カステラ、エレクトラと歪んだ家庭、中庸を目指す老人たち

 目的地。それは閑静かんせいな住宅地にそびえる一軒家。立派な門が内と外を仕切る。門の表札には苗字みょうじ

「美和」みわでいいのだろうか?読みとして。思案しあん顔の僕に長田さんは、

「みわさんだよ。何というか三輪みわを思わせる苗字だよね…奈良なんかに多い」

「み…さんの字がどうしても頭に浮かびますね」

「ま、案外に関係なくはないかも分からない」と長田おさださんは言いつつ、インターフォンを鳴らす。

「はい」なんか久しぶりにインターフォンの応答を聞いた気がするのは最近の出来事のせいだろうな。

共生組合きょうせいくみあい、長田と―寮生りょうせいを連れて参りました」

「どうぞ、中にお入り下さい」


 門をくぐり中庭を通って、扉を開け、中に。内装は最近の建築って感じだろうか?じゅん日本家屋かおくではなく、洋風の雰囲気がただよう。

 迎え入れてくれたのはその家の主で、彼女の父親にあたる方。

「長田さん…お世話になっております…そして初めまして―お嬢さん?」珍しい。一発で僕の性を当てる人は珍しい。なんといっても見た目が青年風のショートカットだし、格好だってイージーパンツに半袖のパーカーなのだ。大抵の人は僕を小奇麗な男として扱う。

「初めまして。宇賀神うがじんいおりと申します。今日は長田さんのおともで参りました」

「ご丁寧にどうも…ま、私はそんなかしこまられるような人間じゃない、気軽にして欲しい」と人のよさそうな美和みわ老人は言う。

「と。言いましても―年上に対する時は礼儀を持って、って言うのがセオリーですから」と僕は言う。

「そうかい?君くらいの年齢は恐れを知らないものだ…それが私みたいな老人にとっては心地いい時さえある」この御仁こじん中々にうつわが大きそうだ。

「いおり君」と長田さんがエクスキューズを置く。

「何でしょう?」やらかしてしまったのか?

「美和さんの家は―教職きょうしょく系の家庭だ。礼儀がなってないくそボウズの相手はお得意なんだよ」と長田さんは毒を交えながら説明してくれる。

「あらら…まあ、お手柔らかにどうぞ」と僕は言う。正直、教職の人間は嫌いだ。あんまりにもいい思い出がない。偏見へんけんでモノを見てしまう。

「君は―無能教師に行き会ったようだね」と柔らかい笑顔の美和老人は言う。

「そもが転勤族で―教師ってあまり深い付き合いした事無くて…」やや言い訳気味の弁解べんかい

「ま、我々みたいなのは―一瞬いっしゅん関わる『大人もどき』だ…仕方ない部分もある」と美和さんは卑下ひげしながら言う。

「『大人もどき』って…というか―僕が言うのもなんですが、がっても?」と僕は話が長くなりそうなので、先手せんてを打ってしまう。

「おっと。失礼。さ、上がってください。狭い家ですが」


 美和老人の狭い家ですがという謙遜けんそんに反して、中々に豪華な家だ。僕の実家も相当らしいけど、それを超えるものがある。

 失礼を承知で案内されたリビングを見回す。賞状やら写真が多い。でも、それは美和家の仕事の写真。即ち、生徒と美和老人、美和夫人の写真であり、家族写真のようなモノが見当たらない。これは―僕が言えた事じゃないけど、異常一歩手前だ。

「いおり君―言いたい事は分かるが、物事には順序がある」と長田さんが牽制けんせいきゅうを投げる。

「ま、美和氏の話を聞いてから…ですね?」

「そ。茶を待とう…茶菓子ちゃがしは何かなあ」なんて能天気な事を言う長田さん。

「いや、普通出先でさきの茶は飲まないものでは?」とツッコミ。

「いや、会社相手じゃなし、もてなしを拒否するのは失礼だって」

「ま、なんでもいいっすけど…」


 美和老人は、カステラとコーヒーを乗せたおぼんと共に再登場した。

「いやあ…今あるお菓子だと、コレが一番かな、と思いましてね?」

「美味しそう…」そう、そのカステラ、僕は知っている。長崎の老舗しにせのものだ。普通家に転がっているモノでもない。

「お。カステラですか…コーヒーと良い味出しますよねえ」と長田さんは給仕きゅうじされたカステラをむさぼりつつ言う。さっき食いながらしゃべるなって言ったのは何だったのか。

