26:孤独の廃校


 図工室を出た俺たちは、そのまま西階段を下りて渡り廊下を目指そうとする。

 多くの死人が出た。それだけでも気分は重いというのに、もしかすると殺人者まで出してしまったかもしれない。


 楽しく企画を立てて配信をしたかっただけだというのに、どうしてこんなことになってしまったのか。

 慣れないことをせずに家の中に篭ったまま、配信だけをしていれば良かったのだ。

 そうすれば俺は、今でもパソコンを前にして代わり映えの無い日常を送っていただろう。


 振り払おうとすればするほど、マイナスな思考が纏わりつくような気がして、俺は頭を横に振る。


「ユージさん、大丈夫ですか?」


「……ああ、大丈夫。大丈夫だよ」


 カルアちゃんがいなければ、とっくに俺だっておかしくなっていたのかもしれない。

 彼女を守らなければいけない。カルアちゃんの存在だけが、俺を正常な場所に繋ぎとめてくれているような気がした。


 声がしたように感じたのは、その時だ。


「ったく、どこにも見つかりゃしねえ! ふざけやがって! 人形なんざ無くたってオレの願いを叶えりゃいいんだよ!!」


「っ、財王さんだ……!」


 俺たちは咄嗟に、階段横の二年一組の教室に隠れる。廊下で見つかっては逃げ切れないと判断してのことだ。

 声はかなり近かったが、どうやら三階の階段から二階に降りてきているようだった。

 徐々に足音までも近づいてくることに、緊張感はじりじりと増していく。


 こんな教室では、隠れられる場所にも限界がある。身を潜めてはみたものの、扉を開けられれば二人まとめて一巻の終わりだ。

 だが、無情にも足音は遠ざかるどころかこちらに向かってきているのがわかる。


「……カルアちゃん、そこに隠れて」


「えっ、でもユージさんは……!」


「いいから早く」


 語気を強めた俺に驚いたカルアちゃんは、大人しく教卓の下に隠れてくれた。

 少なくともあの場所なら、扉を開けても死角になる。


 次の瞬間、目の前の扉が勢いよく開かれた。そこに立っていたのは、確認するまでもなく財王さんだ。

 けれど、向こうはしゃがんでいる俺の姿に気がつくのが一歩遅れる。


 俺はその隙を突いて、スマホのライトを彼の顔面に向けた。薄暗さに目が慣れていたであろう財王さんは、突然の明かりに驚いて顔を背ける。

 そんな財王さんの腹部に向けて、俺は全力で体当たりをした。


 「ぐおっ……!?」


 視界を奪われていた財王さんは、廊下に倒れ込んでしたたかに後頭部を打ち付ける。

 真っ向勝負では絶対に敵わないが、不意打ちならば話は別だ。


 財王さんが悶絶しているうちに、俺は教室を出て階段を駆け下りていく。

 あのままカルアちゃんを残していくのは不安だったが、予想した通り、怒り狂った財王さんは俺の方を追いかけてきていた。


「クソ野郎が、よくもやりやがったな!? 待ちやがれユージ!! ブッ殺してやる!!!!」


 待てと言われて待つはずがない。

 体格は劣るが、小学生の頃から足の速さには少しだけ自信があった。今は目くらましのハンデもある。


 一目散に逃げ出した俺は、渡り廊下を抜けて体育館を目指す。

 振り向くまでもなく追ってくる足音が聞こえるが、ハンデのお陰でまだ距離はありそうだ。

 そのまま体育館に入ると、真っ直ぐに駆け抜けてステージに飛び上がる。そして、閉じられた幕の裏側へと身を潜めることにした。


 その直後に、財王さんが体育館へ入ってきたのが足音でわかる。

 体育館の中にいることは間違いないが、この場所に隠れたところまでは見られていないだろう。

 俺は荒い呼吸を、できるだけ音を立てないようにしながら鎮める努力をする。


「ユージ、どこに隠れやがった!? ふざけた真似しやがって、すぐに見つけ出してやっからな!!」


