塩はゆい体で帰る、宴、宗像にまつわる3つの話

「い…おり君!!いおり君!!」長田おさださんの声だ。おかしいなあ。ウカノカミ様のところに連行れんこうされているはずなんだけど。

 僕の頬にてのひらがあたる感じがする。痛い。そろそろやめて欲しい…僕は腹に力を入れ、声帯を震わせる。

「大…丈夫っすから…頬をぺチぺチしないで…」

「ああ…ゴメン」と長田さんの安堵あんどした声。両のまぶたに力を込めてこじ開けると―あの団地の廊下に寝転がる僕が居た。どうやら、あの空間を抜けたらしい。命はギリで繋がった。

「長田さーん?今、何時?えらく暗い…」と僕は尋ねる。

「へ?ええと。あ、腕時計、ダメんなってら…」と長田さんは言う。

「水没してます?」と聞いてみる。

「らしい。アレ、現実かよお」と勘弁して欲しそうな長田さん。

「ま、ああいう事もあるんすよ、生きてりゃ」なんて分かった風の事を言う僕。

「みたいだね…まあ。今回はお互い生きてるし、怪我もなさそうだ…一回帰ろう。なんてーか疲れちまった…」


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 僕らは団地を抜け、ほうほうのていで駅まで行き、そこにあった公衆電話でタクシーを呼んだ。流石に塩はゆい体で電車に乗る気になれなったのだ。いやまあ、タクシーでも迷惑かも知れないけど。

 乗り込んだタクシーの運転手さんは何も言わず、僕らを乗せ、僕らの街まで送ってくれた。後から考えると納得が出来た。と、言うのもこの辺は怪奇現象が良く起こる事で有名だからだ。都市伝説が数多ある。よってその手のよく分からん感じの人に対する対処はお得意なのだ。

「後は―コイツのメーターがどこまで行くかだね」と長田さんは言う。

「まあ。緊急事態っすから。しゃあなしです」と僕は長田さんを慰める。この後、この謎のタクシー代はどう処理されるのか?分からない。ま、ここは子どもぶって逃げよう。


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 一時間もしない内に我らがホームタウンのアイランドシティに戻ってきた。タクシーのメーターは…怖くて見れない。トーラスビルディングの前で僕だけ下ろしてももらった。長田さんはこのまま直帰するらしい。

「えっと…お疲れさまでした…今日見た事は…明日以降検討しましょう…」と僕は言っておく。どう言いくるめるかミケツさんに相談せねば。

「ま、今日はゆっくりしなね?僕のせいで迷惑かけて済まなかった…危なかった」と長田さんはしんなりしている。いやいや。長田さんが居なきゃ僕は…だから、せめてこう言う。

「長田さんのせいじゃないです…アレはああいう『現象』でしたから。お気になさらず」

「そう言ってくれると、こっちとしては助かる」

「では、おやすみなさい」

「ん。また明日ね―」


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 自室に帰れば時刻は21時。ミケツさんは何処どこか?僕はリビングを見回す。でも居ない。さっきまで神の御使おつかいとしての力を行使していたのだから、人目につかないところに居るはず―となると、寝室か。

 寝室に入ってみると、ミケツさんは居た。犬ベットの上でヘソ天状態で転がって寝ていた。フゴゴゴ…とイビキをかいて寝ている。余程よほど疲れているらしい。悪い事したなあ、と思った僕は彼をで、部屋を出てお風呂に入った。お風呂を済ませると、部屋着のTシャツとショートパンツに着替え、夕食にありつく為に、3階の事務所のある部屋に向かう。


「いおり君?エライ遅なったやん」と共有部屋でテレビをみながら晩酌ばんしゃくをしていた久井ひさいさんは言う。

「いやさあ…色々あった訳よ」と僕は冷蔵庫にしまわれていた夕食のサバの味噌煮をレンチンしながら返事する。

「ヤバいヤツやったん?」と久井さんは面白話おもしろばなしを求める感じで聞いてくる。確かにヤバいヤツだけど、話のベクトルは逆方向の上に、強烈なデードリーム付きだ。どう説明したものか…とりあえずミケツさんの散歩代行の礼を言う。

