第36話 パンデモニウム⑭
イアン達は、四苦八苦しながらも長い鉄骨の雲梯を渡り、崖を回り込んだ辺りで再び屋根の上に上った。
「ひ、ひどい道中だ……」
もうしばらくは動けない、といった感じで、ハンスは屋根に倒れ込む様にへばりついた。
「ガスマスクの彼の姿はもう見えないか。追ってくる様子も無い。本当にただ、あそこにいたかっただけなんだな。」
今はもう崖の陰に隠れてしまい、姿を見ることもできなくなったガスマスクの男に、イアンは思いを馳せている様子であった。
「無視していいなら、それに越したことはないでしょ。」
一方の亜唯は、もう先程の男には興味すらないようであった。
「いや、私もそう思っている。私が気にしているのは、彼がこの「選別」において、どんな扱いになるのか、ということだ。」
そう言うと、イアンはゆっくりと歩きだした。亜唯とハンスも、足を滑らせないように気を付けながら、ゆっくりとそれに従った。海風が強い上に、足場となる屋根もそれ程頑強ではないため、風に吹かれて吊り橋の如く揺れている。ともすれば、平衡感覚を失ってしまいそうな心許なさであった。
「まあ、ドロップアウトってことになるんじゃないの?」
「普通に考えればそうだろうね。ここの責任者からの命令を無視したことになるんだから。」
亜唯とハンスは、ごく簡潔に自分の考えを述べた。
「そうだね。私も同じ考えだ。ただ、私が懸念しているのは、例えば我々を含めた他の怪人達が殺し合いをした結果、彼一人が生き残り、結果的に繰り上げのような形で彼一人が選別の栄誉にあずかる、というパターンだ。そうなったら笑えない。」
イアンは淡々と、自分の考えを述べた。
「まあ、無い話じゃないと思うけど。じゃあどうする? 一応殺しとく?」
亜唯に躊躇いはなかった。選ばれるのは4人。それは、怪人達の中でも最も優れた者達が選ばれるべきであると彼女は考えていた。ただ座っているだけの人格破綻者にその座を明け渡すことなど、考えられなかった。
「こ、こんな場所で小競り合いをしようというのか!」
せっかく争いを避けることが出来たのに、とばかりにハンスが声を上げた。亜唯の提案は、彼には受け入れ難いようであった。
イアンは、少し思案すると、口を開いた。
「そこの所はどうなっているんだろうね? 聞こえているなら答えてくれ。」
誰もいない場所に向かって、イアンは聞いた。亜唯とハンスは状況がよく分からず、目を瞬かせた。
「では、お答えしましょう。」
どこからともなく、エディの声が響いた。亜唯は驚いて周囲を見回したが、モニターはおろかスピーカーの様な物さえ見つけられなかった。
「支柱の各所に監視カメラとスピーカーが隠されているんだ。素人目にはまず見つけられないが、私の目は誤魔化せない。」
そう言うと、イアンは姿なきエディに対し、率直な質問をぶつけた。
「随分と我々の監視にご執心のようだね。では先程の私の疑問に答えてもらおうか。」
「その前に、先にお進みください。そこでは風が邪魔して、上手く言葉が聞こえない可能性があります。少し進めば、施設内への入り口があります。」
イアン達は、エディに促される通りに屋根の上を進み、そして断崖に築かれた、真っ白い矩形の建物の入り口の前までやって来た。その建物は、入り口の他には窓も何もなく、まるで遺跡の一部を思わせる様な造りであった。
「お入りください。」
再びエディの声が響き、3人は建物の中に足を踏み入れた。建物内はまるで、博物館の様な内装であった。薄暗い大広間の中に、ガラスケースが整然と並べられていた。その中には、如何なる生物のものかもよく分からない骨格標本が展示されていた。
「一体どういうつもりで造ったんだろ、こんな所。」
亜唯は呆れたように言った。先程のホールといい、ガラス張りの通路といい、施設の建築思想がまるで見えない。まるで、取り留めも無い夢の世界を継ぎ接ぎしているような印象であった。
「着いたぞ。では、先程の質問に答えてもらおう。」
眼前の状況には目もくれず、イアンは姿なきエディに対して再び訊いた。
「それでは、お答えします。最初に述べた通り、これはあなた方を選別するためのプロジェクトです。その意志が無いものは、最初から選別の対象とはなりません。」
「つまり、例えば我々が全滅し、先程のガスマスクの彼だけが生き残ったとしても、勝者はゼロ、という理解でいいか?」
「その通りです。もっとはっきり言うのであれば、現時点で先程の彼は脱落と見なしております。」
姿が見えないことにより、エディの淡々とした口調はより無機質で不気味に響いた。薄暗い博物館の様な内装も、その不気味さに拍車をかけていた。
「先程のビデオ通話の時、脱落した者は、その、然るべき処置の後、正規の療養施設に送られると言っていたね。彼の場合は、それがもう確定ということでいいのか?」
ハンスが、恐る恐る聞いた。その口調から、彼もまた出来ることならばドロップアウトしてこの恐ろしい施設から立ち去りたいと思っていることは明白であった。
亜唯とイアンは、特に何も口を挟まなかった。ハンスが脱落してくれるのであれば、それは即ち彼等自身の利になるからである。彼等が気になっていたことはただ一つ。脱落した者の取り扱いについてであった。
「厳密に言えば、最後の4人の選別が終わった段階まで生き残っていた方々に関しては、そのような取り扱いとなります。」
冷たく、機械的な声であった。死刑宣告を行う裁判官の様に、亜唯には思えた。
