第2話

朝。新しい朝がやってきた。

朝と聞くと爽やかだったり、澄んだ印象を持つ人も多いのではないだろうか。

それは霜や霧といった澄んだ自然現象が比較的朝方に起きたり、寝て起きたら疲れた体がスッキリとしているところからそう思う人が多いのだろうと思う。

ではその印象が万国全人類に及ぶかと云うと、多分そんなことはない。少なくとも今の私は朝を迎えるにあたり、全く爽やかではないことだけ伝えておく。


「おっはよう護〜!…ってどうしたその顔!?」


「おはよう歩。まず人の顔を見て悲鳴をあげるのは失礼だからやめようね」


現在時刻は午前8時過ぎ。

私はいつも通りの時間に起床し、いつも通り家族の朝ごはんを作って、いつも通りご飯を食べて、いつも通りの時間に家を出て、今は通学路を歩いているところだった。

その途中、クラスメイトで私の友達である加納歩に声をかけられ、そちらに顔を向けたところ、驚かれてしまう。

失礼だぞ、と言いつつも、私自身も今の自分の顔がひどい状態にあるのは自覚しているため、強くは突っ込まない。


「なんでそんなくたびれた顔してるの。目にクマあるし」


「少しレポートの再提出があって…少し寝不足気味…」


歩に突っ込まれるのを答えつつ、私は昨日のことを思い出す。

水瀬くんに欅から下ろしてもらった後、彼にお礼を言い、そのままお互い自分の家に帰ることになった。

少し残念な最後になってしまったけど、いい時間を過ごせたなと、振り返りながら腕時計で時間を見てみると、居残りを食らったことと木の上で過ごした時間もあり、思ったよりもかなり遅い時間になっていることに気づいた。

まずいと思って急いで家に帰ってみれば、そこには案の定溜まった洗濯物やご飯を待つ家族の姿があり、私は疲れた体を無理やり動かしてそれらの家事をなんとかこなしたのだった。

そうしてようやく家事を終わらした私はクタクタの体をベッドに放り投げてすぐに寝ようとしたところ、ある一つのことを思い出す。


(レポートの再提出分、作らないと…)


今日先生に居残りさせられた原因であり、私自身の因果応報の塊でもある課題のレポート。その再提出分が出来ていないことを思い出した。

しかし今日はいろんなことがあり疲れていることに加え先ほど急いで家事をこなしたため、体はクタクタ。レポートを書く体力などないのだが、ここで投げ出してしまえば先生に示しがつかない。

結局ない体力を気力で補い、疲れた頭でレポートの課題をこなしたが、案外難航してしまい、出来上がった頃には時計の短針が綺麗に右を刺していた頃であった。

睡眠時間はなんとか確保できたものの、起床しても疲れを完全に無くすことはできず、こうしてグロッキーな私が完成したということである。

そんな昨夜の記憶を振り返り呆れ笑いを浮かべていれば、事情を知らない歩が私の答えにムッとしながら言葉をかけてくれる。


「ダメだよ護。夜ふかしは美容の天敵。護は可愛いんだからそこらへんしっかりと考えないと!」


「う、うんそうだね。アハハ…」


顔を近づけて言ってくる歩の強い押しに若干身を引きながらも肯定だけしておく。

こうして肩口まで伸ばした栗色の髪にキラキラ陽光を反射させながら私に説教をする彼女、美容に並々ならぬ執着を持つ私の友人、加納歩は入学式で知り合った仲だ。

高校に入ったらやり手のインフルエンサーになることを夢見ているらしく、現在では有名な動画投稿サイトでチャンネルを作って配信をしたり、若い女子の間で流行っているらしいSNSにもアカウントを作ってトレンディな写真を毎日投稿しているとのこと。

実際本人もとても可愛らしい容姿に先ほどのやりとりのように押しの強い態度もあって、クラスではとても人気がある。SNSのアカウントは以前見せてもらった時はまだフォローしている人は少なかったが、これからどんどん増えてくることは想像に難くないだろう。

そんな彼女に入学式で真っ先に声をかけてもらい、こうして友人関係を築かせてもらえたのは私の高校生活最初の幸運だっただろう。その点についてはとても感謝している。

でも正直美容とか考える暇もないし、専門用語なんてわからないから歩の話す内容は実は私はほとんど理解できていない。とりあえず相槌を返してはいるけど、いつバレるか実はヒヤヒヤしているのだ。心休まる暇ないな私。

そうして歩と他愛もない話をしながら歩いていれば、いつの間にか道が上り坂の歩道になっていることに私は気づき、ふとそこから見える街の景色を確認しようと目線を道の外へと向けた。

