第3章
第23話 パンデモニウム①
心地よい眠りの中から、道下透は目を覚ました。
「……?」
薄ぼんやりと目を開けた彼は、まず自分がどこにいるのか、そもそもにおいて自分が何故眠っているのか、その点についてまるで思い出せず、微睡みの中で困惑に目を曇らせた。
次第に意識が覚醒してくるにつれて、うっすらと、彼の脳裏に記憶が蘇ってきた。
T大学病院内で、闇虚がペーターを相手に大立ち回りを演じたこと。
亜唯の協力で、何とかペーターを昏倒させることに成功したこと。
その後、闇虚と亜唯が、二人並んで話をしたこと。
そして……
「……!」
透は、最後の記憶にようやく辿り着いた。エディ。突然現れたあの女が、得体の知れないガスを自分達に浴びせかけ、そしてそこで、意識が途切れたのだ。
透は飛び起きるようにして、自分が眠るベッドから跳ね上がった。彼の視界の中に飛び込んできたのは、広めのホテルの一室を思わせる部屋であった。ベッドが二つ並べられており、そのうちの一つに自分が横たわっていた。一体全体何故自分がこんな所にいるのか、彼には皆目見当がつかなかった。
「よう。目が覚めたようだな。」
突然隣から英語で話しかけられ、透は慌てて声の主を見た。透が横たわっていたベッドのちょうど真後ろ、窓際の壁にもたれかかる様にして、ペーターが彼の方を見ていた。
「お前……!」
透は思わずベッドから飛び降り、後ずさった。ペーターが生きていたことにも驚いたが、何より彼の様子が、病院で出会った時と全く違っていたことが、透を余計に困惑させた。
ペーターは、透に微笑みかけていた。T大学病院で見せた、残忍で嗜虐的な笑顔ではない。古くからの友人に接するかのような、馴れ馴れしさすら感じられるような笑顔であった。だが、ペーターの人となりを嫌というほど見せつけられた透にとって、彼のそんな態度は不信感を増大させるだけのものであった。
「何でお前がここにいる? そもそもここはどこだ?」
透は警戒心も露に、ペーターに聞いた。心の中で闇虚に話しかけてみたが、どうやら彼女はまだ眠っているようだった。
「そう構えるな。これから長い付き合いになるんだからな。」
透が先程まで眠っていたベッドに腰かけながら、ペーターが笑いながら言う。だがそんな彼の態度は、逆に透の心をますます硬化させた。
「言っている意味が全く分からないし、俺はそもそもお前を信用していない。俺はお前の仲間のエディとかいう女に眠らされて、気付いたらここにいた。お前らはグルになって一体何をする気なんだ? 俺をここに連れてきた目的はなんだ? 全部答えろ。」
「その質問に対して俺が答えられることは一つ。「俺にも分からない」だ。」
ペーターはにべも無くそう答えると、じっと透の瞳を見つめた。
「闇虚の方はまだ眠っているようだな。」
「お前には関係ない。」
嫌悪感も露に、透はそう吐き捨てた。
「まあいい。闇虚の方は今のうちに十分に休ませておいた方がいい。ここから先はきっと、休む暇なんてないだろうからな。」
含みを持たせたようなペーターの発言に、透は胡乱げな目を向けた。
「どういう意味だ?」
「さっきお前も聞いたよな? 俺達が今いる所がどこで、何のために集められたか。もうすぐ、エディから説明があるはずだ。どうせ碌な事じゃないだろうがな。」
ペーターはそう言うと、欠伸をしてベッドに寝転がった。透のことを舐めているのか、それとも何か別の思惑があるのかは分からないが、不用心にも程がある態度であった。
「お前も、エディが何を考えて俺たちを集めたのか、分からないってことか?」
「その通り。ここに集められた全員がそうだ。エディの思惑は誰も知らない。ひょっとしたらダニエルもな。」
「全員……?」
ペーターの発した一言に、透は引っかかるものを感じた。だがその点について聞き返そうとしたその時、奇妙な音が隣のコネクティングルームから響き、思わず彼は声を飲み込んだ。隣室から響く異音は、モーターの駆動音と、そして何かが床を引き摺るような音であった。
「そいつが君の言っていた日本人?」
突然、機械合成の音声が部屋の中に響き、透はさらに驚いた。
「そうだ、チェザーレ。」
ペーターが答えるのとほぼ同時に、隣室から車椅子に乗った黒人少年が現れた。チェザーレと呼ばれた少年は漫然と車椅子に腰かけ、まるで睥睨するようにペーターと透を見つめていた。体格的には小学生程度にしか見えない少年であった。それ以上に透の目を引いたのは、彼の乗る車椅子であった。それは高機能の最新型らしく、透の知っている普通の車椅子とは外見的な造りからして全く違う、非常にスマートな代物であった。特にチェザーレが動かすようなそぶりを見せずとも、車椅子はまるで自分の意思があるかのように調度品やベッドの間を通り抜け、透とペーターの前まで来た。
「コイツ、何か役に立つの?」
