに提案されてなかったら僕はやろうとすらしなかったからね。本当に福永さんには感謝だよ」


「そんな感謝される謂れは特にないんですけどけどね」


水瀬くんのお礼の言葉をサラッと受け流しつつ、私は今度は銀の包み紙に包まれた揚げ出し豆腐に箸を向ける。お弁当に入れる前にしっかりと水切りをしたので、出汁が漏れ出していることはほとんどない。しかし前日から作って冷蔵庫で一晩寝かせておいていたので、中の豆腐にはしっかりと出汁の味が染み込んでいることは間違いないだろう。食べる前から味の予想をして楽しんでいれば、今度は歩が話題を作る。


「そうそう私もね、二人が朝に話してたのが気になって授業の間の休み時間に窓の外見てみたの。そしたら欅の木が結構邪魔しててさ、言われるまで気にしたことなかったけど結構見渡し悪いんだね、この学校」


「そうなんだよね。植樹なのか何か意図があって植えられているのかは分からないけど、この学校やこの学校に続くまでの坂道の景色も全部並木林に隠されててすっごくもったいない。だからその理由も聞こうと思うんだ」


歩の話に水瀬くんは肯定しつつ、さらに補足情報を付け足す。

水瀬くんの言ったそれは私も登校中に確認したそれだ。どうやら水瀬くんも気づいていたようだ。

本当に街の景色を見るための方法を真剣に考えているんだなと感心していると、目線の端で歩が少し怯えた表情をしていた。どうしたのだろう。


「えっ? 大丈夫なの? 学校の事情に口出すなって怒られない?」


「確かに。その辺りは生徒に口出されたら嫌がられそう」


どうやら歩は学校のデリケート部分に踏み込むのをためらっていたようで、私もその意見に同意する。

ただでさえ新入生がでしゃばって屋上に上がりたいなどと意見しようとしているのだ。これだけで先生によっては既に怒りそうなところへ、さらに通学路の林のせいで街が見えないなどと文句を言うなど火に油を注ぐような行いである。

これは気をつけて話を進めないといけないと思っていたところで、しかし水瀬くんはその問題へ呆気なく、キッパリと結論づけた。


「大丈夫でしょ。木下先生だし」


「そっか木下先生なら大丈夫だよね」


「まぁ木下先生でしたら問題ないですか」


水瀬くんの言葉に全員が納得して、そのままつつがなくお昼ご飯は再開された。

木下先生に少々申し訳なくもないが、これは決して先生を侮っているわけではない。ただ信頼しているだけなのである。昨日は私に明後日の方向であれど親身になって相談を受けようとしてくれた先生のことを。

そんな言い訳を心の中で呟きつつ、私は摘んでいた揚げ出し豆腐を口に入れたのだった。あ、美味しく出来てた。やった。


***


場所は変わって職員室前。

お昼ご飯を食べ終えた私たちは木下先生へ話をするため、3人で職員室まで出向いた。

職員室のドアは生徒が先生へ相談しやすいようにするためか常に開放されており、廊下から中の様子が見えるようになっている。

恐る恐る職員室の中を確認すれば、既にお昼ご飯を食べ終え次の授業の準備をしている先生や授業のことで質問をしにきたのであろう、ノートを片手に持った生徒に勉強を教えている先生など様々な様相となっていた。

その中で私たちの目当てである木下先生の姿を探していくと、他の先生たちに紛れて机で何か作業をしているところが目に入る。

職員室にいるのが確認できたので、それじゃあ相談しに行こうかと足を進めようとしたところ、そこで私は後ろから誰かに引っ張られていることに気づいた。何だろうと思い職員室に入ろうとした足を止めて後ろを振り向けば、そこには緊張した面持ちの歩が私の裾を掴んでいたのだった。


「どうしたの歩。いざ本番になって怖くなった?」


「だ、だってー…」


捨てられた子犬のように鳴く歩。

気持ちは分からないでもない。なんていったって私たちはまだ入学したての新入生なのだ。職員室に入るのだって歩はこれが初めてだろう。(まぁ私も初めてなんだが)

