第31話 パンデモニウム⑨

 やがて、通路の向こうの暗がりから、異様な姿の人影が飛び出してきた。

 鳥であった。正確に言えば鳥の剥製のような物を頭から被った、全裸の人間であった。鳥の剥製を頭からすっぽりと被り、首から肩にかけては羽毛の様な物で覆われているが、そこから下は完全に全裸であった。下着も靴下も一切着用していない。萎びた一物を揺らしながら、何の恥ずかしげも無く、鳥人間は透たちの前に立ちふさがった。

 その鳥人間は、鶏の様な声で鳴くと、まるで本物の鶏の様に身体を揺すりながら、ヒョコヒョコと透達の方に近づいてきた。

『ねえ、これどう反応すればいいの?』

 呆れを通り越して最早憐れみに近い目を鳥人間に向けながら、闇虚が心の中で透に聞いた。

「取り敢えず、金的でも食らわせてみるか?」

 弱点剥き出しの男を打ち倒すには、それが一番手っ取り早い。だが正直なところ、こんな相手に本気になっては負けの様な気分が、透にも闇虚にもあった。

「ったく、本当に不快な連中ばっかりだ!」

 チェザーレは舌打ちすると、怒気のこもった目で鳥人間を睨みつけた。闇虚といい、目の前の変態といい、ここにいるのは彼の神経を逆なでする者ばかりであった。そして、自分がこんな連中と同列にされているというのが、彼にとっては何より耐えがたい屈辱であった。

「どけ! この鳥野郎を絞めてやる!」

 チェザーレがそう叫ぶと同時に、闇虚の周囲に滞空していた金属片が一瞬で姿を消した。そして次の瞬間、目の前の鳥人間は、全身から鮮血を吹き散らしながら、悲鳴と共に床に転がった。

 透は、今度こそ空飛ぶ金属片を見失うまいと目を凝らしたが、それでもその動きを追うことはおろか、目視することすら出来なかった。

 血だるまとなって床に転がる鳥人間を足で転がしながら、ペーターが感心したようにチェザーレに話しかけた。

「何度見ても凄い性能だな、お前のあの空飛ぶナイフ……尖頭器ポイントとか言ったか? 極小のドローンか何かなのか?」

「少し違う。ドローンの様に飛行システムを組み込んでいるんじゃない。僕がこの椅子から遠隔操作しているのさ。」

 尖頭器ポイント。それがチェザーレが開発した遠隔操作型近距離攻撃システムの名称であった。アルミ箔よりも薄く軽い、それでいて極めて強靭で鋭利な金属片を、車椅子の周囲に展開した電磁場の誘導で自在に操り、敵や障害物を裂断する。その特性上、10m以内の近距離でしか使用できないが、その範囲であれば、銃弾に匹敵する程の弾速と破壊力で相手を攻撃することが可能である。

「そのゴミ早く片付けて。さっさと先行くよ。」

 血に倒れ伏した鳥人間には最早一瞥もくれず、チェザーレは二人に命令するように言った。

 闇虚は、ペーターが床の隅に転がした鳥人間の死体を改めて確認した。鳥の剥製や羽毛と思っていた物は、よく見るとポルノ雑誌の細かい切り抜きであった。この男は、それをモザイク壁画の様に貼り合わせ、どういった心理的理由によるものかは不明ながら、それを自分の身に纏い、鳥になりきろうとしていた訳である。

「こんなクソみたいな変態と一緒にされるとはね……。本っ当に屈辱だ!」

 チェザーレが鳥人間の死体に向かって、怒気を込めて吐き捨てた。

『お前も紛れも無い変態人間の一人だよ、坊や。』

 相変わらず挑発するようにニヤつきながら、闇虚が言った。

「お前……!」

 消えかけていた闇虚に対する怒りが再燃したのか、再びチェザーレが怒りの目を闇虚に対して向けた。

「まだ自分の立場が分かっていないみたいだな。いいよ。そういうことなら、とことんまで分からせるまでだ。」

 闇虚の周囲に、再びポイントの群れが現れた。面倒臭そうに仲裁しようとするペーターを、闇虚は『黙っていろ』とばかりに手で制した。

「女だっていうのなら、股間についているモノはいらないよなぁ? 取り敢えずそれから切り落としてやるよ!」

 憤激のままに繰り出されるチェザーレの罵声を、闇虚はどこ吹く風で受け流した。

『分かってないね、坊や。』

 不気味な色を帯びた目で、闇虚はチェザーレを見据えた。その瞳に透けて見える、何か邪悪な意図に気付いたチェザーレは、不意に湧いた微かな恐怖に身体を強張らせた。

『女の心、男の身体で相手を屈服させる。これに勝る快楽は無いんだよ? 特に君みたいなクソ生意気なガキを手籠めにするのは、もう至上の快楽なの。』

「……は?」

 闇虚の言葉の意味が本気で理解できなかったチェザーレは、一瞬、完全に狼狽した状態になってしまった。そしてその隙を、闇虚は見逃さなかった。

 一瞬にして間合いを詰めた闇虚は、チェザーレの車椅子を思い切り蹴りつけ、床に叩きつけるように転がした。不意を突かれたチェザーレは、小さな悲鳴を上げてそのまま床に転がった。そして体勢を立て直す間もなく、彼の身体の上に闇虚が圧し掛かった。