 財王さんの怒号が響くが、やはり場所までは特定できていないらしい。

 その証拠に、隠れやすそうな体育倉庫に目を付けてそちらの扉を開けている。


 タブレットは先ほどの教室に置いてきてしまったが、幸いスマホは落とさずに持ってくることができた。

 見ると、カルアちゃんからのメッセージが届いている。


『ユージさん、無事ですか!?』


 咄嗟の判断だったので、彼女を一人残してきてしまったことは申し訳ない。だが、財王さんと鉢合わせるようなことにならなくて良かった。


『俺は大丈夫。今は体育館にいるから、他の場所はフリーになってるよ』


『わかりました。それなら、私は他の場所をもう一度探してみます。ユージさん、気をつけてください』


『了解』


 無事を確認できたことで一安心だが、問題はどうやってここから脱出するかだ。

 体育館の出入り口はひとつしかないので、このまま走り出していっても間違いなくバレるだろう。

 走り続けるにしても限界があるし、恐らく体力に関しては財王さんの方が上だ。長期戦の鬼ごっこは不利になる。


 そう考えながら俺はステージの袖の方に移動をする。

 財王さんから逃げることも考えなければならないが、一番の目的は人形探しだ。財王さんだって、俺のことを探しながら人形探しも並行しているのだろう。


(ここに俺の人形があれば、ロウソク部屋まで走ってもいいんだけどな)


 物事がそう上手くいくはずはないとわかっていながらも、期待を持ってしまうのは仕方のないことだろう。

 もしくはこうしている間に、カルアちゃんが自分の人形を見つけてくれているのが一番いいのだが。


「……うわっ」


 そんなことを思いながら横歩きに移動していた俺は、何かぐにゃりとしたものを踏んだことで思わず声を漏らしてしまう。

 慌てて口を両手で覆って耳を澄ませてみたが、幸い倉庫の中にいる財王さんには聞こえていなかったようだ。

 むしろ動作が乱雑なのか、倉庫からの物音で財王さんがまだそこにいることがわかって助かる。


 そっとしゃがみ込んだ俺は、恐る恐る踏みつけてしまったそれを拾い上げた。


(……マジか)


 幕の裾に、隠すように置かれていたもの。それは、カルアちゃんの人形だった。

 ステージ袖や体育倉庫ならまだしも、ほとんど視界の自由は無い幕の裾。こんな場所は、普通に探していたら見落としていたかもしれない。


 これは、最大のチャンスだ。


『カルアちゃんの人形見つけた! 教室で待ってて』


 そう送ったのだが、先ほどはすぐについた既読の文字が今度はなかなかつかない。

 彼女も人形を探しているので、そちらに集中しているのかもしれないが、どこかで入れ違いになることだけは避けたかった。


「こっちにいねえってことは、隠れ場所はソコだなあ? ユージ、いい加減出てきやがれ!! マジでブッ殺されてェのか!?」


 財王さんの声と足音が近づいてくるのがわかって、俺は再び息を潜める。

 人形だけは絶対に手放さないように、コートのポケットへと押し込んでから様子を窺う。


 俺がいるのはステージの上手かみて側だが、財王さんの声が聞こえるのは下手しもて側からだ。

 彼がステージに上がってくるタイミングを見計らって走り出せば、捕まらずに抜けることはできるだろう。


 一度彼を撒いてどこかに身を潜める必要はあるが、時間が無いので隠れ場所のシュミレーションをしている暇はない。

 財王さんがステージに続く階段を上がりきった瞬間、俺はステージを飛び降りる。


「っ!? この野郎、待ちやがれ!!!!」


 走り出した俺を、怒号で止めることなどできはしない。

 このまま心臓がちぎれたっていい。


 人生の中で一番というくらい、俺は自分にできる全速力で校舎を駆け抜けた。

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