第26話 パンデモニウム④

「それではこれから、質問・疑義のある方々と個別にお話しさせていただきます。」

 まるで透の叫びに呼応するかのようにエディがそう言うと、モニターが一瞬暗転し、再び彼女の姿を映し出した。どうやら、部屋毎の個別会話に切り替えたようであった。

「お久しぶりです。道下さん。」

 出会った時と全く変わらない、淡々とした事務的な口調で、エディが口を開いた。

「お久しぶりじゃない。これは一体何だ? アンタ、正気なのか⁉」

 ペーターやチェザーレの鬱陶しそうな視線を無視し、透はエディに食って掛かった。

「無論、正気です。そして自分が人道的な見地から許されないことをしているという自覚も、勿論あります。」

「とてもそうは見えないけどな。」

「申し訳ございません。極力自分の感情は外に出さない性格なもので。」

 埒が明かない、と透は心の中で舌打ちした。

「こんなバカげたことをしてタダで済むと思っているのか? 俺達を誘拐して監禁した挙句、殺しあえって? 何が療養施設だ! 悪い冗談にも程がある! アンタのやってることはもう犯罪なんて次元じゃない。悍まし過ぎる!」

 激昂して捲し立てる透の様子を、エディはただ画面越しに見据えていた。表情の変化は、全く伺えなかった。

「大体、アンタがペーターと組んでやったT大学病院の大量殺人だって、日本の警察は黙っちゃいないぞ! すぐに捜査の手が……」

「その件でしたら問題ございません。日本の警察は、T大学病院における大量殺人・死体遺棄事件について、犯人の目星はおろか事件の全容すら掴めず、捜査は膠着状態にあります。ちなみに道下さん。貴方と景村さんの二人は、当該事件において公的には死亡した扱いとなっております。ですので、捜索願等も一切ありません。貴方はもう戸籍上は死人と同じなのです。」

「なっ……。」

 あまりの発言に、透は絶句し、思わずペーターの方を見た。彼はニヤリと笑うと、さも当然のような口調で言った。

「警察は常識でものを考える。常識を踏みにじる俺みたいな奴は、奴らの手に余るってことだ。」

「イカレてる……。お前ら、みんなイカレてるぞ。」

 あまりにも自身の常識を超えた状況に、透は瞼が重くなるような眩暈を覚え、現実逃避のようにそう呟いた。

『物事が分かり易くなっていいじゃん。ここにいるのは全員、私達と同じ怪人。そいつらをぶっ潰し続けてここから出る。単純なルールのゲームでしょ?』

「なんでお前はこんな状況でゲーム気分なんだよ! 少しは困ってるような表情くらいしろ!」

 泰然とゲームに取り掛かるような感覚で言い放つ闇虚に対し、透は思わず叫んだ。

「……コイツ、本当に大丈夫か? 見た所、ただの病人にしか見えないんだが。」

「ま、少なくとも俺をブチのめしたのは本当だ。」

 チェザーレとペーターは、錯乱寸前の透の様子を見て、呆れたように会話していた。

「最も、今騒いでいる男の方は、情操的には普通の人間と変わらん。こんな状況にもなれば、混乱するのも当然だろう。」

 ペーターは透の方を見ながら、半ば嘲るように言った。

「言葉を返すようだけど、こんな状況を素直に受け入れられるお前らの方がおかしい。」

 透はそんなペーターの態度に、気色ばんで反論した。

「当然だろう? お前も含めて「おかしい人間」の集まりなんだからな。」

 売り言葉に買い言葉のような応酬を繰り広げる透とペーターを横目で見ながら、チェザーレは画面に映るエディに話しかけた。

「あのアホ共は置いといて質問したい。さっき「グループで動いた方が良いと判断した者達は、同じ部屋に入れられている」と言っていたね? つまり、僕にこの連中と一緒に行動しろと?」

「私どもとしては、そう判断しました。」

 チェザーレは、面倒臭そうな目で、透とペーターを見やった。二人は不自然な程に距離を取り、明らかに険悪な雰囲気であった。と言うより、透の方が明らかにペーターを忌避している様子であった。

「あの連中が僕の役に立つとは思えないんだけどね。」

「そう思うのであれば、単独行動でも構いませんよ。我々は何も強制しません。」

 淡々と返答するエディに対し、透が横から声を荒げた。

「何が「強制しない」だ! 俺達をこんな所に閉じ込めて!」

「黙ってろ、日本人。」

 チェザーレが射貫くような視線で、透を咎めた。その迫力に気圧されるような形で、透はすごすごと後ろに下がった。

「チェザーレ以外の方も同様です。我々のグループ割に異論があるのであれば、独自に動いてもらっても構いません。」

 極めて難解な選択に、透は心の中で呻いた。本心としては、ペーターのような人間と道中を共にするのは御免被りたかったが、一体何が待ち受けているのかまるで分からない今のような状況では、単独で動くのは危険過ぎる選択であった。また、ペーターは少なからずエディやダニエルと繋がりがある人間である。ひょっとすると、透が知らないような情報も彼ならば持っているかもしれなかった。そう考えると、ペーター達と共に行動するというのは理にかなっているようにも思える。だが、先のT大学病院内での彼の行動を思い出すと、透はどうしても、積極的にその選択肢を選ぶ気にはなれなかった。

