第3話 箱庭遊戯②
「それでは、道下さん、すみません。」
年齢は40代くらいであろうか、温和そうな面持ちの看護師が、ベッドに座る透に語りかけた。彼の背後には、5~6名の男性看護士と男性医師が、緊張した表情で二人のやり取りを見つめていた。
「ええ、お願いします。」
あくまでも従順な態度で、透は両腕を差し出した。看護師は一礼すると透の両腕に拘束衣の袖を通していった。周りの看護師達が、透の周りを取り囲むように散らばり、拘束衣の留め金をロックしていく。
「では、ストレッチャーの方に移動してください。」
促される通り、透は椅子ぐらいの高さまで下げられたストレッチャーに座り込んだ。ほぼ毎日のルーチンワークなのだから、わざわざ指示しなくてもいいのにと思ったが、口には出さなかった。ストレッチャーはリクライニングベッドのように上体を起こす形に固定されており、透は背もたれによりかかると、マットの上に足を延ばした。看護師達は、座り込んだ透の足にも拘束衣を履かせ、ストレッチャーの下部に固定した。
「さっさとしろや。」
一人、手伝う様子もなく後ろの方で見ていた若い医師が、悪態をついた。
「終わりましたので、今から移動しますよ、高崎先生。」
温和そうな看護師は、高崎と呼ばれた医師の態度には慣れているのか、表情を変えることなく答えた。
「何でこんなのにまで付き合わなくちゃなんねーんだよ。」
看護師の返答に無碍にされているとでも感じたのか、高崎と呼ばれた医師はさらに悪態をついた。周りにいた医師が咎めるように睨みつけたが、高崎は意に介した様子はなく、乱暴な足取りでそのまま隔離室を出て行ってしまった。
医者も本当にピンキリなんだな、と、透は怒るよりむしろ感心してしまった。無論、口には出さなかったが。
「すみませんね、道下さん。さ、行きましょう。」
温和そうな看護師は、ストレッチャーの高さを元に戻すと、透に詫びた。
「構いませんよ。行きましょう。」
高崎の無礼な態度も、平時であれば腹立たしいものであるだろうが、今の透にとっては些事でしかなかった。自分の置かれているこの囚人の如き状況そのものが、今の彼にとっては大問題であったからだ。
看護師たちは透を乗せたストレッチャーを囲むようにして、慎重に押していった。ストレッチャーは隔離室を出て、隔離室から病棟に続く細い通路を通り、患者と医療従事者の交流スペースを通り抜け、病棟の入り口近くにある診察室へと向かっていった。透のことは、患者や他の医療従事者の間でも話題になっていたのか、ストレッチャーで移動する彼等のことをぎょっとした目で見るものも何人かいた。
『なんか有名人みたいだね、私たち。』
「感心するな。全然いい意味じゃない。」
嬉しそうにはしゃぐ闇虚を、透は心の中で制した。
『そう? 大名行列みたいで私は楽しいけどな。』
「気楽でいいな、お前は。俺はこれからまたあの煩わしい……ん?」
透はふと、何かに引き寄せられるように、視界の片隅に目を止めた。
「行ってきまーす。」
制服を着た、中学生くらいの少女が看護師に挨拶をして、病棟の入り口に向かっていた。学校指定の鞄を背負っており、どうやら登校に向かう様子である。
「おっ、
前を歩いていた高崎が、先程の透に対する態度とは打って変わり、気色悪いほどの媚びた声色で、少女に声をかけた。
「うん……」
亜唯と呼ばれた少女は、曖昧な返事を返すと、すぐに病棟の入口へと駆けて行った。一瞬、高崎の背後にいる透と目が合ったが、透の方から目を逸らした。子供が自分をどんな目で見るかなど、知りたくも無かった。
「では、道下さん。これから診察になります。」
ストレッチャーを押していた看護師が、静かに告げた。「道下」という名前が他の患者に聞こえないようにという配慮なのかもしれないが、透には全く無意味なように思えた。
診察室のドアが開き、看護師達はストレッチャーを動かし、足の側から室内に搬送していく。その間、透は先程少女が駆けていった病棟の入り口を見ていた。当然だが、もう彼女の姿はなかった。
あの子は、ここから学校に通っているのだろうか。
素朴な疑問が、透の心に浮かんで消えた。
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