気張る柴犬、長田の昔話、宗像大社

 後日。長田おさださんにこう言われた。

「明日、またあの現場にいく事になる」と。長田さんは責任を果たす為、理不尽な現実に向き合う覚悟をしたらしい。適当に言い訳して逃げればいいのにさ。貰った謝礼を返金し、親御さんに事情説明して、無かった事にだって出来たはずだ。

「長田さん、真面目ですねえ…あんな荒唐無稽こうとうむけいな『場』にまた挑もうなんて…」と僕は長田さんに言う。

「ま、そんなに器用に出来る性質じゃない…それにいおり君も途中で投げ出すのは嫌だろ?」と彼は応える。

「ま、僕は『断らない女』だし…長田さん以上に不器用ですから」

「ま、ボチボチやろう…ミケツさんの説得は?」

「あ。忘れてたなあ…」

「僕が牛肉差し入れするから、是非にって言ってくれ」


 かくして自室。犬ベットの上でだらしない格好をしているミケツさんに僕はこう言う。

「明日、かの半人はんじん半神はんしんの彼女のトコロにリベンジマッチを仕掛ける…悪いけど、帯同してくれん?」と。それを受けるミケツさんは面倒くさそうな顔をし、こう応える、

「は?ワシ、辛い仕事は蹴るクチなんや」と。まあ、要らん負担をかけたばかりでもある。そう言われても仕方ない部分がある。長田さんから貰った交渉のカードを切るしかない。

「長田さんが牛肉おごってくれるってよ?」と。

「わふぉおお…」犬の鳴き声と人語が混じった何かを吐き出すミケツさん。

「で?受けてくれんの?」僕は熱い鉄を打つ。

「牛ロース…交雑こうざつ牛以上で受けちゃらァ!!」ミケツさんはルンルンですらある。

いくらするんだっけ?それ?」と僕は長田さんの財布を心配する。

「ん?確か―久井んトコのが100グラム1000円台だったかな?」とミケツさん。

「んーまあ…いいでしょう!それで安全が買えるのなら」僕は諦めてしまう。済まん、長田さん。

「うっし…交渉成立だ。とりあえず―俺から言えることが一つ」

「ん?なんだい?」

「あのな、まず新しい土地に足を踏み入れる時はその土地の神さんに挨拶しとくもんだぜ?」と彼なりの常識を語る。

「って事は何?宗像大社むなかたたいしゃもうでなさい、って事?」と僕はき返す。

「そ。まあ?もう行きってしまってるかも分からんが―どうせ、後の二柱ふたはしらとは遭ってない筈だろ?何かしらの示唆しさが得れるかも分からん」成程ね。確かにそういう事はあるかも知れない。それに大社の歴史か何かつかめるかも知れない。

「ま、明日の昼からだから、辺津へつ宮を詣でるのが限界かな…中津宮の大島に渡っちゃったら帰れなくなりそう」

「んま、いいんじゃね?とりあえず一杵嶋姫イチキシマヒメサマにお伺い立とこうや…後はそこから考えた方が良い」

「んじゃあ、それ採用。明日は頼むよ?ミケツ様?」

「こういう時だけ様付けすんな…気色悪い」と悪態をつくミケツさん。

「って言ってもねぇ…どうせ面倒な事になるのは分かりきってんじゃん?」

「だー糞ゥ…肉に釣られるアホちゃあ、俺の事か…」とヘコむミケツさん。

「案外、君も『断らない』ねえ…」と僕はしみじみ言う。

「そら、御使おつかいだからな。神のアレコレも人間のアレコレも仲介すんのが仕事なの。俺の働きっぷりは凄いんやで?」と自慢げに語るミケツさん。

「知らないよ…君がキャッチみたいなことをしてるのは知ってるけどさ」

「まったく…物を知らん小娘こむすめめ」とプリプリするミケツさん。

「だから、道連れがる訳さ」と僕は受け流す。

「長田のオッサン仕事しろよなあ」と呆れるミケツさん。

「いや、タダのおじさんだから長田さんは」

「しゃーない奴らやで…ま、任されよう。さ、寝るぞ、明日は大仕事になりかねん」


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 そして翌日の15時。宗像むなかた東郷とうごう駅に降り立つ僕ら。僕の手元にはキャリー。電車の車内でミケツさんをしまっとく為のもの。中身の柴犬様シバイヌサマは小一時間中にとらわれ機嫌が大層悪い。

