第40話 パンデモニウム⑱

「流石だな。この場所にも、もう慣れたのか。」

 エルマーの去就には最早一切関心を示さず、ペーターは後ろで成り行きを見守っていた闇虚に声をかけた。

『違うよ。慣れたのは透の方。私だけじゃ動けなかった。』

 どこか得意げに、闇虚が言った。

「あの男が、ねぇ。」

 ペーターの方は、闇虚の言い分をあまり信じていない様子であった。

『そう。透はああ見えて、どんな異常な人間、どんな狂った状況でも、許容して順応できる。私と身体を共有できるのもそのおかげ。そして、亜唯やアンタを受け入れられるのも、そのおかげ。』

 そう言う闇虚に対し、透は「いや、ペーターのことは許容していないぞ」と心の中で声を上げたが、彼女は無視した。

「全く理解できないが、まあそういうことにしておいてやる。」

 ペーターは既に興味が失せた様子で、ぞんざいに返答した。

 そんな彼等に、どこからともなく声をかける者がいた。

「これでまた一人脱落となります。おめでとうございます、ペーター、闇虚さん。」

 薄暗い螺旋階段の中に、エディの声がいつも以上に無機質に響いた。闇虚は思わず声の主を探して周りを見回したが、人影はおろか、カメラやマイクの類さえ見つけられなかった。

「お祝いの言葉より、そろそろ次の情報開示でもして欲しいんだがな。お前の言う「選別」とやらもある程度は進んだんだろう?」

 ペーターは、突然どこからともなく声をかけてきたエディに驚くことすらなく、率直に自分の疑問をぶつけた。彼にとって、エディがどこからか自分達を監視していることなど、驚くに値しないことのようであった。

「選別は想定以上のペースで進んでおります。50名以上いた怪人達は、今や半分以下の20名程度まで絞られました。私やダニエルが予想していたよりも、相当早いペースです。」

 ペーターはエディの言葉に「そうか」とだけ呟くと、そのまま言葉を切った。どうやら彼にとっては「自分がこれから対峙するであろう怪人達の数」こそが最も重要であり、それ以外の情報は不要な様子であった。あるいは「これ以上問い質してもエディは何も教えない」ということを、感覚的に知っていたからかもしれなかった。

『想定以上に順調です、ってのはいいんだけどさ』

 姿なきエディに対し、闇虚が威嚇するような口調で訊く。

『私としてはどうも気に入らないんだよね。私達以上に怪物じみたアンタが、私達を監視して高見の見物をしているっていう状況がさぁ。』

「確かに、闇虚さんの言う通り、私もある意味ではあなた方と同列の存在です。」

 喧嘩を売るような態度の闇虚に対し、エディはいつもの調子で返答した。

「ただし、私はあなた方を集めた者。あなた方は、私に集められた者。その点だけは、厳然と線引きをしております。」

『成程ねぇ。じゃあその「線引き」とやらをブチ壊せば、アンタも私達と同列って訳だ。』

 いつになく挑発的で好戦的な態度の闇虚を、透は危惧し始めた。

「闇虚、何をそんなに興奮しているんだ。ちょっと落ち着け!」

 透は心の中で、必死に彼女を宥めて押し止めようとした。

『うるさい! コイツにいい様にされている状況が気に食わないんだよ、私は!』

 逆上したように闇虚が叫んだ。透だけでなく、隣にいたペーターまでが、唖然として彼女の方を見た。

『……やだなぁ。透が変なこと言うから、本気になって怒っちゃったじゃん。カッコ悪、私……。』

 柄にもなく感情的になってしまってことに居心地悪くなってしまったのか、闇虚は若干赤面しながら、心の中に引っ込んで行った。

「俺、何も変なこと言ってないけど……?」

 訳が分からないまま身体の主導権を渡された透は、きょとんとした表情でその場に立ち尽くした。

「私が突然話しかけてしまったことで、闇虚さんに余計な混乱をもたらしてしまったようです。申し訳ありません。以降は、少し気を付けるようにします。」

 エディが、無理矢理その場を締めるように言った。透は、何と言っていいのかよく分からなかった。

「仲のいいことだな、お前等。」

 いつの間にか透の傍らまで移動していたペーターが、茶化すようなことを言った。だがその表情は全く動いておらず、口調も平坦そのものであった。まるで、本当の感情を冗談で包み隠しているようであった。

