第45話 パンデモニウム㉑

『……絶対に看過できない奴だっていうのはよ~く分かったよ。アンタを生かしとくわけにはいかない。他人の心を覗ける奴なんて、この世にいちゃいけない。ここから出たら、アンタを必ず殺してやる!』

 逆上してがなり立てる闇虚を、透は心の中で必死に宥めようとした。彼女の怒りは、激昂などと言う言葉では足りない程、激烈なものであった。心魂そのものが焼き尽くされてしまうのではないかと透が危惧してしまう程、闇虚の怒りは爆発を止めなかった。それはまるで、姿を見せぬまま語りかけるエディの声そのものを燼滅せしめようとするかのようであった。

「私も、貴女が生き残り、再び私と相まみえることをお待ちしております。」

 エディ自身にそのつもりは無かったのかもしれないが、彼女の発言は闇虚に対する完全な挑発であった。

『テメェも怪人の一人なら、この場に現れて殺し合いに参加するのが道理だろうが! 自分だけは高見の見物か! 出て来いこの野郎!』

 岩窟が崩れ落ちてしまうのではないかと思うほどの大声で、闇虚は叫んだ。

「私はこの「選別」の主催者の一人であり、あなた方の知りえぬ情報も有しているため、そもそも参加権が無いのです。その点については、私個人としても忸怩たる思いがあります。」

『能書きはいい! 今すぐ出て来い!』

 怒鳴り散らす闇虚に対し、どこまでも平静で平坦なエディ。噛み合わない会話の応酬を、傍らにいたペーターは苦笑しながら聞いていた。

「無理だ。エディは今、イスラエル本国にいる。ここから数千キロ? 一万キロ? 離れた場所にいるんだ。出て来られる訳がない。」

『すっこんでろ、××××!』

 諫めるように横から口を出したペーターに対し、闇虚は口汚い罵声を吐き捨てた。

「いずれ必ずお会いできると、私は確信していますよ、闇虚さん。道下さんも同様です。」

『あぁ、もう! 何もかも気に入らねぇ!』

 如何に激昂しようとも、怒りをぶつける相手が目の前にいないのではどうしようもない。憤然と腰を下ろしながら、闇虚は姿を見せず声だけで自分達を翻弄するエディに憎悪の炎を燃やした。

「少し落ち着け。いくら何でも荒れ過ぎだぞ。」

 先程から闇虚の怒りに気圧されるばかりであった透が、ようやく彼女の意識下に出てきた。

『当たり前でしょ! 勝手に私の姿を覗かれたんだよ⁉ アンタにしか見えない筈の私が! こんな屈辱がある⁉』

 闇虚の怒りは、八つ当たりの如く心の中の透に対しても向けられた。

「わ、分かったから、分かったから落ち着け! そのままだと、本気で憤死しかねないぞ!」

 闇虚の迫力に圧倒されながらも、透も必死であった。闇虚の怒りは怒髪天を突くなどという言葉では到底足りない程に、彼女の中で荒れ狂っていた。それこそ、血液や髄液が逆流してしまうのではないかと、透が本気で心配してしまう程に。

「頼むから! 頼むから落ち着いてくれ! こんなバカげたことで死んじまったら、末代までの笑い者だぞ!」

 ここで死んでしまえば、末代も何も無いのだが、とにかく透は闇虚を止めることだけに必死であった。彼女の死は、即ち自分の死でもあるのだから。

『……~~~!』

 闇虚は、憤然と押し黙った。ここで怒りを抑えきれず憤死してしまえば、エディをぶちのめすことが出来なくなるどころか、彼女の口車に乗せられて勝手に死んだ馬鹿な女にしかならない。透と心の中で押し合い圧し合いする内、彼女は僅かながら冷静さを取り戻しつつあった。

「エディを何とかしたいのであれば、とにかく今は生きてここを出ることだ。そうしなければ、俺達の負けになる。」

『……分かったよ。ああ、苛つく!』

 憮然としながらも、闇虚は透の諫言を聞き入れた。確かに彼の言う通り、まずはこのパンデモニウムを生きて出ないことには、何も始まらない。

「道下さんとのお話は終わったようですね、闇虚さん。」

 それまで沈黙を保っていたエディが、突然話しかけてきた。その言葉に、透は思わずぎょっとした。

 まさかこの女には、闇虚と自分の会話まで「見えて」いるのか?