「おい…はよゥ出せや!ウンコしかぶるぞ!!」何ちゅう下品な悪態をつくんだ、この神の御使いは。

「ははは…早く出してやってよ。可哀想かわいそうだ」と長田さんが言う―何でこの人がミケツさんのいう言葉を理解できているか?それは―

「もう何かめんどくさいし、長田にも俺の言葉、分かるようにしたろ!!」とミケツさんが何かしらの力を行使したからだ。適当な神の御使いである。

 とりあえずミケツさんをキャリーから解放し、リードを繋いで―る間から彼は気張りだしていた。モノをひり出しかけている。

「うっわ、止めてよ!駅前で脱糞だっぷんとかどんなプレイだよ!!」思わずツッコミを入れる僕。

「ああん?人間は知らんだろうなあ…この開放的なトイレスタイルを」と恍惚こーこつの表情の柴犬が居た、その尻からはモノが出かけている。きたねぇんだよなあ。

「日本の神にるいする者はは肛門こうもんユルユルかよお…」と僕は嘆息たんそくする。実際、神話の中でも脱糞する話は頻出ひんしゅつする。なんなら地名の由来になったところすらある。大阪は淀川よどがわ周辺、私鉄沿線の某市某所の話だ。『古事記』にも『日本書紀』にも載っている。

「ま、人間みたいなモンだから仕方ないよ…」と長田さんはマナーバックを準備し、気張る柴犬の前にスタンバイしている。

「甘やかすから何処でも脱糞するんですよ…まったく」と僕は諦め半分で言う。

「はあああ…気持ちがったあ…さ、行くぞオラぁ!!」長田さんはブツをマナーバッグに納め、アルコールで手を消毒している。


 さて。宗像大社を目指す我々だが―アクセスとしては徒歩かバスになる。東郷駅から大体5キロ北に行くと宗像大社の辺津宮があるのだ。

 バス停で時刻表を眺める僕にミケツさんはこうのたまう。

「まーたキャリーに入れてみろ…おらァ神殿の近くでウンコひるぞ?」と。

「それは…殺されても文句言えないだろ」と長田さんが突っ込む。

「長田ァ…日本人のケツが緩いのは神代しんだいからの話だ、諦めろ」と悪びれもせずにミケツさんは言う。

「まったくもう…まあ、散歩がてら歩こうか?スマホの地図もあるし」と僕は妥協案だきょうあんを提出。

「そうしよっか、僕も運動不足気味だし丁度いい。帰りはバスでショートカットしたらいい」と長田さんは頭をかきながら言う。

「ほな、いこやー」と元凶げんきょうの柴犬はルンルンで知らない街を歩みだす。


 東郷駅の宗像大社側は団地の側と比べるとベッドタウンの色が濃ゆい。良く言えば落ち着いた街並みで、悪く言えば寂れている。駅から1キロ圏内には玉転がし店やスーパー、飲食店なんかが点在てんざいしているけど、北に進路をとると、大病院とニュータウンが現れ、そこから先は穀倉こくそう地帯ちたい―というか田んぼが広がっていて、街灯のたぐいも少ない。信号だってたまにあるかないか位。まあ、犬の散歩向きではあるけど、人間が歩くのはそこそこ辛い。