それなのに急に自分達の要望を伝えに行くなんて、いかに担任の先生であれど緊張するに決まっている。

私は怯える歩の頭を撫でて落ち着かせながら、歩の緊張が解けるまでもう少し待ってほしいと水瀬くんに伝えようと彼がいた方へ顔を向ける。しかし、すでにそこに水瀬くんの姿は存在しなかった。


「ま、まさか!」


突然の事態に嫌な予感が巡り、私は再度木下先生がいた方向へ顔を向ける。そこには、嫌な想像通り、水瀬くんが私たちを置いて一人で木下先生へと話しかけようとしている姿があったのだった。


「本当に自分勝手な人っ! ごめん歩、一緒に行ける?」


「う、うん」


勝手に一人で向かっていった水瀬くんへたまらず愚痴をこぼしながら、まだ裾を掴んでいる歩へ職員室に入ることを伝える。歩も緊張している面持ちはそのままだったが、水瀬くんが先に入っていったことで抵抗感が少し薄れたのだろう、私の言葉に頷いて一緒に木下先生の方へ来てくれた。

そうして水瀬くんと木下先生の方へ近づいて行けば二人が既に話を始めていたようで、会話が聞こえてきた。


「水瀬くんどうしたの? 何か相談事かい?」


「はい! 屋上で街の景色を眺めたいんですけど、どうすれば許可をいただけますか?」


(本当に言ったよこの人…)


聞こえてきた水瀬くんの先生へのど直球の質問に私は呆れた顔を向けずにはいられなかった。もっと前置きとか入れればいいのになぁと思いもするが、彼自身考えがあってこうした話し方をしているのだからまぁいいかと諦め、私は歩を連れて水瀬くんの言葉に驚いて固まっている先生へと向かい、話しかけた。


「先生こんにちは。突然すみません」


「あ、福永さん…と、加納さんも。こんにちは。二人ももしかして水瀬くんと同じ要件?」


「は、はい!」


先生に名前を呼ばれて、うわずった声で返事をしてしまう歩。

歩は緊張で会話に参加できそうにないなと思い、水瀬くんの方を見てみると、彼は先生の返事を待っているようだった。しかし先生も先生の方で、水瀬くんの質問の趣旨を掴みかねているようであり、困惑した表情を見せている。

やっぱり私がついてきてよかったな、と改めて思いつつ私は答えを待っている水瀬くんの横あいから先生へ声をかけた。


「水瀬くんの言ったことなんですけど、彼、高台にあるこの学校から街を一望出来ると楽しみにしてたみたいなんです。そうしたら何というか、実際はあまり景色を見ることが出来なくて残念だったみたいでして。屋上だったら見晴らしが良くて街を見ることができるんじゃないかって期待してるみたいで、今回こうして屋上へ登る許可をもらいにきたんです」


「違うよ福永さん。許可をもらいにきたんじゃなくて、もらえる方法を確認しにきたんだよ」


「あぁそうですか…」


私が懇切丁寧に水瀬くんの説明が足りていなかった部分を木下先生へと伝えていると、最後に彼は一つ訂正を入れる。

貴方の説明が足りていない部分をフォローしたというのになんだその言い草はと少しイラッとしたが、頑張って感情を抑えつつ私は先生に視線を向ける。

先生も私の話をしっかりと聞いてくれていたようであり、話を聞き終えた直後、顎に手を添えて、そうなのか、とだけ呟いて考える素振りを見せた。

そんな先生の態度を見て私はひとまず良かったと心中でホッとする。二つ返事で断られることも想像していたため、そうならずに良かった。私自身この件については同行しているだけの身ではあれど、素気なくあしらわれるのは側から見ていてもやはり辛いものではある。その点、木下先生はこうして考えてくれる余地はあるので、そう言ったところは本当に信頼できる先生なのだ。まぁ考えすぎて昨日は暴走していたけれど。

そうして待っていると、先生は手を顎から離し、水瀬くんに顔を向けて言葉をかけた。


「屋上に上がりたいっていう水瀬くんの意思とその理由は分かった。でも知っての通り、屋上は生徒は侵入禁止の規則がある。これを君のその希望だけで曲げることはできない。それは分かるかい?」