「成程、分かった。僕は、エディ、君の判断を信じることにする。」

 透が逡巡している間にも、チェザーレは心を決めたようであった。

「ペーター、透。君達には僕の手足となって動いてもらう。いいね?」

 さも当然のような口調で、チェザーレが二人に命じた。

「ま、好きにすればいいさ。」

 彼の言葉の、表面上の意味にすら興味が無いような口調で、ペーターが答えた。

「ちょっと待て。何でお前が……」

 話し合いも無いまま、いきなり自分に命令口調で話すチェザーレに対し、透は不満の意を示した。

「なあ日本人。さっきからずっと思ってたけどさ、お前ちょっと黙ってろよ。」

 チェザーレの瞳に、微かな殺意が宿った。それは、本当に微かな光であったが、透にも分かる程、明確な敵意が透けて見えた。

『マズい! 透、逃げろ!』

 危機を察知した闇虚が、心の中で叫んだが、もう後の祭りであった。

 透は最初、自分の周囲にゴミが舞っていると錯覚した。小さな紙屑のようなものが、彼の周囲にひらひらと舞っていた。よく見ると、それはアルミホイルのような光沢を持つ、万年筆のペン先の様な金属片であった。

 金属片が浮く? 透の頭にそんな疑問が浮かんだ刹那のことであった。

 彼の周囲を舞っていた金属片は一瞬の内にその姿を消し、次の瞬間、透は全身から鮮血を吹き散らしながら、床に転がった。

「があっ……!」

 訳も分からぬまま、透は血まみれになりながら呻いた。先程、一瞬にして姿を消した金属片は再び中空に姿を現し、その血に濡れた切っ先を透の方を向けている。ここにきて、ようやく透は理解した。この宙に浮く金属片が、視認不可能なほどのスピードで、彼の身体を切り裂いたのだ。如何なる力のなせる業かはまるで見当もつかないが、宙に浮く金属片から滴る鮮血が、その事実を何よりも如実に物語っていた。

「自分の立場が分かったか? お前もペーターも、僕の手足となって働くんだ。それ以外に生き残る道なんてない。」

 床に倒れ伏す透を見下ろしながら、チェザーレが冷然と言い放つ。

『透。屈辱的だけど、ここは従った方がよさそうだ。』

「ぐうっ……!」

 屈辱に歯噛みしながらも、透は片膝立ちで何とか姿勢を整えると、チェザーレの方に向き直った。悔しいが、ここは闇虚の言うことの方に分があるのは明らかであった。

「……分かったよ。分かったから、その物騒な連中をどけてくれ。」

 チェザーレが鼻を鳴らし、目で合図するのと同時に、中空に浮いていた金属片は、どこかに姿を消した。一体全体あの金属片はどこから現れてどこに消えたのか、透には皆目見当もつかなかった。

「喧嘩は相手を見てするものだ。怪人であってもそれは変わらない。」

 ペーターはそう言うと、馴れ馴れしく透に肩を貸して立ち上がらせようとしたが、彼はその腕を振りほどくと、全身の激痛に耐えながらも自分の足だけで立った。

 好意を無碍にされたペーターは「やれやれ」とばかりに肩を竦めた。

「どうやら、取り敢えずのリーダーは決まったようですね。」

 画面の向こうから彼等のやり取りを観察していたエディが、ようやく口を開いた。

「それでは、ご健闘をお祈りします。」

 心からの言葉とは到底思えない、形式的なだけの挨拶であることは、誰の目にも明らかであったが、最早透も含めて、彼女の態度に注意を払うものなど誰もいなかった。

「それじゃあ行くぞ。お前らが先頭ね。」

 車椅子にふんぞり返りながら、チェザーレが二人に命じた。ペーターは飄々と、透は足を引き摺るようにして、それに従った。

 去り際、透はモニターに映るエディに怒りの目を向け、こう言い放った。

「この借りはいつか必ず返す。覚えておけ!」

 どう聞いても、負け犬の遠吠え以下の情けない台詞であったが、透としてはそう言わずにはいられなかった。そして案の定、闇虚は心の中でそんな彼の不甲斐なさに呆れていた。

『もうちょっとさ、気の利いたセリフとか無いの?』

「うるさい! 今は頭が回るような状態じゃないんだ!」

 心の中で愚痴りながら、透は部屋を後にしようとした。

「私も楽しみにしております、透。」

 透、と初めてエディから呼び捨てで呼ばれたことに、微かな違和感を覚えた彼は、立ち止るとモニター越しに彼女と向き合った。

「私としては、闇虚さんよりも、むしろ貴方という存在の方に関心があります。それを見極めた後、もう一度、お会いすることを約束しましょう。」

「……?」

 透には、エディの言わんとしていることの意味が全く分からなかった。だが、その声色に、ほんの僅かであるが、彼女の感情のようなものが感じられたような気がした。そしてその感情が、彼のイメージしていたエディの姿とは、全く違っているような印象を受けた。

『行こう、透。』

「何してる。さっさと行け。」

 頭の中と現実世界の両方で、闇虚とチェザーレが彼を急かした。

 どこか心に引っかかるものを感じながらも、透はドアを抜け、怪人達の潜む魔窟へと足を踏み入れた。

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