「何となく、宗像大社が昭和期まですたれていた理由が分かった気がするなあ」と僕は失礼な感想を述べておく。

「案外、福岡は農業県でもあるからね…僕らの日々の食卓を支えてくれてるのはこう言ったところで地道に働いてくれてる方々だ」と長田さんは言う。

「いやー、でもマジで何もない…地図なしで乗りこんだら、あっという間に迷うぞ、コレ」

「ま、神域しんいきと言うのはそんなモノだぞ?」とちゃかちゃか歩くミケツさんは言う。

「そう?街中の神社だってあるじゃんよ?京都とかさ、ウチの近所なら博多の櫛田くしだ神社とかさあ」

「そういうところの神さんは、参詣客さんぱいきゃくの多さ故に―何時しか変形していっちまう」とミケツさんは言う。

「人のニーズをんで…望む形に成り替わる」と長田さんが補足する。

「そ、それが習合しゅうごうというヤツだ。望まれる神は既存のモノでもいいんだ…人の想像力は適当かつ力強い」

「ある種、神様は人間の被害者なのかもね」と僕は適当な事を言っておく。

「かもな。御用聞ごようぎきってのはいつでも立場が弱い」とミケツさんは苦労したわあ、の口調で受ける。

「やな話しないでよお…昔を思い出してゲエ吐きそう」と長田さんは苦笑いしている。

「何だァ?長田、苦労したクチか?俺が仕事教えちゃるぞ」偉そうに言うんじゃないよ、柴犬が。

「勘弁してくれ、もうあの手の仕事はしない」と長田さんは言う。

「似たような事してるじゃないっすか」と僕は言う。相手が引きこもりにるいする人々に変わっただけで、基本、長田さんは御用聞きみたいな事をしているからだ。

「まあね…でも立場はあくまで対等…のつもりだよ?一応僕は支援者だけど…そこら辺はき違えると、弱者をメシの種にする詐欺師になりかねない」

「微妙なバランスの上で成り立ってる」と僕は言ってみる。

「だなあ、お前、やる気さえあれば、カネ、ふんだくれるもん」と悪い顔のミケツさん。

「僕の師匠すじの人はそうだったな…」と遠い顔をする長田さん。彼を―引き出した人物の事だろうか?

「聞いても良いですか?」と僕は好奇心に負け、言葉にしてしまう。

「聞いて…面白い話じゃない。思い出すと―いまだに腹が立つよ」と言う長田さん。

軽率けいそつでした」と僕は即座に謝る。

「話の流れだし、しょうがないさ」とアンニュイな顔の長田さん。

「その―師匠筋の人に反発して…共生組合きょうせいくみあいを作ったんですね?」と僕はさらに踏み込んでしまう。

「んまあ、ね。僕って性格悪いからさ、馬鹿が馬鹿してると潰したくなるんだよね」と意外な戦闘民族っぷりを発揮する長田さん。

「馬鹿…そんなに悪徳じみた人だったんですか?」

「いや…彼は彼で必死だった…でも、それを生活のかてにした時、欲が出ちまったんだろうね」哀しい顔の長田さん。

「まあ、仕事にしちゃうと…やってみたくなる時はありますよね?」

「だねえ…僕が世話になった時はまだマトモだったんだが…」

「拡大路線をとってしまった?」と僕は続きを促す。

「そうだね…銀行から融資ゆうしを取り付け―成果を追い求めるようになった」

「銀行から融資…ってなると?もう会社みたいなものですね?」

「うん。非営利組織を改組かいそして、会社にしちまった。スポンサーを数多入れたから、組織としてのガバナンスも最悪だったよ…」

「長田さんの当時の立場は?」

「僕は比較的早く外に出たし、半分スタッフ側だった…その組織の代表…師匠のかばん持ちみたいな事をしていた」

「案外、サラリーマンみたいな立ち回りで」

「そうだねえ…まだ、その頃の習性を引きずっていたんだね」と卑下ひげしながら言う長田さん。

「で?外部資本を入れた団体は―何をしでかしたんですか?」これはパンドラの箱だ。阿呆あほうな僕はまたもやそれを開けかけている。まったく反省しないなあ、と思う。

「まずは―OBの扱いが雑になったね」

「OB…団体の卒業者ですね?」

「うん。昔は卒業しても案外、組織のある建物にれたし、中でみんなと駄弁だべれた。それが社会に放り出されてしまった卒業生の救いでもあった…」

「まあ、裸一貫はだかいっかんで社会に出て、1人でどうにかしろって言われても厳しいものがある」と僕は言う。同じような状況なら心細い。しばらくは地縁ちえんというか出身団体の側で新しい生活を作り上げていきたいものだ。

