第41話 パンデモニウム⑲

 螺旋階段を登り切った先には、巨大な石造りの穹窿があった。透達がそのドーム内に転がり込むように駆け込んだ瞬間、背後の螺旋階段は、轟音と共に積み木の如く崩れ去った。

 透は恐る恐る、先程自分達が走り抜けて来た螺旋階段の出口の先を覗き込んだ。そこには、ぽっかりと地の底に続く穴が広がっているだけであった。ついさっきまで階段があったとは思えない、まるで底無しの井戸のような闇だけが広がっていた。

 未だ目を覚まさないチェザーレを車椅子の上に乗せると、透はその場にへたり込んだ。緊張の糸が解けて、疲労感が一気に押し寄せてきたのだ。

 そういえば、と透は周囲を見回した。自分達より先に駆けあがっていたペーターの姿が見えなかった。

 ドーム内は、まるで本物の古代遺跡のようであった。床には碁盤の目のように石が敷き詰められ、壁も天井も、剥き出しの石材を組み合わせて穹窿を形成している。アスファルトのような補修材は一切使われておらず、本当に古代の技術だけで造られた代物のようであった。

 透はドームの前方に目を向けた。そこには等間隔に5か所、トンネル状の入り口があった。この中のどれかを通って進め、ということなのであろうか。

「よう、遅かったな。」

 突然、トンネルの一つの中から声がして、ペーターが顔を出した。どういう訳か、彼は手にパンとホットミルクのカップを持っていた。

「な、何だよそれ?」

 古代遺跡を思わせる建造物内には全く似つかわしくない代物を持っているペーターを見た透は、思わず素っ頓狂な声を上げた。

「ああ、少し張り切り過ぎて、小腹が空いたんでな。」

「いや、そうじゃなくてさ、そんな食べ物どこにあったんだ?」

「このトンネルの中にあったぞ。入ってすぐだ。」

 ペーターは今さっき自分が出てきたトンネルの内側を指さした。

「定期的に食事や水分を補給できるように、エディ達が気を利かせたんだろう。」

「気を利かせてって……」

 透は半信半疑のまま、ペーターが指さしたトンネル内に入っていった。そこは奥行きが殆どなく、中はまるで、ビジネスホテルのバイキングのようであった。石造りのテーブルの上に籠やトレイが整然と並べられ、その中にはパンや野菜、肉類等が揃えられていた。飲み物も水、コーヒー、ミルクなどが一通り用意されている。「ご自由にお取りください」というメモ書きと共に。

「一体何なんだよ、ここは……」

 パンデモニウムに連れてこられてから、何度抱いたか分からない疑問を、透は再び抱いた。建物の設計思想も製作者の意図も、全く分からない。得体の知れない悪夢をそのまま具現化したような、そんな意味不明ぶりである。ひょっとして、ペーターやチェザーレが言ったように、本当にエディ達はゲーム気分でこの場所を造ったのであろうか。

『どうでもいいけど、私もお腹空いたな。何か食べようよ。』

「いや、流石に少しはおかしいと思おうぜ、お前も。」

 こんな状況で空腹を訴える闇虚に対し、透は突っ込みを入れた。

『おかしかろうが何だろうが、エディの奴がここにいないんだから疑問に思ったってしょうがないでしょ。答えを知りたいなら、勝ち進んであのクソ女をブチのめすしかない。さ、食べよ食べよ。』

 そう言うと、闇虚は透の身体を半ば無理矢理動かすようにして、パンや飲み物を手に取ると、ペーター達の元に戻った。

「ずいぶん遅かったな。食事にはこだわる方なのか?」

 既に食事を終えたのか、ペーターは手持無沙汰な様子で透に聞いた。

「正直な話、まだこの場所に慣れないんだ。何で古代遺跡みたいな場所の中にバイキングがある? 何でホテルみたいな場所にいたと思ったら、城の中みたいな螺旋階段になる? 俺にはこの場所を造ったエディ達の意図が全く分からない。それが不気味で不安なんだ。」

 聞いても仕方が無いと思いながら、透はペーターにそう問わずにはいられなかった。

「闇虚は何て言っていた?」

 ペーターは透の質問には答えず、聞き返した。

「どうでもいいってさ。アイツはここで勝ち進むことしか頭にないそうだ。」

 先程の闇虚との会話を思い出しながら、透は溜息をつきながら言った。

「その通りだ。確かにどうでもいい。」

 そう言うと、ペーターは地面にどっかりと座り込んだ。

「この場所がどういう意図で造られたか何て俺達には関係ない。俺達がここでしなければならないのは、ただ生き残ること。それだけだ。」

「それは、確かにそうだが……」

 先程の闇虚と同様、ペーターは透の疑問に対し身も蓋も無い正論を返した。

「もっとはっきり言えば、このパンデモニウムの構造が異形極まりない理由は明白だ。どんな物であれ、被造物には製作者の気質や性格が反映される。それだけのことだ。」

「つまり、このパンデモニウムの構造がおかしいのは、エディの……」

「そう。奴の狂気がほぼ完全に反映されている。ただそれだけだ。」

 ペーターの言葉には、一切の淀みが無かった。誤魔化しも、誇張も無い。ただ厳然たる事実のみを喋っている、そんな感じであった。

 透は改めて、これまでパンデモニウムで目にしてきた異様な風景の数々を思い出していた。もしこれが、エディの狂気――彼女が認識する世界の姿――だとすれば、彼女には、一体どのような世界が見えているのだろうか?

