第13話 箱庭遊戯⑫

 その後の病棟内は、てんやわんやの大騒ぎであった。警察が駆け付け、村川はストレッチャーに乗せられて運ばれて行き、その様子にショックを受けた患者たちが連鎖的に泣き、騒ぎ、倒れ、病棟から逃げ出そうとする者もいた。そして、駆け付けた医師や看護師が、必死に彼らを宥めていた。自宅から呼び出されたのか、真壁も私服姿で駆け付け、他の医師や事務職員と一緒に警察の対応にあたっていた。

『お祭りみたいな騒ぎだね。』

「笑い事じゃない。」

 笑いながら病棟の様子を茶化す闇虚を、透は咎めた。彼等は隔離室の中にいたが、警察の現場検証の必要性から通路のドアが開け放たれたままになっていたため、病棟の様子を少しではあるが覗き込むことができたのである。

「しかし、昼間の爆発が、まさかこの病院の駐車場で起こっていたとはね。」

 駆け付けた警官達が「未成年者略取に爆発事件に傷害事件か。どうなってるんだこの病院は!」と愚痴りながら会話しているのを盗み聞きして、透は昼間の爆発事件の概要を知った。爆発したのは、病院駐車場に停車していた車。しかもそれは、警察官の車だという。

『よく分かんないけど、この病院とは何の後腐れも無くサヨウナラ、とはいかないようだね。』

「個人的には、早々におさらばしたいんだけどね。」

 透が鉄の扉に寄りかかりながら闇虚と会話していると、警察の事情聴取を終えた亜唯が、鼻歌を歌いながら扉の前に現れた。本来、隔離室の通路に他の患者が立ち入ることは許されていないのだが、病棟の医師や看護師は、警察や患者の対応で手いっぱいで、透や亜唯に注意を向けている暇が無かった。

「事情聴取はもう終わったのか?」

「うん。だって「襲われそうになったから反撃した」以外に言うことなんてないもん。」

 亜唯は扉に寄りかかりながら、あっけらかんと答えた。先程まで殺されかけていた人間の態度とはとても思えなかった。

「高崎は?」

「今警察が行方を追ってるって。どうなるんだろうねぇ、アイツ。」

 まるで他人事のように亜唯が言った。最早興味すらない様子であった。

「元々はお前がアイツを嵌めたんだろ?」

「それは違うよ。アイツが勝手に勘違いしただけ。ある意味村川と同じだよ。「心に傷を負った少女」なら、自分の思う通りにできると思ったんでしょ。」

 吐き捨てるように亜唯が言った。

「医学部卒業して医師免許取って研修医まで行ったのに、ここで人生終わり、か。」

 高崎に同情するわけではないが、透は人の人生が一瞬で崩れ落ちる様を目の当たりにして、どこか居心地が悪い気分になった。

「別にここで躓かなくたって、いずれどっかで必ず躓いてたよ。分かるでしょ? アイツは単に勉強が出来るってだけで見逃されてきた社会不適合者。ある意味一番質の悪いタイプだよ。」

 ならば、そんな質の悪い社会不適合者の人生を破滅させているお前は一体何なんだ? と言いかけて、透はそれが、自分自身にも当てはまることに気付いた。そう、彼もまた、藤堂を初めとして、多くの人間の人生を破滅させてきた。亜唯のことを非難できる立場ではないのだ。

 押し黙ってしまった透に代わり、闇虚が身体の表側に出てきた。

『さっき村川の奴と話していた時、お父さんがどうとか言っていたな?』

「お父さん? お父さんなら、私が生まれる前にお母さんを捨てて出ていったよ。」

 やはりあの言葉は、村川を動揺させるための嘘。エディの言葉を借りるなら、亜唯の「貌」だったという訳である。闇虚の中で、透は改めて亜唯の特質について理解した。村川は、小さい子供を虐待したり、生まれたばかりの赤子を絞め殺すような異常者であるが、それは取りも直さず、彼自身が「弱者」であったためである。自分より弱い存在を加虐することで、自分の優位性を確認するという極めて原始的な生物的欲求が、彼の犯行動機であった。逆に言えば、彼にとって一番恐ろしい存在は、「自分よりも強い子供」であったのだ。亜唯は、そんな村川の心の弱さを見抜き、「お父さんに虐待されながらも、決して恐怖を抱かない子供」の貌でそのスキを突いたのだ。

