天蓋付きベットを揺さぶる一行、神々の宴、鏡の中のエレクトラ

 僕たちは、あのクラシックななりをした天蓋てんがい付きのベットを、らしまくっていた。はたから見れば阿呆あほうな絵だが―二人と1匹は到って真面目である。それが滑稽こっけいさを増している、と言うのも事実だけど。

「ねえ、ミケツさん?」僕は御伴おともの神の御使おつかいに問う。

「あァ…ん?」息を切らせている柴犬。まあ、4足歩行の彼がベットを揺らすのは中々に大変ではある。ちょっとした芸みたいでもある。

「これさあ。意味あんのかな?」思わず出た言葉。諦めの第一歩。

「さあ?」と柴犬は事も無げに言う。

「ええ…止め時分かんなくなってきたぜ?」ちょっとばかし疲れてきたぜ?

「と、言ってもねぇ」と長田おさださんは言う。屈強な彼の揺すぶりは堅牢けんろうな天蓋付きベットに殺されている。勢いが吸われているような具合。

「彼女は―気が付いているのかな?」この揺さぶりに。もしくは自分の事に。

「ま、何もしないよりはマシ…人生と言うのは地道な作業に支えられている訳さ…あんま好みではないけどさ」と長田さんは言う。

「ま、相手は神と融合した何か、だ。時間のスケールかん狂ってる可能性もなくはない…うん百年かかるかもなァ…」と息を切らせて言うミケツさん。

「マジかい…こっちはただの人だぜ?たんぞ?」いや、ほんと筋肉が痛くなり始めている。

「うーん…」考え始める神の御使い様。何か良い案は無いかな?

「このベットの中にダイビングできれば良いのにねえ…」と長田さんは言う。彼もこの曖昧あいまいな世界にれてきたらしい。言ってる事が頓狂とんきょうだ。

「ダイビング…ねじ込めばイケるかァ…?」とミケツさんは言う。

「ねじ込む?」不穏ふおんなワードが飛び出してきた。どうせロクな話じゃない。まあ、今もロクな状況ではないかもしれないけどさ。

「お前の体―凹凸おうとつ少ないからイケるかなあァ…久々だし自信ねェなァ…」ナチュラルなセクハラは止めてくれよ…

「何?このベットに―非侵襲的しんしゅうてきな方法でアクセスできる、と?」と僕は問う。侵襲的なやり方はカーテンをこじ開ける事だ。非、という言葉を足す場合、カーテンをいじらずにちょくで僕がこの中に飛び込むことになる。

「お前を圧縮あっしゅくしてぶち込んだろうかと思ったが―無事に帰れる保証がねェ」とシリアスな顔になったミケツさんは言う。

「ミスったら―」

「その中にとらわれる。ジ・エンド、だな。お前はこの世界がてるまでその中で暮らさないかん」あっけらかんと言うなよ、それ死ねって言ってるようなモンだぜ?

「流石に―そんな真似まねはさせられないかな…宇賀神うがじんさんに3回は殺される」と長田さんは言う。

「僕もさすがにそんなクソ度胸は無いなあ…」とこぼす。人生をして彼女を救う。一つの命で一つの命をあがなう…道理にかなった話だけど…僕はそこまでお人よしではない、残念ながら。

「それに―バレたら俺がウカノカミ様に消されるわい」とミケツさん。

「んだねえ。僕の身柄は彼女の手の上だ…あんま無茶出来んわ」

「なんか無かったっけなァ…いっそ、ウカノカミ様に連絡すっかなあ…」何?連絡できちゃうのかい?と言うのが表情に出たらしい、ミケツさんは僕に言うのだ―

「出来るけどさあ…頼めるけどさあ…どーすんの?代償だいしょう」と。

「差し出せるモノがないのか…」と長田さんは零す。そう、僕の命はもちろん無理だし、その他に何かあるのかな?