「と、いうと……」
「現時点で、我々が脱落した者を保護するということはありません。脱落した者は脱落したまま、最後まで生き残ってください。」
ハンスは、愕然とした。エディの言葉は、詰まる所、脱落を選択しようがしまいが、結局この怪人達の巣窟で最後まで生き残り続けなければならないことを示していた。
「だってさ、シュタイナー先生。どうする?」
亜唯は、ハンスの様子を窺うように言った。実際の所、彼女は少し失望していた。脱落した者をエディ達の方で保護してくれるならば、ハンスは喜んで脱落を選択するであろうことは明らかであった。そうすれば、彼女は一切の労力をかけず、邪魔者を一人排除できる。そして、脱落した者が保護の名目で、このゲームから排除されるのであれば、彼の「影」の脅威に悩まされることも無い。
だが、彼女のあては外れた。と、すれば――
「……一緒に進むことにするよ。いや、それ以外の選択肢はないようだ。」
観念した様子で、ハンスが言った。
「改めてよろしく、シュタイナー先生」
全く心のこもっていない口調で、亜唯が言った。ハンスは、そんな彼女の様子に気付いてもいないようであった。
「ついでに、もう一つ聞いてもいいか?」
イアンは、亜唯達の方を横目で見ながら、続けて質問した。
「先程、我々が渡ろうとしたガラス張りの通路は、我々が足を踏み入れた途端に割れだした。だが、あのガスマスクの男が先に屋根の上にいたということは、あの男が渡ろうとした際には、ガラスは割れなかったということだ。これはつまり、この施設の仕掛けを任意で操っている者がいるということでいいか?」
亜唯もハンスも、そこまでは全く考えていなかったので、思わずイアンの方を見た。
「いい質問です。お答えしましょう。」
そこまで言うと、エディは一旦言葉を区切った。
「パンデモニウム内のあらゆるシステムは「アロン」と呼ばれる管理者が統括管理しております。先程のガラス橋のような仕掛けはもとより、施設内の環境調整、生産管理、そして各所に設置されたカメラやマイク、センサー類が収集した情報整理も、全てアロンが担っております。アロンはあなた方の登録データと、施設内での行動パターンから、あの場ではああしたほうが良い、と判断したのでしょう。」
エディの解説の中に出てくる「アロン」なる聞きなれない言葉に、亜唯は怪訝そうな顔を浮かべた。
「アロン? なに、怪獣の名前?」
「ある意味で、怪獣的なものと言ってもいいかもしれません。」
冗談なのか本気なのか全く分からないエディの返答に、亜唯はどう反応してよいか分からず、困惑した。
「凡そのことは分かった。つまりその管理人とやらは、パンデモニウム内の怪人達の動向を監視し、それぞれに見合った「試練」を与えてくる。そういう理解でいいかな?」
「理解が早くて助かります、イアン。」
自分の言葉を冷静に噛み砕いたイアンを、エディは簡潔に称賛した。いつものことながらあまりにも淡白ではあったが。
「管理人なら、最初に挨拶か何かあって当然だと思うけど? 出てこられない事情でもあるの?」
亜唯は、まるで誘導尋問の様に訊いた。
「そ、そうだ。何者か知らないが、ずっと我々の行動を監視しているなんて、気味が悪すぎる!」
ハンスも亜唯に同調した。彼にとっては、耐えがたい事実であった。エディの言っていることは、つまり、全く素性の分からない他人に、自分の生殺与奪の権利を完全に握られているということなのだ。
「亜唯さん達が勝ち続ければ、いずれ相見えることになると思います。今はまだ、その時ではありません。」
どこか期待を込めた様な口調で、エディが言った。
「へぇ、じゃあ楽しみにしておくよ。」
会話の誘導に乗るつもりはないというエディの意図をくみ取った亜唯は、それ以上は何も聞かなかった。
「ありがとうエディ。取り敢えず、今の所の疑問は氷解した。我々は先に進もうと思う。」
そう言うと、イアンは亜唯達に「では行こう」と促した。
「どういたしまして。ちなみに、もしアロンの力の一端をご覧になりたければ、もう少しだけ、その場に留まるとよいかと思います。無論、どうするかはあなた方の自由ですが。」
エディは意味深な台詞を残すと、「では、ご健闘をお祈りします」といつも通りの結びの挨拶で会話を終了した。
「力の一端、とは?」
エディの言わんとすることが分からず、ハンスはイアンと亜唯の顔を交互に見回した。
「どうせ碌なことじゃ……」
亜唯が言い終えない内に、爆音と轟音が彼等のいる大広間を揺すった。
「お、おい、あれ!」
ハンスが、つい先程、自分達が通ってきた屋根の通路を指さした。
崖の向こうへ橋のように続くその屋根は、連鎖的な爆発音と共に、見る間に爆破解体されていった。バラバラに砕け散った金属製の支柱が、真下の大海へと塵のように舞い落ちて行った。
爆発音と、砕片が海面に落下する音が止んだ後は、不気味な程の静寂が訪れた。亜唯もイアンもハンスも、しばし呆然とその様子を見つけることしかできなかった。
「落伍者を救う気はない。そういうことか。」
イアンが険しい表情で呟いた。あの崖の向こう、海風が吹き荒ぶ中で瞑想していた彼は、恐らくもう生きてはいないだろう。
「上等じゃん。いいよ、そういうの。大好き。」
口調は軽々しいが、亜唯の表情は決然としていた。
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