『そうやって、沢山の人間の人生を翻弄し続けてきたって訳か。つくづく恐ろしいガキだよ、お前。』

 そう言って、闇虚が笑った。称賛しているような、小馬鹿にしているような、そんな笑い方であった。

「人生なんて、自分が作者で主人公の物語みたいなもの。それなら、別に一つである必要なんてない。私が望み、想像しうる限り、私の「物語」はこの身体の中にいくつもある。今ここにいるのも、そんな私の「物語」の一つ。そして貴方は、私の物語の中のただの脇役。それだけだよ、闇虚ちゃん。」

 亜唯は、挑戦的な目で、鉄格子越しに闇虚の方を見た。

 闇虚は、笑いを止めなかった。透には、悪魔が哄笑しているようにさえ思えた。

「……何が可笑しいの?」

『お笑いだね。今日のエディとの面談や、さっきの高崎や村川とのアレコレを見てハッキリ分かった。亜唯、やっぱりお前は、ただのガキだ。いや、ただのガキ以下だ。お前の言うその「自分の中の無数の物語」とやらは、お前の強みでも何でもない。むしろお前の致命的な欠陥だ。お前はそれに気付かず、ただ悪戯に他人の人生を翻弄しているだけの、惨めな負け犬だよ。』

「はぁ?」

 今にも噛みつかんばかりの表情で、亜唯が闇虚を睨みつけた。まるでこの前とは逆の状況だと、透は思った。

『分からない? じゃあ教えてやる。お前には自分が「無い」。』

「……!」

 亜唯の顔が、さっと蒼褪めた。

『そう、お前には、確固とした自分が「無い」。人生という物語だなんだと理屈を捏ねてみても、それはつまり、お前にはその辺のガキにすらある確固とした自我意識が無いってことだ。』

 闇虚は、鉄格子に顔を近づけ、亜唯に対する嘲弄を続けた。

『辛かったんだろう? 悔しかったんだろう? 普通のガキにすら当たり前のようにあるものが、お前には「無い」。それに耐えきれず、直視することができず、お前は他人の人生を翻弄し、破滅させることだけを目的に、これまで生きてきた。哀れな奴だよ。本当に。』

 透は「もう止めろ」と心の中で静止したが、闇虚の放言は止まらなかった。一方の亜唯は、あのいつもの貌――渦を巻く暗闇が「景村亜唯」の皮を被っているかのような、恐ろしげな表情――で闇虚を睨みつけていた。

「……流石にちょっとお喋りが過ぎるなぁ、闇虚ちゃん。」

 亜唯は、扉に背を向けると、ゆっくりと病棟の方へ戻っていった。憤怒とも、憎悪とも分からない異様な瘴気をその身に漂わせているように、透には思えた。

「いいよ。貴方と私の違いってやつを、嫌って程分からせてあげる。」

 こちらを振り向きもせずにそう言うと、亜唯は静かに病棟の方へ去っていった。

「闇虚、なんであんな挑発するようなことを言った!」

 闇虚の中で、透が非難の声を上げた。亜唯の所業はともかく、先程の闇虚の発言は明らかに彼女の自尊心を傷つけるものであった。そしてそれは、引いては透にとってもマイナスとなりかねない。実際、去り際の亜唯の様子を見るに、また何か良からぬことを考えていることは明らかであった。