「この嬢ちゃんが、何とどんな契約しとるかは知らん、という前提のもとで、この嬢ちゃんの何かしらであがなう―か?」とミケツさんは言う。本人の意思を無視して、僕らが何かを押しつける、という話だ。

「本人の預かり知らんところで話を進めても大丈夫かね?」と僕はミケツさんに問う。

「だいじょばない、なァ…マジで相手が宗像むなかた3女神だとしたら―らん火種をぶっこむ事になる…ヤマツミVSワタツミ…関わりたくねえ…やっとこ平和な生活してんのによォ」

「僕も勘弁かんべんかな…マジで消されかねない」

「そんなに緊張関係なのかい?海と山の神は?」と長田さんはく。

「いくら、この国の神が八十万やそよろずの神とは言え。そいつら全員が仲良しこよしって訳でもねェ…縄張り争いはあった…ま、昔の事だがな?今は各々おのおのが箱の中にびっちりおさまってるようなもんなんだよ…昨今さっこんの世界情勢と変わらん。ちっとした事、きっかけさえあれば、紛争の始まりよ…そしてそれは天災てんさいとしてお前らの世界に現れる…」

「ニュース見るたびに死にたくなるな、そりゃ」と僕は言う。自分のせいで―天災が起きたら…想像するだけでうんざりだ。

「話のスケールがデカ過ぎてピンと来ないねえ」と長田さん。まあ、普通はそうだ。それでいい。

「あー面倒めんどくせぇ話だ」とミケツさんは零す。まあ、彼はあくまで山の神の御使おついだ。あまり無理を言うのもねえ…

「どうにかズルしたいもんだ…」と僕は零す。誰の手もわずらわせずに事を治めてしまいたい。

「コイツを放っておくのが一番だ」とミケツさん。まあ。順当じゅんとうに行けばそう。でも僕はお節介焼でもあるのだ…実は。

「あーめんどくさい!!もう呼んじゃえ、ウカノカミ様」僕は言っちまう。

「いや、この空間に呼んだら感づかれるっちゅうに」と半分キレ気味で言う僕をいさめるミケツさん。

「あ」僕は思わず口に出す。思いつき。

「あん?」とミケツさんはそれを受ける。

「前のさあ…緊急回線って、ウカノカミ様のところにも繋がるかい?」ここに呼ばずに遠隔えんかくで話をうかがおうという訳。

「んー?まあ?出来ん事もない…かァ?俺がかいすりゃ、ココの主にもバレん…かァ?」ミケツさんは確信を持てないらしい。

「ミケツさん」とこの話の蚊帳の外に居た長田さんは言う。

「おん?どした?長田?お前が何かするのか?」

「僕は―ま、普通の人だから。そしてせいぜいが御用聞ごようぎき。だから―交渉をして他人の力を使う…それが長田流の仕事術」

「ふん?お前さんは『何』で俺様と交渉する気だよ?」鋭く問い返すミケツさん。

「ミケツさんは『ヒレ』ってご存じかな?」長田さんは問う。

「そらあ…豚ヒレなんかは久井がくれるからな…ロースのご近所さんだ、ついでに言えば産出量の少なさ故に高級品だなァ」とミケツさん。久井さんの影響受け過ぎだろう…

「黒毛和牛のヒレって美味しいらしいよ?」と長田さんは言う。

「適度な霜降りと赤身の肉…一度食ってみてェなァ」不釣り合いな状況で涎をたらす柴犬。

「食べさせてあげようか?」と長田さんは言う。財布の心配は何処どこへやら。

「良いのォ?」ミケツさんにはほこりは無い…美味そうなエサがあれば食いつくダボハゼみたいな神の御使いなのだ。

「久井君に頼む…だから、さっきいおり君が言った事してくれない?じゃないとヒレはあげない」と少し意地の悪い言い方をする長田さん。

「良いんですか?お小遣いの危機ですよ?」と僕は現実的な心配をしてしまう。

「良いんだよ。若い子が頑張れる状況をつくるのが―中年の努めさ」

「やだ、カッコいい」と僕は言ってしまう。

「はは。嫁が居るかられないでくれ…ま、僕も少しは格好かっこうつけときたいんだよ、ダメな人間なりにね」

「済みません…助かります」

「いや、そこはありがとう、だろう?」


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「ったく…しゃあねえのう。おい、長田、お前、リュックの中けとけ、俺はコレが終わったらしばらく動けんからな」とミケツさんは言う。

