第10話 箱庭遊戯⑨
「F中学校における学生の集団自殺事件は20〷年○月×日△曜日の午後4時頃、F中学校構内の視聴覚室にて発生しました。そして、景村さん。貴方はその中にいて、一人生き残った。これは間違いないですね?」
「はい。間違いありません。」
エディと亜唯の会話は、極めて淡々と始まった。人間同士ではなく、機械と機会が会話しているように、透には思えた。
「貴方がそこにいた理由は何ですか?」
「友達の一人に連れていかれました。」
「彼らが集団自殺を起こすということは知っていましたか?」
「全く知りませんでした。」
「彼らが自殺した理由について、何か心当たりはありますか?」
「分かりません。」
「思い当たるフシが無い?」
「自殺する人たちの気持ちは、私には分かりません。」
まるで、心理テストの例文をそのまま読み上げているようだ、と透は思った。それにしても(村川の発言を信じるのであれば)、亜唯は警察の事情聴取に対しては碌な受け答えもできなかったはずである。ここ一月で、きちんと喋れるまで回復したということなのだろうか。
『違うね。今は、そういう「貌」なんだ。』
心の中で、闇虚が呟いた。闇虚の言わんとすることが、なぜ彼女が亜唯を警戒するのかが、段々と透にも実感として分かってきた。
「なるほど。分かりました。」
エディは一旦そこで話を切ると、隣にいたダニエルと何か話し始めた。面談が始まってそれなりに時間が経っていたが、ダニエル自身は透たちと会話する素振りすら見せず、面談は専らエディが行っていた。日本語に明るくないなどの理由もあるかもしれないが、透には、今回の面談の主体がエディであるかのような印象すら感じられた。
「自殺した生徒たちは、非公式なサークルのようなものを作っていたとのことですが、このサークルについて貴方は何かご存知ですか?」
ダニエルと話し終えたエディは亜唯に向き直ると、話を続けた。
「みんなで集まって何かをしていたということは知っています。それ以上はよく分かりません。」
「先程、友達に連れられて自殺した生徒たちの所に行った、と言っていましたが、自殺した生徒の中で、他に知り合いだった人はいますか?」
「言いたくありません。思い出したくないこともあるので。」
亜唯が、眉を顰めて若干強い口調で返答した。だが透には、亜唯の所作はどこか演技じみているように見えた。闇虚も、心の中で『わざとやってんな、こいつ』と呟いた。
「自殺した生徒について調べたところ、何人か、貴方と個人的な繋がりのある生徒たちがいました。まず、2年B組の田中祥吾くん。彼は景村さん。事件が起こる2か月ほど前、貴方に付き合ってほしいと告白していますね?」
「そんなこともありましたね。正直、もう忘れていました。」
エディの発言に、そんなプライベートなことをどうやって調べたんだ、と透は吃驚した。同時に、それに対して「忘れていた」と事も無げに答える亜唯に対しても、透は疑いの目を強くした。亜唯の返答は、明らかに相手の不信感を買うようなもので、まるでわざと自分を追い詰めさせようとしているかのようであった。
「そして、2年D組の宮沢良美さん。貴方のクラスメイトだった生徒です。彼女が仲のいいグループと一緒に、貴方をいじめていたという話がありますが、本当ですか?」
「そんなこともありましたね。でもすぐに飽きたのか、事件が起こる前くらいには、特に何も無くなっていました。」
「いじめが無くなった原因について、何か心当たりはありますか?」
「さあ? 正直、彼女のことは興味も無いです。」
うんざりした調子で、亜唯が答えた。エディは眉一つ動かさず、そんな亜唯の言葉を無言でメモに取っていた。
「では景村さん。次の質問になりますが……」
「あのさ、ちょっといい?」
優等生の貌にも飽いたのか、亜唯の様子が変わった。透に接していた時と同じ表情と口調で、亜唯はエディに対し絡むような態度で話しかける。
「流石にいい加減にしてほしいなぁ。人が親切に誘導してあげてるんだから、いい加減話の本題に入ったら? 本当はもう、私のことは大体の見当がついてるんでしょ?」
やはり、亜唯の不信感を買うような態度は演技であった。エディの回りくどい質問にうんざりした亜唯は、あえて自分を追求する方向にエディを誘導することで、相手の手の内を探ろうとしたのだ。
「申し訳ありません。細かいところまで確認したい性分なもので。」
エディは先程と変わらず、淡々とした口調で話した。亜唯の態度の変化などまるで気に留めていないような様子であった。
