メビウスの輪、お汁粉缶の行く末、てんぷら、独り暮らしは魔境

 事が易々やすやすと進む訳は―無かった。世の中は無情である。

 我々三人は、メビウスの輪めいた―これは数学的には不正確な比喩ひゆらしいが―迷路に迷いこんでいた。行っても行っても同じ交差点に戻ってくるのだ。

 時刻はもう、夜だ。時計は20時を指して久しい。

「マズったなあ」と長田おさださんは言う。

「ごめんなさい」と思わず僕は言う。

「俺がタクシー拒否ってなけりゃ…」尻尾を股の間に挟み込んだミケツさんも反省気味。

「ま、もーこうなったら是が非でも帰るっきゃない」と長田さんはやる気だ。

「とは言え―どうしましょう?」僕は尋ねてしまう。

「完全な永遠という物は存在しない…破れを探すだけさ。ミケツさん、頼まれてくれるかい?」

「おん?まあ。外の匂いがする場所探しゃあいんだろ?」とブシュブシュ鼻を鳴らすミケツさん。

「話が早くて助かる。さ、一休みしたら行くよ」


 僕らは道を丁寧に歩いて行く。何度となく同じ自販機の前を通ってる。それは少ない街灯がいとうのせいで、ぼうっと浮かび上がっていて。それに勇気づけられる僕らが居た。

「なんかよう…この自販機―不自然じゃねェ?」犬の君がそれを言うかい?

「といっても―見た目は何処どこにでもあるヤツじゃない?」長田さんは自販機を注視しながら言う。僕も視線をそっちにやってみる。確かに普通の自販機だ。街中にあふれたありふれた既製品。

「試しに―何か買ってみよう」と長田さんは財布を取り出しながら自販機に向かっていく。

「ワシに水くれな?ミネラル濃くないヤツ」とミケツさんはオーダーしている。タカるんじゃありません。

 その自販機は大手の飲料メーカーのものだ。赤いカラーに白いラインでおなじみのアレ。だが―

「すげえ。この季節にお汁粉しか入ってないよ。コレ」と長田さんが呆れている。

「攻めすぎでしょう…」僕は呆れながら自販機に近寄る。長田さんが言った通りお汁粉が3段丸々占拠している。コイツの担当者はちょっとアレな人かも分からん―

「おい!それが破れだ―」ミケツさんが急に言う。

「マジかい」と長田さんはのんびり言う。

「で?僕らにどうせいと?」僕は尋ねる。

「ぶっ壊せ!!」物騒ぶっそうな事言うなよ…ここがアレな世界でも犯罪はおかしたくない。これがバレたら器物破損きぶつはそん実刑じっけいらいかねんぞ…

「でーじょうぶ!!コレ、あの女の想像力が産みだした幻だ…せいぜい道端の石ころだ正体は。だからやっちまえ!!」いや、目の前には堅牢けんろうな機械が鎮座ちんざしてるんですが。

「よぉし…僕のタックルをお見舞みまいするか」久井ひさいさんがノックアウトされた例のアレだ。

「気ィ付けてくださいよ?この世のものじゃない」

「ま、受け身取るから平気平気…」その理論はあやうい。でもどうしようもないのも事実。

「やっちまえ!!長田ァ」ミケツさんは格闘技の観戦でもしてるかのような口調だ。


 ものすごい音がした。

 重たい何かが固い何かにぶつかる音。長田さんは器用に受け身をとり、勢いを殺した上で安全に地面に転がる。

 タックルをお見舞いされた自販機は―照明がちかちか点滅した後―商品取り出し口から数多あまたのお汁粉缶を吐き出しながら―まっ2つになった。ガラガラと音をたてながら観音かんのんびらきになってる。この世の景色とは思えなんだ―いや、実際、違うけど。


 そして―大量のお汁粉と共に僕らは現実に引き戻された。


 道端の石ころの前に転がる長田さんと、それを見て唖然あぜんとする僕と、立ち上がりスタンディングオベーションでもかましてるかのような柴犬が…宗像市某所の道端に戻ってきた。

「上手くいったねえ…お汁粉こんなに要らないけど」と長田さんは立ち上がり、土埃つちぼこりを払いながら言う。

「しかもクソ熱いでやんの」と鼻先はなさきでお汁粉缶をつつくミケツさんは言う。

「取りあえず―どうにかせんとね」と僕は言った。


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 大量のお汁粉の行くすえ

 田んぼのど真ん中の地域にはお地蔵さまがあって。僕らはこりゃいいや、と言わんばかりにお地蔵様達に季節外れのお汁粉をそなえ、ヘロヘロになりながら東郷とうごう駅前にあるコンビニにたどり着き、小休止しょうきゅうし中。炭酸水のさわやかな味わいが喉を癒す。