「悪いねミケツさん」と言いながら、リュックの中身をそこらに捨てる長田さん。

「構わん。肉の為だ。仕方ねえ」


 ミケツさんの目の光が、消えたような具合になる。そして、体は硬直する。まるで死後硬直しごこうちょくみたいな具合で大変に心臓に悪い。

「ちょ…大丈夫かい?ミケツさん!」思わず僕は叫ぶのだけど、ミケツさんの体が小刻みに震えはじめ、あの例の電子音が鳴り響く。

「トゥルルルル…トゥルルル…」以前と違うのは、相手の反応があるまで呼出音が鳴り響くところ。

「まさか―所要しょようで席を外してるんじゃないだろうね」と長田さんは心配そうに言う。電話のすれ違いと言うのはサラリーマン共通の悩みらしい。

「いやあ…多分、出ますって」と僕は希望観測を述べる。


 おおよそ3分は待っただろうか。ミケツさんは相変わらずバイブレーションしているし、電子音は鳴り続ける。

「ミケツさん、フリーズしてるんじゃないの?」と長田さんはパソコン相手のような事を言いだす。

「ブルスクですか?まさかあ」ブルースクリーン・オブ・デス。全世界でおなじみのあのOSのカーネルパニックを指す言葉。その画面が表示される場合、そのパソコンは致命的なエラーを抱え込んでいる。対処としては電源を切るしかない。その後でリカバリするのだ。

「電源は―無いよね」と長田さんは冗談交じりに言う。

「いや、電源落としたら死にますって」と僕も半分冗談で受ける―けど。コレ、マジで手詰てづまりなのか?もうんでいるのか?


 なんて。

 そんな心配をしている時、ミケツさんの口がパックり開き―あの懐かしの声が聞えて来たのだけど。

「あ~い…ウカノカミでーす」嫌にテンションが高い。前は何というか柔らかさの中にクールさがある感じだったのに。

「ええと。宇賀神うがじんいおりです。お久しぶりです…ウカノカミ様?」

「ん。久しぶりぃ…」何というか―コレ酔ってらっしゃる?

