第9話 箱庭遊戯⑧

 真壁に連れられ、3人の人物が診察室の奥から姿を現した。一人は、いかにも西洋人の医師といった風貌の人物であり、真壁は彼がダニエル医師であると紹介した。外見だけ見るなら、真壁よりだいぶ若々しく見えた。続けて現れた一人は日本人女性のような風貌であったが、真壁が紹介するより先に「エディと申します。ダニエルの秘書兼通訳を務めております。」と自分から挨拶した。流暢な日本語であったが、イントネーションに微かな違和感があったので、ひょっとすると外国育ちの日系人なのかもしれないと透は思った。最後に診察室に入ってきたのは、金髪の縮れ毛の外国人青年で、風貌からして明らかに医療関係者には見えなかったが、真壁は彼の紹介をすることはなく「それではお願いします」とだけ言うと、すぐに診察室から出て行ってしまった。

 ダニエルは「Nice to meet you.」と言って、透に握手を求めた。透は困惑しながらもその手を握ると、彼は如何にも欧米の人間らしく、強くその手を握り返した。ダニエルはそのまま、透の隣にいた亜唯とも同じように握手を交わした。透は横目でその様子を見ていたが、亜唯はごく普通の様子で、特に表情の変化などは読み取れなかった。

「本日は突然のことで申し訳ありません。すでにお聞き及びのこととは思いますが、この度、道下さんと景村さんのお二人には、我々が経営するイスラエルの精神医療系ベンチャー施設「アジール」へ転院いただくことになりました。転院にあたり、事前にお二人と面談をさせていただきたく、本日はこうしてお二人にお時間を取っていただきました。面談と言っても、雑談のようなものですので、楽にしていただいて構いません。」

 エディと名乗った女性は、軽く会釈すると、極めて事務的な口調で、そう述べた。本当に申し訳ないと思っているというよりは、日本人的な文化に合わせてあえてそう言っているだけという印象であった。透は、ちらりと、先程最後に入室してきた金髪の青年を見た。彼は自己紹介も無く、窓辺に寄りかかる様にして、ただじっと透と亜唯の方を見ていた。

『用心しろ、透。』

 心の中で、闇虚が静かに警告した。彼女の本能が、金髪の青年に異常な何かを感じ取っていた。

「分かっている。」

 透が、心の中で相槌を打った。金髪の青年が自分たちを見る異様な視線には彼も気づいていた。まるで獲物を狙う蛇のような、邪悪で嗜虐的な瞳であった。

 金髪の青年は、自分を見る透の視線に気付いたのか、微かに口元を緩めた。まるで透ではなく、彼の中にいる闇虚を見透かして微笑んでいるような気味悪さを、透は感じた。

 一方の亜唯は、青年の方には目もくれず、背筋を伸ばしたまま正面に座ったダニエルとエディに向き合っていた。どうやら彼等2人に対しては「優等生」として対峙するつもりらしかった。

「それでは、道下さん」

 金髪の青年を警戒している透に気付いているのかいないのか、いきなりエディが透に話を振った。

「本日の面談を行うにあたり、貴方の主治医であった真壁先生より、事前にカルテ等の共有をいただいております。まず、貴方の症例に関してですが、真壁先生の所見では、極めて特異な解離性同一性障害の可能性が……」

「ちょっと待ってください。」

 突然のことに、透は慌ててエディの発言を遮った。

「こういう精神科の面接って、プライバシーに配慮して行うものですよね? 他の患者と一緒に行うって、それ、いいんですか?」

 隣の亜唯の様子を横目で伺いながら、透が率直な疑問をエディにぶつけた。隣に座る亜唯は相変わらず背筋を伸ばし、正面を向いたまま、透の方を見ようともしなかった。

「それから、その窓際にいる彼。まだ紹介すら受けていないんですが、一体どなたなんですか?」

 窓際に寄りかかる金髪の青年の方を顎でしゃくりながら、透が詰問するような口調でエディに訊いた。一方の青年は、そんな透の言動にも、全く動じた様子はなかった。

 エディは、隣に座るダニエルと二言三言会話すると、透の方に向き直った。

「ご紹介が遅れて申し訳ありません。彼はペーター。我々の仕事の手伝いをしてくれています。元々は、道下さんや景村さんと同じように、我々の患者だった子です。今はボランティアで、我々の患者さんのサポートをしてくれています。」

 エディの返答は透を安心させるどころか、より疑心暗鬼にさせた。「道下さんや景村さんと同じ」という点が、何より看過できなかった。言葉通りの意味だとすれば、この青年もまた、まともな人間では無いということになる。

 ペーターと呼ばれた青年は、透に対しうっすらと微笑むと「ヨロシク」と片言の日本語で挨拶した。透は、とても返事を返す気にはならなかった。

「そして道下さん、先程の貴方からの質問には、今回の面談における重大な点を含んでいます。」

「重大な点?」

 エディの言わんとしていることが解らず、透は聞き返した。

「貴方の疑問はもっともなものです。精神科の患者さんの面談であれば、プライバシーに配慮して行うのが当然。そこで、貴方に関して根本的な事項の確認があります。貴方はご自分が、治療を必要とする「患者」だとお考えですか?」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味です。道下さんご自身が、ご自分を精神科の治療を要する患者だと考えているのか否か。率直な意見をお聞かせ願います。」

 エディの発言の意図を図りかねる透に対し、彼女はどこか有無を言わせぬ口調で答えた。

 自分が、精神科の患者だと思うか?

