第3話

「勇人、お風呂上がったからどうぞー」

「ありがとー」

 同棲生活を始めて三ヶ月が経てば、にも徐々に慣れてきた。

 僕は洗面所で脱いだ服で手を包むと、戸が開けっ放しになっている浴室に入って水道の蛇口を捻る。冷水が湯気の立つ浴槽に勢いよく落ちていく。

 風呂を上がり、ドライヤーの冷風で髪を乾かす。すると明美がテーブルにマグカップを置いた。

「コーヒー飲むでしょ? 結構冷ましたけどどうかな」

「うん、ちょうど熱々でいい感じ」

 湯気の立たないコーヒーに息を吹きかけて少し冷ましてから飲む。普段の食事も同じような感じだ。

『温度差に気を配りましょう』

 病院で貰ったマニュアルの最初のページに大きな文字で書いてあった。

 体温が違えばその温度差も違う。明美にとって『あったかい』は僕にとっては『熱い』になるのだ。言葉で言うのは簡単だが、生活に潜む温度差を改めて見直すのはかなり大変だった。

 風呂は冷水で温度を下げなければ入れない。ドライヤーの温風は僕にとってバーナーの火に近い。気温の低い時間帯は、明美に触れることすらできなかった。これまで二十年以上の生活を根本から変えるのに何度失敗し火傷したかわからない。

 その度に「気付けなくてごめんなさい」と謝る明美を見るのも心が痛んだ。

「明日朝から会議なんだよね。プレゼンしなきゃいけなくてさ」

「おお。なんかかっこいいなプレゼンって」

「あはは、大したことじゃないよ」

 僕は内定の決まっていた企業を辞退した。というよりも法律によって辞退させられた。

 四季病患者には生活補助金が毎月支給される。通常の新卒サラリーマンの月給とあまり変わらない金額だ。場合によっては、選択肢は少ないが住む部屋も与えられる。

 その代わりに就職は禁止とされていた。

 会社や通勤電車という不特定多数の集まる場は四季病患者にとって危険な場所で、会社側も患者への配慮を確約できないからだという。明確に一年という期限がついているため、国も補助がしやすいのかもしれない。

「夏になったら少しマシになるかな」

「そうかもね、みんなと体温が近付くから」

 しかし、僕たちの考えは甘かった。

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