ケチャップのかかってないチキンライス、人生には数多の挿話あり、断らない女

 翌日。僕は目を覚ますと、ミケツさんの様子を見たけど、まだ爆睡している。疲れが深いらしい。今日くらいはそっとしておこう。

 ミケツさんのエサ皿にいつものカリカリを入れておく。何時いつ目が覚めてもご飯くらいは食べられるように。そして何時のように家事を済ませ、バイトに向かう。


 バイトは朝8時始業だ。スーパーの鮮魚せんぎょ売り場の品出しのバイト。バックヤードでタイムカードを切り、着替えて仕事場に向かう。

 仕事場では、社員さんが魚をさばき初めている。僕の担当は鮮魚の切り身なんかだ。この時期はアジやヤズ(ブリの子どもの地方名)、太刀魚たちうおいわしなんかが多い。僕は個人的にアジが好きだ。刺身で食べるとたまらない。

 切り身になった魚。布やクラフト紙のミートペーパーを使って、血をふき取り、トレイに盛りつける。この際、寄生虫のたぐいが居ないか目視もくしする。案外魚には寄生虫が居るのだ。ブリ系統の魚の血合いや筋肉には高確率でブリ糸状いとじょうちゅうが住んでる。凶悪なアニサキスなんかと比べれば無害―加熱すれば問題ない―なんだけど、見た目がアレなので、出来るだけ商品化される前に除去しておきたい。他には―タイのなんかの顔の辺りに居るタイノエなんか見慣れてきてしまった。タイのお頭の口のところからひょっこりしている事がある。これから先に旬を迎えるさんまの腸にはラジノリンクス―赤い紐みたいなやつ―が居るっけ。たまにお腹からこんにちわしてたりする。 ※1

 トレイに盛りつけた切り身を6段カートに並べていき、適当な数量になったらオートパッカーのところへ。オートパッカーはラップかけと値付けを同時に行うハイテクマシンだ。下の商品投入口に商品を入れると上段にラップかけと値付けを済ませた商品が出てくる。ラップかけは手動でも出来るけど、アレは手間だ。その上綺麗にかけるのは難しい。 ※2

 ラップかけを済ませた商品達を売場に持って行く。そして棚割たなわり通りに陳列。そしてまた作業場に戻って、オートパッカーにかけて…の繰り返しが今の主業務。今日みたいな普通の日は余裕があるけど、セールの日はめちゃめちゃ忙しい。大体生鮮食品系は朝イチから開店までがピークタイム。

 開店した後は、商品の減り方を見つつ、社員さんにコレない、アレない、と言って商品を作ってもらって僕が並べる。暇なときは塩干えんかんモノ―塩漬けのサバとかさんま、明太子等―の補充をしたり、冷凍物のエビやホタテを解凍したりする。

 開店してすぐは常連さんが来店する。魚は朝イチで仕入れるのがグッドだと知っている方々が今日のじょうネタを買っていく。

 そして昼になれば、少し客足が鈍る。僕の仕事がここまでだ。社員さんとパートさんに挨拶して、更衣室で着替え、バックヤードから売場に出る。昼ご飯の確保をするのだ。このスーパーは従業員わりがある。社員証をレジで呈示ていじすれば1割引きで商品が買える。

 今日は何にしようかなーっと売場をそぞろ歩く。そう言えば―ミケツさんに何か買ってあげなきゃな、と思った僕は久井さんのバイト先に顔を出す。売場にはお姉さん―宍戸ししどさん―が居る。

「宍戸さん、こんちわ」と挨拶。

「ん?いおり君か、おっすおっす」と元気に返してくる。この人は職場が別なのもあって、フレンドリーに接してくれる。一緒だったら―まあ。色々ある。かく言う僕も鮮魚のパートさんとは緊張関係にある。仕事での人間関係というヤツだ。社員さんは庇(かば)ってくれるけど。