「とある―男が居た。彼は団体を卒業したは良いが―仕事で苦労していた…元々が人間関係に慣れてないんだ、しょうがない部分がある」

「そんな時は―誰かに愚痴グチりたくなる…昔の仲間に」

「そう。彼は良くあの団体を訪れていた…だが、外部資本が入った時、団体は卒業者が団体周囲にくる事を禁じた、カネを払ってないからだ」

「といっても―その団体に在籍してた当時はカネ、払ってたんでしょう?」と僕は疑問をぶつける。

「それはもう。彼の家は資産家だったからね。多額の謝礼を貰っていた…ぞっとするような額だ」

「それを貰っといて―卒業したら近寄るな?高度なギャグか何かですか?」

「師匠は―ケジメだと言っていたけどね…それが本当の意味でのものだったとは思えない。単純にカネにならないヤツを体よく追い払うための方便ほうべんだ」

「この話のオチは―」僕は言いかける。何となく予測がついてしまったのだ。

「そ。その男は処方しょほうされていた睡眠薬をオーバードーズした上で、風呂の中で手首をざっくり切っていた。出血多量。発見してしまった両親は卒倒そっとうした…」

「よく、訴訟沙汰ざたになりませんでしたね?」僕は言う。因果関係が証明できれば、その団体はアウトだ。コンプライアンスにうるさい昨今、そんな事態を起こす団体は資金源が断たれる。

「そこは―資本をぶっこんだヤツの中に政治に明るい阿呆アホが居てね…もみ消しやがった」長田さんは苦渋の顔で言う。

「まったく…権力持ちはこれだから…」と話を聞いていたミケツさんは漏らす。

「彼の―密葬みっそうに僕は参列さんれつした…組織の代表として…親御さんは―僕に呪詛じゅそを吐くでもなく、ただただ当時お世話になりました、彼に優しくしてくれてありがとう、と言うんだ…」長田さんの目元は少し湿っている。

「救いがない…」僕は言う。そんな悲しい結末、誰だって望んでない。

「棺桶の中の彼の顔…を見た時…僕はこのままじゃいけない、って思った。幸い、前の勤め先で蓄えた貯金もあったし、あの組織に関わったお陰でいくらかコネがあった…だから、こんな事を繰り返さない為に僕が新しい組織を作ってやる…そう思って共生組合を細々と始め、安河内やすこうちさんトコロの息子さんを出した絡みで、大口おおぐちの支援者になってもらった。んで、今がある」と言い終わった彼はそんな自分がやった事も、もしかしたら同じてつを踏んでいるのではないか?と思っている口調だ。

「長田さんは―細心の注意を払ってる…カネに関しては」

「うん。金は要るけど…スポンサーは厳選したね。まあ、あまりいいやり方ではないが―理解してくれる人に出会えてラッキーさ…安河内さんはカネに無頓着ですらある。リターンは社会貢献だってよく言うんだ。有り難い事にね」

「あの団体はどうなったんですか?その後?」僕は訊いてみる。ロクな事になってなきゃいい。

「ん?まあ、その後、団体に関わってる最中の人間が…亡くなってね…自らの意思で。それが―スキャンダルになり、もう解散したと、伝え聞くのみさ」

「因果応報…良くも悪くも為した事には結果が伴う」

「まったくさ…僕も間違えないよう頑張んないとね…一歩間違えたらそこは奈落だ。彼らと変わりが無くなってしまう」

「ま、僕が居る間は―無茶させませんよ?」なんて殊勝しゅしょうな事を言ってしまう僕。

「大丈夫。かきちゃんと安藤あんどう君が見張りしてるから」と長田さんは弱弱しげに言う。

「お…そろそろ着くぞ」とミケツさん。川沿いに歩いていた道の左側に宝物ほうもつ殿でんの建物が見えてきている。

「さ、神様におうかがい立てに行こう」と長田さんは言うのだった。


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「ここって犬とか連れて参拝さんぱいしていいんだろうか?」素朴な疑問。辺津宮の前の参道のような場所で僕はこぼす。

「ちょっと…待って。今、知らべる」長田さんはてのひらの中にあるちんまりとしたスマホを操作する。

「別に構へんやろ…」神の御使いのミケツさんは適当な事を言う。これを妄信もうしんすると後で痛い目を見がちだ。

「特に注意書きは無いね…まあ、けがれを嫌う神社に畜生ちくしょうを連れ込むとは何事か!みたいな話はあるけど―昨今はペットも家族の一員だ…最低限のマナーさえ守れば大丈夫…なはず」

