第51話 パンデモニウム㉗

『気合い入れていくよ、透。』

 闇虚はそう言うと、呆然と立ちすくむ透から身体の主導権を奪った。今の透にとって、彼女のそんな意気軒高な態度は、救い以外の何物でもなかった。今の彼だけでは、思考を巡らすことすら出来なかったであろう。

 ペーターもチェザーレも闘争の意思を固め、戦闘態勢に入った。だが相手は人間とは全く違う野生動物である上に、常識的な知識の範疇におけるペンギンとは明らかに生態が異なっていた。どう対処すべきか、彼等の経験だけでは推し量ることすら出来ない相手であった。

 壁を滑っていたペンギンの一体が、ヒレを岩壁に叩きつけ、宙に舞った。そして嘴を槍の様に突き出すと、弾丸の如き挙動で闇虚に迫った。その嘴の先は、明らかに彼女の頸動脈を狙っていた。

 闇虚は、眼前数十㎝の距離まで接近したペンギンの横面を思い切り殴りつけ、岩壁に叩きつけた。頭蓋骨の割れる音なのか、頭皮の裂ける音なのかは分からない生々しい音が響き、ペンギンは沈黙した。

 闇虚がペンギンの一体を打倒すと同時に、周囲を滑走していたペンギン達が一斉に騒ぎ出した。甲高い無数の咆哮が洞窟内に反響し、比喩ではなく本当に空気を揺さぶっているようであった。同胞の死が、ペンギン達を猛り狂わせたのかもしれない。闇虚達を取り囲んでいたペンギン達は1匹、また1匹と次々に跳躍すると、四方八方から彼等に飛び掛かっていった。

 ペーターの振るうナイフが一閃し、飛び掛かってきたペンギンの首筋を切り裂いた。チェザーレの車椅子から電磁誘導で放たれたポイントが飛び掛かってきたペンギンの群れを縦横無尽に切り裂いた。だが、彼等の奮戦も明らかに多勢に無勢であった。何しろ、ペンギンの群れは軽く見積もっても闇虚達の10倍以上はいるのだ。どう考えても、全て打ち負かすなど不可能であった。

「こっちが明らかに不利だ! 一旦トンネルの方まで戻ろう!」

 チェザーレが舌打ちしながら叫んだ。

『その方がよさそうだね。』

 闇虚もペーターも、特に異論は唱えず、チェザーレの言葉に従った。物量差が如何ともし難いのは、戦闘狂の彼等も十分理解していた。

 襲い来るペンギンの群れを蹴散らしながら、闇虚達は先程通り抜けてきた隧道まで後退しようとした。だが――

「クソッ! 先読みされたか!」

 隧道の入り口は、既に夥しい数のペンギンの群れによって埋め尽くされていた。けたたましい威嚇の鳴き声を張り上げるペンギンの群れに、チェザーレは舌打ちしながら悪態をついた。

『前門も後門もペンギンだらけ、か。さーて、どうするかね。』

「こんな状況で何で冗談なんて言えるんだよ⁉」

 透はあまりにもふざけた物言いの闇虚に心の中で突っ込みを入れた。

「どうする? 泳いで向こう岸まで行くか?」

 こちらも冗談なのか本気なのか分からないペーターが、ナイフを手元で弄びながら言った。

「つまらない冗談は止めろ。水中でペンギンの遊泳能力に勝てる訳ないのは子供でも分かるだろ? クソッ! こんな所で使いたくは無かったが……」

 チェザーレは苛立たし気に車椅子のグリップ部分を取り外すと、隧道の入り口を埋めるペンギンの群れ目掛けて投擲した。

 一瞬の間をおいて、隧道の入り口をペンギンの群れごと吹き飛ばす爆発が起こった。チェザーレが投擲したのは、車椅子のグリップに偽装した手榴弾だったのだ。

「急げ! すぐにペンギンどもが向かってくるぞ!」

 爆音の残響に負けじとチェザーレが叫び、車椅子の徹脚を展開させた。爆発の硝煙は煙幕の如く周囲に広がっていたが、チェザーレは構わず車椅子を先に進めた。闇虚とペーターも、硝煙を吸い込まないよう口を手で覆うと、その後に続いた。

 爆発に巻き込まれたペンギン達は殆どが吹き飛んで肉片となり飛び散っていた。生き残っていた何匹かと周りにいたペンギン達も、何が起こったのか分からず、白煙の中でただひたすら混乱している様子であった。だが、チェザーレ達がペンギンの仲間達を蹴散らしながら隧道の入り口に進んでいく様子を見るにつけ、彼等の意図を汲み取る者も現れた。

 何匹かのペンギンが地面を滑り、さながらボーリング球かアイスホッケーパックの様に、チェザーレ達の足を狙って突進してきた。闇虚とペーターはそんなペンギン達を巧みに躱して頭部を踏み躙りながら、チェザーレは車椅子を昆虫の脚の如く変形させて躱しながら、隧道の入口へと飛び込んだ。

 隧道内に闇虚達が飛び込むと、不思議とペンギン達はそれ以上の追撃を行ってこなくなった。入口付近にも、少なくとも隧道内から視認できる範囲には、ペンギンの影すらも見えなくなっていた。

「諦めたのかな……」

 透はひとまず安堵しながら言った。

『諦めてなんかいないよ。今の所このトンネルの中では連中が不利なのと、急ぐ必要が無いから黙っているだけ。』

 闇虚が警戒心を緩めることなく言った。

「多分その通りだ。このトンネル内ではどうやっても少数対小数で真正面からの戦いになる。そうすれば必然的にペンギン側の犠牲も増える。だから、敢えて入って来ないんだ。」

「それに加えて、多分連中は恐らく、俺達に退路が無いことも知っている。俺達が生き延びるためには、ここから出なければならないことも知っている。だから急ぐ必要が無い。」

 忌々しげに語るチェザーレの言葉に、ペーターが淡々と相槌を打った。

 闇虚とペーターは、先程の爆発で崩落した隧道の岩屑を入り口付近に転がし、簡易なバリケードを造り上げた。これでひとまず、ペンギンの侵入は防げる筈であった。

「さて、これからどうする……?」

 チェザーレは唇を噛みながら考え込んだ。取り敢えずペンギン達の猛攻を躱すことは出来たものの、先に進むためにはどうしても地底湖を通り抜けなければならない。だが、あの凶暴なペンギンの群れ相手では、どう考えても多勢に無勢であった。

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