「喜んでもらえて何より…さて?話はどうなっているのでしょうか?」美和老人は我々に問いかける。

「今のところ―天照アマテラスよろしくな感じですね…我々は外で騒いでいるだけ」と長田さんは言う。まあ、間違っちゃないけど、事実でもない。

「ほんと。我が娘はシャイでして…教職になれたのが不思議ですわ」と美和老人は言う。

「ええと。僕がここで言葉を挟むのもなんですが―彼女は家の伝統として教職にいたのでは?」そう、この家を見る限り、ある種の生業なりわいみたいな感じなのだ。

「それは―違うんです」と美和老人は言う。

「突っ込んでお聞きしても?」僕はうてしまう。好奇心と言うのは怖い。

「我が家は教員の家系です、それは否定しない。私だって教職の家に生まれ、何も考えずに教員になりましたし、家内もまた。でも我が家の子どもは教員になるはずがないと思っていました」美和老人の語りが始まる。

「それはどうして…」

「私たちは今で言うワーカホリックだったんです…家庭を顧みなかった」寂し気な美和老人。

「それは―養う為に必要だったことでしょう?」そう、我が両親もそうだが、ワーカホリックと言うのは仕事自体が目的になる自家発電じかはつでん型の人も居るけど、の方は仕事で得られるモノを家庭や自分自身に還元かんげんしたい、という人々なのだ。それは悪い事ではなく、ただ一所懸命いっしょけんめいに働いているだけで、罪はない。まあ、その被害をこうむる人間が居るのも事実だけど。

「まあ、若いうちはそうだったのかも知れませんが…歳をとると人間、欲が出てくる」と美和老人はアンニュイな物言いをする。

「ま、それが会社やその人の為になっていれば―表面上問題はない」と長田さんは言葉の間をめに行く。

「だが、物事はゆがめられるとひずむ。最初はただ、生徒の後押しをしたいだけだった」過去の話のように言う美和老人。

「中継地点…もしくは交差点…その案内人みたいな」と僕は抽象ちゅうしょう的な言葉を挟む。

「ですねえ…別に教師は何でもない。凄い子は最初から凄くて、私たちはそのお手伝いをしているだけ…それをわきまえていたら、私のようなゆがんだ老教師ろうきょうしは居ない」

「ある種のキングメーカーを気取ってしまった?」正確な物言いじゃない。キングメーカーとは政治の枢要すうように関わり、権力者をバックで支える者の事を指す。

「近いかもね…子どもにある種の押し付け…理想を強要した…最初はうまくいった。何なら、今あなた方に出しているカステラも私の教え子からの贈り物です」

「割と優秀だったようで」完全に嫌味にしか聞こえないが、そう言うしかない。

「手厳しい。だがまあ、私の教え子は大抵が優秀でしたね」

「私立の学校にお勤めだったのでしょうか?」僕は訊く。

「いえ…公立のトップレベルの高校ですよ?」そりゃあ…まあ、優秀な人材が集まるだろうな。

り集められた優秀な人間を―ひとかどの人物に仕立て上げる…」

「その内―勘違いするんですよ、人間って…自分の指導能力を過信するようになる」見た目に反してはいるけど。

貴方あなた達は―人の人生をゆがめられる…それを知らないはずがない」刺々し過ぎる。私怨しえんが混じりだしてる。

「哀しきかな、それを当の本人だけが―気づかない。自らの指導を絶対視し、子どもを選り分け、自分の理想像にね上げる。切り捨てた子どもがいくら居るか…」まるで、芸術家か何かだ。もしくは家畜かちく品種ひんしゅ改良かいりょうの研究家みたいな。

「でも―貴方は何処かの段階で気が付いた」僕は話を引き上げ始める。彼の告解こっかいを聞き続ける暇はない。悪いけど。

「それが―我が子の異常だった、って言うのが笑いどころですねぇ」とコーヒーを飲む美和老人が言う。

「異常?今の状態を指すのではなく?」僕は話を掘り下げていく。

「教師は自分の子の教育をおろそかにしがち…っていうのを実地じっちでやっていたのが我が家です。放っておいても『私たちのような』マトモな教師か何かになるかと思っていた…おろかしい話です」