「景村さん。道下さん同様、貴方のカルテに関しても、真壁先生からこちらに共有されております。真壁先生は貴方について、重度の演技性パーソナリティ障害と診断されています。」
「病名とかいいからさ、本題入ろ?」
話の腰を折るように、亜唯が気怠げに茶々を入れた。
「演技性パーソナリティ障害は他者の興味を引くため、精神的、肉体的に過剰なまでの修飾行為を行うという特徴があります。私どもとしては景村さん、貴方に関してその兆候は確かに認められるものの、より深い次元で判断するものと考えています。」
亜唯は最早返答することすらしなかった。好きなだけ喋り続けていろ、とばかりに、椅子の背もたれに寄りかかり、見下すような視線でエディの方を見ていた。
「F中学校における生徒の集団自殺事件について、関係者の証言が錯綜しているという点は、最初に述べた通りです。そして、その錯綜した証言を辿っていくと、景村さん、全ての線が貴方に繋がっていきます。」
そこまで言うと、エディは手元の調査資料と思われるファイルを広げ、そして続けた。
「事件について、貴方のクラスメイトであった佐伯真知子さんはこう証言しています。『みんな景村亜唯を怖がっていた』『景村亜唯から身を守るため、みんなグループになってあの子を避けていた』。」
「その一方で、別のクラスメイトからはこんな証言が出ています。『景村さんは宮沢さんたちのグループから酷い嫌がらせを受けていた』『半グレを使って、景村さんを恐喝したこともある』。」
「そして貴方の担任である三木田恒徳はこう証言しています。『いじめも無ければ、景村を皆が怖がっていたという事実も無い。景村は、そういう影のある生徒ではなかった』。」
「一方で、同校の教師の一人である篠塚恭輔はこう証言しています。『アイツ(=亜唯)は学生を言葉巧みに操って、売春まがいの行為をさせていた』。ただしこの篠塚という教師は、自分が担当するクラスの生徒に買春行為を行ったとして、警察に起訴された人物ですので、この証言内容については慎重に吟味する必要があります。」
「ちなみにこの篠塚恭輔が買春行為を行った学生は、貴方をいじめていたという噂のあった宮沢良美さんと仲のいいグループの一人でした。その子は集団自殺事件の後、精神を病み『景村がみんなを殺した』『自分も景村に殺される』とひたすら訴え続けているそうです。」
「以下は、保健教員の証言です。『景村さんは家庭に複雑な事情を抱えており、彼女自身もよく保健室に来ては、「死にたい」と話していた。その一方で、学校やクラスメイトへの不満は全くないと言っていた』。」
「前述の篠塚の証言を受けて、学区内における未成年者売買春の状況を警察が調べた際に出てきた証言。『亜唯はこの辺では知らない者がいないくらいの有名人』『中学生なのに、ウリの元締めのようなことをしていた』。」
「その一方で、こんな証言もありました。『亜唯は可哀想な子。お父さんに虐待されて育って、小学生時代からホームレス同然の生活をしていた』。最も、この証言は景村さんの家庭の状況と全く合致しないというのは、既に調査済みです。」
「調査の過程で分かったことですが、景村さん、貴方はマフィアの一味――日本ではヤクザというんですか?――とも交流があり、そのヤクザたちからは「お嬢」と呼ばれるほど信頼されていたそうですね? 先にお話しした2年B組の田中祥吾くんについて調べたところ、彼は貴方に告白した翌日、そのヤクザに呼び出されて暴行と恐喝をされていたことが判りました。彼らは『あのガキがお嬢を泣かせた』と、事実とは正反対のことを言っていたそうです。」
「そして最後に、貴方の母親の証言。『ウチに娘なんかいない』。彼女は警察に何を聞かれても、この一点張りであったそうです。事情聴取にあたった警察はこう証言しています。『誤魔化しているとか言い逃れをしているという感じでは全くない。本当に娘なんかいないって、真顔で言うんだよ』」
ここまで話し終えると、エディは手元の調査書類から目を上げ、じっと亜唯の瞳を見据えた。
亜唯は、怠そうにぱちぱちと拍手すると、極めて面倒臭そうに口を開いた。
「お疲れ様。そんな無駄で無意味なこと、よく調べたね。それで? それを私に話して何になるの?」
エディが返答するよりも先に、隣にいた透が不気味な忍び笑いを漏らした。否、透ではない。いつの間にか闇虚の方が表に出て来ていた。