『怒りに任せて手の内を見せすぎちゃったねぇ。得体の知れない攻撃も2回見せられれば大体どんなものかは推測がつく。あのポイントとかいう武器は、眼球運動が攻撃のスイッチで、右手元のパネルで細かい操作している。そんな所だろ?』

 チェザーレは闇虚に組み敷かれながら、相手の恐るべき観察眼に驚愕していた。ポイントの基本操作に関して、彼女は僅か2回見ただけで、ほぼ完全に見抜いていたからだ。闇虚の指摘したとおり、ポイントは彼の眼球運動(瞳孔及び虹彩の動き)が攻撃や待機、目標補足のスイッチとなり、細かい動きは手元のコンソールパネルで行っていた。

『バレてないつもりだった? あんなドギツイ目でいちいち相手を睨んだりしたら、不自然に思われて当然でしょ。でもね坊や。目っていうのは頭のすぐそばにあるから、心の変化の影響を受けやすいの。つまり君の武器は、今みたいに相手に話術に乗せられちゃったら、もうお終いって訳。』

 勝ち誇ったように言いながら、闇虚はチェザーレを締め上げる腕に力を込めた。悲痛な悲鳴が、通路に響いた。

 ペーターは何も言わず、壁に寄りかかりながらその光景を見ていた。

『そうそう、さっきの話に戻らないとね。でも坊やみたいな子供にはまだちょっと難しかったかな? よしよし。じゃあお姉さんが君の身体で「実演」してあげよう。』

「な、何言って……?」

 闇虚は一気に捲し立てると、困惑するチェザーレの服を無理矢理脱がせにかかった。

「お、おい! ちょっと待て! 何やってるんだ、止めろ!」

 突然の闇虚の蛮行に吃驚した透は心の中で声を張り上げて彼女を静止した。

「よ、止せ! 止めろおおおっ!」

 闇虚の意図に気付いたチェザーレも顔面蒼白となり、女の様な悲鳴を上げた。

『止める理由が無いんだよね、これが。』

 非情にもそう言い放つと、闇虚は自分もズボンを下ろし始めた……

「悪ふざけもそのくらいにしとけ。」

 見かねたように、ペーターが闇虚の首根っこを捕まえ、チェザーレから引き離した。

『私をレイプしようとした男がそれ言う? ま、いいけど。』

「俺は自分がヤルのはいいが、他人のそれを見せつけられるのは大嫌いだ。いいから離れろ。」

 悪趣味としか言いようのない、怪物同士のやり取りであった。闇虚は『へいへい』と肩を竦めると、やれやれとばかりに心の中に引き返していった。身体の主導権は、再び透の方に戻っていた。

「……今回ばかりは恩に着るぞ、ペーター。」

 冷や汗をかきながら、透はペーターに礼を言うと、逃げる様にチェザーレの身体から離れた。一方のチェザーレも、必死に床を這い、縋るように車椅子に飛び移った。車椅子は、彼に手が触れると同時に自動で立ち上がり、機械的な駆動音と共に姿勢と位置を補正した。

「お前に感謝されるためにやったんじゃない。俺が不愉快だから止めた。それだけだ。」

 にべも無くそう言うと、ペーターはチェザーレの方に向き直った。

「闇虚の「初体験」はどうだった?」

「う、うるさい!」

 茶化すように言うペーターに対し、チェザーレは涙目になりながら怒鳴った。

「お、お前らは本当に最低なクズだ! あんな、あんな下品で下劣なことを……」

 怒りと動揺で、チェザーレは次第に呂律が回らなくなっており、最後は嗚咽を飲み込む様に口を噤んでしまった。

「あ、ああ、その、闇虚が済まないことをした。本当に済まない。大丈夫、病気とかは多分無いから……」

 あまりにも彼が哀れに思えた透は、先程受けた屈辱も忘れ、慰めになっているのかいないのかよく分からないようなフォローを入れた。

「そんな言葉が慰めになるか! もういい! 早く行くよ! 早く行こう!」

 案の定、チェザーレは透の言葉で落ち着くどころか、さらに癇癪を起こした。彼はもう、この忌まわしい場所から一刻も早く離れたい様子であった。

 ペーターは苦笑すると、「OKOK」とだけ言い、さっさと歩いて行ってしまった。

「そ、それから透! お前はもう絶対、絶対に僕の周囲2m以内には近づくな! 後ろにも絶対立つな! わ、分かったか!」

 震える声で、チェザーレは透に命じた。だがそれは、命じるというより、必死に自分自身に言い聞かせているように、透には思えた。

「了解。分かりました、隊長。」

 彼を茶化す意図は無かったが、透は取り敢えず軽口でその場は受け流すことにした。

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