「今、お時間頂いても?」僕はおっかなびっくり彼女に問う。

「いいよお…懐かしい面々と騒いで…る所だけ…ど」

「えーと。間違ってたらごめんなさい」僕はあらかじめお断りを入れ、彼女に問う―


「飲み会の最中っすか?」と。

「うん」事も無げに言う彼女。神無月かんなづきにはまだ早い。

「それはそれは。まあ、ちょっとお耳に入れたい話が―って言うかミケツさんから聞いていると思いますが―」

「ああ―アレかあ…何?今何…してん…のぉ?」呑気のんきな声で問う彼女。

「今、相手さんの本拠地に居まして―」と僕は言いかける。それになかば被せるようにかの女神は言う。

「ああ―あの蟒蛇うわばみのトコロ…あのね?いおりちゃん?」

「はい?」

宗像むなかたの娘たちは―今、私のトコロでんでるよ?」

「へ?」一体、どういう事か―

「うん…さっきキツいの呑ませて潰したばっかだけど―ま、久々に連絡取ったら来てくれてさあ…盛り上がっちった、えへへ」旧友に会うノリでおっしゃるんじゃない。

「じゃあ―彼女を呑みこんだ海神ワタツミは何処のどなた?」こう問うしかあるまいて。

「さあね?もしかしたら―新しい神なのか…はたまたただの蟒蛇うわばみか…」

「と、いう事は―僕らがやっつけても問題なし?」単純な方向に持って行こうとする。

「んー?流石にマズ…い…んでな…い?」

「影響は出ると?僕らの周りに」

「うん…人の思いやらなんやらが積み重なって―産みだされたモノだよ?」

「なるほど…そら、恐ろしいモンですわ」

「ま、君はかの女を―救…いた…いんでしょう?相変わらずお人よしだよねえ…」

「お節介なもんで…で?何か手は?」

「ちょい…待ち…素戔嗚スサノオく~ん?あのでっ…かい蛇切ったつるぎって何処にあるんだっけ?」

 ここでしばし彼女の声が遠くなる。ワイルドな男性の声が聞える―

「いや、俺あのつるぎうえにあげちゃいましたし…」

「ええ~?じゃ誰が知ってるのぉ?」

日本武尊ヤマトタケルノミコトが―どっかに忘れてきたような―」

「タケちゃん?あの剣貸してよ~」かの女神はおそらくヤマトタケルに絡んでいる―そうそうたるメンツで飲み会をしているらしい。

「いやあ…ねえさん…あれ、どっかの神社か海の底にあるんで無理すわ、ガハハハ」軽いノリの青年がこたえている。

「あれえ?どーしようか?」いや、それを僕に問われても…

「なんかわり、無いっすか?」妥協案だきょうあん

「ひとちゃん?起きてるか~い?」ひとちゃん…たぶん、鍛冶かじの神の天目一箇神アメノマヒトツノカミの事だ…何でも居やがるぜ。

「へいへい…つるぎ作ればいいんでしょ?やるやる…ちょい待ち…」と答えた職人っぽい中年の神―この間に、もう一つの問題を解決するか…

「ウカノカミ様あ?」と僕は呼び出す。

「あいあい?」とノリノリの女神はこたえる。

「ちょっとした空間にダイブしたいんですが…良いモノないすか?」適当な発注。

「水にもぐるのね?」

「多分…」

「おーい、しお爺様じいさまぁ?」

「へいへい…お呼びしました?」これは―海幸彦うみさちひこ山幸彦やまさちひこの話の塩土老翁シオツツノオジだろうな。塩の爺様って事は。

「得意の竹細工、見てみたいな~」とあおる女神。

「ワシゃあ酔っとっても凄いんですぞお…ホレホレ…ワシの指先の美技!!たまらんでしょお…」

「わあ~凄~い」爺様はおだてられ絶好調らしい。

「…その二つ、送ってもらえます?」と僕は話をまとめ始める。

「ん…分かった…ミケツの体にれとくね!!」適当な回答。どう取りだせというのか。

「ミケツさんの…口に手を突っ込まないと…いけんのです?」色々して貰っておいてなんだが、抵抗がない訳じゃない。

「大丈夫!ミケツから出るから!!じゃ、またねえ~」そう言ってかの女神は通信を終えた―あれ?代償だいしょうの話は?

「…タダで働いてくれたね?神のみなさん」と黙って聞いていた長田さんが零す。

「後から請求されるに違いない…借りが増えちまった」と僕は零す。


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 通信を終えたミケツさんは、口を閉じ、またもや死後硬直のような感じで、固まっていたのだが―お腹の辺りの筋肉がせり上がるような動きをしている。

「ミケツさん?」と僕は返事がないはずのミケツさんに言葉をかける。

「ああーこりゃ吐くねえ…飼ってた猫が吐く前ってこんな感じだったよ」と長田さんはのんびり言う。まったく、ミケツさんの上下かみしもはどーなってんだか。

「ゲコォ…ゲコォ…」何だか不穏ふおんな音を出すミケツさん。長田さんは側で背中をでている。

「うぉええええ…」とミケツさんは―つるぎを吐き出す。教科書で見た両刃りょうば銅剣どうけんとは違う、細身の突剣とっけんみたいな刀だ。創ったのは日本の鍛冶の神なはずなんだけど。 ※1 ※2

「うぐぅるるる…うぇえ」と二発目に吐き出されたのは、塩土老翁シオツツノオジの創った―かご。正確に言うなら、無目堅間まなしかたま。隙間の無い竹籠。この中に入って、あのベットに潜れ、という事だろう。ご丁寧に命綱いのちづなまで付いている。

「っく…ああ。死ぬかと思たでェ」ミケツさんはようやく意識を取り戻す。

「ゴメン。ミケツさん…お疲れ。後は僕が何とかしてくるさ」ねぎらいの言葉をかけておく。

「おゥ…しっかり気張ってけ。長田、済まんが頼む」とへたりこむ。

「はいはい…さて。僕はこの竹籠の命綱を持っておけばいいんだね?いおり君?」と長田さんは僕に向き直って言う。

「ええ。ただ―コレ、どうやって中に入るんだろう?」ふたを開ければいいのかしら?その辺、神話の記述はどうだっけ?