『楽しいお友達が沢山いるんだな、お前。』
「へぇ、出てきてたんだ。闇虚ちゃん。」
横目で挑発するように、亜唯が言う。透は心の中で一瞬「まずい」と思ったが、理由は全く不明ながら、何故かここは闇虚に任せた方がよいような気がしていた。
『退屈で意味の無いお喋りかと思ったら、意外と面白い見世物だったんでね。ちょっと表に出てきたって訳。』
どういう訳か、今の闇虚には余裕があった。というより、透には闇虚がこの状況に興奮しているようにさえ思えた。
「はじめまして、闇虚さん。エディと申します。今後ともよろしく。」
エディは透の変容にも全く動じず、闇虚に対しても丁寧に挨拶をした。
『私は最初から透の中にいたんだけどね。まあ、そんなことより』
闇虚はじろりと目を動かし、先程から窓際で一言も発しないペーターの方を睨みつけた。
『こいつは話には参加しないの? さっきからず~っと黙ってるけどさ。』
「ペーターは日本語に明るくありませんし、元々あまり自己表現が上手いタイプではないので。」
『へぇ。本人は何か言いたげなことがあるようだけど?』
ペーターが闇虚を見る目は、いよいよもって、常軌を逸した色を帯びてきていた。猛禽類が獲物を狩り立てるときのような獰猛さと残忍さを湛えているように、透には思えた。
「転院後にいくらでもお話しする機会はあると思います。では、景村さん」
エディが、横道に逸れた話を亜唯の方に戻した。
「先程の話ですが、私個人は極めて重要な意味を持っていると考えています。様々な証言から見えてくる「景村亜唯」という人間の実像は全くバラバラで、それぞれが大きく矛盾しているように見えます。ですが、もしそれらの証言が正しいとしたら? 全く矛盾した、バラバラの実像こそが、正しいとしたら?」
亜唯は何も言わず、ただエディの言葉を聞いていた。能書きはいいからさっさと答えを言え、と促しているようですらあった。
「景村さん。私は貴方がまさにそんな人間なのだと考えています。いくつもの貌を持つ人間、いえ、そんな表現では足りませんね。一つの身体の中に、幾つもの人生、それに根ざした幾つもの自我意識を持ち、時と場合に応じて使い分ける。それが貴方なのだと、私は考えています。」
亜唯の乾いた笑いが、診察室に響いた。それは本心からの笑いではなく、相手を嘲弄する意図から出たものであることは明らかであった。
「長々とした解説をどうも。色々と言いたいこともあるけど、大体それで正しいよ。」
眼を細め、射貫くような視線で、亜唯はエディに答えた。
「さぞかし多くの人達が貴方に翻弄されたことでしょうね。件の集団自殺事件も、結局のところ貴方が原因で起こったということでよろしいですか?」
亜唯とは対照的に、エディは終始一貫して感情の機微を見せず、機械的に聞いた。
「最初に言ったでしょ? 自殺する奴の気持ちなんて、私は分からない。」
そう言いながら、亜唯の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。集団自殺事件の元凶が一体誰であったのか。その表情が雄弁に物語っているように透には思えた。
『成程ね。自殺する奴の気持ちは分からなくても、自殺の原因を作ることはできるって訳か。』
エディが何か言うよりも先に、横から闇虚が口を挟んだ。
「鋭いじゃん。そう。ガキが自殺する理由なんて実際くっだらないものばっかだからね。本当に少しだけ人生のレールを踏み外させてやれば、後は勝手に自滅する。」
あまりにも邪悪な告白に、透は目の前にいる亜唯が、本当に自分と同じ「人間」という存在なのか本気で疑問に思った。
亜唯の貌は、昨夜最後に見た時と同じ様な、どこまでも深く渦を巻く暗闇のような貌に変容していた。どす黒い暗闇が人間の皮を被っているような、生物としての根源的な恐怖を喚起するような相貌であった。
透は改めて、自分が亜唯に感じた恐怖と、闇虚があれ程までに亜唯を拒絶した理由が分かった気がした。一つの身体、一つの人生を二つの自我が共有している透と闇虚。それに対して、無数の人生、無数の自我を一つの身体で束ねている亜唯。二人は似ているようで、ある意味まるで正反対の存在なのである。二人とも怪物であり、それでいて命の在り方が全く相反するものであったのだ。
怪物――そこまで考えて、透ははたと気付いた。そう、自分も怪物なのだ。亜唯に対する恐怖は、言い換えるならば自分自身に対する恐怖とほぼ同義である。だとすると――それは、本当に恐怖なのだろうか?