「筋金入りの引きこもりだったよ…あ、ミケツさんの散歩サンキューね?」

「ドッグラン楽しかったからええで?犬は可愛いよなー」なんてことを言う久井さん。ドッグライフを堪能したらしい。

「あれ?ゴメン、そんな場所に連れて行ってもらっちゃって」と僕はレンチンし終えたサバ味噌と付け合わせのおひたしを食卓で食べながら言う。

「構わん構わん。俺が無理に連れて行ったんやし」もしかして。ミケツさんの連絡の遅れの原因はこれか?ま、いいけどね。


「話は変わるけどさあ」と僕は夕食を食べ終えてダラダラしながら、晩酌中の久井さんに問う。

「ほ?何ぞや?」久井さんはそこそこ出来上がってる。そりゃワイン1本けたらそうなるわな。

宗像むなかた…今日行ったところなんだけどさ。久井さんその方面の事知ってる?」と僕は訊いてみる。何かしらの情報が欲しい。神話絡みじゃなくても良い。あそこで頻発ひんぱつしている都市伝説のたぐいの話でもいい。

「あの辺、用ないからなあー分からん。地元でもないし」とあっさりとした返事。まあ、彼は関西の人間だしねえ…と思案する顔になった僕に久井さんはこう提案する。

ふちやんなら何か知ってるかも…あの人色々詳しいし…酒をネタに呼び出そか?」

「頼まれてくれる?」と僕は言う。あまり渕上ふちがみさんとは親しくない。久井さんのチャネルを使えるなら使っときたい。

「じゃ…渕やんの分の麦汁びーる代で頼まれよう」と久井さん。タダより高いものは無い。その条件でオッケー。

 その言葉を受けて、久井さんは近所のコンビニに向かった。


 そうして。麦汁をたんまり買ってきた久井さんと渕上さんが事務所部屋のリビングに現れる。

「渕やん召喚完了!!」と僕に敬礼をかます久井さん。

「呼ばれて飛び出でダダダダーン」と渕上さん。何かノリが変だぞ?

「ああ。渕やん、酒呑むとこうだから気にすんな」と久井さん。喋り上戸じょうごだとは知らなかった。

「じゃ、うたげるぞー」と久井さんは麦汁とツマミ、僕用のコーラを食卓に広げる。いや、めちゃ買って来たな…明日の請求が恐ろしい。何かしらの釣果ちょうかを得なければ。

「で、なんですけど、渕上さん?」僕は目の前の上機嫌な渕上さんに問う。

「どしたい?宇賀神うがじん君?」ご機嫌の渕上さんはこたえる。

「宗像について持ってる情報を教えて欲しいんです」

「宗像…ねえ。やっぱ宗像大社むなかたたいしゃはずせんね」

「宗像大社…宗像3女神…」

「へ?宗像の神って女なん?」と麦汁ビールを美味そうに飲む久井さんが話に入ってくる。

「そう。天照アマテラス素戔嗚スサノオ誓約うけいの結果生じた女神3はしらまつ由緒ゆいしょ正しき御社おやしろな訳だが―歴史は中々険しいものがあったみたいだな」と渕上さんは言う。

「険しい歴史?だって―福岡は古来、海外との連絡口、交通の要衝ようしょうだった訳で…自然と崇敬すうけいされるものじゃないんですかね?」

「案外、そうでもないぞ?ちなみに今の宗像の建築は山口の超大手企業の社長さんが出身地である宗像の大社が荒廃こうはいしている事をうれいて、巨額の奉納ほうのうをして出来たもんだ」と渕上さん。それは―聞いた事がない。