「悪いけど―それは事実です。子どもは放っておけば―くさる。僕自身もそうでした」

「苦労したらしいね…」

「ええ。形は違えど僕も両親に放置され、勝手にどうにかなる事を期待された子どもでした…最近は親の心変わりで随分ずいぶん甘やかされていますが」

「君は…自分でどうにか出来たんだろう?」少し侮蔑ぶべつの色さえある美和老人の言葉。

「いえ」僕は否定する。そんな訳がない。僕は両親や色々な人の温かさで何とかここに戻ってきただけだ。

「中々芯のある若者だね?長田くん?」と美和老人はカステラを貪るのに専心せんしんする長田さんを巻き込む。

「んぐ…いや、いおり君は―ただ素直だっただけですよ。強くはない」とカステラをみこみながら長田さんは言う。

「ええ。僕は周りに助けてもらわないと何も出来ない馬鹿なんです」と美和老人に告げる。大した人間でもないのだ。

「私達は―あの子を…助けなかった」

「見捨てた?」

「いや、自分で道を選べ、と」

「無茶言う」そんなの十代の若者が1人でどうにか出来る話じゃない。

「それが案外どうにかなってしまった…異常と言うのは不登校の話です」と美和老人は続ける。

「ま、女なんて中学で良くも悪くもれますから…そういう事はままある」僕は実体験を思い浮かべながら言う。

「大人しかった娘は―生贄いけにえにされた。イジメられたんです」

「それこそアンタの出番だ」と僕は毒づく。専門家でさえあるだろう。勝手にどうにかしろって阿呆あほうの言いざまだ。

「いおり君?どうどう」と長田さんはたしなめる。いかん、迷惑かけかねん。

「まったく。その通りで言い返したくはないが―こもったところで行きつく先はない。死ぬのがオチだ」美和老人は厳しく言う。確かに事実だが、オールオアナッシング型の選択を迫るのは僕からしたら愚策ぐさくにしか思えない。人生には数多あまた道があり、その中には逃げ道がある。若いうちにその使い方を覚えなかった人間の行きつく先は地獄だ。

「かも、知れませんが…あなた達がその年齢だった時、同じ事を強いられたらイラつくのでは?」

「想像力の欠如けつじょ…大人の特権だったりするんだよ…お嬢さん」

「ま、過去を裁いても仕方ない、か」諦め半分で言う。

「覆水盆に返らず」と長田さんは言う。

「で?娘さんは何とか不登校を脱した?」

「ええ。当時の担任が上手い事してくれ、高校にも行った…その後はあなた達の知る道を歩んだ。私たちのようには絶対ならないだろう、と思っていた娘が」

「補足しよう」長田さんは言う。

「その時の担任のような―弱きに寄りそう教師という道を娘さんは選んだ」

「それは―いばらの道だ…綺麗ごとだけじゃない」と僕はリアリズムを発揮はっきしてしまう。

「まったく。私たちと交渉があれば、それを伝えられた…でも、娘は…私たちを見限った。家族と言う縛りを疑似ぎじとしてとらえ直し、いち早く家を出ようとした」

成程なるほど…だから大学の近所で1人で」


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「教育大学に進んだ娘は1人暮らしを始めた…それ自体、あまり懸念けねんしてなかった、私たち夫婦の家事さえになっていた彼女なら問題なかろう、と」と美和老人は言う。

「それは―甘く見過ぎというか…高く見積もり過ぎでしょう」と僕は返す。

「理想に燃える若者を止めるのは難しい」と長田さんは言う。

「まあ、実際、大学時代は問題なかったんだよ。真面目に講義を受け、粛々しゅくしゅくと単位を取り、バイトもしていたな…学習塾だったと思うが」

「ほんと、真面目な方なんですね」と僕は感想をらす。

「学生の内は―案外無理も効くもんだからね」と長田さんは懐かしそうに言う。

「順当に大学を卒業した娘は、国語の教諭として公立中学に勤めだした」

「まーた、リスクが高そうな場所に…」

「公立中学の教員は―ハードだ…色んな子どもが集まる最後の機会。問題児が少ない訳じゃない、メンタル的に強くないと、何処かで破たんする」

「個人的な感想ですが―中学の教師って、ちょっと頭のネジが危ない人、多かったですね」実際、そうでもないと思春期の訳分からんパワーに立ち向かう事は出来ないと思う。今だからそう言えるのだけど。