「えっ?それってつまり…」


「許可はできない、ってことですか?」


「今の水瀬くんの要望だけでは、かなり難しいだろうね」


先生の言葉に歩と私は咄嗟に言葉を出す。それに対して先生は首肯を交えて返答した。

先生の答えに歩はおもむろに表情を曇らせ始めた。予想はしていたとはいえ、良い返事がもらえなかったことにやはりこたえたのだろう。

私も少し残念に思いつつあったが、歩ほど感情を表面化させることはしない。全員が落ち込んだ表情を見せてこのまま帰ってしまったらこの生徒思いの木下先生の気が滅入ってしまいかねないと思ったからだ。

返事が聞けた以上もう用はないだろうと思い、私は水瀬くんへと声をかけようと彼の顔を見る。

その時だった。水瀬くんは先生から要望を拒否されたばかりだというのに、笑っているのを私は目撃した。


「はい先生。もちろん分かっています。でも先ほど福永さんに言ったように、僕たちは許可をもらいにきたんじゃないんです。どうしたら許可をもらえるか、確認しにきたんです」


「ん? それは、どういうことかな」


水瀬くんは笑顔を浮かべたまま、先生へと話しかける。先生もまた水瀬くんの表情とその話の内容に意図を感じて、彼に話の続きを促した。


「屋上の侵入禁止の件について。規則では生徒は学校側の許可なく屋上に上がることを禁ず、と書かれているのは確認しました。生徒手帳に書いてありますからね、これは事前に知っていました。でもこの規則、裏を返せば許可があれば生徒も屋上へ上がることはできる、とも解釈できますよね。そこで僕が疑問に思ったのがその許可とはどのような場合に出されるのか、また今までの事例として、許可を得て屋上に登った生徒はいるのか、ということです。それに関して、何か学校側で教えて頂けることがあれば、是非参考にさせてもらいたいと思って、今回こうして先生に伺いを立てたんです」


とめどなく口を回す水瀬くん。その水瀬くんの話を聞き、私は水瀬くんの考えが自分の想像していたよりも先のことを見据えていたことにようやく気づいた。

水瀬くんの言ったことは規則に書かれていることの枠外の意味を逆手に取った、いわば詭弁とも捉えられることだ。しかしその詭弁には確かな説得力があり、突っぱね返すには抵抗があるものだった。

しかも要望である屋上へ上がる許可をもらえる方法についても急くのではなく、それにつながる情報の開示を先に通過点として話に置いている。

巧みな話の繋げ方に、私は驚きの表情で水瀬くんをみるが、彼は変わらず顔に笑顔を浮かべたままであった。そんな彼がクラスで話していた人と違って見えてくる。


「…なるほど。だから許可ではなく、許可を得られる手段の確認、ということなんだね。合点がいったよ」


水瀬くんの話を聞いて、先生は最初に水瀬くんが言った言葉を復唱する。

しかしその直後、先生の目は細くなって水瀬くんの目を貫くように見抜いた。


「ただ、水瀬くん。仮に僕がこれまでの生徒が屋上に上がった事例の情報を君に教えたとして、君はそれを事例を元に許可の要望を出す気なのかい?」


「それは考えていません。情報が足りていませんので」


木下先生の目線を受けながら水瀬くんは何でもないように答える。

先生の目はなおも水瀬くんを射抜き続ける。


「もしそうしようと考えているなら、お勧めできないよ。君がこうして僕に相談を持ちかけてきてくれた以上、僕はこの出来事を職員会議で報告して、他の先生たちに過去の事例の情報を開示していいか確認をしないといけない。そこで通ったとしても、内容の確認をしてから水瀬くんに渡すことになるだろう。だからもし君が過去の内容を元にしてそのまま許可申請を出してしまえば、その内容を知っている僕たちは君の申請書を真似したものだと気づいて申請を拒否することになるだろう。それを考慮した上で、過去の情報が欲しいかい?」