「今日のおすすめあります?昼ご飯のネタ探してて」

「んー?とんトロは?」

「えっと…何ですっけ?それ」

「豚の首んトコのお肉。焼肉ではメジャーだよ?」

「ああ…あのジューシーなアレっすね?」

「そ。またもや肉えもんがしくってね」また仕入れ過ぎたらしい。

「それ、犬が食べるのはどうすかね?」

「ちょっと脂がキツい気がするなあ…って犬にあげるのかい?昼ご飯は?」

「ええ。昼ご飯はついでっす」

「犬にならとりササっしょ…」と宍戸お姉さんは言う。

「も、いいんですけど。少し贅沢ぜいたくさせてあげたくて」と僕は言う。ササミは飽きてるんだよな、ミケツさん。

「んー?じゃ、ちっと贅沢過ぎるかもだけど、牛モモの切り落としはどーだい?グラム400円だけど」

「わお。リッチ…だけどそれにしようかな。あ、豚トロも下さいな」

「まいどー」


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 バイトから帰り、豚トロともやし炒めの昼食を済ませた僕は部屋に戻ってみた。ミケツさんの様子が気になっていたから。

 当のご本人は―犬ベットに寝転がってはいたが、眼は覚ましていた。良かった…まだ起きてなかったら動物病院に駆け込むところだった。

「ミケツさん…おはよう。昨日は色々ありがとう。助かったよ」と僕はお礼を言う。

「ああー?別にかまへんがな…仕事しただけだっちゅうに」と照れ隠しのような事を言うミケツさん。素直なヤツじゃない。

「その仕事のお陰で助かったよ…下手したら、まだあそこに居たかも」

「何とか緊急回線が繋がったお陰だ…運が良かったんだよ」

「お礼と言っちゃなんだけど、牛肉買って来たよ…食べる?」

「おうおう!食う食う!!お前肉臭いからなァ。で?どこの部位さ?」

「ん?赤身の…モモの切り落とし」

「そいつは―楽しみだ。早速茹でてくれや!!」


 自室のリビングにつらなるキッチンで肉を茹でる。一応調理器具のたぐいは置いてあるのだ。ここに元住んでいた寮生は料理好きだったらしく鍋やらザルやらレードルやらが一通りそろっている。

 鍋の中で沸騰したお湯に赤身の切り落としを入れてサッと茹でる。そしてザルにあけ、犬用のお皿に盛って、くるりとした尻尾をブンブン振ってるミケツさんの前に出す。あっと言う間にがっつきだす。鼻をキュンキュン鳴らしながら食べるミケツさん。喜んでもらえてるようで何よりだ。

「…美味ェ。カリカリとはダンチですわ…んぐ」と咀嚼そしゃくしながら喋るミケツさん。行儀悪いなあ。

「そりゃ、グラム400円だかんね。よーく味わってくれよな」

「ひぃ、そらァしょっちゅう食えたもんじゃねーわ」なんか貧乏くさい。

「そんな事してみろよ、僕が破産する…ってああ。携帯スマホ壊れたんだった…ああ。金がない」と僕は嫌な事を思い出してしまう。

「まったく…お前の携帯死んだせいで、らん事するハメになった…アレ負担がヤベーのよ」

「ゴメン、油断してた」

「ま、構へん…が」ここでミケツさんの表情がくもりだす。

「が?」まあ、そうなんだよな。これからが面倒だ。

「お前、面倒な事になってんの分かってっか?」まん丸お目めをゆがめるミケツさん。

「一応、ね。しかも―また行く事になると思うよ」

「もうアレはやんねー」とミケツさんは言う。余程よほどキツイ事らしい。

「うん。次の携帯は完全防水のタフネスなヤツにするさ…んで?僕は一体―何に行き会ったんだろうか?神様?」

「と、人が混じりあった何者か、だと思うな」とミケツさんは予測を述べる。

「混じりあった?そんな現象があるの?」と僕は疑問をていす。

「んなモン、あるに決まってるだろ…神のお告げという物は古来、事代ことしろかんなぎ、天皇なんかを経由して伝えられたもんだ」とミケツさんは常識を語る。人間の非常識ではあるけど。

「でもさ、それは一時の話じゃん?ずっと神様をおろろしていられる人間なんか―」居ないだろう?流石に。そんな事がありなら、それこそなんでもできてしまう。

「そりゃ道理だが、そんな事が出来ちまう特異体質の人間が居るのも事実だ。神懸かみがかり的な才を発揮する人間のかげには神が居る」とミケツさんは言う。マジかよ。勘弁してくれよなあ…