「教師の不祥事ふしょうじは絶えない―のは事実ですが、別にきわ立って教師が犯罪をおかしている訳ではない…言い訳に聞こえるかもしれませんが」と美和老人は言う。

「まあ、いい教師も居るでしょうね」と僕はフォローを入れておく。

「そうして―いい教師から潰れていく」と美和老人は言う。

「それは―理想とのギャップですか?」と僕は尋ねる。

「も、あるでしょうが。抱え込み過ぎるって感じでしょうか?」

「普通のサラリーマンと変わりがない…」と思う。

「昔は教師を神聖視しんせいしする向きもありましたし、人の上に立つ仕事ですし、普通のサラリーマンと違う職かも知れませんが―内実ないじつは変わらない。どんな職場にだって理不尽はあり、そこで病んでしまう人間は数多居る」美和老人は言う。

「僕は偏見で物を見ていたのかも知れませんね…今まで強い言葉を使った事、おびします…済みません」

「いえいえ…若い子に反発されるのは慣れっこですから」と穏やかな顔の美和老人は言う。

「彼女は―真面目に学級に取り組み、問題を前にして、潰れてしまった…」長田さんは言う。少しの哀愁あいしゅうがあるのは自分の経験を思い出しているからだろうか?

崩壊ほうかいした学級を戻すのは―不可能に近い」と美和老人は言う。

「そうなんですか?」と僕は問う。

「ええ。ハードランディングを避けるすべは無くはない。でも、リカバリーしようとすると多大な負担を強いられる」苦々にがにがな美和老人。

「まあ、問題の根はひとつじゃないでしょうし」と僕は言う。崩壊した学級なら全員がその原因たる事もあり得る。

「しかし。娘は真面目に1つ1つ潰そうとした…」

「1つ潰すのも大変なのに」

「面倒見が良かった、と言うよりは昔の自分がしてもらった事を全員にしようとした」

「それは無茶―」でも、それをする事が彼女の使命だったのかもしれない。彼女はその理想を胸に抱え、教師と言う職を選んだ。

「僕みたいに―」長田さんは言葉を挟む。

「適当に仕事を選んだ人間には分からない、天職てんしょくの中の苦悩」それを言ってしまったら―働きたくなくなるなあ。

「与えられた使命、もしくは自分が見つけ出した理想…その中で絶望を味わうのは地獄です」と美和老人は言う。

「やりたい事をやっているからって…苦しくない訳がない」と僕は言う。珍しく素直な物言い。

「ね。案外周りは分かってくれない」と美和老人は言う。

「僕が知ってる中では―作家かなあ…誰だ、とは言えないけど、好きな小説を書いてるのに苦しい、って何処かで見たような」

「やってる事がうまく行っている内は良い…問題は上手くいかない時だ」長田さんはもういくつめか分からないカステラを食べつつ言う。


ずるい大人は逃げられる」と美和老人は言う。

「ですね。適当テキトーに諦める」と長田さんは言う。

「いや、長田さんはドリーマーのクチでしょう?」と僕はツッコミを入れる。

「そう?別に理想がすべてって思ってないよ?」軽く言い捨てる長田さん。

「意外ですわ…」

「ま、歳を経ると肝が太くなりますからな」としたり顔の美和老人。

「若者は繊細、ですか?」と僕は老人二人に問いかける。

「そう。その場その時がすべてで、上手くいかなきゃ人生お先真っ暗なんて思っちゃう」と長田さん。その真理は病んで悩んで得たものだ。簡単にその境地きょうちに行ける訳がない。

「だから普通は上司がマネージメントしてやらんといかんのです」と美和老人。

「上司…学校の上司って校長とかですか?」

「も居るし、学年主任でもいい」

「でも、娘さんは適切なマネージメントを受けてない?」

「と、言うより、本人が聞き流したんでしょう…一応教育現場は何重もの研修システムがあり、その際にリスクマネージメントは習うはずです」一応この人も公立校の教員だった人だ。