「………」


先生の話を聞きながら私は水瀬くんの分が悪くなっていることに気づく。

許可申請に過去の写しが使えないことを伝えてくれているのはもちろんのこと、先生は遠回りに水瀬くんが情報を得るためには、職員全体にこの案件が広まることになるということを伝えているのだ。

生徒が面倒な事案を持ってきたとなっては、その生徒の名前はどんな意味を持とうと目立つことになる。しかもこれは部活動や正式な活動媒体による要望ではなく、一般生徒によるただの私欲のための要望だ。通る可能性も低ければそのために自分の名前を晒すリスクを負うことはできるのか。先生はその覚悟も水瀬くんにあるのか確認しているのが先ほどの話から読み取ることができた。

改めて先生の表情を見て私は息を飲む。その目は普段生徒に優しい木下先生が向けるとは思えないほど冷たい視線だった。

その目を向けられて水瀬くんは大丈夫なのだろうかと、私は視線を先生から水瀬くんへと変える。

しかしそこには先生の目線に怯える水瀬くんの姿はなく、頭を捻らせてうーんと唸っている彼の姿だけがあった。


「そうですね、先ほど言った通り元々そんなことは考えていませんけど………一つ訂正させて頂ければ、僕は自分のために屋上に登るための申請を出すつもりはありません。僕が出すつもりなのは、請願書です」


「請願書、かい?」


水瀬くんの言葉を先生は繰り返し呟く。

私も水瀬くんの聞きなれない言葉に首を傾げる。請願書とは一体なんだろう。願書だったら高校受験の時にたくさん書いたがそれとは違うんだろうな、と思っていれば水瀬くんがその書類について解説してくれた。


「はい。申請書は個人が自分の用事のための許可を得るために出す書類ですけど、請願書は本来議会などに対して市民が一定の希望を出す際に使う書類のことですね。嘆願書とか陳情書とか色々呼び方に違いはありますけど、名前に箔がつくのでこの名称を選びました。そうですね、今回僕がやる場合は『屋上に生徒が出入りできるようになるための請願』と名打つべきでしょうか。また考えますけど」


「そんなのあるんだ………」


水瀬くんの博識ある解説に私が新しい知見を得られたと頷いていると、後ろから歩が言葉を小さくこぼすのに気づいた。

確かにこんなのは普通に生活している上では知り得ない情報だろう。ということは彼はこの計画のために請願書の知識まで集めたのだろうか、もしくは元々知っていたのだろうか。どちらにしてもそんな知識を持つ水瀬くんの謎めいた部分が垣間見えてきて、彼のことを能天気な男子生徒だと思っていた私は何だか目の前のこの人が一体何者なのかわからなくなってきてしまった。

そんな中、話を聞いていた木下先生が水瀬くんへ一つ質問を投げる。


「でも請願書を出す場合は、一般的に多数の意見を以て出される場合が多いけど、それについては?」


「もちろん、みんなで署名活動をさせていただこうかと思っています」


「え、何ですかそれ。初耳何ですけど」


いきなりの水瀬くんの発言に思わず彼への目を冷えた視線へ変えると、彼は笑顔だった顔を少し、キョトンとさせ、次に右手でグーサインを作って下をペロッと出した………俗に言うテヘペロというものだろうか。以前アイドルがテレビでやっていたのを思い出しながら、その行動を恥じることもなくやってのけた水瀬くんの顔を思いっきり殴りたくなった。

当然彼はそんな私の心中も知る由もなく、すぐにテヘペロポーズをやめて先生へと向かい直す。おい。


「まぁ頭の中で考えてるだけなのでまだ未定ではありますけど。例えば朝に昇降口で署名活動をさせてもらって登校中の生徒に呼びかけとかさせてもらえればと思っています。もちろんその際にはしっかりと先生に相談と許可を頂きながら進めさせて頂ければと思っています」


「………驚いたな。水瀬くん、君は本当に屋上に上がるつもりなんだね」


水瀬くんの計画を聞き、先生は本当に驚いた顔で彼の顔を見ていた。

隣で聞いていた私もびっくりしている。水瀬くんはお昼に私たちへ話していた内容よりもさらに自分の中で計画を念密に立てていたのだ。そしてそれをこうして先生へしっかりと伝えられているところにも感心する。おそらく私が同じことをしようとしても、緊張してしまい、先ほどの水瀬くんのように上手に話すことはできなかっただろう。もちろん、私の後ろで水瀬くんの話を理解できていたのかできていないのかよくわからず、ほー、と声を上げている歩にも難しいだろう。


