第11話 人助けすることになりました 4

「おはよう、伊織くん」

「やあ、藤澤さん」


 ある週末の朝、俺たちはいつものスーパーの駐輪場で再会した。

 藤澤さんはエプロンをかけておらず、ボアジャケットにロングズボンと外出用の服を着ている。

 そして彼女は布で包まれた長い棒状のものを背負っていた。


「こうして会うのは本当に久しぶりだね」

「あれから色々あったからなぁ」


 どこか懐かしむ様子で話す藤澤さんの顔は、前回会った時とは見違えるほどに血色がよくなっている。

 佳那に言わせれば「いつもの元気な藤澤先輩に戻った」と言ったところか。

 


 あの後、梶原たちは事前に通報しておいた警察によって逮捕された。

 それによって藤澤さんが受けていた虐待や暴行の数々も白日の下に晒されたのだ。


 しかし同時に新たな問題も発生した。

 それは藤澤さんやその弟たちをどうするか、というものだ。

 今回の事件で逮捕された者の中には藤澤さんの母親も含まれている。

 そうなると藤澤さんたちを育てることが出来るのは父親だけということになるのだが、彼女の父親はもう何ヵ月も家に帰らず生活費だけを振り込むという生活を続けていた。

 そんな人間がはたしてまともに子供たちを育てられるのか。

 児童相談所はそう考えて、場合によっては藤澤さんたちを児童養護施設に入所させることも検討していたという。


「そういえば弟さんたちはどうしてるの?」

「おじいちゃんとおばあちゃんのところで元気にしてるって。ほら」


 藤澤さんが見せたスマホの画面には元気そうにはしゃぐ彼女の弟たちと、それを温かく見守る老夫婦の姿があった。


 藤澤さんたちが置かれた状況を知って真っ先に声を上げたのは、前々から連絡が途絶えていることに不安を抱いていた遠方に住む父方の祖父母だったという。

 藤澤さんの祖父母は本当にあの父親の親なのかと思わせるほど善良な人だったらしく、全うに子育てをしてくれているらしい。


「でも本当に良かったのか? こっちに戻ってきて」

「……うん。何だかんだ言ってあの家には思い入れがあるし、それに卒業式は皆で出たいからね」


 そう、藤澤さんは祖父母の下へ行かなかったのだ。

 もちろん祖父母からは猛反対を食らったらしいが、それでも彼女は必死に説得し続けてあの家で暮らし続ける許可を貰ったらしい。

 正直に言って俺も藤澤さんは彼女の祖父母と一緒に暮らした方がいいと思っているのだが、まあ当人がそうしたいと言っているならそれでいいのだろう。


「そういえば、あの人たち取り調べでおかしなことばかり話してるらしいね。怪物に襲われたーって」

「ああ……」


 聞くところによると梶原たちは『化け物に襲われた』『早く逃げないと殺される』などと主張しているらしい。

 また藤澤さんの母親は『突然リビングの扉が氷漬けになった』と語っているという。

 警察は当時彼らが極度の酩酊状態にあったことから、酒に酔って幻覚を見たということにしているらしいが真実を知っている俺からするとどう答えたらいいのか迷う話だ。


 あの日、『空間転移魔法』で藤澤さんの家に突入した俺はまずリビングの扉を『氷結魔法』で氷漬けにして彼女の母親が乱入してこないようにした。

 その後に藤澤さんたちを外へと逃がして梶原たちを気絶させると、俺は部屋の窓から脱出して何事もなかったかのように自分の部屋へと帰ったのだ。

 そして俺と藤澤さんの家は普通の人間なら全力で走っても片道で30分は必要なほど距離が離れているのだが、あの事件はたった10数分の間に全てが終わってしまっている。

 

 どうやら梶原は取調室に連行された時には俺のことを思い出して「伊織修は怪物だ!」などと話しているらしいが、こうしたこともあって刑事にはまるで相手にされていないらしい。


「せんぱーい!」


 そんな風に談笑していると、遠くから佳那の声が聞こえてくる。


「遅いぞ、佳那」

「お兄ちゃんうっさい。それより久しぶりですね、藤澤先輩!」

「うん。久しぶりだね、佳那ちゃん。元気そうでよかったよ」

「はい! 先輩が戻ってきてくれたおかげで超元気です!」


 そんな佳那の背には藤澤さんが背負っているものと同じ布に覆われた長い棒――竹刀が担がれていた。

 そう、今日は藤澤さんが数ヵ月ぶりに道場へ通う日なのだ。


「じゃあお兄ちゃん、ちゃんと洗濯物干しておいてよね」

「へいへい、わかってますよー」

「それじゃ、行きましょ! 藤澤先輩!」

「あっ、ちょっと待って」


 藤澤さんが突然こちらに戻ってくる。

 何か忘れ物でもしたのだろうか。そんな風に考えていると。


「……本当に、本当にありがとう。伊織くん」


 藤澤さんは耳元で囁くように言う。

 そして―――。



「それじゃ、また来週」

「お、おう」


 そう言って藤澤さんは少しはにかむと、佳那の下へ走って行く。

 

「さ、さーて。帰ろうかな?」


 思いがけない展開に若干どぎまぎしながら、俺は家に帰ったのだった。

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