「俺としては、エディが言っていた「アロン」とかいうのが唯一気になることだ。」

 ペーターが微かに表情を強張らせて言った。

「ここの管理者、とか言っていたな。さっきの階段の崩落を見ると、この建物自体をある程度自由に出来るってことか。」

 つい先程の、肝が潰れる様な体験を思い出し、透は身震いした。

「パンデモニウムに関してはエディやダニエルから事前に少しは話を聞いていた。だが、管理人云々に関しては全く聞いていない。当然、さっきの階段みたいな仕掛けがあるってこともな。」

「選抜漏れした奴には容赦しないってことかな。」

 最早生きてはいないであろうエルマーのことを思い出し、透は敵ながら哀れな気持ちになった。

「それだけならいいんだがな。最終的に、そのアロンとやらが俺達の敵になるとしたら、こんなに厄介なことはないぞ?」

 そう言われて、透は最初にエディから言われた言葉を思い出した。

 このパンデモニウムには、あなた方と同じ怪人を集めた。

 ということはつまり、パンデモニウムの管理人であるアロンもまた、自分達と同じ怪人、いずれ倒さなければならない敵ということになるのではないか?

「もし、そうだとしたら……」

「俺達を常に監視し、生殺与奪の権利を握っている奴が敵ということだ。簡単にはいかないぞ。」

 最悪の可能性に思い至り、答えを口にするのを憚る透に対し、ペーターはあっさりとその答えを口にした。もしそれが本当であった場合、自分達が圧倒的不利な状況であることなど、意にも介していない様子であった。

「その、アロンとかいう奴に関して、何か知っていることはないのか? 思い当たることとか……」

「さっきも言った通り、何も無い。その名前を聞いたことすら無い。」

 エディの傍らにいたペーターが、何か有利な情報を持っているのではないかと淡い期待を抱いた透であったが、その微かな希望は無残にも打ち砕かれた。

「前にも言ったかもしれないが、俺はあくまでエディ達の「患者」だったからな。怪人集めの手伝いはしたが、具体的なことに関しては殆ど教えてもらっていない。知ろうとも思わなかったからな。」

「……なあ、ペーター。ここに来てからずっと思っていたんだが、お前、ちょっと周りの事に関して無関心過ぎないか? 自分自身のことにもまるで関心が無いように見えるぞ?」

 透は、ペーターの度を越した無関心な態度と発言に痺れを切らしたように言った。

「そりゃあ、関心が無いからな。」

 苛立ちを露わにする透の言葉に対し、せせら笑うようにペーターが返した。

「お前自身の命にもかかわる問題だぞ。何でそんな……」

「学校の先生みたいな言い方だな。」

 そう言うと、ペーターは笑った。そして、口を尖らせて自分を非難しようとする透を制するように、彼は言葉を続けた。

「自分の命とか、尊厳とか、そんなものは俺にとってどうでもいい。そんなものは、とうの昔にぶっ壊れた。俺はただ、自分のしたいようにする。それだけさ。」

「……人殺しにしか興味が無いと?」

 最初の部屋で、チェザーレがペーターに向けて言った言葉を、透は思い出していた。先程、エルマーと対峙した瞬間に、スイッチが入ったように残忍な狩人の本性を現したことからも、あれは侮辱などではなく本当の事だったのだろうか?

「もっと原始的な欲求さ。ただ、ぶっ壊したいだけだ。」

 ペーターの表情は、透と初めて出会った時のそれに戻っていた。純粋な殺意にのみ突き動かされる、生きたナイフのような貌。

「最初はただ、目についたものを片っ端から壊すだけで満足していた。でもその内、虚しくなった。道端のゴミを蹴散らしても、心は晴れない。だからエディの誘いに乗ったんだ。どうせ壊すなら、特別な連中がいい。類稀な才能を持つ怪人どもを、この手で狩り尽くそうってな。」

 ペーターの表情は、心底楽しそうであった。T大学病院で自分や闇虚と殺し合いをした時もこんな表情だったな、と透は不思議と客観的な気持ちで、それを見ていた。

「成程な。それで闇虚にあんなに執着していた訳か。」

「ああ、なかなかに楽しかった。エディに付いて行って正解だったとあの時確信したよ。」

 悪びれもせず、ペーターが言った。おかげでこっちは殺されかけたけどな、と言いたかったが、透はぐっと堪えた。

「エディとは、長い付き合いなのか?」

 透は根本的な疑問をペーターにぶつけた。この二人の関係が、透には全く腑に落ちなかったのだ。女性に対して異常なまでの嫌悪感を抱いているペーターが、なぜ彼女に従っているのか。それが全く分からなかった。

「ああ。俺が警察に捕まった時からの付き合いだから、もう3年くらいになるか。」

 ペーターは、どこか遠いところを見るような目で、語り始めた。

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