「うわあ、何か耳が痛い」と僕は漏らしてしまう。身に覚えがない訳ではない。

「それを含めたマネージメントをするってのが理想だけど―そうそう人が居る訳じゃないし」と長田さんがリアリスティックな意見を言う。多分経験もあるだろう。

「まあ―これが私が語れる娘の顛末てんまつです…参考になりましたでしょうか?お嬢さん?」

まえ知識としては十二分じゅうにぶんです。ありがとうございます…でも」僕は疑問を提出する。

「奥さんの話があまりなかったような…」

「だねぇ…ま、そこは美和さん、お願いします」と長田さんは頭を掻きながら言う。

「娘と、家内かないは、また違った様相ようそうの問題がりましてね」美和老人は困り顔だ。

「まあ、同性の親との争いは避けれぬモノです…それこそ文学、心理学の対象になるような」

「エレクトラ・コンプレックス…エディプス・コンプレックスの女性版」と美和老人は心理学用語を交えながら言う。

「あれは図式化しずぎの嫌いがあります…まあ、僕も最近まで当事者だったので肌では分かりますが」と僕は美和老人に情報を開示する。

「超えられる存在としての母、そして親のやり残しを押し付けられる娘…」

「今のご時世、親を超えようなんてガッツはないと思いますけど」と僕は近頃のわかもんの意見を言う。

「我が家内は―まあ烈女れつじょなんですよ」と美和老人はちぢこまりながら言う。

「我が母もまた」と僕は言う。

「ほう…でも和解した?」

「ま、それまでに父は別の女性とむすばれ、僕は半分グレましたが」と僕は言う。あまり良い娘ではなかった。今はそれを少しでも取り戻そうとしている。母もそうだが。

「一筋縄では行かんですなあ…」と外ではやり手であっただろう美和老人は言う。

「どっちかが悟るしかないです…あくまで親と子は『他人』であると」そう、お互いを尊重し合わないと、この手の問題は平行線を辿たどる。

「私の家内は―違うやり方で教師という道を見つけ出した娘に昔の自分をオーバーラップさせた…元が違う性格なのに」

「母は子に『希望』を託すものです…それは時に『のろい』にてんじる」お腹を痛め、血を分けた娘なのだから。でも、相手に自分を同化させたり、無理なモノにらせようとしてはいけない、と思う。

「私は、男の子を持ちませんでしたから、ある種蚊帳かやの外でした…お恥ずかしいのですが」美和老人は言う。

「それに関してはノーコメントで」と僕は美和老人を気遣きづかう。まあ、礼儀の上でしかないかもだけど。

「まあ…いや、僕も何も言えたクチじゃないかな。まだ子どもはいない」と長田さんは言う。

「一応、この手の専門家では?」と僕は牽制けんせい

「一応そういう看板はてたけど…ま、色々あるよね」

十人十色じゅうにんといろ」と美和老人は四文字熟語で状況を統括とうかつするのだった。


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美和みわ夫人ふじんはまだ、現役げんえきの教師であるらしく、今日この場には現れない。もう、聞けることは無いような気がしないではない。

「…ま、そんな感じなんだ、いおり君」とコーヒーをすする長田さんは言う。

「どうか―娘をお願いします」と頭を深々ふかぶか下げる美和老人。

「僕は―彼女を助けられない」と僕は断りを入れておく。安け合いをしたくない、というより、個人的に問題は自ら解決するしかない、と知っているから。

「ふむ…同性の君になら任せられそうなんだが」と美和老人は僕の言葉の真意を探る。

「とは言え。年齢は10近く違う。社会人として生きてきた彼女に僕が意見するのはおろかしいとさえ思いますが」

「お嬢さん…いや、いおりさん。貴女あなたは大人と言うものを高く見過ぎですね…大人なんて歳を経た子どもでしかないんです。大して進歩はない」教育者としてどうなんだろう?その物言いは。