「そこら辺はうまいことなるさ、取りあえず、その剣、腰あたりにわえときなよ、何かの拍子に失くしたら大変だ」 

「それもそっか…とりあえず―カラビナでどうにか…」僕が今日、履いているパンツにはボルダリングの際にチョークバッグをぶら下げる為のカラビナが付いてる。天目一箇神アメノマヒトツノカミ様は鞘にキチンとホルダーをつけていた。まったく仕事が細かい神様だ。

 細身の剣を腰に結わえた僕は、竹で出来た隙間のない竹籠の前に座る。そして、ゆっくり息を吐く。そして吸い込み、蓋を開けてしまう―


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 気が付けば竹籠の中に僕は居る。

「長田さーん?」外の彼に呼びかける。

「はいはい…」くぐもった声。一応外と話は出来る。

「この籠…あのベットに投げ込んじゃってください」

「ま、そうなるわねぇ…よし、食いしばってくれよ?舌噛んだら死ぬよ?」と長田さんは準備を始めたらしい。

「何時でもオッケーです」籠の中は…まあ、竹細工な感じで、掴むことができるような部分は無い。とりあえず踏ん張る。


 そして―

 まるで遊園地の絶叫系マシーンみたいな状態になった。長田さんはどうやら、ブンブン振りましているらしい。僕の体に色んな方向からの加速度かそくど(G)がかかる。正直吐きそうだ…

「あんま振り回されると吐きますよおお」と僕が断末魔だんまつまを上げたその時、一瞬、あらゆるGが感じられなくなった。でもそれは一瞬の事。あっ、と言う間に明後日の方向に向かって強烈なGがかかり、強烈な衝撃に見舞われる。


 水の中に重たいものを沈めた時のような、ドボンという音がし、

「いおり君…グッドラック!!」と叫ぶ長田さんの声が遠くなっていく。

 耳がキーンとしてくる。ああ。多分、あのベットの中の「海」に僕は沈んでいっているのだ…


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 目無堅間まなしかたまの中でみくちゃにされた僕は意識を失っていたらしい。

 水の中に沈んでいく時のゴボゴボという音で目を覚ます。

「まったく…楽じゃない」と1人、悪態あくたいをつく。誰が聞いてる訳でも無いけど。

 これが、あの海幸彦うみさちひこ山幸彦やまさちひこの話と同様に転んでいくのなら、その内、独りでに美しい浜か何かに行きつくだろう。

 でも。今回の相手は―正体不明の何かだ。神なのか、はたまた妖怪ようかい変化へんげたぐい蟒蛇うわばみなのか…手荒てあらい歓迎をされない保証はない。女が単身たんしん乗り込むのは危険ですらある。

 でも、まあ、僕はお節介焼の宇賀神いおりだ。何とかするっきゃない。

 久々の1人はなかなかこたえるけどさ。


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 目無堅間まなしかたまの底の方―床って言えばいいのか?―に軽い衝撃が走る。どうやら、僕は目的地に着いたらしい。

 籠のふたが開く。そして気が付けば。僕は夕暮れの浜に居た。目の前には海。でもコレ、一体何処だろう?寄せては返す波に濡らされる砂浜はまるで鏡みたいに頭の上のあかね色の空を写している。

 想定のそと過ぎる場所に連れられた僕はしばし固まってしまった。この目無堅間まなしかたまなら、龍宮城のような場所に連れていくだろうと思ったから。

 意識を自分の体に戻し終えた僕は、辺りを見回す。美しい光景ではあるけど―何処どこか冷え冷えとした雰囲気を放つ海浜かいひん

「おーい誰か居ませんかあ?美和みわさあん」と僕は声を出してみる。それはかたわら海原わたのはらに吸われ消えていく。このままじゃらちが開かん。

 こういう時にどうすべきか?