「仲がいいというか……」

「さっきも闇虚の奴はお前のことを自慢していたぞ。俺みたいなやつでも受け入れられる器の大きい男だってな。」

 どう返してよいのか分からず口籠る透に対し、畳みかけるようにペーターが言った。

「買いかぶり過ぎだよ。多分、冗談で言ったんだろ。」

 透は、ペーターの態度に先程までとは違う微妙な変化を感じ取り、話を逸らすような形で、半ば無理矢理会話を断ち切ろうとした。

「率直に言うと、俺には全く分からなかった。闇虚のような俺と同じ怪物が、何故お前のようなただの平凡な人間の中で大人しくできるのか。だが、お前と行動を共にしていて、少しだが、分かった気がする。」

 ペーターは、会話を終わらせたい透の意思を全く意に介さず、言葉を続けた。その瞳には、先程までの凶悪な犯罪者のものでも、ここに来てから常に彼が見せていた全てに無関心な沈黙でもない、別の色――目の前の相手に対する関心のような感情――が微かに宿っているように見えた。

「どうやら貴方も、透をこの場に連れてきた理由に薄々ながら気付き始めたようですね、ペーター。流石です。」

 姿なきエディの声が、そんな二人を囲繞するように響いた。

「ですが、その話はここを出た後でゆっくり行った方がよろしいかと思います。そろそろ、先程の脱落者に対する「アロン」の裁定が下ります。」

「アロン……?」

 聞き慣れない言葉に、透は思わず聞き返した。

「失礼しました。あなた方にはまだお話ししておりませんでしたね。アロンはパンデモニウムの統括管理者になります。あなた方の行動を常に監視し、時に、それぞれに見合った試練や裁定を与えます。」

 エディの言葉が終わるや否や、螺旋階段の内部が不気味に振動し始めた。振動するだけではない。壁や天井が、岩屑を撒き散らしながら崩落を始めていた。床面にも無数の亀裂が生じ、耳障りな音を立てて軋みだした。

「おい、冗談だろ!」

 この状況が意味するところを本能的に理解した透は、驚きの声を張り上げた。

「確かに、無駄話は後だな。」

 そういうや否や、ペーターは脇目も振らず、上階に向けて駆けだした。

「そうだ、チェザーレ……!」

 透は、階下に残してきたままになっていたチェザーレのことを思い出した。そして、一瞬、躊躇した。

 ここで彼を見捨てれば、自分が生き残る可能性はより高くなるのではないか。

 そんな打算的な考えが浮かび、透の脚は、一歩踏み出したところでその動きを止めた。

 だが、彼が足を止めていた時間はほんの僅かであった。

 透は、余計な思考を断ち切り、階下へと駆けだした。非常事態である。考えている暇などない。彼は考えることなく、ただ自分の本能的な判断に従った。

 チェザーレは、階下でまだ動けない状態でいた。エルマーの幻惑の影響がまだ消え去っていない様子であった。

「階段が崩れる! すぐに逃げるぞ!」

 透はそう言ってチェザーレを担ぎ上げると「車椅子はどうする?」と聞いた。

 チェザーレは透に背負われたまま、震える指で車椅子の手摺のパネルに触れると「自律移動、追走」とだけ言い、そのまま気を失ったように項垂れた。

 本当にそれだけの操作でよかったのか、透には分からなかったが、事態は一刻を争う状況であった。透が意を決して上階へ走り出すと、背後の車椅子もまた、鉄脚を蜘蛛の如く動かし、主の後を追うようにその後に従った。

「便利でいいな。」

 音声コマンドだけで自律移動すら可能な、超高性能車椅子という訳である。絶体絶命の状況ながら、透は思わず感嘆の声を漏らした。

 岩屑や粉塵を撒き散らしながら崩落する螺旋階段の中を、透とその車椅子は、脱兎の如く駆け上っていった。

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