「はい。その道を示してくれた人がいるので」


「っ! こ、こっち見ないでください。何ですかもう」


そうして驚きのあまりずっと水瀬くんを見ていた私に、ふと彼が目線を寄せて意味深なことを言ってくる。

なんだその言い方は。それはあれですか、私に唆されたとでも言いたいのですか。やめろ、そういう責任転嫁は人様の迷惑なんだぞ。

水瀬くんの視線と台詞に一抹の恐怖を感じ私が身を庇っていれば、彼の視線はすぐに先生の方へと向かい話を戻そうとしていた。待て、先ほどの視線の意味はなんだ。答えてから話に戻れ、おい。


「それで、最初の話に戻るんですけど、過去の事例の情報については、その請願書を作るにあたって参考にさせていただきたいんです。お願いできますか………って木下先生?」


自分のこれからの行動に関する計画を伝えた水瀬くんは、話を戻して過去の事例に関しての開示の要求を再度始めた。

過去の事例がどのように請願書に参考にされるのか、私には見当がつかなかったが、これまでの話で水瀬くんがそのあたりもしっかりと考えていることは大体読める。

あとはその事例がもらえるかどうかで今後署名活動をする場合の許可が問題になってくるだろう。

それについて先生に確認を求める水瀬くんだったが、何か先生の様子がおかしいことに気づいたようで、私も先生の方へと視線を戻した。

そこには顔を俯かせながら体をふるふると震わせている先生がいた。一体どうしたのか。お腹でも痛いのだろうかと心配していれば、先生は徐に顔を上げて、キラキラとした目を水瀬くんへと向けたのだった。


「わかったよ水瀬くん! 君のその行動力と熱意に僕は感動した! 過去の事例については僕に任せてくれ! 何とか探して他の先生たちも説得してみせるよ! 水瀬くんも今後の動きに関して具体的なことが分かったら僕に教えてくれ! 何でも相談に乗るからね!」


「本当ですか! ありがとうございます!」


どうやら先生は水瀬くんのここまでの行動と計画に心を打たれたようであり、大きな声を上げながら水瀬くんの方へと手を差し向ける。俗にいう握手を求めるポーズだろう。何でだ。

いきなりのハイテンションモードの先生に私は若干引き気味になるが、しかし水瀬くんは先生のその言葉に喜びを示したようであり、素直に差し出されていた先生の手を取った。

感涙を流す教師にその手を取る男子生徒。変な絵になってるなと呆れた目でそれを見ていれば不意に後ろでも誰かが泣いている声が聞こえたのでそちらを見てみると、そこには二人の姿を見て泣いている歩の姿があった。何してるのぉ?


「う“ー、水瀬くん良かったね“ぇ〜」


「えぇー…」


どうやら先生の説得に成功した水瀬くんの姿に感動したらしい。歩の情緒が心配になる。

その後、目的への心が一致団結した(私以外の)全員は今後の先行きがうまくいくように、職員室のど真ん中で鬨の声を上げたのだった。

周りの先生たちの視線が刺さるなぁ、と思いながらも、とりあえず先生という味方を手に入れたことで少し浮かれていたのだろう。私も小さい声で鬨の声に参加しつつ、しかし恥ずかしさを捨てられずにいた。

だって女の子だもん。


***


「いやーひとまず上手くいって良かったねー!」


「本当だねー! これも全部水瀬くんの力だね! よっ! 先生たらし!」


「そうかなそうかなー!」


「いい加減少し落ち着いてくれませんか」


職員室での出来事から少し経って現在。

私たちは木下先生との話を終えて職員室から自分達のクラスへと戻るために廊下を歩いているところだった。

その途中、水瀬くんと歩が話がひとまず上手くいったことに調子づいて非常にテンションが高くなっていたので私は何度目かの注意をする。他の廊下を歩く人たちにも見られており、正直非常に恥ずかしい。