「―福岡もとい筑前ちくぜんってのは良くも悪くも商人の街で庶民しょみんの街だ。世俗的なんだよな…よく言えば合理的、悪く言えば伝統を重んじない。戦国時代においても地元の家が伸長しんちょうしたというよりは、商業の街たる博多に中央から人がられる、という傾向が強い」

「言うてせやなー。歴史ゲーしてても福岡って印象薄いよな…」と久井さん。この人はゲーマーだ。やるジャンルは萌えチックなのからハードなものまでレンジが異様に広い。

「だろうなあ。佐賀の龍蔵寺りゅうぞうじ家と鍋島なべしま家、薩摩の島津しまづ家や豊後ぶんご大友おおとも家、柳川やながわ立花たちばな家が割拠かっきょしていた九州はまあ、魔境まきょうみたいなもんだわ。その上長崎まである」と渕上さん。

「そして筑前は?」と僕は続きをうながす。

「ん?小早川こばやかわ家が来るな…隆景たかかげ秀吉ひでよしの元養子で関ヶ原の戦いで裏切る秀秋ひであき。その治世ちせいは隆景は評価されているが、秀秋の評判は最悪だ。んで、その後は黒田くろだ家だな。官兵衛かんべえとその息子の長政ながまさ…初代の藩主様だ…で、それが幕末まで続く」

「みんな、中央から派遣されてきた人なんですね?」

「だな。小早川家の本拠…つうか宗家そうけは中国地方の雄、毛利もうり家だ…毛利両川もうりりょうせんというアレだな。黒田家はどっちかって言うと兵庫の辺らしい」

成程なるほど…みんな地元っ子じゃないから地元の伝統にはうとい…」

「ま、一応。小早川隆景が宗像大社に寄進きしんをするが、その養子の秀秋がそれを没収する」

「はたまたなんで?」と僕はいてみる。

検地けんちの絡みじゃねえかな?」と渕上さん。

「ああ…そういやそんな時代だっけ」

「それに…秀秋は地元っ子でもないし、神への崇敬すうけいは薄いと思う。武家は八幡神はちまんしんは有り難がるけど、それ以外はそんなに興味がないはずでさ。それに鎖国へ向かっていく時代だ。航海神の需要は減ったんじゃね?よう知らんが」と渕上さん。

「何と言うか―日本人は昔から合理的だよね」と僕は感想を漏らす。

「その辺、一神きょうには評価してもらえない部分だよなあ。彼らは絶対的な存在としての神を重んじるが―俺らは生活の中に溶け込む神をとうとび、うやまう」

「人の信仰あっての神…」

「そう。必要とされればさかえ、用がなくなりゃすたれる…世知辛い話だ」

「神さんも大変だわねえ」と久井さんはのんびり言う。

「何となく宗像がさびれた理由みたいなのは分かったけど…おきしまはどうだったのかな?」と僕は問う。

「細々と伝統を保ち続けてきたらしい…『筑前国ちくぜんのくにぞく風土記ふどき』辺りにも現在に近い形の扱いが見られる。ま、単純に地形的な珍しさもあるからな、自然崇拝すうはいの延長線みたいなもんだわな」と渕上さん。※1

「んで。今や世界遺産だけどね」と僕は言う。

「そりゃあ、アレだ。戦後、山口の実業家が後押ししたからだ。なんつうか…宗像3女神はなあ…『記紀きき』の記述があっさりしとるよな。鎮座ちんざの話は出るけど、誕生以外の話が薄い」記紀とは『古事記』と『日本書紀』を差す略語だ。