「なんとまあビックリ。まだ19時でやんの」と甘いコーヒーをがぶ飲みする長田さんは言う。

「時間いじられてたらしいな…陰湿な嬢ちゃんだぜ」と軟水なんすいを給水器から飲むミケツさんは言う。

「これから行きます?例の団地?」と僕はく。宗像大社むなかたたいしゃは片道5キロほどなんだけど、倍近い距離をさ迷った気がする。心なしか足首の関節は熱を帯びている。

「ま、ホンチャンはそっちだからね。仕方ない。行くよ」と長田さんは言う。

「まあ…牛ロース様にめんじて残業しちゃらあ」とミケツさんは立ち上がる。おっさん二人はタフだ。若もんは電池切れ気味なのに。

「しょーがないなあ…しっかし、元気だねえ二人とも」呆れ半分で僕は言う。

「そら、働き盛りの年齢だし」と長田さんは言う。まあ確かにそうと言えばそうか。

「てめーとは年季が違うんじゃい」とミケツさんは何処か自慢げだ。


 さてさて。団地の12号棟、3階の9号室前。

 例のごとくインターフォンが鳴り響く。そしてお馴染みになりつつある沈黙。気まずさのビジュアルイメージを提出せよ、という仕事があるなら、この瞬間の写真を提出したら良い、って位の綺麗な気まずさ。

「おらおらァ!!柴ワンコ様が来ちゃったぞ!開けんかい!引きこもり女!!」とミケツさんはえている。ちなみに普通の人には―

「バウ、バウバウバ!!ブシュブシュ…アオーン!!」と聞こえているはず。

「ミケツさん…無駄むだえみたいだよ」と長田さんはいさめる。もしかしたら近隣の住人から管理会社に連絡が行くかも知らん。

「また手紙の投函とうかんで終わりそうですね?」と僕は長田さんに言う。

「まあ…ね。前みたいに迂闊うかつに踏み込んだらまたあそこ行だ…宗像大社もうでた後でそれはキツイ」と長田さんは腰をさすりながら言う。まったくバスの終発しゅうはつをキチンと把握はあくしておけば良かった。後悔先に立たずとはこの事だ。

「ぬわーにィ?俺の報酬はどうなんでェ?」とエセ江戸弁風のミケツさんは問う。

「ん?成功報酬に決まってるじゃない」と長田さんは言う。

「あんだと?」ミケツさんは眉をひそめる。いやないけどさ。

「僕もねそんな金持ちじゃない訳。毎回牛ロース献上けんじょうしてたらお小遣いスッからかんだって」と既婚男性の悲しき現実を告げる。

「いーおーりィ?」と僕の方に怒りを向けだしてるミケツさん。

「まあ?出張費位は支給しようじゃないか」と僕は下手したてに交渉を開始する。

とりはナシ!地鶏じどりなら考える」とミケツさん。下手な豚肉より高くつくんだぞ、アレ。

銘柄めいがらぶたのバラ以上肩ロース未満なら考慮せんでもない」と僕は久井さんのバイト先のラインナップを勘案かんあんしながら言う。肩ロースは正肉しょうにくで50キロ前後から4キロ弱しか取れず、売価ばいかが上がりがち。ブランドモノならグラム600円近い事もある。

「ウデやモモじゃないのはお前にしちゃ上出来じょうできだな?」とミケツさんは言う。

「まあ。めんどい目から出してくれたからね」あのメビウスの迷路の事だ。

「俺…あの黒豚くろぶたってのが食いたい」とヨダレをたらしだすミケツさん。

「高級豚じゃないのさ」そう、黒豚は普通の白豚しろぶたと違い雑種ではない。故に体重を増やすような品種改良が出来ない。産地も限られ、牛肉よろしく血統証明書さえついてる―久井さんの受け売りだ―よって高い。それこそ牛肉の安い部位くらいの値段がしかねない。

「あー?俺は黒豚のスペアリブの焼いたのが食いてーの!!」選りに選って希少部位選びやがって。ミケツさんは座り込みを開始している。交渉が決裂したら―家出でもするかも知れない。世話のかかるオッサンだこと。