「その場合ってさ、人格はどうなるの?パソコンのOSみたいにマルチブート状態に出来るの?」

「ん?まあ、それは神次第しだいだな。人格を乗っ取るヤツも居る…たぶん、いおっちゃんが行きったのはそのクチじゃねェかな?」とミケツさんは思案するように言う。

「へえ…ねえ、代償だいしょうはどうしてるのかな?その手の方々は」と僕は疑問点をぶつけてみる。

「命を取る事も珍しくないなァ。でも、そんなのはしたがね程度の価値しかない。人間というデバイスを使って社会を引っき回すヤツも居る…」

「宗教とかかい?」と聞いてみる。手っ取り早い話ではある。

「それ以外もあるぞ?昔なら武将、今なら会社経営者なんてのもあるらしい」

「んげ。それってモロ世俗せぞく臭い部分じゃんか…」

「あたぼーよい。神というのは案外、俗っぽい…つうか人を好む。力の源としてな」

「神に行使こうしされる人間…ま、あるしゅ幸せなのかも?」と僕は言う。何かにつらぬかれる人生は容易たやすく、楽ではあるだろう。

「かもな?でも、自由意志じゆういしがない人生なんてケチャップがかかってないチキンライスみたいなモンだ。味気あじけねェ」とミケツさんは妙に人間臭い倫理観を披露する。

「いやさ、人間の自由意志なんて幻想だって。リベットの実験で立証済みだろ?」人間は『こうしよう』という意識の前から行動を初めているとする実験の事だ。※3

「幻想でも―それがあると信じれる事は案外大事だぞ?いおっちゃん」オッサンの説教じみてきた。

「どうだろうね…その結論を得るのは死ぬときじゃないかな、大分だいぶさき…で?宗像むなかたのアレは一体―何なんだ?」と僕は話を軌道修正してしまう。

「んー?順当に行くなら宗像3女神の誰かじゃねぇの?残念ながら」とミケツさんは言う。

「ですよねえ…僕もそんな感じじゃないかなって思ってた」と諦めてしまう僕。

「アイツら、秘密主義だかんなあ…攻略法は伝授出来んぜ?」とミケツさんは言う。

「攻略って…ゲームじゃないんだから」と僕は突っ込んでしまう。

「あんなん、恋愛ゲーの無理筋むりすじのヒロインみたいなモンだって」とぞくさ過ぎる見解を披露するミケツさん。そんなの何処で覚えたんだ…って久井さんだ。まったく。犬の前で恋愛ゲーするんじゃないよ…まったく。

「無理筋ヒロイン…ね。生憎、僕は姿すら見てないわ」と話に乗りつつ言っておく。

「そら、神さんは姿を見せないもんよ?」何言ってんだお前の顔で言うな。

「は?ウカノカミ様、露出ろしゅつしまくってるじゃん?」

「アレ?あんなん、アバターみたいなモンだって。実際、宗教画なんかは明確な姿を書く事を避けるんだぜ?特に神道しんとうはな」

「でも…仏教とかキリスト教はガンガン露出するよね?」

「ま、西洋のアレは宗教画にかこつけたエロ絵だったりもするけどな」なんで知ってるんだよ?管轄の外だろうに。

閑話休題かんわきゅうだい。姿の見えないヒロイン―こと女神様、どうすりゃいいんだい?」

「俺、山の神のいわばパシリよ?んな事知ってる訳ないじゃん」とミケツさんは悪びれもなく言う。

「おい…牛肉返せや」と僕はすごむ。昨日のお礼ではあるけど…何か腹が立つ。

「あ?そしたら昨日の救いちん、請求すんぞ?電子マネーで」とミケツさんは腹をかきながら言う。

「うん。ゴメン…ま、ちょっと考えてみるよ」

「おう。そうしろ…一応ウカノカミ様にも連絡しとくが―あの人面白がって情報くれんと思う」とミケツさんはあるじの女神さまを勘案かんあんして言うのだった。


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 さて。今の僕は何をしているのかというと―自分の銀行口座の残高をチェックしている。コンビニのATMで。なんでかって?スマホが水没したからだ。残高は少ない。4桁しかない。これで機種変更にのぞむのは―非現実的である。しょうがない。お父さんかお母さんに助けを求めるしかない。


 共生組合きょうせいくみあいの事務所のある部屋に戻り、事務部屋にお邪魔する。そこには共生組合の金庫番きんこばんこと安藤あんどうさんが居る。低血圧気味の彼女はパソコンに向かっている。表計算ソフトで何か金銭に関する書類を作ってる。