「でもでも護も嬉しかったんでしょー? 素直になりなよ〜」


「素直になるのと興奮するのは違うでしょ。自制しなさい自制を」


歩が私をからかってくるが、すかさず反論すれば観念したのか、小さくはーいと返事をしたのが聞こえた。うむ。素直でよろしい。

そうして私は次に水瀬くんへと声をかける。今後のことについてだ。


「それじゃあ水瀬くん、今後については水瀬くんにお任せするということで、何かあれば私たちにお伝えするということでよろしいですか?」


「うん。先生とは僕の方で話をするから。何かあればまた連絡するよ」


そう言い、水瀬くんは小さく私にお礼を言った。

職員室での出来事の後、先生は最大限水瀬くんの力になることを伝え、生徒が屋上を使った過去の事例を探してくれることを約束してくれた。

先生からの条件としては、今後の行動計画については逐一報告して相談することと言っていたが、水瀬くん自身も元々その予定で考えていたらしいので、特に問題ないらしい。

何か分かり次第、先生の方から水瀬くんへ直接連絡するということになり、そこで一旦先生との相談は解散となったのだった。


「そういえば並木林や欅のことについては聞かなくてよかったの?」


職員室のことを思い返しながら歩いていれば歩が突然そう言う。

そういえば確かにご飯の時に話していた通学路の木や学内の欅のことについて水瀬くんは先生に何も聞いていなかった。ど忘れしたのかと思って水瀬くんの方を見るが、彼は歩の質問に対して特に困った表情を見せず、いつものように飄々とした顔を見せていた。


「どうしよう、もう一度戻って確かめる?」


「大丈夫だよ。あえて聞かなかったから」


「あえて、ですか?」


もう一度戻ることを提案する歩に、水瀬くんが待ったをかけた。

その際の水瀬くんが言った一言が気になり、私が復唱すると水瀬くんは普通に説明してくれる。


「そう、あえて。ああいった話がうまく行き過ぎなぐらい進んでいる場合は下手に本筋以外のことは聞かないほうがいいんだよ。話がそれちゃう可能性があるからね。お昼に話していた時はまさかここまで上手くいくとは思わなくてああ言ったけど。ああいう空気の時は話のテンポが一番重要だから聞かなかったんだよ」


「そういうものなんですか」


水瀬くんの説明に相槌を打ちながら、私は彼のまるで体験したことにあるかのような言い回しに少し疑問を感じる。

思い返してみれば彼の行動はあまりにも高校生離れしている。先生への説明の達者具合もそうであるし、請願書の知識もそうだ。それにこうして一高校生では知らないことを知っている。

まだ一ヶ月クラスメイトととして一緒に授業を受けただけの水瀬くんだが、こうして一緒に行動していれば謎がたくさん出てくることに私は少し疑心を抱き始めた。彼は私たちに何かを隠しているのではないかと。

そんな疑心から水瀬くんを見ていたら、歩が不意に大きい声を出した。


「あっそうだ! 水瀬くんと連絡先の交換してないよね!」


「えっ、ああそうだったかも」


歩の言葉に私は戸惑いながらも肯定する。

もちろんこの時の連絡先のことは私と歩のことではなく、水瀬くんとの連絡先のことだ。私と歩は入学初日の時に電話番号に加えてSNSの連絡先まで交換しており、むしろそれでしか話をしないまであり、なんなら最近は面倒臭くなって結局電話で話すようになるまである。本末転倒。