『くだらねーこと考えるな、透。』
透の思索を断ち切るように、闇虚が口を挟んだ。
『私の方が表に出てるから、どうしても無駄なこと考えちゃうんだな。よし、この辺で一旦代わろう。』
そう言うと、闇虚は透の返事を待つことなく、再び心の奥底へと潜っていった。
急に身体を取り戻した透は、軽い眩暈に襲われながらも、すぐに気を取り直して、姿勢を正した。
「あれ? 闇虚ちゃんもう帰っちゃったの?」
亜唯の問いに、透は黙って頷いた。身体を取り戻したばかりで、上手く口が回らなかったからだ。
「へぇ、もっとお話ししたかったな。」
残念そうに亜唯が言うが、透には彼女が本心を言っているようにはとても思えなかった。
「お前は……」
ようやく唇を動かせるようになった透が、切れ切れに、亜唯に話しかけた。
「一体、本当は……どんな人間なんだ?」
率直な疑問を、透は亜唯にぶつけた。亜唯が本当のことを話すとは限らないし、今日のエディとの会話を聞く限りでは、そもそもそんな質問に意味があるのかどうかも分からなかったが、それでも透は、どうしても亜唯本人に確かめておきたかった。
「好きに考えてくれていいよ。どれも全部、私なんだから。」
深淵を湛えた瞳を透に向けながら、亜唯が答える。透は、亜唯の瞳から目を逸らすことなく、じっと見返した。二人の間に、微かな緊張が走った。
「ありがとうございます、景村さん。本日の面談は、これで終了したいと思います。」
二人の間の雰囲気を察したのか、エディの口から幕引きの言葉が発せられた。
「お二人のご協力に感謝します。本日の面談は、我々にとっては非常に有意義なものとなりました。道下さん、そして景村さん。最初にお話ししたとおり、あなた方お二人には、我々が経営する精神医療系ベンチャー施設「アジール」へ転院していただくこととなります。日本国外に所在する施設となりますが、ご心配には及びません。アジールは、極めて特異な精神様態を持つ方々のために創設された施設であり、規模・設備・人員全てについて、日本国内の精神病院よりもはるかに優れたものとなっております。収容される方々の行動制限も、無理な治療もありません。どうぞご安心ください。」
闇虚が心の中で『急に営業口調になったな。』と笑った。亜唯は、退屈そうに欠伸をしていた。既にエディとの会話には完全に飽きている様子であった。
「すみません。最後にちょっといいですか?」
透は、真壁から転院を聞かされて以降、ずっと疑問であった点について、率直に聞いた。
「俺達を選んで転院させる、本当の理由は何ですか? どんな理由であっても一向に構いませんので、本当の所を教えてください。」
「本当の所、と言いますと?」
相変わらず事務的な口調で、エディが聞き返した。
「率直に言って納得できないんですよ。俺みたいな社会不適合者を、わざわざ金をかけて国外の病院に転院させるなんて、普通に考えてあり得ない。真壁先生は精神医学の発展がどうとか言っていましたが、俺にはどうも、それが本当の理由のようには思えない。」
エディの傍らに座ったダニエルが、何事かを彼女に語りかけた。透も耳を澄ませて聞き取ろうとしたが、どうやらヘブライ語で会話しているらしく、意味は全く分からなかった。
エディは、透の方に向き直り、静かに目を閉じた後、語り始めた。
「我々があなた方を転院させる理由は、真壁先生がおっしゃったとおり、精神医学分野の発展のためです。なかなか納得いただくのは難しい面もありますが、精神医学という分野は人間という存在の根幹にかかわる学問です。人間の幸福と不幸、希望と絶望。人生におけるあらゆる要素は、究極的には人間精神の問題に帰結します。その一方で、この学問はまだまだ未発達な分野でもあります。人の心は不可思議で、謎に満ちている。そんな人間精神の不可解な部分を解き明かすためには、人間として特異な症例にこそ目を向ける必要がある。我々はそう考えております。」
殆ど一気に、エディは透の疑問に対する答えを仔細説明した。
「それで、俺たちが必要だと?」
「要するにモルモットが欲しいってだけでしょ?」
透だけでなく、亜唯もまた隣から口を挟んだ。
「あなた方がそのように感じるのも止むを得ないことかと思います。ですが、我々としても、絶対にあなた方が必要なのです。モルモットではない。現代社会の枠組みを外れながら、それでも気高く生きているアウトサイダー。日本語で言うならば「怪人」であるあなた方の存在が、我々には絶対に必要なのです。」
