第46話 パンデモニウム㉒

「そろそろ、ご自分でもお気づきになられたのではないですか?」

 畳みかけるように、エディが言葉を続けた。

「透、貴方は決して「ただの人間」などではないのです。普通の人間であれば、凶悪な殺人鬼に等しい人格が自分の中にいることなど、決して許容できるものではありませんし、耐えられるものでもありません。ですが貴方は、闇虚さんの存在を受け入れるだけでなく、彼女と共存共生に等しい関係を築いている。これは、過去に確認された解離性同一性障害の事例には殆ど見られなかった事例です。」

「景村さんやペーターのような、自分以外の怪人に対してもそうです。貴方は、最初の内こそ彼等に対して警戒心や嫌悪感を抱きましたが、時間が経つにつれてそれらの感情はほぼ消え去り、今では彼等の存在を許容している。仲間意識に等しい感情が芽生えている。と言ってもいいかもしれません。」

 透は、言葉を失っていた。自分が目を向けることの無かった内面を、姿なきエディの声は、的確に見透かし、言葉にして彼に投げつけていた。恐怖とも困惑とも違う、奈落の底に飲み込まれていくような虚無の感覚が、透の心を囲繞した。

『マズい……!』

 透の様子に危機感を覚えた闇虚は、無理矢理にでも肉体と精神の主導権を彼から取り戻そうとした。これ以上、透にエディの言葉を聞かせるのは、危険を通り越して最早自殺行為に等しかった。

 透の存在を、この女の好きにはさせない。闇虚の心は、強迫観念にも近い衝動に突き動かされていた。

 呆然自失となっている透の自我意識の首根っこを捕まえた闇虚は、無理矢理彼を意識の奥底に沈め、身体の主導権を取り返そうと試みた。

『⁉』

 だが、闇虚のそんな試みは、脆くも崩れ去った。

 透の意識は、闇虚の存在をはねのけた。まるで彼の意識の周囲に見えないバリアが張られているかのようであった。

『あの女……!』

 エディの言葉が、透の意識を完全に捕らえ、他の何者も寄せ付けぬ虜にしているのだ。闇虚は、直感的にそう理解した。

「透、段々と自分でも分かってきたのではないですか? 貴方は、ある意味で他のどんな怪人達よりも異常で特異な存在なのです。怪人という異常極まりない存在と対峙してなお「普通」であり続けることが出来るという点において。」

 エディの言葉は、まるで本の朗読のように淡々と続いた。

「例えばつい先程、あなた方が遭遇したエルマー・クライン。彼の作品は人間の深層心理に作用し、精神と肉体のバランスを著しく壊乱する作用があります。透、貴方は最初こそ彼の作品の魔力に飲み込まれましたが、すぐに「慣れて」克服することが出来ました。私の知る限り、このような例は未だ確認されていなかったものです。貴方の特異性を証明できる好例と言っても良いでしょう。」

 透は、先程エルマーと戦った際の闇虚の言葉を思い出していた。

 彼女は確かにこう言った。『違うよ。慣れたのは透の方。私だけじゃ動けなかった』と。

 エディの言葉の通りであった。透は、彼自身でも気付かない内に、エルマーの異常性を許容し、受け入れることで、人間精神に作用する作品群の呪縛を無力化したのだ。そして闇虚は、そのことに気付いていた……

 透の心の奥底では、闇虚が声を張り上げ、彼の心をとらえ続けるエディの言葉を振り払おうと必死であった。だが、無駄な足掻きであった。今や透の心は、エディの言葉の完全な虜となっていた。

 彼等の傍らにいたペーターは、無言でその様子を眺めていた。エディの言葉が透にとってどんな意味を持つのか、透と闇虚との間でどんな相克が繰り広げられているのか、それは彼には分からなかった。分からなかったが、それが自分自身にとっても大きな意味を持つであろうことを、ペーターは本能的な直観で理解していた。

 だからこそ、今はただ、事の成り行きを見届けよう。ペーターは、そう心に決めていた。

「話を戻しましょう。透、貴方と闇虚さんをパンデモニウムにお招きしたのは、私が見出した貴方のその特異性を見極めるためでした。そしてこれまでの数々のデータを見る限り、私の見立てにほぼ間違いはありませんでした。貴方は、如何なる怪人の存在をも受容し、「普通の人間」として彼等に対峙することが出来る。極めて特異な特性を持つ怪人です。悪い言い方になってしまいますが、常人の皮を被った怪人、いえ「怪人が被る常人の皮」とでも言うべき存在と言えます。」

 そこまで言うとエディは言葉を切り、一瞬、静寂が周囲を包んだ。まるで、嵐の前の静けさのようであった。

「ここから先は、この話の核心となります。どう応じるかは透、貴方の自由です。」

 そう言われても、透は最早、返事を返すことすら出来なかった。心の奥底から湧き上がる底無しの恐怖と、同時に沸き起こる得体の知れない「真実」への渇望が、彼の身体を石のように硬直させ、彼を完全に身動きが取れない状態にしていた。

「先に述べた通り、貴方の存在はこの「選別」における重要なファクターの一つです。道下透という存在の特異性。如何なる怪人の異常性をも受容する精神的特性。それはきっと、怪人という存在に革新をもたらしうるものであると、私は考えます。それ故、私は貴方に、どうしても確かめておかなければならないことがあります。透、貴方という存在の、根幹に関してです。」

「俺の存在の、根幹……?」

 エディの言葉を、透は反芻するように繰り返した。まるでそれが、精一杯の返答であるかのように。

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