『ガキにはね、躾けてくれる大人が必要なの。でもアイツの周りには、そうしてくれる人が誰もいなかった。』

 闇虚は、どこか遠い所を見るように答えた。

 そういえば、と透は思い出した。午前中のエディとの面談の際、彼女が言っていた「母親は、亜唯などという娘はいないと言い張っていた」という言葉。あれは一体、どういうことだったのだろうか。


 ホテル最上階の高級スイートルームの窓縁の椅子に腰かけながら、エディは街の夜景を漫然と見降ろしていた。

「ペーターはどうしたのかね?」

 学会関係者とのWEB会議を終えたダニエルが、隣室から顔を出して彼女に聞いた。

「散策に出かけています。」

 ダニエルの方を振り向きもせず、エディが答えた。

「散策ねぇ……」

 心配そうな様子で、ダニエルが言葉を濁した。

「ペーターの相手は君に任せているが、本当に大丈夫なのかね? 既に少々良からぬ真似をしてしまったようだが……」

 ダニエルが伺うような視線でエディの方を見たが、彼女は相変わらず窓の外に目をやったまま、彼の方を見ようともせずに答えた。

「ご心配には及びませんよ。彼は自分のしたことの始末くらいは自分でできる人物です。」

「その始末が私にとっては頭痛の種なのだがね。」

 ダニエルは自分を無視するかのような態度のエディに対し、少しばかりの皮肉を交えて答えた。

「今後、我々の事業計画が本格的に動き出せば、彼だけではなく他の怪人たちの管理も必要となってくる。場合によっては、手のかかる個体は処分しなければならなくなるぞ。」

「お言葉ですが……」

 エディは椅子をくるりと半回転させ、ダニエルの方に向き直った。

「私はペーターが、今日会ったあの日本人の2人と同じように、貴方や私の計画に欠くことのできない人材であると思っています。彼の実力のみならず、人格的気質やその性向も含めて、です。」

 ダニエルの目を見据え、毅然とした口調でエディは言った。

「分かっているよ、エディ。すまない。私も少し言い過ぎた。」

 形ばかりの謝罪をすると、ダニエルは、エディの隣の椅子に座りこんだ。

「私も君と同じく、ペーターが私の研究にとって、極めて重要な意味を持つ人間だということは十分に理解している。」

 甘く囁くように呟きながら、ダニエルはエディの横顔に顔を近づける。

「それに加えて、真壁先生からミチシタトールとカゲムラアイについて報告を受けた時は、天命を感じたよ。私と君の長年の夢であった「聖域アジール」の、最後のピースがついに揃ったんだ。」

 エディの耳元で囁きながら、ダニエルは彼女の髪をそっと撫で上げた。

「まだまだですよ、先生。今はまだ、パズルのピースが揃っただけ。これからの作業こそが、我々の目指すべきところです。」

 少しばかり棘のあるような口調で、エディが返答する。

「分かっているとも。科学者として、医師として、我々が力を入れなければならないのはこれからだ。怪人達の選別、そして「ハイヴ」の結成。一日も早く行わなければ。」

 エディの意図を察したのか、ダニエルは姿勢を正し、如何にも科学者然とした態度で言った。

「ところで、最初の話に戻って、ペーターについてですが」

 エディはダニエルの話の腰を折るように、話を元に戻した。

「日本を発つ前に、道下透たちと一度「遊びたい」と言っていました。」

「やれやれ……」

 それを聞いたダニエルは、こめかみを抑えて項垂れた。これから起きるであろう厄介ごとのことを考えると、彼にとっては非常に頭の痛い問題であった。

「日本を去るまで、また頭の痛い日が続きそうだね。」

「ご心配には及びませんよ、先生。」

 エディはダニエルの方を向き直り、真剣な表情で言った。

「人一人が死ねば大きな事件となりますが、街一つが吹き飛べば、誰が被害者で誰が加害者かすら分からなくなる。流石にそこまでのことはできませんが、ペーターは、そういう子です。」

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