 簡単だ。自分のかんに従えばいい。どうせ考えても無駄なのだ。人生はアドリブ劇みたいなモノで、自分から動いて行かないと話が進まない。

 左手に海をのぞみながら僕は砂浜を歩いて行く。足が砂に取られて、体力を削がれる。

「おーい…」またもや吸われていく言葉。

 ふと下に目線をやれば、僕の像が曖昧に砂浜に写し取られている。天然の鏡。

 その光景を見て、僕はヘルマン・ヘッセの『デミアン』のラストシーンを思い出す。デミアンとエーミールの融合のシーン。エーミールの中にデミアンが宿るシーン。あの小説はユング心理学の影響が濃い。集合的無意識の中に自らを溶け込ませる、と言うのが物語の重要なファクタになってるように思う。 ※3

 でも、自らを失ってはいけない。自らを手放した人間の行きつく果ては精神的な死でしかない。

 でも、人生に向き合うのは大変だ。1人で何とか出来る程、イージーに出来ていない。

 だから、僕たちは手を取り合う。『他人』達と。そして人生を分け合う。荷物もみんなで背負ってしまえば、なんて事はない…なんて。考えてしまう。



 かがみ


 その中にいましめられる、長髪の彼女を―僕は見つけた…鏡に向かって、僕は叫ぶ。

「おい!!聞こえてるか!!」その叫びに応じるかのように縛められた彼女は身をよじる。

「聞えてるね?よし、今、アンタをそこから出す―」と言ったは良いものの。どうやればいいのかしらん。貰った剣で突いてみるか?

 僕は腰のカラビナに結わえたさやを引き寄せ、つるぎを抜く。すらりとした刀身が目の前に現れる。つか逆手さかてで握り、砂浜に差し込む。刀身がフェンシングのフルーレみたいにたわみ、ゆがむ。マズい、コレ刺突しとつに最適化されているんだった。こんな使い方を想定されちゃない。※4

 が。

 砂浜が、鏡が。バラバラに砕け散るのを、僕は見た。足元が崩れ、僕は重力の為すがまま、落下していく―

「やっべ…死ぬのか…僕…」最近命の危機が多い。多分、日本で一番死にかけている18歳女性だと思う。ああ、ヘタこいた。余計なお世話を焼いたせいで、僕は死にかけている。

 大した人間じゃない癖に、見栄みえをはるからこんな事になるんだっちゅうの、と自分自身に向かって悪態をつく。


 まるで―スカイダイビングをしているかのような光景が僕の目の前に広がっている。視界はひたすら、あおく、あおい。

 頭が下を向いて落ちてるせいか、血液が逆流でもしてんじゃないのか?という感覚に襲われる。何とか『今は』意識があるけど、もうそろそろブラックアウトしても―おかしくない。

 頼むから―どうか彼女位は見つかって欲しい…じゃないと僕が無駄死にすることになる。どう考えても、ウカノカミ様のお説教1000年コースいきだ、間違いなく。


 情報量過多で処理速度を遅めていた僕の脳が何かを捉え―彼女だ!!腕を、手を、伸ばす。頼むから届いて欲しい。

 僕の指先が何かを捉える。さっきから握りっぱなしの剣の柄ではなく、何か鎖のような何か。これは、彼女を縛める蟒蛇か?

 落下している中で声を出すのは難しい。だって周りの空気が高速で流れているのだ。

 僕は黙って、身をよじる。重力に逆らって。そして。右腕に力を入れる。まだつるぎを落としてはいない。流れる空気に刀身は揺れてはいるけど、それは折れてはいない。

 全力で体をひねる。そして頭を逆さまのポジションから正位置せいいちに戻す。まるでボルダリングみたいだ。強傾斜きょうけいしゃのコースで逆立ちみたいなポジショニングから、体を起こすような。結構にキツいけど…火事場の馬鹿力で何とかしてしまう。

 この体勢、どっかで見た事ある…というかスカイダイビングか…ま、いい。剣を―あの縛めに向けていく。そして、さきに硬いものが触れる感触。捉えたらしい。

 全力で、柄をひねり押し込む。彼女の体を傷つけるかも知れないけどこのつるぎ刺突剣しとつけんだ。切り裂くというよりは突き刺すのが正規の使い方。

 金属がこすれる嫌な音が、妙にクリアに響き渡る。かるく火花でも出たんじゃないのか?