誓約うけいのシーンはきっちり描写されど―それ以降がない」と僕は言う。

「そんなもんじゃねーの?神さんなんて」と久井さんは言う。

「そうでもない。大和王権やまとおうけんに深く関わる神は色々描写される」

「まるで―人みたいにね」と僕は言い添える。

「そう。日本神話は曖昧あいまい世俗せぞくの香りに満ちている」と渕上さんは麦汁ビールあおりながら言う。

「神話を自分んちに結び付けて、権威づける…か。考えるねえ、昔の人も」と久井さんは感心しながら言う。

「古来、政治は『まつりごと』であった…神権しんけん政治せいじってやつさ」

「案外、昔の人って合理的なんだなあ…なんつうかけがれとか嫌う迷信めいしん深いイメージだが」

「そりゃ中世ちゅうせい以降の話だ。仏教や陰陽道おんみょうどう、その諸々もろもろと貴族文化のミクスチャー」

「神道は案外、他の宗教と混じりあいやすい…」

習合しゅうごう。ま、悪いこっちゃない。『合理的』がなせる業よ」と渕上さんはシニカルな顔で言う。

「宗像の3女神は何かと習合するの?」と僕はいてみる。

「いや、とんと聞かないなあ…あんま人気なかったんじゃない?」なんとまあ現金な話だ。

「おかげで元の形に近いじゃん?」と久井さん。言われてみればそうだな。

「おかげでミステリアスではある…まあ?3はしらの内の1じはしら大国主神オオクニヌシノカミと結婚するって話はあったかな?俺が印象に残ってる海の神さんと言えば、豊玉姫トヨタマヒメの方かな…」豊玉姫は豊玉彦神トヨタマヒコノカミ海神ワタツミ―の娘だ。そして、海幸彦うみさちひこ山幸彦やまさちひこの話に絡んでくる。神武じんむ天皇の系譜けいふつらなる女神さま。

「どんな神さんなん?」と久井さんは興味を示す。

「アレだ、浦島太郎の話の乙姫様の原型だな」

「ん?アレって龍神の娘じゃなかったん?」

「その龍神は要するにワタツミ…海の神さんなんだよ」

「あ。そうなるんアレ?」と久井さんは驚いている。

「まあ。浦島さんの来歴はマイルドになってますけどね?」と僕は言う。

「何?そんなにもとの話はアレなんかい?」

「まあ、案外、世俗的な話ですよ?聖書の『アベルとカイン』みたいな話なんです」※3

「だな。ありゃ従属の歴史みたいなもんだし」と渕上さん。

「兄弟喧嘩の話…が何処かの一族を服属させた話にくっつくって事?」と久井さん。

「そ。負けた兄貴が九州南部で有名な隼人はやとの祖先だとしている」

「うへえ。知らんければ良かった」

「案外、神話なんてそんなもんさ」と渕上さんは言った。


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 その後、僕らはどうでもいいような会話に終始しゅうしした。真面目マジメな話ばかりしていると肩がって仕方ない。渕上さんの大学生の頃の馬鹿話や久井さんのバイトでの話、僕の中学生の頃の話で盛り上がった。歳はみんな離れてはいるけれど、この共生組合きょうせいくみあいの中で生活をしているせいか、分けへだてはあまり感じない。普通ならジェネレーションギャップがあるはずなんだけど。引きこもりや不登校というか細い共通性でなんとか繋がっているだけなんだけど。


「そーいや。大学生の頃は他の大学の連中ともつるんだりしたっけなあ」と顔が赤い渕上さんは言う。

「何?コンパとかそういう話かぁ?」と久井さんは食いついている。

「いや、普通にサークル絡みさ。そいや…宗像って教育大あったっけね」

「ですねえ。今日、訪問活動の付き合いで行った先の人も教育大出でしたね…」

「あ、そう?ま、教育現場なんて何処も大変だと思うぜ?」と渕上さん。

「なんか―崩壊ほうかいした学級を受け持ってたらしいっす」と僕は言う。

「ああ。地元の中学がそんな感じだったわ」と久井さんも言う。

「俺、私立の中高一貫行ってたからピンとこんなあ」と渕上さん。大学へはエスカレーターで上がったらしい。

「僕、中学は北関東ですけど、まあ、確かに公立は荒れやすいっすね」

「ま、それから先は学力で振り分けがあるからなあ…ああいう何でもアリ的状況は中学が最後よな」と久井さんはしみじみ言う。その先の高校は行ってないからよう知らんけどみたいな顔をしている。