「安藤さん、ちわっすー」と僕は挨拶。

「ん…いおり君か、お疲れ様。どうしたの?事務所に何か用?」と画面を見つめながら返事をする。

「いやあ、スマホがっちゃったんで、電話を貸してほしくて」

「別にいいけど―どうしたの?」

「水没させちゃって…」と僕は半分の事実を述べる。

「トイレでいじくるから…私もやりかけた事あるわ」とクールな返事。でもそれにふくまれるエピソードは何処か抜けている。

「ははは…以後気をつけまーす」なんて返事をしながら、長田おさださんが不在のデスクの上の電話の受話器を取り、父親の番号をプッシュ。お母さんに電話をかけるのは―いまだに気が重いのだ。昔よりはマトモな関係性になったとはいえ。

 父の携帯には繋がらなかった。どうやら忙しいらしい。時間を変えようかとも思ったけど、次の訪問までに連絡手段を確保しておかなければ面倒な事になりかねない。背に腹は代えられぬ。お母さんの携帯に電話をかける。

 呼出音は1分近く鳴り続いたけど、電話は繋がってしまった。ああ。面倒だなあ。

「もしもし?」とキレのあるアルトボイスが受話器越しに聞こえる。

「ああ、お母さん?宇賀神いおりです。今、電話いいかな?」

「遅めのランチ中だけど―まあ問題ない。要件は?」この人はせっかちだ。

「いやさ…携帯、壊れちゃって」と僕は言う。

「で?カネがないから私に連絡したと?」そうです。助けてください。

「うん…いや、機種変きしゅへんしたばかりでさ、お金がね…」

「アンタ、管理が甘いのよ…」

「ちょっとした『事故』に見舞われてね?」と僕は事情をチラつかせる。彼女の察しに期待している。

「それは―電話口で説明できる話かしら?」と問う彼女。案外に勘が良い。まあ、彼女もまた曖昧あいまいな世界を知っていた。だから―あの現象について何か話してもいいのかも知れない。

「うーん。まあ、難しいかな」

「じゃあ、ウチに来なさい。今日の20時には帰宅しておく」とあっけらかんと言う彼女。

「へ?忙しいんじゃないの?」僕は驚く。基本仕事を中心にして生きている彼女が平日の夜に時間を空けるのはかなり珍しいのだ。

「娘の為に時間を作る母親―珍しい話かしら?」と嫌味を述べる彼女。

「ま、昔なら考えられなかった話ではある…でも助かる。じゃ、また夜に」と僕はお礼を言いながら電話を切った。


 電話を切ると安藤さんが視界に入る。その顔は何処か優しい。

「安藤さん?どうかしたんすか?」と僕は問う。

「ん?いや…家族と和解したんだなあ、てね」と応える彼女。僕の家庭の崩壊を最初に見抜いたのは彼女だ。

「ま、色々ありましたから」と僕は言う。

「人生には数多の挿話そうわあり、ね。まあ、君が生きやすくなって良かった」

「ええ。人生サボる訳にもいかないし」

「ん。グッドラック」


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 久々に帰った実家は綺麗に片付いていた。ヘルパーさんが来ているので当然の話なのだけど、相手はちょう弩級どきゅうの片付けられない女なのだ。結構手間ではあると思う。かく言う僕も同居していた時は随分時間を取られていた。

「久しぶりね?いおり?」とテーブルで向かいあう彼女は言う。

「でもないだろ?半年ぶり位かな?」

「便りがないのは元気な証拠だと分かっていても―まあ。心配なのよ」と彼女は弱弱しく言う。似合わない…けど、コレが今の彼女で、本当の母だ。き物が取れた彼女は性格が丸くなった。

「ゴメン、バイトしてたり、寮でみんなとダラダラしてて…忙しかったのさ」

没交渉ぼっこうしょうだった貴女あなたが…うん。良かった―けど。『事故』の件は詳しく聞かせてもらうわよ?」

「うん…」と僕は受け、ちょっと考え込む。どう説明しろというのか?