「まあ、禁止されてたら、ミケツさんはお留守番。さ、ささっと済ませよう」と僕は言う。


 だがしかし。境内けいだいの前に看板があった…そこには参拝にさいしてのお願いが列記れっきされているのだが―ペットNGとの事。まあ、入る前に気が付いて良かった。

「悪いけど―ミケツさん、そこら歩いてて貰える?」

「おん?構へんがな…どうせワシは畜生ですよってに」毒づくミケツさん。

「いいのかい?迷子になったら大変だ…」長田さんは心配そう。まあ、普通の人ならそういう感覚だろう、しかし、

「長田ァ…俺を誰だと思ってんだ?ハイテクにも明るい柔軟な男よ?」得意げですらある。

「へ?何か連絡手段があるのかい?」

「メッセンジャーでミケツさんにちょくで連絡取れるんです…ほら」と僕はスマホでアプリ上のミケツさんのアカウントを表示して見せる。

「わお。流石。柔軟だね」と長田さんは感心している。

「ま、俺に構わんとさっさあ済ませんかい」

「あーい」


 人目につかない場所でこっそりミケツさんをはなち、僕らは社殿しゃでんへ進んでいく。社殿はシンプルだ。鳥居をくぐれば手水場ちょうずば。その先に本殿が控える。

 手を清め、本殿の前に立つ。そこには神が居る。特に最近はなんとなくその気配が伝わってくる。もちろん僕の想像力も手伝ってはいるだろう。でも、居るものは居るのだ。人間と別の位相いそうに。それを感じる人間と感じない人間が居るだけ。

 賽銭箱さいせんばこにお金を入れ、礼にそってお祈り。

「どうか―ご容赦ようしゃ頂きたい。貴女あなた方を相手取って争いたい訳じゃない。ただ、あの人と僕らはコミュニケーションしたいだけなんです」と。

 隣の長田さんは僕が祈り終えた後もじっくりと祈っていた。もしかしたらお伺い以上の事をお願いしているのかも知れない。


 お祈りを終えると、僕らは社殿を出たのだけど、その時長田さんは言う。

「なんかねえ…境内の奥の小高い所に祭場さいじょうがあるみたい」

「一応、そこにも挨拶していきましょうか」

「うん。是非、そうしよう」


 そんな訳で僕らは境内の裏の方の小道をえっちらおっちら歩いて行く。そこは宗像大社の鎮守ちんじゅの森だ。それは人の世界と神の世界を仕切る聖域。厳粛げんしゅくな雰囲気がただよう。

「特に信心深いつもりはないけど―こういう所は背筋、伸びるよね」と長田さんはずんずん歩きながら言う。

「京都の下鴨しもがもさんの鎮守の森とか雰囲気ありますもんね」昔、何かの拍子ひょうしに行った事がある。多分、修学旅行の時だったと思うけど。

「こういう『場』…ある種の舞台装置は―人に訴えかけるものがある」

「ですねえ…自然と気圧けおされる…」

「名古屋の熱田あつた神宮じんぐうの鎮守の森とかもすごいよ…当時20なんぼの若者が何かにまれかけたもの」と長田さんは遠い記憶を参照する。

「まあ…草薙くさなぎのつるぎ鎮座ちんざする由緒ゆいしょ正しき御社おやしろですからね」と僕はかじった神話知識を披露する。

「そんな由緒を聞かなくても―黙らせる力が神社の森にはある」

「ある種の自然崇拝…」

「そ。そういう本能的な部分から出た信仰、迷信なんかは案外力強い」

「屁理屈じゃないですからね」

「うん。小賢こざかしい小手先こてさきの知恵じゃないダイナミックな力」

「それを悪用する阿呆も居れば―」

「それを社会のいましめとして使う為政者いせいしゃも居る…政治は宗教と近しいってのは、今の僕らにとって受け入れがたいものだが…そこをキチンと理解してないと痛い目見るのは下々しもじもたみだ」

「まったく…世知辛いったらないんだから」


 中々の険しさの階段の上には―祭場がある。そこには社殿はないけど…何か区切られたような領域がある。今はそこに人が足を踏み入れないよう、囲いがあるけど…そんなものがあろうとなかろうと、そこは神が現れる聖域だ。独特の雰囲気がある。

 僕と長田さんはその聖域の前にあるお賽銭箱にお金を投じて、先程と同じように祈る。

 そして、去ろうとしたわけだが―何か小さいやしろのようなものと、おみくじをわえるような場所がある。

「なんだろう?アレ?」

「ん?んーどうやらこの木片もくへんに名前と願いを書き、そこにつるすと叶うようだね?」

「おお…なんかアイス最中もなかみたいな木片があるや」目の前には真ん中に切れ目の入った木片。それは2つに分かれるようになっていて、その一方に願いと名前を記し、もう一方はお守りとして持ち帰れるらしい。