侮蔑を隠そうともしない目で透を見ながら、チェザーレがペーターに聞いた。
「ああ、実際にやり合って確かめたから間違いない。コイツも俺やお前と同じ
二人の会話を聞いていた透は「要するに、この少年も自分やペーターと同じ異常者の一人という訳か」と得心した。そして先程ペーターの言っていた「ここに集められた全員」という言葉の意味を、彼はようやく理解した。
「つまり、エディは俺達みたいな怪人を、ここに集めているってことなのか?」
「そういうことらしい。まあこの部屋にいるのは俺達3人だけみたいだけどな」
透の疑問に対し、ペーターは興味すらない様子で答えた。
「何でこんなしょうも無い連中と同室にされるかねぇ? エディやダニエルはまだ僕の才能を理解していないのか?」
チェザーレは透とペーターに何ら憚ることなく悪態をついた。透はここにきてようやく、彼が外国語(恐らくはイタリア語)を話しているにもかかわらず、自分の耳には日本語として聞こえていることに気付いた。自動翻訳システムと空間音響を組み合わせて、話し相手の国籍に合わせて翻訳した機械音声を、車椅子のスピーカーが発していたのだ。
透がしげしげと自分の車椅子を観察していることに気付いたチェザーレは、露骨に不快そうな声で、それを制した。
「汚い目で見るな、日本人。」
「ああ、すまん。」
態度の悪いガキだ、と思いながらも、透は一応詫びた。それは大人の態度というより、相手は障碍者であるという侮り故の対応であったのかもしれない。
透はペーターの方に向き直ると、率直な疑問をぶつけた。
「ここ以外にも部屋はあるのか? 一体どれくらいの人間が集められているんだ?」
「さあな。さっきも言ったとおり、俺にも分からん。」
ペーターは先程と同様、興味なさそうな声で答えた。先行き不明な今の状況にすら、全く関心が無いような様子であった。
「そいつに何を聞いたって無駄さ。人を殺して遊ぶこと以外、何も考えられない男だからね。」
チェザーレが嘲るように言った。一方のペーターは、そんな彼の言葉などまるで気にしていない様子で、ベッドに寝転がっていた。
埒が明かないと思った透は、物は試しと入口のドアノブに手をかけた。予想していたことであったが、そこは施錠されていて、内側からは開けられないようになっていた。窓の方も確かめてみたが、完全な曇りガラスとなっていて、外の様子は全く確認できない上、鍵自体が存在せず、開けることも叶わなかった。
「クソっ! 何が「行動制限も無理な治療もありません」だ! 結局閉じ込めるんじゃないか!」
透はドアを力任せに殴りつけ、悪態づいた。ペーターとチェザーレは、そんな彼の様子を冷めた様子で眺めていた。
「何だ、逃げたいのか?」
軽口を叩くような調子でペーターが聞く。
「当たり前だ。お前と一緒なんて御免被る。」
「カゲムラだったらいいのか?」
透の返答に重ねるようにして、ペーターが聞き返した。彼は瞬きもせず、じっと透の瞳を見据えていた。
「亜唯……そうだ、彼女もここにいるのか?」
共にペーターを討ち果たした(と思っていた)亜唯の姿が見えないことに、透は今更ながら不安を覚え、思わずペーターに聞き返した。
「まあ、あのアバズレ女もどこかにはいるだろうな。俺の知ったことじゃないが。」
ペーターは突き放すように答えた。亜唯のことは口にもしたくないような様子であった。彼が言っていた「女が嫌い」というのは、どうやら心の底からの本音らしかった。
では――と、透は考えた。
では何故、ペーターは「女」であるエディに従っているのだろうか?
「下らない会話は止めてくれないか? 耳障りだ。」
会話の外に置かれていたチェザーレが不快感も露にそう言った。先程から彼が見せている傲岸不遜極まりない態度と言動に、次第に透は我慢ならなくなっていたが、取り敢えず今は抑えることにした。ペーター同様、このチェザーレという少年も怪人の一人であることは、先の会話からも間違いない。即ち、常人とはかけ離れた異常性を持っているということである。手の内が分からないまま突っかかるのは危険であると透は判断した。
「そろそろ、エディからの連絡があるはずだ。見るよ。」
チェザーレはまるで命令するかのような口調で、透とペーターに部屋の中央の壁面に埋め込まれた薄型モニターを見るように促した。透が腹立たし気に従う一方、ペーターの方は特に表情も変えずにその後に続いた。透には、ペーターのこの態度が益々疑問であった。先にT大学病院で邂逅した際のギラついた感じとは全く違っていたからだ。周囲の状況はおろか、自分の人生にすら大して関心が無い。そんな印象であった。
3人がモニターの前に集まるのとほぼ同時に、画面にエディの姿が現れた。
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