 しっかし…硬い。まあ、相手はこの世ならざるものだから仕方無いけどさあ。この無理くりの体制で頑張ってる僕にはキツい。

 でも、諦めない。ここまで来ちまったからには絶対に―彼女を連れ帰る。


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 あたしのいましめにヒビが入る音。

 どうやら彼女は―やったらしい。まったく、意志の強いだ。

 縛めは悲鳴を上げる。

「どうして―こんな事を受け入れるの?」問われる。

「あたしさあ…貴女あなたに助けてもらったよ、確かに」感謝をこめ『あたし』は言う。

「でしょう?なら―この剣を抜きなさい」懇願こんがんする『彼女』。

「でもさ。あたしは―自分に嘘つくの止めようと思うんだ」

「それで、貴女は生きていけるの?」

「分かんない。人であるあたしらの人生はせいぜい100年だけど。まあ長い」

「楽して、ズルして…いいのよ?」

「ね?楽するのは悪いこっちゃない…貴女に教えてもらった事さ…でもね?自分をだましきる事は出来ない。何時いつ何処どこかで矛盾する」

「その矛盾と共に私と生きればいいのに」優しい慈母じぼのような彼女。でもあなたがやっている事は、子どもをスポイルしてるだけなんだぜ?

「なあ。貴女が姉の子どもを養育よういくしたのは知ってるぜ?玉依姫タマヨリヒメさま」あたしは『彼女』の名前を呼ぶ。

「ええ。姉から与えられた―使命だったから」

随分ずいぶん、甘やかしたんじゃないかい?夫にまでしてさあ…だから、あたしまでをも甘やかしてる…」

「子どもは―守るべきものでしょう?」

「あたしはもう28だ…いい加減大人なんだよ…」

「私からしてみれば子どものようなモノ」

「子離れの時間だ…いい加減。大体あたしは君の子ですらないしね…神の世と人の世を繋いだ偉大な龍女りゅうじょたる貴女を尊敬しないでもないが―抱えるモノは、タダの愛の深すぎる、母だ」

「どうして―皆、私から離れていくの―」ほとんど悲鳴に近い。

「そりゃ。君の育てた子も『個』を持つからだ…自分と同化させるな」厳しい言葉を吐いてしまう。

「それが―母でしょう?」

「いんや。違うね。賢母けんぼは子が離れるのを見守るのみさ。賢母は知っている、子どもと自分は『他人』なのだ、と。貴女には受け入れがたい話かも知れんけど」

「ええ。いつくしみ、育て、障害を取り除いたのは―私」

「うん。アンタはいい母だが、それ止まりだ。いい親ではない」

「否定するのね」

「否定じゃないさ…指摘をしただけ」

「貴女が私を離れるならば―その代償を私は望む」だろうな。タダって訳にもいかんよね。

「いいよ…命でもいい。世話んなったからね」

「嘘でしょう?」

「バレるか…んまあ?あたしなんかを救おうとする、かの少女にあたしはこたえなならん…なんつっても教師を選んだ身だ。年少者の頑張りにはむくいたいもんでね」

「貴女は―私を忘れるかしら」彼女は問う。

「貴女が記憶を奪わない限り、病に脳がおかされん限り、忘れんよ…」

「なら―もう、いい」諦めるかのように言う彼女。

「済まん。そしてありがとう…命を落としたら…貴女にあたしの生涯を紐解いてやるから―勘弁してくれ」

「その約束―たがえる事はないでしょうね?」

「おう。約束するさ」あたしは優しくて、残酷な彼女に言う。

「さようなら―」

「またね…なーに、すぐ来るさ」とあたしは言っておく。大して長い生涯にはならないはずだ。


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 そうして。

 僕は、

 あたしは、

 手を取り合う。なんでだろう?初めて出会う私たちは何処か似ていて。でも『他人』で。

 遠く長い人生の中で、か細い縁で繋がった…相棒なのか、伴走者ばんそうしゃなのか。

 まあ、いい。

 さっさとかえろう。

 あの―どうしようなくまらない日々に。


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 僕たちは、手を繋いだ状態で、あの団地の廊下に戻ってきた。長田さんとミケツさんは一足先に戻っていたらしい。心配そうな顔で僕らを見下みおろしていた。

「何とか―なったぜ、オイ」と僕はごちる。

「ああ、何とかしたんだね」と長田さんは言う。

「まったく―お前は見てて飽きねェわ」とリュックでぐったりしているミケツさんは言う。

 さて。彼女は?繋いだ手の先の彼女。つややかなからすいろの髪が―彼女の体を包んでいる。

「髪、長っ」と僕は思わず言う。

「ま、引きこもりあるあるさ…髪切りに行くのは大変だから」と長田さんは言う。

「に。したってよォ…ほぼ全身おおってんじゃねえ?」とミケツさんが言う。

「まったく…僕には出来ん事やで」と僕は言う。そして。肩のあたりを揺さぶる。

「おーい?美和さん?大丈夫ですかあ?」

「…うん。たださ…力が入んないんだよ…しゃべるのが精一杯…救急車回して…」

「ええ?マジ?」と僕は言うけど、揺すぶった肩は、ほぼ皮膚と骨みたいなか細い肩だったな…もしかして?絶食状態か?