「ほー?俺らんトコはやらかしたら放校ほうこうされちまうからな…大人しくしてたよ」と渕上さんはしみじみ言う。

「それはそれで面倒でしょうね…」あんま上手く想像できないけど。

「まあね。フラストレーションがたまりやすい」

「俺はイライラしたら学校の窓割ってたぜぃー」と久井さん。その情景じょうけい易々やすやすと頭に浮かぶ。

「僕は部活でガス抜きしてたかなあ」僕の通った公立中学は珍しく硬式こうしきテニス部が盛んで、思いっきり球を打ってたっけ。後はボルダリング。

「俺らは―何してたっけ?記憶がねえわ…勉強はしてたけどなあ」と渕上さんは遠い目をしている。

「なーんか、陰で色々やらかしてそうな感じだな?」と久井さんは渕上さんに問う。

「陰湿な嫌がらせはあったかもな…」

「うわ、女みたい」と思わず僕はこぼす。あの年代の女子…はもう面倒くさい。二度と関わりたくないレベルで。

「イジメに性差せいさもクソもあるかい。陰湿いんしつなヤツはどー転んでも陰湿だよ。それこそ先生いじめたりな?」

「あったなあ。そういうの」と久井さんは懐かしそうな顔をしてるけど、多分、彼の思い出は数段バイオレンスなかおりがするに違いない。

「逆に先生に吊し上げられる子もいましたよ?」と僕は言う。

「なんつうか教育現場はゆがんでるよなあ…疑似社会ぎじしゃかいというか、日本の嫌な部分煮詰につめたみたいなさ」と渕上さんは苦々にがにがに言う。

「案外ハナシの分かる先公せんこーったやん?」と何故か弁護に回る久井さん。

「そうかな?」と僕は疑問をていする。先生なんて学級の運営しか頭にない感じだったけどなあ。

「俺もピンと来ん。アイツら進学実績しか気にしてねえだろ?まるでリーマンだっつの」と渕上さんは毒を吐く。

「まあ、俺をかばってくれた先生、学校じゃ浮いとったっけなあ。確か―脱サラして教職になった社会科の先生やってんな。俺、社会と国語だけは勉強しなくてもええ点とってたから、大分弁護してもらったわ」