「もしかして―伏見稲荷ふしみいなりでの事に近いような『何か』に関わっているんじゃないでしょうね?」そういう母の言葉は厳しい。

「別に自分から状況に飛び込んだ訳じゃないんだ…だから『事故』なんだよ」と僕は言う。

「ふむ…まあ…貴女も私と血を分けた娘―結城ゆうきすじの娘。境界に足を置く事はままある。でも貴女には御伴おともがいるでしょう?ミケツ様が」結城とは―我が母の『実の』方の実家の事だ。神道をベースにした新興宗教の家。そしてそこの娘たちは神に近しく、かんなぎとして、事代ことしろとして、神をろす事がままある。でも、僕の母はその家から連れ去られ、真逆の医者の家で養育され、合理性を身に付けた。今の彼女はただの人だ。

「いや…あのさ、長田さんにさ、訪問活動に着いて行ってほしいって頼まれてさ。宗像の女のひとの家なんだけど」

「で。ミケツ様はお留守番をしてた訳ね…まあ、しょうがないけど、長田も居たんでしょう?」

「そりゃそーだけど、あの人は普通の人なんだよ」と僕は言い訳しておく。

「とは言え。監督責任がない訳じゃない…明日説教ね」長田さんと母は昔、取引先の関係だった。知り合いなのだ。そして、その関係は母が優位を取っている。それを示すエピソードにこんなものがある、入寮にゅうりょうさいの金銭のやり取りの話なのだけど―


「じゃ、入寮に際して、雑費ざっぴ20万いただきます」という長田さん。応接室での事である。目の前のソファに長田さんが居て、こっち側のソファに僕と母。

「それは―構わないけど。はいコレ…長田?領収書、切ってくれるわよね?当然」と母は厳しい口調を長田さんに投げかける。

「あ、忘れてた―」と長田さんは焦ってる。

「アンタ、この金、帳簿ちょうぼじょうから消すつもりだったのかしら?」ウチの家の人間は金銭のやり取りに非常に厳しい。そういう職域しょくいきの人間だからだ。

「いやいやいや…滅相めっそうもないです。ちゃんとやりますよお」押されている。クマのような長田さんが。

「ふぅん?このり取りは段取りの中にあったはずでしょう?なんで前もって用意してないのかしらね?」母はここぞとばかりに攻め込む。

「勘弁してくれ…宇賀神うがじんさん。マジで忘れてだけだって」と言い訳に徹する長田さん。

「昔からそうよね?アンタ絡みの案件は何処か不備があったもの。私がどれだけ尻拭いしたか、覚えてるわよね?」母の仕事的な交渉術を初めて見た訳だが―怖い。相手に回したくない。

「その節は誠に申し訳ありませんでした―以後このような事がないよう努めますので、今回はひらにご容赦ようしゃください」長田さんが頭を下げている。うわあ。やられてる。

「よーく。覚えとくわ、その言葉。反故ほごにしたら―容赦しないわよ?」

「へい…」

 ああ。要らんトコ見てしもうたぞ…


 と、まあ、こんな話。長田さんは我が母に頭が上がらない、という事。


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「―と。まあ、そんな訳で、僕は現世うつしよから隔絶かくぜつされた海に飛ばされ、そこでスマホがおくなりになった訳」と僕はこれまでの経緯を母に話す。

「…」あごに手をやる母は思案顔だ。まあ、こんな荒唐無稽こうとうむけいな話を聞かされたら、誰だってそうなる。というか半分気が触れてる扱いを受けかねない。

「どうせ、また長田さんと宗像に行くハメになると思う」と僕は言う。この話を投げてもいいけど。そして向こう側から投げてくれることを期待するけど。でも、始まってしまっているのだ状況は。ルビコン川を渡ってしまっている。後戻りは不可能に近い。

「で?ミケツ様は―相手をどう見ているの?」と母がようやく言葉を放つ。

「神―宗像3女神の1はしらのいずれか―と人の混じりあった『何か』じゃないかって予測してる。神を下ろし続けられる特異的な体質の人かもって」

性質たちが悪いわね」と簡潔に言う母。母の実母も事代、巫として『神』を下ろしてはいたけど、結果、精神を荒廃こうはいさせている。あまり耳に入れてこころよい話ではないだろう。