「しゃーない。久井さんに頼むよ…」負けを認めます。

「なら良し…俺らが喧嘩してても出て来ねえな嬢ちゃんは」と冷静になったミケツさんは言う。

「手紙も書き終えたし―」蚊帳かやの外でのんびりしていた長田さんはいつものように手紙を書いたらしい。

「今日もボンズかい…」僕はガックリうなだれながら言う。

「俺は不労所得ふろうしょとくれてし・あ・わ・せ」とキモい声でミケツさんは言う。

「あーあ。アプローチ変えるっきゃないかも」と長田さんは手紙を投函しながら言う。

「どうするつもりで?」僕はいておく。

「ん?親類にね…ヒアリング」と長田さんは言う。

「まったく、新規開拓はいばらの道やで」とミケツさんはしたり顔で言う。

「僕もそろそろ長田さんにお礼もらおうかな」と僕はこぼす。ヒアリングに付きあったらもう3回帯同している事になる。そろそろ飴玉あめだまが欲しい頃合いでもある。

「メシで良いかい?」と長田さんは言う。

「美味い魚でも」と僕は言う。

「ゴマサバとか?」サバの旬は冬だし、今やスーパーでも冷凍処理をた鯖の刺身が並んでいたりする。さして珍しくない。

「いやあ…別に高級魚には興味ない…っすね。佐賀の呼子よぶこのイカは食べてみたいけど」

「それさ、博多駅前に店あるけど―夜は万札飛びかねない高級品じゃん」長田さんは食べた事があるらしい。

「イカしゅうまいでも可」呼子の辺ではイカのすり身を使ったしゅうまいが名物だ。あれなら安い。

「取りあえず―いおり君がイカを食べたいのは分かったが―高級店はノーサンキュー。嫁に殺される」と長田さんは頭頂をきながら言う。

「じゃあ…代案、ありますか?」と僕は年長者の知恵に期待して言う。長田さんはしばらく考えた後で―ナイスな代案を出す。

「あのさ、彼女さんの親類のトコロにヒアリングに行くじゃない?」

「ええ。もちろん―僕も帯同する羽目ハメになる」

「その行先が吉塚よしづかって地域なんだけど―いい店がある」

「良い店?」

「いおり君は福岡を良く知らないよね?」

「まあ、えん所縁ゆかりもないですし?」

「って事は。福岡名物は豚骨ラーメン、もつ鍋、水炊き、明太子くらいにしか知らない訳だ」

「んまあ。その程度でしょ?」済まん福岡県民。僕はあなた達をよく知らない。ご飯が美味い土地だっては聞くけどさ。

「福岡の隠れた名物の2大巨頭…ふにゃふにゃ24時間営業うどん様とファストフード風天ぷらがあってね…吉塚の下町したまちに天ぷらの名店がある…そこで御馳走ごちそうする。イカ成分は付け合わせのイカの塩辛で何とかしてくれ」

「ほーう?もちろんキス天、アナゴ天、エビ天もある、と?」僕はよだれを飲みこみながら言う。

「何なら青物あおものの魚もいるし、カキもある」なんですと。

「おいおい…俺が食えないものの話してんじゃねーや」とミケツさんはねている。

「悪いね、僕の勝ち取った報酬だから」と僕はミケツさんに告げる。

「ま、黒豚様がくえりゃ問題ないわ」とミケツさんはミケツさんでご機嫌だ。


 そんなこんなで―我々は手紙を投函し、残業を終えたのだった…かの女性の顔はいつ見れるんだか…というか名前すら知らんぞ、僕。


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 かくして数日後すうじつのちの話。僕は仕事終わりに駅まで行き、長田さんと電車に乗り吉塚へ。ミケツさんは留守番だ。東郷駅と比べると所要時間は少ない。

 何やかんや福岡は広いし、狭い。都市部こそ密着しているが、南北、東西、何処をとってもそこそこの距離がある。

 吉塚駅は比較的綺麗な駅だ。長田さんいわく、昔は下町情緒じょうちょの強い地域だったらしい。まあ博多まで一駅だし、庶民は案外この辺に居たのだろう。

 でも。今は開発の手がはいり、小奇麗な街並みが広がっている。僕らのホームタウンほどではないにしろマンションが目に付く。

 吉塚駅の東口から歩いて数分。昔の吉塚の面影を色濃く残す地域に、かの店はある。地元で愛されてうん十年みたいな店構え。でも一般にイメージされる天ぷら屋さんとは違うのだ。何というか一見、ラーメン屋に見えない事もない。店内にはカウンター席とテーブル席あるし。

 昼時ひるどきにお邪魔したせいか、サラリーマンが一杯だ。店の入り口で番号券を取って外に置かれたソファでダラダラ。周りにも順番待ちの方は居る。何となくではあるけど―1人客が多い気がする。サッと行ってサッと食って帰る、そんなファストフード的な雰囲気がただよう。店先に4つのパトランプが並んでいて、混雑状況を教えてくれる。