『別に不思議でも何でもないでしょ。私の姿が見えているんであれば、当然、私達の心の中も、あの女には筒抜けって訳よ。』

 透の鈍感さを非難するような口調で、闇虚が吐き捨てるように言った。

『分かった? この女はそういう奴なの。他人の心の中の秘密まで盗み見ることが出来る、最低のクソ野郎!』

 一度は鎮火しかけた闇虚の怒りが、再び燃え上がりつつあった。透は、不味い反応をしてしまったと今更ながら後悔した。

「その反応は至極当然なものです、闇虚さん。自分の心の中を覗かれて、何も思わない人間はまずいません。」

『それが分かっているなら……』

「ですが、私のこの力は、あなた方にとっても必要なものであると、私は思っております。例えば、道下さん。」

「お、俺?」

 突然呼びかけられた透は、素っ頓狂な声を上げながら、人格の前面に出た。

「貴方に見えていたもの、貴方に感じていた可能性。私にはもう、確信に変わりました。貴方を選び、ここに招待したことは間違いではなかったと、今まさに実感しています。」

「何を言っているんだ……?」

 エディの口ぶりに、透はどこか異様なものを感じた。先程までの淡々とした口調とは何かが違っていた。興味関心というか、何か期待を込めて、エディは自分に話しかけている。そんな感じがした。

「道下さん。貴方という存在は、この「選別」における極めて重要な要素の一つなのです。ある意味では、闇虚さんよりもずっと。」

 透には、エディが何を言っているのか全く理解できなかった。

 その一方で、闇虚は透の心の中で呻いていた。エディに対する怒りや憎悪ではない。「透の方が闇虚よりも重要」という言葉に、彼女は挑発ではなく、エディの別の意図を敏感に読み取っているようだった。

「何を言っているのか全く分からない。アンタのその力と、俺の存在と、一体何の関係があるんだ?」

「私以外の者であれば、貴方という存在を完全に見誤っていた。そう言っているのです。事実、ダニエルも貴方に関しては「ただの凡庸な人間である」と完全に誤診しておりました。」

 透は益々困惑した。エディが一体何を言っているのか、彼には全く理解出来なかった。だがその一方で、透の心の中には、えも言えぬ不安感が生じ始めていた。これ以上はいけない。これ以上、あの女の言葉を聞いてはいけない。心の奥底で、生物としての本能的感覚が、彼にそう警告していた。

 一方の闇虚は、氷の様に沈黙していた。彼女のエディに対する感情は、最早怒りや憎しみを完全に通り越して、純粋な殺意にのみとらわれているかのようであった。そんな彼女の様子も、透の不安に拍車をかけた。

「透。貴方は、闇虚さんの事をどう思っていますか?」

「どうって……」

 妙に馴れ馴れしく自分を呼び捨てにしたうえ、意図のよく分からない言葉を投げかけるエディに対し、透は返答に窮した。

「闇虚さんだけではありません。ペーターやチェザーレ、そしてこれまでパンデモニウムで出会った怪人達のことを、どう思い、どう感じていますか?」

「……質問の意図が全く分からない。何が聞きたいんだ?」

 エディの意図を図りかねた透は、隣にいるペーターを横目で見ながら、逆に彼女に聞き返した。ペーターは先程同様、二人の会話には何の興味も無いようであった。

「つまり貴方は、闇虚さんや、他の怪人達に対して、特に強い感情は抱いていないということでよろしいですか?」

「いや、よろしいというか、何でそんなことを俺に聞くのかが、まず疑問なんだが……」

「同じことです。この質問に意味を感じないということは、つまり貴方が「怪人」という存在に、何ら強い感情――怒りや憎しみ、嫌悪など――を抱いていないことの証左です。」

 その言葉を聞いた瞬間、透の心は、石の如く固まった。心が、本能が、エディの言葉に根源的な恐怖を感じ取り、無意識に強固な防御態勢を取ったのだ。

 「これ以上、この女の言葉を聞くな!」。透の心の奥底から、無意識の本能的警告が炎の如く立ち昇った。これ以上エディの言葉を聞き続ければ、自分という存在の根幹は、完全に崩れ去ってしまう。理屈を超えた直感的恐怖が、透の心を焼き焦がし、真っ黒に染めた。

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