 透にしてみれば、思ってもみない質問であった。現在の自身の立場上、患者として扱われることは止むを得ない、と半ば諦めのように受け入れてきた事実であったが、果たして自分の本心としてはどうなのか。

 エディとダニエルは無言で、透の返答を待っていた。亜唯は先程と変わらず、ただじっと前を見据えている。ペーターは、エディの質問そのものに関心がないのか、横目で窓の外を眺めていた。

「俺は、自分が社会的に受け入れられない人間であるということは理解している。だが、病人扱いされてこんな場所に入れられるのは、我慢できない。」

 透は観念したように、自身の偽らざる本心を口にした。

「分かりました。それで結構です。では我々も、道下さんを「患者」ではなく、自立した一個人として接します。よろしいですね。」

 要するに、透のプライバシーに配慮などしないという宣言である。なんて医者どもだ、と透は心の中で憤慨したが、一方の闇虚は、心の中でどこか楽しそうにはしゃいでいた。

『面白いじゃん、コイツら。最後まで付き合った方がよさそうだよ、透。』

「なんでそんなに楽しそうなんだよ、お前。」

 透は心の中で呆れて溜息をついた。

「景村さん。今の道下さんの発言を聞いて、貴方自身はどう思いますか?」

 エディが、今度は亜唯の方に話を向けた。

「率直に言って、幻滅しました。もう少し面白い方だと思っていたので。」

 口調だけ丁寧で、殆ど透に対する面罵に等しい返答を、亜唯は返した。

「彼に対して、貴方自身としては、もっと大きな期待をしていたということですね。分かりました。」

 エディの返答に、微かに亜唯の眉が動いたように、透には思えた。

「道下さん。貴方の主治医である真壁先生は、貴方のことを解離性同一性障害、いわゆる多重人格と診断されたようですが、その点に関して貴方自身はどう思いますか?」

「そんなのじゃないと思います。」

 以前、真壁に返したのと同じ答えを、透はエディにも返した。

「多重人格なんて大したものじゃないんです。俺の場合は単に、外面が二つあるというか、その時々によって演じる「自分」が二人いるってだけなんです。」

「なるほど。」

 エディはダニエルの方を向き、英語で何事か会話すると、再び透と向き合った。

「その点に関しては、実は我々も道下さんとほぼ同じ意見です。」

 じっと透の目を見据えて、エディが話を続ける。

「カルテを読ませていただく限り、貴方と闇虚さんの関係は、これまでの多重人格の症例とは少々異なるように見受けられます。特に、お互いがお互いの存在を完全に認識し、頭の中で会話が可能であり、場合によっては相手を納得させたり、捻じ伏せたりすることも可能だということ。そして、特に感情的な部分において、お二人の意識は違っているように見えて、根幹の部分では同じ意思を共有しているということ。」

 エディはそこまで言うと、一旦会話を切った。

「そして、ここから先は我々の推測なのですが、恐らく道下さんも闇虚さんも、お互いに対して悪感情や害意が無いこと。相手の存在を消し去ったり、否定しようとする意思がないこと。違いますか。」

「まあ、そうですね。」

 心の裡を見透かされたような気がして、透はやり場のない羞恥心を感じた。一瞬「友達です」とまで言おうとしてしまったが、あまりにも恥ずかしすぎたため、透は慌てて言葉を飲み込んだ。一方の闇虚は、心の中でそんな透の様子を指さして笑っていた。

 その時、透は自分を見るペーターの視線に気付いた。彼の視線が湛える雰囲気は、先程から明らかに変わっていた。怒りのような、憎しみのような、明らかな負の感情を、透に向けていた。そう、その瞳は今度は闇虚ではなく、明らかに透自身を見ていた。

「なるほど、分かりました。それでは景村さん」

 エディは、透の発言をメモし終えると、今度は亜唯の方に話を向けた。

「景村さんに関してはまず、貴方がこちらに入院するきっかけとなったF中学校における生徒11名の集団自殺事件に関して質問させていただきます。よろしいですか。」

「分かりました。」

 極めて従順に、そしてはっきりと、亜唯が返答した。

 透と闇虚は、じっと亜唯の横顔を見た。そこには、動揺も無ければ緊張も無かった。

『面白そうじゃん。ここはひとつ、あのクソガキの出方を見てみよう。』

 闇虚はそう言うと、高みの見物を決め込んだ。透は、緊張した面持ちで、エディの次の言葉を待った。ひょっとすると、この場で一番緊張しているのが彼かもしれなかった。

「当該事件に関しては、関係者の証言内容が錯綜しており、矛盾する部分も多々ありますが、貴方が「違う」と感じた点に関しては、そのように言ってください。では、よろしいですね。」

「はい。」

 いよいよ始まる。透は固唾を飲み込んで、彼らの会話を見守った。

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