「ミケツさんいわく―そういう人間は居るみたいだね。俗にいう『神懸かみがかり』的な事をす人間の裏に神はあるってさ」

「そういう事例も無くはない…でも。それは大きすぎる対価を払って為し得るモノ。神の祝福なんかじゃない。ただののろい、まじないのたぐいでしかない」

「人というデバイスを使って社会をき回し、力を得る…」

「そう。神様だってお人よしではない。極めて世俗的で、欲にまみれた生き物なの」

「人間とさほど変わらない」と僕は感想を述べる。

「何故なら神は人の想像力の産物さんぶつなのだから。神話は自然現象と歴史の説明の為にみ出されたお話に過ぎない」リアリズム。母の世界観。

「でも。それは人の手を離れた瞬間、力を得た。個別に存在し始めた」反論。別にここで結論を出そうとしてる訳じゃないけどさ。

「それが民衆、社会の恐ろしいところでもある」

「同時に社会を縛るルールにもなる…薬と変わらない。ベネフィットとリスク」と僕は言葉を繋げる。

「その利益が―本当にその人間の為になるかは怪しい所だけど」

「ま。上手く使えるヤツは良いけどね。そんなにうまくやれる人間はそうそう居ない。リスクにむしばまれ―苦しむ事になる」

「とは言え。貴女にどうにか出来るものなのかしらね?」と母は僕の先をふさいでしまう。

「分かんないよ、正直。あんま関わりたくないってのが本音」素直な感想。要らん目に遭いたくないのが本音。でも、でも…

「せいぜい足掻あがきなさい。そして何らかの結論を出しなさい。これが貴女にとってどうなるかは分からない。でも―貴女は案外、断れない性格でもある」

「そ、お母さんに似ちゃった」そう。母は『断らない女』なのだ。それがどれだけしんどい話であれ、バイタリティで何とかしてしまう。それが負担になる事もいとわず。そのおかげで今の僕は居る。それを否定するつもりはない。でも、僕もそのクチというのは意外な話ではある。

「ウカノカミ様にされ、話をみ、私のくびきを断ち切った貴女は私と同じく―いや、私以上に『断らない女』よ。それはいばらの道でもある。便利に使い潰される典型」

「ご心配どーも。でも僕には葛城かつらぎの血もまた流れている。お父さんは案外、サボりの名人だ」

「アイツ―隠れてサボる技術は目を見張るものがあったわね…よく仕事中に抜け出して私にいに来たっけ」と母はノロケのような事を言いだす。ちょっとキモいから止めてほしい。しかも今やあのおっさんは別の家庭を持っている。

「そーかい…ま、何とかするさ。マジでダメそうな時は適当に投げる…という訳で、スマホ代頼まれてくれない?流石に連絡手段ナシにあそこに行くのは怖すぎる」

「…コレ、借金よ?私は投資に対して常にリターンを求める」ウチの家訓はカネには厳しく、だ。

「うーん?まあ、適当に何か考えとくよ…まさか―利息取るつもりじゃないだろうね?」僕は思わず聞いてしまう。

「10%って言おうと思ったけどね?」と珍しくジョークを言う母。

「10日でかい?それ、利息制限法違反だよ?まさか知らない訳じゃないよね?」

「まさか。返済時に1割、色をつけろ、って言おうと思っただけ」

「バイトの身では厳しいっつうの」と僕は不満を述べておく。

「とは言え。稼いでない訳でも無いでしょ?」と母は何の気もなしに言う。

「あのねえ。昼までの仕事でそんなに稼げないよ…貯金もしないとだし」

「貯金…してたの?」意外そうな声で言うな。

「一応…ね。学費になるか、転居費用になるか、はたまたって感じだけど」

「18にしては上出来ね…無駄遣いしてるものかと」

「ボルダリングジムなんかには行くけど、そもが無趣味で化粧もあまりしないし」と僕は言う。普通の女の子は色々物要ものいりだ。そのせいでアルティメットなカネの稼ぎ方に走る子も居るのだ。

「化粧はしなさい。最低限」と母は言う。

「別に化粧えする顔でもないし、この見た目だぜ?」必要性を感じない。

「あのね?人は案外、見た目、第一印象で生涯の印象が決まってしまう訳。化粧しないは腕時計にこだわらない男みたいなものよ?」いや、それ古い価値観じゃない?今や腕時計なんて要らないとまで言われてるんだぞ?