そんなことを考えつつ、私はポケットからスマホを取り出して水瀬くんへ一つ質問をする。


「ええとそれでは、水瀬くんは「CHAIN」ってアプリ入れてますか?」


そう言いつつ私はスマホの画面を向ける。そこには吹き出しの中に鎖で「CHAIN」と書かれた言葉が文字があるアイコンが目立つように映し出されていた。

そうしていると、歩が私に声をかける。


「護〜、今時「CHAIN」をしてない高校生の方が少ないよー?」


「歩、そういう偏見はよくないよ」


「CHAIN」とは、現在世界で最も使用されていると言われているチャットアプリのことである。

無料でメッセージのやり取りや通話、ビデオチャットもできる代物であり、さらに最近ではこのアプリを活用することでスマホ決済もできるようになったとも聞いている。

私もスマホを手に入れるまでは名前しか知らなかったが、世間ではスマホを持っている以上「CHAIN」を入れていない方が珍しいと言われているほど有名なアプリらしい。

私と歩はもちろんインストールしており、前述のSNSのやり取りはこの「CHAIN」のことである。

そんな有名なアプリであるため、おそらく水瀬くんもインストールはしているだろうなと予想しつつ、一応確認を入れる。

人によってはこういう流行り物を嫌って電話や普通のメールしか使わない人も多いので、そこを気遣っての確認なのだが、歩はその気遣いを察せられず私に茶々を入れたのだった。やめなさい。

そうして水瀬くんの返事を待っていれば、彼はとても深くうーんと悩み込み腕を組み始める。一体どうしたのだろう。


「あっ、もしかして水瀬くん、CHAIN使わない派の人だったり…?」


水瀬くんの様子を見て、歩がぎこちなく質問する。どうやら自分の一言で水瀬くんの気を悪くさせたのかと思ったようだ。だからやめなさいと言ったのに。

しかし水瀬くんは気を悪くさせた様子もなく、歩の質問に答える。


「あぁいや。CHAINはもちろん知っているし使ってもいるよ。でも、そうだなぁ………ごめん、やっぱりメールでいいかな?」


「? 別にいいですけど。珍しいですね」


今時はほとんどの若者がCHAINで連絡のやり取りを行なっており、メールでのやり取りはほとんどしていない。

なんだったら若者だけでなく企業やビジネスマンですら、最近はCHAINを使って社内での情報のやり取りをしているということも聞いたことがある。

それぐらい便利なアプリの存在を持っているにも関わらずあえてメールを使うなんて、やっぱり何かおかしいと思いつつ私は水瀬くんのお願いに対して肯定で返した。


「ごめんね、少し事情があってCHAINが使えないんだ」


便利なのは知っているんだけどね、とこぼしつつ水瀬くんも自分のスマホを出して画面を開いてこちらへ見せてきた。そこには彼のメールアドレスが映し出されており、これを登録すれば彼と連絡ができるようになる。


「分かりました。ではこちらまでまた空メールを送りますので。迷惑メールにしないでくださいね」


「わかってるよ」


私は映し出されていたメールアドレスをすぐに登録しつつ、水瀬くんへ一つ忠告を入れた。

彼は笑いながら返しつつ、歩にもアドレスを見せてようやく連絡先の交換が完了したのだった。


「それじゃあ何かあったら僕から二人にまた連絡するね。二人からも何か提案とか質問があったらいつでも僕に連絡してくれていいから」


「分かりました。とりあえず職員室で言っていた署名活動などに関しては時間がある時にまた聞くので、本当に、勝手に進めないでくださいね!」


水瀬くんは笑顔でそう言うが、正直に言って信用はない。いや、職員室で見せた彼の能力についてはもちろん信頼はしているが、こと話し合うことについては、水瀬くんは報告を相談と履き違えている節が多々見受けられる。そのため、もし彼に一切を任せていればとんでもないことになりそうな気がしてたまらなかったため、私は水瀬くんに釘を刺すように言い含めた。


「うーん信用がない」


「当たり前です」


がっかり声の水瀬くんを置いときつつ時計を見ると、もうすぐ昼休みが終わる時間であることに気づいた。そろそろ教室へと戻らなければ5限の授業に間に合うか危ないだろう。

それに全員が気づき、とりあえずのこの場の締めの言葉を歩が取り仕切るのだった。


「それじゃあわれわれ屋上突破計画隊、まだまだ先行き長いけど、頑張るぞー!」


「おー!」


「お、おー」


いつの間にか変な名称が付けられていたことに気づくも、私は突っ込むタイミングを失い、また鬨の声に参加したのだった。

あれ、もしかして私って流されやすい? またまたぁ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る