「お前、案外アホでもない訳ね」と渕上さんは言う。

「渕やん酷っど。俺の事馬鹿だと思ってた訳ね?」と久井さんはねながら言う。

「そらアンタそんな見た目ですやん」と僕はツッコミを入れてしまう。久井さんは茶髪にピアスでひと昔前のヤンキーそのものだからなあ。

「ここに来てなきゃ関わらない人種だわ。お前は」と渕上さん。

「それは俺もそーだわ。元大学院生なんて縁ねえし」と久井さんは返す。

「でさあ」と僕は話を戻そうとしてみる。教師の話だ。

「先生ってみがちなのかな?今までの話の感じだと?」

「じゃない?俺らの中学でも胃に穴開けたヤツいたぞ?イジメられすぎて」と渕上さん。

「そう?…ってウチはアレやわ。教師もバイオレンスやったしそんな事無かったわ」と久井さんは世紀末せいきまつじみた話を披露ひろうしてくれる。

「成程ね。久井さんの話は参考にならない事がよーく分かった」と僕はイジってみる。

ひどっ。傷付いちゃうわあ」なんておちゃらける久井さん。


「教育大かあ…あそこ女の子多かった気がするなあ」と渕上さんは懐かしそうに言う。

「そーなん?別に教師に性別のアレないしょ?」と久井さんは言う。

「初等教育関係と特別支援学級関係は女の子のが多いぞ?」

「へえ」

「ま、アレだろうなー現場に行って絶望するヤツは多そうだ…ホント、教員免許きょういんめんきょ取んなくてよかったわ」と渕上さんは言う。

「何?センセーする気やったんか?」と久井さんは問う。

「ん?学部の関係上、取れちゃうからな。選択肢としてはあった」とおでこをさすりながら渕上さんは言う。

「院に行くために止めたんです?」と僕も問うてみる。その言葉に渕上さんはこう言う―

「いや、クソガキ相手に人生浪費したくなくてな」と。まあ、道理だ。僕も多分似たような選択をする、同じ立場に置かれたら。

「それに。仕事ってのは理想を追求したらならんしな」と現実的な事を言う久井さん。

「そ。教育を志すヤツは大抵、高邁こうまいな理想持ちだ。そんなもん子どもは知ったこっちゃない」とシニカルに返す渕上さん。

「何かを押し付けられるのは息苦しいですよね…」と僕は同意する。

「そういう意味で大人は阿呆あほうだ。ああいう理想ってのは人生を十全じょうぜんに生きない限り、分かるもんでもねーのに」渕上さんは僕と同じ皮肉屋らしい。

「かと言って子どもが賢いかと言われればノーだな。時間に試されてない子どもは夢見がち」と別の方向からのシニカルさを出す久井さん。

「だなあ。人生でコケた時、初めて大人が口を酸っぱくして言ってた事を理解する…頭のいい奴はすぐ気付くだろうが―俺らみたいなアホはいざ知らず」成程、そういう人生の捉え方もあるのか…

「まったく…世知辛ぇなあ。就職活動めんどいわ、もう」と久井さんはごちる。

「頑張れよー」なんて渕上さんは呑気のんきに言う。

「いや、お前こそ頑張れや」と久井さん。彼も卒寮そつりょうを控える男だ。

「俺?ま、適当に職見つける…」

「果たして上手くいくかな?」と久井さんはニタニタしながら言う。

「…苦労するだろうなあ。ブランクがなあ」と顔をしかめる渕上さん。

「お前は院中退だからええやんけ!俺なんて中卒やぞ?」と久井さんは言葉と裏腹の明るい声で言う。

「あーそ言えばそうな。頑張れよ、久井?」と渕上さんは励ます。

「今の肉屋で永久就職してえ…」と言う久井さん。家族経営の店に骨を埋めるのは大変そうだけど?


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 その後―酔いが完全に回った二人は寝る、と言って各々おのおのの部屋に戻っていった。僕はとりあえず後始末をしてしまう事にした。うたげは結構盛り上がったので、散らかっているのだ。片付けは苦じゃない。習慣として身についてるから無意識にさっさと始末出来る。

 シンクにお皿を突っ込み洗っていると、遅めの晩御飯を食べにきた古河ふるかわさんに会う。今日はイヤホンを耳に突っ込んでない。雰囲気はやや刺々しいけど、この人の基準で言えば大分マシな方だ。

「古河さん、ちわっす」と僕は挨拶。返事がない事が多いけど、挨拶は案外大事だ。職場でも挨拶さえしておけば案外可愛がってもらえたりする。

「おん?宇賀神ちゃんか…うっス」と返事。珍しい。

「今からメシっすか?」なんて世間話を振っておく。

「うん。作曲がひと段落したからな…」と古河さんは穏やかな顔をしている。

「へえ。今度はどんな曲を?」この人はロックや歌謡曲かようきょくやジャズみたいな曲が得意だ。ちなみにマルチプレイヤーでピアノ、ギター、ベース、ドラム、各種金管楽器きんかんがっきなんかを演奏できる。

「ん?まあ、ブルース的なのをいっちょね…」と彼は照れくさそうに言う。僕は音楽シーンにうとい。最近の流行りは良く知らない。なので、適当な返事を返して、晩御飯の感想を述べる。