「いやいやいや…まだ先の話じゃんよ?社会出てからの話でしょうが」

「もう貴女は社会に出ているじゃない?」

「はい?」

「バイトだって立派な社会参加よ…まさか―バイトだからってお客様感覚なんじゃないでしょうね?」と母は畳みかける。

「真面目にやってるってば…」

「本当かしらね?舐めてると痛い目遭うわよ?」

「怖い事言わないでよ…ていうか、今はあの『現象』優先!」


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 久しぶりの母との対話は―疲れた。あの人は圧が凄い。わざとではないだろうし、僕を害そうとしてる訳じゃないのは知ってるけど―なんというか、どっと疲れた。さっさと帰って寝よう。明日もバイトだ。

 あの懐かしの広くて真っすぐな道をとぼとぼ、寮まで帰る僕。夏の夜は涼しくて、歩きやすい。


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 翌日―バイトを済ませ、昼ご飯を食べている時、事務所に居た安藤さんから呼出よびだしを受けた。

「宇賀神君?お母様から電話」と安藤さんは言う。

「へ?」昨日、お金を融通ゆうずうして欲しいと頼んだばかりだ。連絡がくるのは少し先になるかと思ってたけど。事務部屋に行き、電話の受話器を取る。

「いおり?とりあえず口座に10万程振りこんどいたから」と簡潔に言う母。

「アレ?えらく早いじゃない?もうちょい時間かかると思ったけど」

「あのね。私はタスクは早々に潰すようにしてるの。それはプライベートでも変わらない」と母は言う。

「取りあえずありがと…でもさ、タスクは早く潰すのが主義なら、片付けもキチンとしてよね?あと郵便物もめないで」と僕はお礼と一緒に指摘もしてしまう。

「人間、すべて完璧という訳じゃない。何処かで釣り合いをとるもの。私の場合はそういう事ね」と反論する母。言い訳としては3流。ま、いいけどね。治る訳ないとも知ってるし。

「有り難い話をどーも。んじゃまたね」

「気をつけて」そういう母。昔では考えられなかった締めの言葉。


 かくして夕方。僕は携帯ショップに居る。僕の加入してるキャリアでは、アウトドア仕様のタフネススマホが出ていて。僕はその機種を選び手続きをしている。水没したスマホの方はSIMカードを抜いて、向こうさんに渡した。修理するって手もあるけど、これから先の事を考えると正直厳しいものがある。どうせまた海みたいなトコロに飛ばされるのだ。アレではどうしようもない。今回は―母から融資ゆうししてもらったお金で一括払いで済ませた。二重の債務をうの厳しい。

「しかし―派手にやりましたね?」とショップのお兄さんは言う。

「まあ―色々ありましてね」と僕は誤魔化ごまかす。

「さっきバックで中身なかみましたけど―アレ海水に漬けちゃいましたよね?」

「まあ。そんな感じっす…」と僕は応える。

「ああなると―ま、下取りは無理ですね…ばらしてきてる部品引っこ抜く位しか道がない。どうします?」

「もう適当に処分しといてください…幸いデータはバックアップ取ってあるんで」

「いやあ。最新機種なのに勿体ない…こっちは儲かるから良いですけど」正直なお兄さんらしい。


 手続きを済ませた僕は帰路に着いた訳だが―機種変更したばかりの電話に着信。まだデータを移し替えてないので誰からなのか分からない…ん?いやお父さんか?この番号。ま、応答してしまおう。

「もしもーし?」と僕は誰何すいかする。

「いおりぃ!やっと繋がった!」と父の声。

「へ?もしかしてこの番号にずっとかけてた?」と僕は聞いてみる。

「当たり前じゃボケ!共生組合から着信してたから何かあったのかと」

「ゴメン。諸々もろもろの事情でスマホが壊れてね…1回共生組合の電話使ってかけたわ」

「ちっとばかし立て込んでてな。夜しか暇がなかったから共生組合には連絡取れんし、お前のスマホはだんまりだし―もう、心臓がバクバクでしたよ?お父さん」

「いや―まあ、こっちの配慮が足りんかった…ゴメンよ」と僕は下手したてに出て謝る。色々あり過ぎて父の事を忘れていた。

「ま、無事なら良し」いや無事でもないんだなコレが。

「さっきスマホをえましてね」

「あ?お前えたばっかじゃなかったか?」と父。

「うん…ま、事情によりタフなヤツにえなきゃならんくてさ」

「カネはどーしたのよ?」

「お母さんから融資してもらった」と僕は言う。

「げ。宇賀神うがじんさんからカネ借りたのお前?普通にタカれよ」と呆れる父。

「ウチのオカンが無料タダで何かすると思う?」と僕は牽制けんせいする。

「いや、思わん」即答である。どんだけカネに厳しいんだよ。ウチの母は。

「これから頑張って、色つけて返さなならなんだ…憂鬱ユーウツだよ」うん。気が重いのは事実。物要りの中の借金は案外響く。

「何?期限付き利息付きで借りたのかよ?宇賀神さん…カネにはうるさいからなあ」と父は言う。

「その口ぶりだと―お父さんも借りた事あるね?」と僕は尋ねる。嫌に話のディティールが細かいのだ。

「おん?独身時代にちっとな…出先でさきでカネ立て替えてもらった訳だが―利息キッチリ取られたね、ほんの数時間の話だったが」と父は言う。マジかよ。彼氏に利息付きで貸したんかあの女。

