第34話 パンデモニウム⑫

 そうした経緯で、チェザーレはこのパンデモニウムに招かれた訳であるが、彼は早くも、自分の判断が甘すぎたのではないかと後悔し始めていた。

 最初は、透もペーターも、ただの愚物であると彼は思っていた。二人とも単なる病的気質の持ち主で、一山いくらのシリアルキラーもどきにしか見えなかったのだ。

 だが、実際はまるで違っていた。チェザーレが格下としか考えなかった透(実際には闇虚だが)は、あっさりと彼を打ち負かした挙句、トラウマに等しい心の傷を加えた。チェザーレには、想像だに出来なかったことであった。たとえ車椅子というハンデがあったとしても、ポイントを初めとした各種武装と自分の頭脳があれば、丸腰のシリアルキラー風情に遅れを取るはずがない、彼はそう高をくくっていた。そして見事に、その鼻っ柱をへし折られた。

 前を進む透とペーターの背中を見つめながら、チェザーレは彼等の、引いてはエディの言っていた「怪人」という存在への認識を改めていた。

 彼等は怪物である。そしてその怪物は、異常性の指向ベクトルが違うだけで、自分と同等の存在なのだ。

 次第に冷静さを取り戻しつつある頭で、チェザーレはその事実を噛みしめていた。彼にとっては屈辱的であったが、現実として認めざるを得なかった。実際、つい先ほど、彼はその「怪物」に打ち負かされ、もう一人の「怪物」に命を救われたのだから。

 チェザーレは、以前エディに言われた言葉を思い出していた。「貴方の不幸は、自分と同じ存在が周りにいなかったこと」。彼女は確か、そんなことを言っていた。確かに、それは事実であった。今まで彼の周りには、自分と同じ人間など誰一人としていなかった。誰一人としていなかったので、他人の存在が彼自身に影響を及ぼしたことも、一度も無かった。

 今、チェザーレの目の前にいる二人の怪人は、彼の人生にとって、全く未知の異物であると同時に、初めて出会えた自分と同等の存在である。即ち彼等の存在は、チェザーレ・フォルアという人間の今後の人生を大きく変える可能性がある。自分の目の前にいる二人の怪人が、そしてこれから対峙することとなる無数の怪人が、己の人生にどんな新しい化学変化をもたらすのか。彼はそれを、とことんまで突き詰めて、自分の目で確認してみたくなった。


 会員制レストランの小さなテーブルを挟んで、ダニエルとシモンは少し早めの夕食を取っていた。

 シモン・メイスは、ダニエルのハイスクール時代からの友人であった。それぞれ別の道を行くことになった後も、こうして定期的に会食していた。シモンが政治家となり、ダニエルの事業のパトロンとなった後も、会食の話題が一つ増えたくらいで、二人の関係は特に変わらなかった。少なくとも、ダニエル自身はそう思っていた。

 話題は尽きない。ダニエルの事業のこと、シモンの近況のこと、二人の共通の友人の話題、時事問題から他愛も無いジョークまで、古くからの友人である二人は、時間も忘れて話し込んでいた。

「君の協力には大変感謝しているよ、シモン。先日、遂に「パンデモニウム」に関するプロジェクトを始動することが出来た。」

 感謝の念は尽きない、といった様子で、ダニエルが言った。

「そうか。君の長年の夢が叶ったということかな。」

 そう言って微笑んだシモンであったが、その瞳の奥には、微かな不信と疑念の色が浮かんでいた。

「夢を叶えるのは、これからさ。」

 そんなシモンの様子に全く気付かず、ダニエルははにかむ様に微笑んだ。

「成程。で、怪物團は結成できそうかい?」

「素晴らしい被験者達を揃えられたと自負している。これも全て、エディの協力のおかげだ。」

 ダニエルは自慢げに語った。シモンの瞳に宿る不信の色に、彼はまだ気付いていなかった。

「エディか。確かに彼女は、極めて貴重な人材だ。精神医学の分野だけでなく、我が国としても決して手放すことのできない才人だ。だが、その一方で――」

 自分に向けられる不信の目に一向に気付かないダニエルに痺れを切らしたのか、シモンはやや咎めるような口調で言葉を続けた。

「先日、日本政府より情報の共有があった。」

 ダニエルは、ぎくりとしてシモンの顔を見返した。一瞬、彼はT大学病院でペーターがしでかした大事件の真相が日本側に露見したのかと焦った。

「先に言っておくが、T大学病院の件ではない。あの件については、以前も言ったとおり、未解決事件として迷宮入りがほぼ確定している。」

 T大学病院の一件については、一応ダニエルからシモンにも事の仔細を伝えており、シモンは日本側の動向について秘かに探りを入れていた。てっきりその件で事態が急展開を迎えたのかと危惧したダニエルは、自分の不安が的外れであったことに、ひとまず安堵した。

「日本政府から情報共有があったのは「ディクテイター」の件だ。」

 今度こそ、ダニエルは心臓が飛び出るほどのショックを受けた。

「あれも、君が進めていたプロジェクトの一つだったな?」

 射貫くような鋭い目で、シモンがダニエルを見据える。ダニエルはその時初めて、友人の瞳に宿る不信と疑念に気付いた。それは、彼の友人としての目ではない。冷徹な政治家としての目であった。

「た、確かにそうだ。だが君も知っての通り、あのプロジェクトは失敗だった。プロジェクトは既に凍結され、今はもう……」

「そうして野に放たれた連中が今、日本国内で災害級の被害を出している。日本政府は連中に対し、事と次第によっては超法規的措置を取るとまで言っている。「ディクテイター」の創設に君が関わっている以上、イスラエル政府としても無関係ではいられない。場合によっては、君を庇いきれないかもしれない。」

 シモンは極めて冷静に、私情を交えず、淡々と事実のみをダニエルに告げた。

 一方のダニエルは、完全に言葉を失っていた。顔色は、蒼白を通り越して血の気が完全に引いていた。

「……首謀者は、やはり……」

「分からない。そうであるかもしれないし、そうでないかもしれない。「ディクテイター」とはそういうもののはずだろう?」

 息を繋ぐように、やっとのことで言葉を絞り出したダニエルに対し、シモンは突き放すように答えた。

「ダニエル、ここから先は、政治家ではなく君の友人として話す。」

 子供の様に縮こまるダニエルに対し、シモンは友人の目に戻り、宥めるような口調で話した。

「私は君の才能に敬意を払っているし、君の研究に傾ける情熱は本物であると思っている。だからこそ、今まで君に対して、最大限の支援をしてきた。それはこれからも変わらない。私は君の、友人のままだ。」

 そこまで言うと、シモンは一旦言葉を切った。まるで、ここから話す言葉が本題であると暗に語るかのように。

「だが、人には皆、己の越えてはならない領分というものがある。それを見誤ってはいけない。自分の情熱にのみ動かされる時、人はしばしば越えてはならない一線を越え、間違いを犯してしまうものだ。」

「分かっている。分かっているよ、シモン。」

 ダニエルは、シモンから目を背ける様にして、相槌を打った。一刻も早く、この場から逃げ出したい。そんな様子であった。

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