第50話 パンデモニウム㉖

「成程な。見ろ、地底湖だ。」

 一方のペーターは、そんな二人に目もくれず、隧道の先に現れた巨大な地底湖を指さした。

 直径数百メートルはあろうかという、巨大な地底湖であった。照明によって照らされてはいるが、地底ということもあってか水の透明度はゼロに近く、真っ黒な底無しの闇が満ちているように見えた。

「……まさか、泳いで渡れっていうのか?」

 透が唖然としながら言った。彼は泳げない訳ではなかったが、こんな不気味な地下の水溜りを遊泳するのは御免被りたかった。

「よく見ろ。地底湖の縁に沿って、歩道が向こうまで続いている。よく見るとずっと向こうに出口みたいな光が見える。」

 チェザーレが呆れた様子で、前方を指さしながら言った。彼の言う通り、地底湖の周りを囲むように歩道が対岸まで続いている。そしてその先には、微かであるが、木漏れ日の様な光芒が揺らめいているのが見えた。

「……」

 ペーターは、押し黙っていた。顔つきが先程と変わっていた。いつの間にか彼の表情は、透が何度も見てきた、連続殺人鬼としてのそれに変容していた。

『うん、分かるよ。ここは「敵」の巣だ。』

「闇虚? どういうことだ?」

 いつの間にか透の心の中で目覚めていた闇虚が、ペーターの横顔を見て楽しげに笑った。つまり、透にとっては悪いことが起こる前兆であった。

『どうもこうも無い。言葉通りの意味だよ。ここは私達の「敵」の根城。ほら、坊やの方も気付いたみたい。』

 闇虚に促され、透はチェザーレの方を見た。先程から、車椅子のディスプレイを食い入るように見つめていた彼の表情は、今や周囲を突き刺す程の警戒心を露にしていた。

「さっきから音響センサーに生じていたノイズの発生源は、やっぱりこの地底湖だ。人間の耳には聞こえない波長域の音が、反響して、攪乱を生じさせているんだ。しかもその音は、一つや二つじゃない。幾つもの音が重なって……そうか、会話しているのか。」

「会話……?」

 チェザーレの言っていることが分からず、透が思わず聞き返したのとほぼ同時に、突如として地底湖の水面が破裂し、水柱が吹き上がった。

「⁉」

 突然の出来事に、透達は思わず後ずさった。

 吹き散る水飛沫から顔を守りつつ、透は一体何が起こったのか、薄目を開けて何とか見極めしようとした。

 水面を破裂させて中空に飛び上がった「何か」が、生肉を叩きつける様な音を立てながら、透達の前方数メートルの位置に、着地した。

 最初、透はそれが、巨大なボーリングのピンのように見えた。真っ白で、徳利の様な形状をした、1.5m程の大きさの「何か」――。だが目が慣れてくるにつれて、透は自分の見立てが完全に間違っていたことに気付いた。

 彼等の目の前にいたのは、ペンギンであった。全身真っ白の、巨大なペンギンだったのだ。

「はぁ……?」

 透も、ペーターも、チェザーレも、3人とも目の前の光景に唖然となった。だが、それも長くは続かなかった。

 そのペンギンが水面から現れたのが何かの相図であったかのように、地底湖の水面が騒めきだした。まるで湖そのものが意思を持っているかのように、どす黒い水面が波打ち、のたうち、荒れ狂った。波飛沫は、透達を威嚇するように、彼等の周囲に霰の如く降り注いだ。一方のペンギンは、まるでそんな荒波を鼓舞するかのように、彼等の眼前で両腕をばたつかせていた。

「何なんだよこれ!」

 訳の分からぬ状況に、透は叫んだ。ペーターは無言であったが、その顔からは先程までの笑みが消えていた。この状況は、彼にとってもただならぬものであることを、その表情が如実に表していた。

「風の無い地底湖でこんな大波が発生する筈が無い! これは……!」

 ただ一人チェザーレは、眼前で起こっている異常現象を冷静に見極めようとしていた。だが、彼が答えを出すよりも早く、荒れ狂う地底湖は、その実相を露にした。

「これは……」

 3人とも、目の前の光景にただ絶句した。

 地底湖の湖面を騒めかせていたのは、波ではなかった。凄まじい数のペンギンの群れがまるで一個の生き物のように、水面下で蠢いていたのだ。その様子はさながら、湖面全体を覆う巨大なアメーバであった。

『へぇ、凄いじゃん。』

 異常極まりない状況で、闇虚一人が笑っていた。先程のエディとの不快極まる会話に比べれば、今の彼女にとってはどんな異常事態も笑い事なのかもしれない。

 やがてペンギンの群れは四方に弾け、岸の上に跳ね上がった。そしてそのままの勢いで、腹這いのまま縦横無尽に滑り始めた。剥き出しの岩面や切り立った岩壁も関係なく、文字通り縦横無尽の滑走であった。信じ難いことであったが、ペンギン達は陸の上であっても、水面下を泳ぐかの如く自由自在に滑走していた。透は飛沫が吹き荒ぶ中目を凝らし、地底湖が存在する巨大洞窟内の地面や岩壁が、不自然な程に摩耗していたことに今更ながら気付いた。恐らく、ペンギン達が洞窟内の陸の上を滑り始めたのは、気の遠くなる程昔からのことであったのだ。それにより洞窟内は、ペンギン達の滑走に適した形に変形してしまっているのだ。一体どれほどの時間を要したのか、全く見当もつかないが、この場所は紛れもなく、ペンギン達の遥か昔からのテリトリーであるのは明白であった。

 ペンギンの群れは、巨大洞窟内を四方八方縦横無尽に滑り回りながら、徐々に透達を取り囲むようなフォーメーションを取り始めた。それが意味するところは、誰の目にも明らかであった。

「冗談だろ……」

 こいつらは自分達を「狩る」つもりでいる。3人とも、そのことをはっきりと自覚した。

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