「容赦ないなあ。お母さん」感想が漏れてしまう。

「カネの恐ろしさを知ってるからじゃね?ま、いおり相手なら容赦してくれるだろうが…それとも何か?借り換えするか?」父の提案。いや、重い愛が付いてくるからいいや。

「いや。自分でどーにかするさ…赤ちゃんの調子どう?」と僕は異母兄弟おとうとの話を振る。

「んー?もう大変」と父。まあ、生まれたばかりの子どもだ。手間はかかるだろうし、奥さんの方はもっと大変だ。

「子育て2周目でも面食めんくらう?」と僕はく。

「何時だって子どもは大変さ…ま、嫁がしっかりしてるから何とか」

「ああ。陽子ようこさん、子ども好きっぽいしねえ」子どもを為す事を切望していたのは陽子さんだったらしいし、普段から子どもに対する接し方が優しかったらしい。

「お互い心構えがあっても―乳児は手間がかかる…ま、可愛いけどさ」

「まあ、精々せいぜい陽子さんと赤ちゃんをお大事にね?」

「お気づかいどうも…お前は共生組合で上手うまい事やってっか?」と父が僕の方に話を振る。

「ま、ボチボチ。バイトしつつのんびりとね」と僕は現情報告。

「そいつは何よりだが―将来設計、おこたってね?」と厳しいトコロをつく父。

「それは―否定できない。バイトで手一杯って感じでさあ。情けない話だけど」

「お前さ、高校3年次ねんじ中退だろ?どれくらい単位持ってた?」単位?行ってた高校は普通制だったからピンと来ない。一応文科もんか省のカリキュラム通りやってたはずだけど。

「多分、普通の人並には」と僕は曖昧な答えを父に示す。

「アホ。行ってたトコに連絡取って、確認しろ…後、書類も作って貰え。単位証明のな」

「へ?なんでさ?何かあるっけ?」

高認こうにん。アレ、一から全部やらんでいいんだぞ?」 ※4

「マジで?」そう、僕は高認の科目を全部受ける事を想定していた。お陰で気が重くて後回しにしていたのだ、アホな話だけど。

「取ってた単位によっちゃ、試験をかなりパス出来る…時間短縮できるし、大学受験にリソースを回しやすい」

「…あの学校に連絡取るのは嫌だな」と僕は言ってしまう。良い思い出がないのだ。

「感情にこだわるな」と父は僕に言いふくめる。

「ん。分かった。後で何とかしとく…そろそろ寮に着くから切るね?」

「おう。しっかりやれよな」父は案外に僕をスポイルする気はないらしい。もう少し甘くても良いのにさ。


↑ 本文、了


 本稿の執筆に当たり以下のサイトを参考にした事を明記します。


※1


「ブリ糸状虫(Philometroides seriolae)」

食品衛生の窓

@東京都福祉保健局

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/musi/22.html

2021年12月25日 閲覧


「アニサキスによる食中毒を予防しましょう」

@厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000042953.html

2021年12月25日 閲覧


「ラジノリンクス(Rhadinorhynchus) 鉤頭虫類」

食品衛生の窓

@東京都福祉保健局

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/musi/25.html

2021年12月25日 閲覧


「タイノエって何者?タイの口から顔を覗かせる奇妙な生物を見つけた」

@FISING JAPAN

https://fishingjapan.jp/fishing/7293

2022年1月24日 閲覧


※2

「自動計量包装値付機」

@株式会社イシダ

https://www.ishida.co.jp/ww/jp/places/delicatessen/packing/automaticwrapper/

2022年1月24日 閲覧


※3

「ベンジャミン・リベット」

@Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/ベンジャミン・リベット

2022年1月24日 閲覧


※4

「高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)」

@文部科学省

https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shiken/

2022年1月24日 閲覧





































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