「とりあえず―そのようにしよう」長田さんはそう言い。電話をかけ始める。


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 美和さんは…救急車で搬送はんそうされる、僕らも付きう。

 病院でくだされた診断は栄養失調。でもそこまで重度のモノでも無いらしい。

 美和家の人々は―数時間後に病室に現れる。

「すみません…ウチの娘がご迷惑をおかけしました」と美和老人。

「まあ…大事だいじいたってないので」と長田さんは言う。その対話を僕と、美和夫人は聞いていた。初めて目の当たりにする美和夫人は、まさしく―学校の面倒な女教師といった風体ふうてい。気が強いでは済まない強烈なオーラを放っている。

「まったく…和美かずみは迷惑しかかけない」と美和夫人は零す。その言葉で僕はキレてしまいそうになる。

「いおりくーん?どうどう」と長田さんが言う。

「済みませんね…ウチの家内は正直過ぎまして」間に挟まれる美和老人は縮こまり、消えてしまいそうになっている。

 その間、ベットで点滴を受けながら和美さんは眠っていたと思うのだが―

「父さん…母さん…久し…ぶり」と絞り出すように彼女は言葉を放つ。

「和美?大丈夫か?」美和老人は心配そうに言う。

「大丈夫では…無いね…このざまだもの」

「自己管理さえできないの?貴女は」と美和夫人は罵声ばせいに近い言葉を浴びせる。

「まあね…でもさ、忘れない内に…言っとくよ…母さん」

「何?」興味がなさそうに婦人は返事をする。

「アンタに産んでもらった事だけは感謝する、が。あたしは『あたし』だ。アンタの人生のやり残し…は自分で何とかしろ、あたしの知ったこっちゃない…」

「そんなくだらない事を―数年すうねん言いそびれていたの?」あくまで夫人は和美さんを理解しないつもりらしい。

「最近、気付いたもんでね…」

「別に―遅い、という事はない」美和老人は和美さんと夫人に毅然きぜんとした様子で言う。

「父さん…ありがとう」絞り出すように言う彼女。

「なに、大したことじゃない」何気なく言う美和老人。

「さて。僕らは―いったん引きげよう」と長田さんは僕に言う。

「ですね。後は和美さんに任せましょう」と僕は言う。


↑ 本文、了


 本稿の執筆にあたり、以下のサイトと文献を参考にした事を明記します。


※1 『両刃の銅剣』

①「銅剣」

京都国立博物館 所蔵

@ColBase 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/J%E7%94%B2255?locale=ja


②「銅剣」

京都国立博物館 所蔵

@ColBase 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/J%E7%94%B2507?locale=ja


③「銅剣」

京都国立博物館 所蔵

@ColBase 国立文化財機構所蔵品統合検索システム

https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/J%E7%94%B2260?locale=ja


※2『突剣』


「レイピア」

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Different_Rapiers.jpg#/media/File:Different_Rapiers.jpg

@wikipedia


「エペ」

Object: Object: Dix pièces: bouclier repoussé et damasquiné, épée à deux mains, épées et dagues

Series: Series: Collection d'armes de cabinet de M. le Comte de Nieuwerkerke

@The British Museum

https://www.britishmuseum.org/collection/object/P_1871-0610-885


※3『デミアン』

「デミアン」

ヘルマン・ヘッセ

高橋健二 訳

新潮社文庫

1951

新潮社


※4「フェンシングのフルーレ」

『FIE競技規定(日本語訳版)・用具規定(m)』

m6~m13

@公益社団法人 日本フェンシング協会

https://fencing-jpn.jp/rule/










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