 ダラダラと待つこと30分。我々の番号が呼ばれる。この店は食券制なので事前にオーダーは決めてある。二人揃って全部のせみたいな定食の食券を買った。

「ここのイカの塩辛、一応名物なんだよ?」席につき、おしぼりで手を拭く長田さんは言う。

「そうなんです?」2人分のおひや冷水器れいすいきから持ってきて、席に尻を落ち着けた僕はこたえる。

「うん。僕が聞いた一説では―イカ天の余りの部分を塩辛にして卓上たくじょうに置いたのが始まり…らしいよ」実際、テーブルの端に紅ショウガとイカの塩辛が容器に入れられ置いてある。僕は小皿を取って塩辛を盛り、食べてみる。塩辛って酒呑み専用みたいなイメージで特別美味しいものだとは思ってなかったけど―ゆず胡椒こしょうが利かせてある優しい味わいの塩辛は何とも言えない美味さだ。天ぷらの味を邪魔しないような味付け。

「おお。これは―寮に欲しい」と僕は言ってしまう。

「そうだよね…僕も思うけど―ここに来る楽しみが減るからいいや」


 この店をファストフード型と長田さんが形容したのには、店構えや客層以外にも理由がある。

 まず―着座ちゃくざすると、お味噌汁とご飯と天つゆと大根おろしのセットが来て、目の前に空の皿が置かれる。

「ん?天ぷら様は?」僕は面食らうが―よくよく店内を見ると、若い店員さんたちがバットに盛った揚げたてほやほやの天ぷらをお客さんに給仕きゅうじしている。

「ま、そゆことさ。揚げたてが続々やってくる…回転寿司みたいなノリだよ」

「ほお…コレがファストフードって形容した理由っすか」

 ものの数分で野菜天たちがやってくる。まずは定番、カボチャ。揚げたての香ばしい香りが僕をらす。それが長田さんにも伝わったらしく―

「さ、熱いウチに行こう…いただきます」

「ええ…いただきます」僕は天つゆにカボチャを半分ひたし、口に運ぶ。

美味おいひぃぃ」阿呆あほうの感想ではあるが、本当に美味い物を食べた時のリアクションなんてそうそうバリエーションがない。くどくど文句もんくを並べるのは無粋ぶすいきわみ。ただただ食うのが一番の美味しいの意思表示。

 天つゆが何とも優しい味なのが素材の味を邪魔しなくていい。熱の通ったカボチャの甘み、天つゆの出汁だしの旨味、大根の清涼感が口の中で合わさると何とも幸せだ。

「これ…ご飯にも合うなあ…」モグつきながら僕は言う。目の前の長田さんは案外上品な食べ方をする。キチンと飲みこんだ上で僕に、

「美味いけど…喋りながら食べないの」といさめる。

 その後、ナスとピーマンが揚がりたてでやってくる。ナスは油と相性がいいのは皆さんご存知の話。特筆とくひつすべきはピーマン。苦みがなくてトロトロなのだ。普段、惣菜そうざいの天ぷらの薬味やくみポジションの渋い仕事をこなすピーマンもこの店では主役クラス。またもやご飯が進んでしまう。僕は思わずご飯をお代わりしてしまった。これからくるメインクラスを考えると、半分以下になったご飯では厳しい。

