第29話 パンデモニウム⑦

 怪人達への非人道的な通達と、質疑応答と言う名の一方的な命令を一通り終えたエディは、遠隔会議システムをシャットダウンし、一息ついていた。

 彼女がいるのはイスラエル本国にあるアジール本社の一室、自分専用に作られた特別室の中であった。部屋は一面ガラス張りで、暖かな陽光が降り注いでいる。部屋の中には、デスクと椅子がそれぞれ一つ。それ以外の調度品や機器類などは一切無かった。デスクの上にあるのも、PCと電気スタンド、そしてボトル入りのミネラルウォーターのみで、それ以外の書類や事務用品等は何も無い。

 ノックの音がしたので、エディが「どうぞ」と言うと、ダニエルが入室してきた。

「怪人達へ必要事項の伝達は終わったかね?」

「はい。問題なく終わりました。」

 ダニエルは「結構だ」と言うと、エディの傍らに立った。椅子が一つしかないので、そうするしかないのだ。

「殆どの者が、すぐに状況を理解し、動き出しています。既に脱落者も何名か出ておりますね。」

 PC上には、パンデモニウム内のマップと怪人達の所在を示す無数の光点が表示されている。光点は、緑色が現在生き残っている者、赤色が脱落者(死亡、再起不能、あるいは自らドロップアウトを選択した者)を示していた。今の所、緑色の光点が40前後、赤色の光点が10弱であった。

 怪人達の身体には、最新技術で作られたナノロボットが埋め込まれていた。一種の発信機として怪人達の所在地を知らせるだけでなく、種々の生体情報も逐一送信され、アジールのデータベースに記録されるようになっている。死亡者や負傷者の把握から、ドロップアウトを選択した者へのマーキング、大脳生理学に基づく心理状態の経過記録、そして完全とは言えないものの、会話記録や視覚・聴覚情報の記録すら可能であった。

 その他、パンデモニウム内に設置された各種カメラやセンサーの映像が、マルチ画面の様にPC上に表示されていた。

「私としては、できれば現地に赴きたかったのですが。」

 ちらりとダニエルの様子を伺うようにして、エディが聞いた。

「それは駄目だ。現状では、どんな危険や不測の事態が起こるか分からないからね。パンデモニウムの管理は「アロン」に任せてある。我々が赴くとしたら、全てが決まった後だ。」

 ダニエルは頭を振り、エディのそれとない申し出を拒絶した。止むを得なかったのだ。何しろ怪人達がひしめく孤島である。厳重な警備や重装備があったとしても、危険を完全に排除することは不可能であった。

「分かっております。無茶を言ってすみませんでした。」

 ダニエルの返答はエディにとっても予期していたものであったのだろう。彼女はそれ以上は何も言わなかった。

「すまないね。だがエディ、君には本当に感謝している。君の協力無くして、私の夢は実現しなかった。これからもよろしく頼むよ。」

 実際、怪人達の蒐集において、エディはダニエル以上に主体的な役割を果たしていた。そんな彼女の努力を無碍にしてはならないと考えたのか、彼は労うような口調で言った。

「分かっております。私もダニエル、貴方のおかげで自分自身の夢に一歩近づけました。」

 噛み合っているようで、全く噛み合っていない会話であった。そもそも、エディとダニエルでは、「怪人」という存在に対する基本的な考え方に大きく差があった。

 ダニエルは、一言でいえば、怪物の蒐集家であった。極めて特異な精神様態、類稀なる奇才を持つ人間達を蒐集し、管理し、実験する。精神科医の学術的興味というよりは、昆虫採集に興じる子供と、精神性ではほぼ同一であった。パンデモニウムと、怪人達の「選別」についても、彼は純粋な興味以上の感情はない。捕まえた昆虫同士を戦わせる、子供の様に純粋な好奇心のみが、彼が怪人に抱く感情の全てであった。

 だが、エディの方は違っていた。

「君と出会えたことが、私の僥倖の全てだ。君との出会い無くして、今の私はあり得なかった。」

 エディは、ダニエルの元患者であった。そして彼女との出会いにより、ダニエルは「怪人」という、常人とは隔絶した存在がいることを知った。鮮烈な出会いであった。そして、その後の彼の学者人生を決定づけた存在であった。

「ありがとうございます。」

 いつもと変わらない、事務的で、感情の読めない返答。ダニエルと初めて会った時から寸分も変わらない、エディの姿であった。

「そうそう、言い忘れていた。これから、シモンと会合がある。恐らく、そのまま夕食になると思う。今日はもう戻らない予定なので、何か不測の事態が生じた場合の判断は、君に一任する。判断が難しい場合のみ、連絡してくれたまえ。」

 思い出したようにそう言うと、ダニエルは軽い足取りで、部屋を後にした。

「了解しました。お気をつけて。」

 椅子に座り、PCから目を離すことなく、エディはダニエルを見送った。

 シモン・メイスは、ダニエルのスポンサーの一人であり、ベンチャー企業としてアジールを立ち上げた際も色々と便宜を図ってくれた政治家である。今は、イスラエル政府の閣僚を務めている。ダニエルとは学生時代からの知己とのことであるが、詳しい関係についてはエディも知らされておらず、また彼女自身も興味が無かった。金の動きなど、彼女の関心の埒外であった。

 エディは、じっとPCのモニターに映し出される怪人達の動向を注視していた。

 彼女は、本気で怪人達の「選別」を行うつもりであった。学術的興味などでは全くない。怪人も人であり、そして命ある存在である以上、そこには必ず差異が生じる。支配する者と支配される者、搾取する者とされる者、喰う者と喰らわれる者。それらすべてを見極め、選ばれた怪人による先鋭集団「黒い六芒星ハイヴ」を創り上げる。それこそが、エディの狙いであった。

 怪人とは、常人の理解を超える者。即ち、条理の外側にある、常人には理解しえない世界を探求しうる者である。彼等の力で、人類文明の裏側に存在する禁忌秘奥を解き明かし、闇の世界に跳梁跋扈する百鬼夜行を統率する。人知の及ばぬ領域に対する探究者、統制者を自らの手で創出するのだ。

 君らしい誇大妄想だよ、とダニエルは笑った。だが、エディは紛れも無く本気であった。

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