昨日の街の景色を期待して向けた目線だったが、しかしそこに見えたのは道に沿って植えられている並木林の姿だけであり、その向こうの街の景色をみることはできなかった。


(意識してなかったから気づかなかったけど、ここって結構見通し悪いんだ)


改めて気づく発見に自分でも驚くほど感心する。これも昨日あんな経験をさせてくれた水瀬くんのおかげだな、と感じつつ、しかしそれと合わせてとても失礼なことをされたのでとても複雑な気分へと陥る。


「どしたの護?」


「ううん、なんでもない。行こ」


そんな思いが顔にも表れていたのだろう、歩に突っ込まれるも、軽く流しつながら私たちは通学路を歩いていった。




***




「それでねー、そこのアイライナーがすっごく良くって。絶対護にも合うと思うから今度一緒に行こうよ」


「そうなんだ。じゃあ今度時間ができたら一緒に行こっか」


歩から出される美容や化粧品の話を分からないなりに誤魔化しつつ、私たちは教室へと着く。

歩とは席が離れているため一旦別れ、私は自分の座席へと向かった。

そして鞄から筆記用具と今日使う科目の教科書を取り出して一限目の授業の準備をしようとしたところ、隣から大きな声が私を襲った。


「おはよう、福永さん!」


「っ! お、おはようございます、水瀬くん」


声の方に顔を向ければそこには昨日いろんな意味でお世話になった水瀬界人くんの姿があった。

彼は笑顔で私に大きな挨拶をするとご機嫌な様子で自分の席へと座る。

私はいつもよりも元気な水瀬くんの挨拶に多少戸惑いつつ、なんとか挨拶を返す。

見れば周りのクラスメイトたちもいつもと違う水瀬くんの様子に驚いたようで、チラチラとこちらを窺っていた。

なんか注目されてるなー、やだなーと思いながらなるべく注目から遠ざかるため存在感を消すように努めるが、隣の席の人はそれを気にしない模様で、続けざまに私へと話しかけてきた。


「昨日福永さんに言われて調べてみたんだけどね、屋上が開放されてる学校って結構あるんだね! 都内や都会の方だと特別な理由じゃなくても昼休みとかに屋上に行ってご飯を食べたり遊んだりしてる学校もあるらしくて調べてるうちに何だか楽しくなってきちゃってさ! 遅い時間まで起きちゃって少し寝不足気味なんだよね! あ、福永さんも目の下にクマができてるけどもしかして寝不足? お揃いだね!」


「あぁうん、そうですね…」


すっごい捲し立てる。めっちゃすごい喋りかけてくる。

上機嫌に話す水瀬くんに私はすこぶる身を引くが、しかし無視するのも失礼だと思ったので、とりあえず鬱陶しそうな雰囲気を出しつつ曖昧に頷くことに決めた。

こうすれば水瀬くんも自分の現状に気づき、少しは声のトーンと勢いを落としてくれるだろうと期待したが、まぁ昨日の無遠慮な態度からそうはならんだろうなぁと予想し、その予想通り彼は元気よく声を張りながら私への話を続けたのだった。


「それで僕の方でもどうすれば屋上に入らせてもらえるかなって考えてたんだけど、やっぱりこういうのってまずは直接お願いしてみてから相手の出方を見るのが一番いいと思うんだよね! だからーーー」


「あれー? 護いつの間に水瀬くんと仲良くなったのー?」


「あ、加納さん。おはよう!」


まだまだ水瀬くんの話が続きそうでいいかげん頭痛すら起きそうになっていたところ、歩がこちらの様子に気づいて声をかけてくれた。

ナイス歩!と心の中で称賛しながら水瀬くんが歩へ挨拶するために話を切ったその一瞬の隙を見逃さず、私は歩へと声をかける。


「昨日放課後に偶然水瀬くんと会ったの。その時話が弾んだんだ。そうですよね?水瀬くん」


「え。あーうん、そうだね」


「へーそうなんだ。なんの話で盛り上がったの?」


水瀬くんの話を切りつつ、なぜ彼が私に話しかけてきていたのかの説明を少し大きい声で声に出す。

そうすればまだこちらに注目していた他のクラスメイトたちの好奇心も満足させられたようで、次々と目線をこちらから外していくのが伺えた。

注目から外れてほっと一息つけば、今度は歩の方から質問がくる。

うーん、どう説明すれば良いものか。木の上で一緒に景色を見たとは言いづらいからなぁ。

私が悩んでいると、水瀬くんの方が先に歩の質問に答えたのだった。


「学校から見える景色のことについて福永さんと話してたんだ。屋上から見渡せばすっごい綺麗な景色が見えるだろうって」


「へー。護が水瀬くんとそんなことを。ちょっと意外かも」


「う、うん。そうかな」


歩に返事をしつつ、私は水瀬くんの説明に少し驚いた。

木に登ったこととか一緒に街の景色を眺めたことは隠しながら、上手に本質だけを伝えている。

木登りのことは昨日私に注意されたから言わない方がいいだろうと思ったのだろうか。案外素直なんだなと思いつつ、素直すぎるから人目を気にせずにあんなに上機嫌に話しかけられたのだろうとも思い、なんだか複雑な気分になった。