 メイン、第一段。それはアマダイ。ほんのりと香るいそかおりと天つゆは相性がいい。何なら中濃ちゅうのうソースとかでも美味いだろうけどさ。

 お次はアナゴ天だ。デカイ。白身魚のあわい旨味。天つゆの出汁と合う。かすかな歯ごたえもまた良し。

 で…大海老天おおえびてん。これは―多分。普通の海老を二連結させているはず―と仕事でつちかった魚の知識を動員するが―そんな理屈は遠くにやった方が楽しい美味さ。


 気が付くと―

 すっかり食べつくし、ご飯を2杯たいらげてしまった僕が居る。

 なんとはなしにみそ汁でめ。甘い九州味噌ベースっぽいみそ汁が食後のアクセントに。定食にはみそ汁が欠かせない。

「いやあ…若い人が美味そうにメシ食う姿はオッサンの癒しだわ」なんてオジサン臭い発言の長田さん。

「ま、実際美味いから理屈抜きで楽しみました。どうもご馳走さまです」

「なんのなんの…これから一働きしてもらうからね。安い投資さ」

「んーま、これなら頑張っちゃうな」と僕は言ってしまう。これで1人1500円以内で収まってしまうとは。恐るべし福岡天ぷら。


 少しふくふくしたお腹を抱えながら、僕らは店を後にする。

 これから―かの女性の実家に上がり込むのだ。とりあえず―歯磨きでもしたい。一応、鞄の中に携帯用セットを忍ばせてある。

「匂いの強い物は食べてないけど―歯磨きしたいっすね…一応」と僕は駅の方に戻りだした長田さんに言う。

「大丈夫…僕も同じ事考えているから」流石、元営業。そこら辺はわきまえているらしい。


 そうして駅の近くの大きいスーパーのトイレにお邪魔した僕らは歯を磨いて、駅の西側から大きな公園のある方に向かって行く。

 その近くは県庁や警察本部などが集まった地域でちょっとした官庁街かんちょうがいですらある。かの女性の実家はその近くらしいが―なんで宗像で1人暮らしをしているのだろう?という疑問がぬぐえない。

「長田さん?」

「ん?どした?」

「なんで…彼女は実家から大学に行かず―就職したんでしょう?」

「そこら辺は―また別の面倒な話になる…ま、行った先で聞かされる」と長田さんはやや苦い顔で言う。

「って事は長田さんからヒアリングするのは二度手間にどでまかあ」と僕は特に留意りゅういせず言う。

「少し―しんどい話だよ。態々わざわざ1人暮らしをするのはカネも手間も心理的な負担もかかるからね」

「そういう事は考えてなかったなあ…」

うて―りょうらしはシェアハウスに近いところがある。本当の1人じゃないからね」

「確かに。大体誰か居て、暇してる…何となく一緒に過ごす…寂しいって思った事ないかも」

「だよねえ…それはまあ、寮の利点かな。いきなりの孤独は一気に人を壊す」

「そんな重大な話です?」

「いやあ…初めての1人暮らしは魔境まきょう…って言うか大体の人間がやらかす」

「長田さんも経験ありなんです?」といてみる。

「うん…大学行った時にね。ま、僕はせいぜい家がまり場みたいになっただけで済んだけど」

「寮みたいだ…もしや共生組合きょうせいくみあいの寮のヒントは―」

「そ、大学の時のアパートのあのどーしようもない空間を再現したくてね…安河内やすこうちさんが賛同さんどうしてくれたお陰で実現したんだけど」

「で、1人暮らしがヤバいって話なんですけど…」話を巻き戻す。

「まあ、ホント、下世話げせわな話だと―女の子は孤独に耐えきれずアホ男をとっ捕まえ―あっさり体の関係を持ち―確率的な偶然に見舞われ学校を退学することもある。子どもを認知しないクズみたいなのも居たよ…」完全にそういう人を見た体の話だ、コレ。

「または。心の隙間すきまめようとして、アレな団体とコミットする例もある」

「アレ?」なんだかぼかした言い方だ。

「ま、アレはアレ。想像通りのアレさ」

「ああ…多感な時期にはやられがちですよね」と僕もまた多感な時期にある癖に偉そうに論評ろんぴょうする。

「別にさ、若い頃に何したっていいんだよ?理想を持って行動するのは美徳ですらある。否定はしたくない。それにどんな考えだって信じていい。あたりまえに社会にれるのが理想だけど―若きパッションが暴走する話もある…案外、僕らの業界の近所はその手の人も居る…案外いい人達なんだけど」

「暴走すると―」

「そ、昔教科書で見たんじゃないかな?ヘルメットとタオルの組み合わせ」

「果ては…悲劇でした」いくらでも事件はあり、死亡例は山のようにある。

「そ。理想を追い求めた彼らはコミュニティを閉じ、その中で争った…そんな事をしたら社会から蔑視べっしされるとも気付かずに」

「長田さんはそれらの現象の根っこに1人暮らしの孤独を見ている?」

「そ。理想でコーティングされてるけど…基本、人は所属するさきもとめる生物だ、アウトサイダーは荒野で野垂のたれ死にするしかない」昔、アウトサイダーを気取っていた僕には耳の痛い話だ。

「なんか話がれたけど―1人暮らしは要注意…若者の試練かな」

「最近は親と同居して社会人になるケースも多いですよね」

「ま、使えるもんは使わんと損だし、要らんリスクを負う必要はない。人によりけりさ」

「ううむ」なんて話の末に我々は目的地に着いたらしい。


↑ 本文、了


 ※作中のてんぷら屋さんのモデルは、

 福岡県福岡市博多区吉塚1丁目22-1 にある

「だるまの天ぷら定食」さんです。

http://www.hakatadaruma.co.jp/

超がつくほど名店なので、福岡に行く際には是非、お立ちより下さい(宣伝)








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