「サバ味噌か…俺は缶詰派だな。ていうか、宇賀神ちゃん何してんの?」

「へ?いや片付けですけど?」と僕は返す。

「どうせ久井のアホだろ?自分で始末させにゃいかん」と厳しめの事を言う古河さん。

「まあ、それはそーなんですけど、僕が情報を引き出すためにもうけた場ですし」と僕は言い訳しておく。

「情報?なんかあったんか?」と興味を示す古河さん。

「いや、宗像方面の情報を集めてましてね?」

「ん?都市伝説か?」

「まあ、それを含めて何でもアリですわ」

「宗像のメジャーな…つうか怪談話の大本は『菊姫きくひめ』の話だぞ?」と古河さんは言う。※2

「『菊姫』?どちら様ですか?」

「ん?あの辺を治めていた宗像氏の娘だな」

「へ?あの辺を治めてた?」そんな話は聞いてない。

「宗像大社の宗像氏ってのは戦国時代は武家ぶけおもむきもあった訳。秀吉以前の話な?で。中国地方に大内おおうち家って言う大勢力が居たんだ」

「毛利家ではなく?」

「おう。ま、すえ晴賢はるかたってヤツが裏切るんだけどな…まあ、それまでは大内家は栄えており、九州への進出の足場として宗像氏を自分の家に引き込む。婚姻こんいん関係で縛る訳だ」

「うわ、昼ドラみたい」と僕はアホな感想を漏らす。

万倍まんばい性質たちが悪い。ま、当時の宗像氏の側室そくしつになった訳よ、陶晴賢の姪か何かが。で、更に子をす。異母兄弟だな。でだ、大内家はさっきの陶晴賢によって潰される。そして九州に進出しようと兵を差し向ける…宗像家と陶家の間の息子だな」なんぼ戦国時代の話とはいえ重い話だ。古河さんは続ける。

「宗像家の正室の娘、『菊姫』は抵抗を続けるが―結局、自分の家の家臣が寝返りかましたせいで殺されちまう」

「自分の家の家臣に殺されるのは―いくら戦国時代とは言え嫌ですね…」

「その後、裏切り者たちは怪死した。更にはそのすえ達もいまだに呪われているという―あまりに苛烈かれつな『呪い』だったせいか怪談話として有名になった。ま、この時代その手の話には事かんがな…お隣の佐賀の『化け猫騒動』とかな?」

「いやに詳しいですね?」と僕は問う。この人、高校を出た後は音楽の専門学校にいたはずだけど。

「んー?歌詞のネタ探してる時にたまたまな」と古河さんは何気なく言う。

「成程…って事は―宗像が怪奇現象が多いってその話が有名過ぎるから?」

「おう。後はまあ、尾ひれが凄い。調べたら要らん話、わんさと出るぞ?」

「うわあ…怖いなあ」と言ってしまった。神より人の方がよほど恐ろしく、恨みを忘れないもの―と感じてしまったから。

「んまあ?関わんなきゃいいでしょ?」とサバ味噌をモグモグしながら古河さんは言う。

「いやあ…ほら、訪問活動の付き合いで宗像に行く用があるんで…」

「そら災難…ま、死なないようにな?寝覚めが悪い」心配してるんだか、してないんだか。

「ま、熊みたいな長田さん居るし」と僕は話を締めた。


↑ 本文、了


 本稿の執筆に当たり、以下の資料を参考にした事を明記します。


※1 『筑前国続風土記』 巻16

貝原 益軒 著

貝原 好吉・竹田定吉 編纂

1709

https://www.nakamura-u.ac.jp/institute/media/library/kaibara/archive05.html

@中村学園大学 貝原益軒アーカイブ


※2 『通称「山田のお地蔵さま」と言われる増福禅院と秘佛六地蔵尊の由来』

曹洞宗 妙見山 増福院 @福岡県宗像市山田700

http://yamada-jizouson.jp/?page_id=2

2021年12月25日 閲覧


※3 『カインとアベル』

日本聖書協会 

1955年

https://ja.wikisource.org/wiki/創世記(口語訳)#4:1

@Wikisourse














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