「それでね、先生に屋上に行けないか一度聞こうと思って、そのことを福永さんと相談していたんだ」


「あ、相談のつもりだったんですねアレ」


水瀬くんの言葉に思わず突っ込む。

ハタから見てれば挨拶と同時にマシンガントークを繰り出しているようにしか見えなかったけれども。

そんなツッコミも流されつつ、水瀬くんは言葉を続けた。


「今日のHRが終わった後すぐに福永さんと木下先生に聞いてみようと思って。そのことを話してたんだよね福永さん」


「えっ?」


水瀬くんの思わぬ発言に、私は思わず目を顰める。

いやいやなぜ私も一緒に先生に直談判しにいくことになっているんですか。そこは一人で行って欲しいんですけど。


「み、水瀬くん、なんで私も一緒に行くことになってるんですか?」


「えっ? 福永さん一緒に来てくれないの?」


私が聞くと、逆に水瀬くんから疑問の声をかけられる。

いやいや、一緒に行くなんて誰も一言も言ってないでしょう。確かに提案したのは私だけれども、それは水瀬くんが木に登らないようにするためで、別に私はーーー。

弁解するために口を開こうとするが、それを隣で話を聞いていた歩によって妨げられる。


「ちょっと護! 急に逃げるなんてひどいよ!」


「えっ、歩。いきなり何」


突然話に入ってきた友人に驚きそちらへ顔を向けると、そこには頬を膨らませ、私怒ってます、という態度を体現させた歩の姿があった。なんだ一体なんだというのだ。


「確かに先生に話しかけに行くって、かなり勇気のいる行動だしちょっと恥ずかしいなって思うのは分かるけど、それを水瀬くんだけにしてもらうって、ずるいと思う! 説明はできなくても一緒に行って顔ぐらい見せないとダメだと思うよ!」


「いやいや歩、違うから」


どうやら歩は水瀬くんと私が二人で計画を立てて、土壇場で私が抜けようとしたのだと勘違いしたのだろう。

この一ヶ月一緒に過ごしてきて分かってきたのだが、この加納歩という女子、かなり思いこみが激しい部分がある。今も断片的な情報だけで私が悪いと思い込んでいるため、私は面倒な状況になってきたなと思い、すぐに訂正を入れるため歩に声をかけるが、すでに彼女は私から意識を逸らしていたのだった。


「それに生徒が学校での権利と自由を得るために頑張るなんて、なんかドラマっぽくて燃えないっ? いいなー。ねえねえ、もしいいんだったら私もついて行っていい?」


「うんいいよー」


「ダメだ。全然話を聞いてない」


人の話を聞かない歩と水瀬くんのお気楽コンビにたまらずため息を吐いてしまう。こうなってしまえば二人を放っておいて逃げる手もあるけれど、この二人に任せては暴走して明後日の方向に向かいかねないという不安が頭をよぎる。

非常に面倒であるが私が着いて行って手綱を握らないとダメだろうと思い、私はまだお気楽ムードを出す二人に向き直った。


「分かりましたよ、私も一緒に先生に聞きに行きます。ただHRのあとは先生も忙しいと思うので、昼休みに職員室へこちらから出向きましょう。それでいいですか? 歩も、事情をよく知らないのに人を責めないで」


「「はーい」」


二人は声を合わせて一緒に返事をする。

なんだか母親か引率の先生の気分を味わいながら、昼休みにまた集合ということで一旦お開きとなった。

自分の席へと戻っていった歩を見送りつつ、ようやく落ち着けると思い、私は途中だった授業の準備を再度始めようとする。がしかし。


「それでさっきの話の続きなんだけど、音が響きにくいのもあって学校によっては屋上で音楽系の部活動が使用しているところもあるらしいんだ。うちの学校も吹奏楽が練習場所の確保に手を焼いてるのもあるしこれを活用すればーーー」


「水瀬くん、ちょっと落ち着きましょう?」


無念、発端者の水瀬くんは私の隣の席であった。彼は結局お開きとなったその後も、屋上に関する情報を私に話し続け、私はそれを止められず、朝のHRが始まるまで相槌を打ち続けるしか出来なかったのだった。

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