「そー言われると教育なんて糞喰クソくらえって言いたくなりますね…僕、はねっ返りが強いもので」この人をあるしゅ信頼してるからキツめの言葉を投げかける。

「教育者の都合なのか、教師を上に置く風潮があるのは事実ですが。教師もまた、生徒に教えを受けている」

「それを理解している教員がなんぼ居るかって問題はあるかと」手はゆるめない。

「私とは違う世界の話ですが―大学教授とその弟子の関係なんかは…私のいう事を行っている例もある。師は超えられる存在であり、弟子は師の研究を発展させ、更に先を行く。弟子を見て師も学ぶ…」

「それは師の器量きりょうが大きいからです。それを認めない人間だってごまんといる」なんか大人に突っかかるクソガキじみてきた。情けない。

「まあ、ね。年上にはプライドがある…若者の先を行かねば、と」

「そう…世の中の大人は大抵そうです…たまには違う人も居るけど」

「我が娘が後者である事を祈ります。いおりさんから生きた何かをつかみとってくれると」

「僕は―そんなに大したことない」と僕は謙遜けんそんする。

「それを決めるのは他者です。それをはき違えてはいけない」と美和老人は言う。

「自らから最も遠いものが―僕の価値を決める」自分なりにパラフレーズ。

「ええ。自己肯定感をやしなう為、自らを自らが評価するのも大事だけど、他の目線を取り入れるというのは大事で難しい」

「受け入れがたい時もある…」

「まあね。テメーが何を知ってるんだ?って思わない訳でも無い」冗談交じりの口調の美和老人。

「バランスが大事なのかなあ…」と僕は僕なりにめようとしてみる。

「ま、中庸ちゅうようってアレですわ。適当てきとうともいう」と美和老人は笑顔で言う。

「一番難しいヤツ」と僕は即座にこぼす。

「大丈夫。歳食っても分かりませんから」と美和老人はあっけらかんと言う。

「一生悩む事になるかなあ…」と長田さんが口を挟む。

「私も死ぬまでに適当目指しますから…ま、頑張って行きましょう。娘は引き続きお願いいたします」またもや頭を深々と下げる美和老人なのだった。


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 美和家を辞去じきょしたのは夕方。

 吉塚よしづか駅方面を目指して僕と長田さんは歩く。黄色味きいろみの強い赤の夕日が僕らを包む。

「なーんか…良く分かんなくなりました、色々」と僕は言う。

「ま、人生、分かる事の方が少ない」と長田さんはのんびり歩きながら言う。

「大体、あんな感じで親御おやごさんにせっした僕、最悪というか…ヤバくなかったですか?よく止めませんでしたね?」と僕は先程の反省を長田さんに伝える。

「んーま、ああいう人だから泳がせたのは事実かな…」

「いや、上司としてどうなんすか、それ?」少しあきれてしまう。

「いやさ?僕はもう大体はつかんでいるからね、正直単身たてせんだったら話がはずまなかったのさ」

「僕こみでヒアリングしにきたと?」

「うん。君がいたら同じ話でも切り口が変わりそうだったし」

「ま、僕が突っかかっただけっすけど」と僕は後悔をまじえながら言う。

「ものじせず話してくれたおかげで、美和さんも良くしゃべってくれた」

「もっと堅い人なんですか?普通は?」

「いや、そうでもない…けど僕とは社交辞令の応酬おうしゅうみたいになっちゃって」

「大人は大変だ…」と僕は言う。

「ね。話の内容が無いんだよ…しゃべりまくってもさ」

「ディスコミュニケーション…会話の情報量のロス」

「そ。本題に行く前にコミュニケーションが閉じる」

「僕は社会に出た事もないし、跳ね返りが強いから、その手のモノははぶいちゃう」これ、いい事なのかしらん。

「ま、グッジョブ、いおり君…美和さんも君の事気にいってたみたいだし」

「そうですかね…ま、頼まれちゃったし、最善は尽くしますけど―なんか報酬くれません?」

「天ぷらオゴったじゃん」

「いやあ…なんか暑いっすよねえ」と僕はあんにアイスでも奢ってくださいと言う。

「しょうがない…コンビニ寄るよ」と長田さんは僕の願いを叶えてくれる。


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 コンビニの前で九州ローカルなクランチがたっぷりかかったチョコアイスを食べると、僕たちはホームタウンに帰った。

 長田さんは直帰ちょっきするらしく、駅で別れた。暗くなりかけた道を寮へのんびり歩いて行く。


















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