淡々と、だが有無を言わせないような口調で、エディが言った。
「えっと、あの、すみません。もうちょっと言い方というか……」
「ショッ○ーの怪人じゃないんだからさ……」
透と亜唯は、エディが口にした「怪人」という言葉にどう反応してよいのか分からず、互いに顔を見合わせた。エディの表情を見るに、冗談を言っている訳ではなさそうなことが、余計に彼らを困惑させた。
「おや、おかしかったですか? もしそうでしたらすみません。もっと日本語を勉強します。」
エディは冗談めかしたような口調でそう言うと、手元の書類をまとめ上げ、ダニエルとペーターに目で合図した。
「それでは、本日の面談はこれで終了させていただきます。真壁先生を読んでまいりますので、そのままお待ちください。」
ダニエルは立ち上がり、「Thanks for your help. See you again.」と言って再び透たちと握手をすると、エディとペーターを引き連れて診察室の奥へと去っていった。
ペーターは去り際、再び横目で透の方を見た。凍てついたナイフのような、鋭く殺意のこもった視線が、透の心を掠めていった。結局今日の面談の最後まで、彼は碌に言葉を発しなかったが、透にはどうしても彼が、絶対に看過できない存在のように感じてしまった。
「あ~ダルかった。」
隣で身体を伸ばしながら、亜唯が気だるげに言った。
透は何も言わず、独り、考え事をしていた。先ほど自分の心に浮かんできた「あること」が、彼にはどうしても気になっていた。
透が横目で亜唯を見ると、彼女はポケットからクッキーか何かを取り出して、袋を破って食べていた。先ほどの面談のことなど、最早頭の片隅にすらない様子であった。
自分と同じ、怪物。エディの言葉を借りるなら、
『透』
いつになく平坦な口調で、闇虚が透に語りかけた。
『あのガキにどう対処するかはアンタに任せるけどさ、くれぐれも間違えないでね?』
闇虚の口調は極めて淡々としたものであったが、節々に恫喝の色が滲み出ているように、透は感じた。
「分かって」
いる、と心の中で言いかけて、透は自分のすぐ横に亜唯の顔が迫っていることに気付き、思わず椅子から飛び退いた。
「……何してる。」
飛び退いたのはやりすぎだったか? と思いながらも、突然の亜唯の行動を警戒しながら、透が聞いた。
「今、闇虚ちゃんと何か話してたでしょ?」
ボリボリとクッキーを噛み砕きながら、亜唯が悪戯っぽい調子で聞いた。
「……ただ考え事をしていただけだ。」
図星を当てられ、透は亜唯から目を逸らしながら、苦し紛れに答えた。
「へぇ、まあいいや。ところでさ、お腹減ってない? 一個食べる?」
亜唯はポケットからクッキーが入った袋を取り出すと、透に差し出した。
何の気なしにそれを受取ろうとした透だったが、中身のクッキーを見て、思わず手を引っ込めた。そのクッキーは、女性の乳房の形をしていた。
「いらん。」
透は顔を背け、拒否の姿勢を示した。
「え、何で? 恥ずかしいの? ひょっとしてオッサンってチェリー? チェリーボーイ?」
引っかかった、とばかりに囃し立てる亜唯に対し、透は早くこの場を逃げ出したいほどの羞恥心を感じていた。一方の闇虚は、透の心の中で彼を指さし、爆笑して笑い転げていた。
亜唯は袋を破りクッキーを取り出すと、それを自分の舌先に乗せ、「うぇ」と透の方に突き出した。
「止めろ。汚い。」
何をやっているんだこのガキは、という怒りと、そんなガキにいいようにされている自分の不甲斐なさに透が耐え切れなくなっていた所に、ちょうど真壁が入室してきた。
「あの、道下さん、景村さん……」
状況がよく分からず、困惑して言葉を濁す真壁に対し、亜唯はすぐにクッキーを飲み込むと「すみません、先生」と頭を下げた。亜唯は、困惑した表情のまま病室に戻るよう促す真壁にいつもの態度で従い、すぐに診察室を出た。
呆れたようにその後に続いた透は、今後、亜唯に対してどう対処するか心を決めた。
やっぱりあの子には、お近づきにならないようにしよう。
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