折角せっかくだし―書いて行きますか」と長田さんは御社の賽銭箱に2枚分のお金を投じる。そして二人肩を寄せ合いながら、願いを記す。

「安全祈願!! 宇賀神うがじんいおり」と僕は書いた。適当な文句が浮かばなかったのだ。

「全ての物事が収まるべきところに収まりますように 長田おさだ仁志ひとし」まーた曖昧な事を書いたなあ、と僕は思う。その顔を見て長田さんは頭を掻きながら、

「何と言うか―謙遜けんそんしといた方が良いかなって」と恥ずかしそうに言っていた。

 木片の片割れを結わえてしまうと、僕らは社殿の外に戻る。自販機で買った炭酸飲料を飲みながら、ミケツさんを待つ。

 ミケツさんは―へっへっと息を切らせながら戻ってきた。一体何処まで行っていたのか。

「いやあ。港の方までな?」海が近く、神湊港このみなとこうという漁港と大島への渡船場とせんばがある。

「マジかよ…4キロぐらいあるだろ」宗像大社の辺津宮は案外に内陸にあるのだ。

「ま、そこは飛ばして行った…魚が美味そうな港があったでオイ」

「ミケツさんは魚好きなのかい?」と長田さんは言う。

「ん?肉のが良いが―たまには魚も良い。だが、犬だからな。注意しとかんと死ぬな」

「それこそ寄生虫にやられたら目も当てれないよ」と僕は言う。アニサキスなんからった日には七転八倒しちてんばっとうものだ。

「それに―塩分も気をつけなきゃいけんね」と長田さんは言う。

結石けっせきだけはノーサンキューな」おっさん臭い事を言うんじゃありません。


「で?かの女神は何と?」とミケツさんはごろりと転がりながら聞く。

「いや…特に何も。ご挨拶だけは済ませた」と僕は言う。

「これで容赦してくれるといいんだけどなあ」と長田さんはあごをさすりながら言う。

「ま、そうそう早くに結果が見れるもんでもないか…さ、引きこもり女のトコ行くぞ」とミケツさんは切り替えている。

「ま、そうだね。ここで大島まで行ったらそれこそ帰れなくなる」

「さて―バスは何時に来るかなっと…」僕ら三人は近くのバス停を目指して歩いて行く。


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 九州は基本車社会だ。そして車社会の延長線上、公共交通機関の王はバスだ。そのバス網は目が細かく、何処に行っても大手のバス会社にお世話になる。かく言う僕も多大な恩恵を受けているのだが―今日は少し悪口をば。

「なんで最終便がこんなに早くに行っちゃうんだよお」ほぼほぼ泣き言に近い口調。隣の長田さんはタクシーでも呼ぼうかとしている。でもこっちは犬連れだし、ミケツさんは狭いキャリーに入れられるのを拒否した。いや、バスでも変わらないと思うけど。結果―来た道をそっくりそのまま引き返す我々が居た。

「僕らはのんびりしすぎたらしいね…日が暮れだしてる」ととぼとぼ歩く長田さんは言う。九州の夏の日没は20前後。僕らが辺津宮に着いたのが17時過ぎ…うん。ダラダラしすぎたらしい。あかね色の夕日が我々を照らしている。

「ここらさァ…街灯無ェな?」とミケツさんがこぼす。

「まあ、田んぼの中だもん」と僕は返事をしておく。

「完全に日が暮れたら―ヤバくね?」と神の御使いは人間みたいな心配をしだす。

「ま、その前に駅まで行けるでしょ…さすがに」長老はお気楽である。

「何かしらに悪戯されなきゃですけど」これはフラグである。言葉にするとそれは起こる。一種の言霊思想ことだましそう

「馬鹿、相手につけいる隙を作んな!馬鹿タレ」関西弁トーカーのミケツさんの馬鹿はマジになじる時の2人称だ。

「馬鹿言うな!!」取りあえず反論。言葉は続かないけど。

「とりあえずは、だ」と長田さんが我々の間に入る。

「この釣川つりかわっていうのに沿って歩けば―駅には着くから。そんなに複雑な道じゃない」

「それも―そうか、落ち着きましょう…」

「だな。いおっちゃん済マンチカン」とミケツさんはダジャレをまじえ謝罪する。

「ま、僕も冷静さをいてたよ…ゴメン」と僕は謝り、3人で道を急ぐ。






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