凍てつく母、いおりのモーニングルーティン、久井のお仕事、コーリング・ファザー

貴女あなた…帰って来てたの?」目と同様どうようてつくようなアルトボイスで彼女は言い放つ。

「ただいま…別に僕が居ても居なくても―いいじゃないか…気にするなよ」と僕は毒を吐く。

 そう、彼女は僕を―認識してないんだ。たまたま産んでしまったけど、それは社会通念の遂行すいこうの中、生まれたアクシデントだと、そう思っているんだ。義務として養ってはいるけど、愛されてはいないんだ。大体、いおりなんて名付けたのは彼女で。その意味は男の子が欲しかった、それでしかない。僕は…それを、小学校の宿題の自分の名前の由来を調べる課程で知ってしまった。問いただした訳じゃないけど―それまでの文脈で感じ取った。

「晩御飯は?」と彼女は僕の呪詛じゅそを聞き流しながら簡潔な言い方で問う。

「…色々あってね、友だちと食べた」と僕は言う。

「友だち?貴女、学校なんて行ってないじゃない?まさか―非行仲間?」

「違う」違う、そんなのじゃない。

「じゃあ…なんだって言うの?悪いけど面倒は起こさないでもらえるかしら?新しいプロジェクト立ち上げたばかりなの…貴女に時間を取られたくない」ああ。分かっていたけど―コイツはそういう女だ。損切そんぎりの上手いプレーヤー。面倒ごとには関わらない。それが血を分けた娘であっても、だ。

「面倒をかけるつもりは…無いよ。ただ、少し時間をもらうかも知れない」

「何かしら?悪いけど私の時間は高いわよ?」フレームレスの眼鏡の奥の目が鋭く僕を見据える。

「さっき言った色々に絡む話だけど―」と僕はこれまでの経緯の要点を伝える。

「追い出し屋と知り合った訳ね?」彼女はすぐさま理解し、僕に要約を投げ返してくる。

「そうじゃない!」僕は否定する。悪く言われるのは腹が立つ。知りもしないで。

「社会福祉をメシの種に変えるいやしい集まりでしょ?その連中。私が納めた税金がそんなカスに使われていると思うと―虫唾むしずが走る」と彼女は言い捨てる。自己責任論の権化ごんげのような彼女は、そう言ったものに対してアレルギーを持っているらしい。

「アンタはさあ…」僕は声を震わせ、目の前の功利こうり主義女に言葉をぶつける。

「別に『1人』でも生きられるんだろうよ!お父さんが嫌ってたのはそういう部分だ!自分勝手で―自分以外の人間を見下みくだしてるんだ!力を合わせていくのを道具としてしか見てない!」

「その通り」彼女は何も無さげに言う。だから何だって言うのよ?そう言いたげな。

「僕は―悪いけど、アンタほど強くは無い、他人の力を借りなきゃ立ち直れないくずだよ」

「私の血をいでるとは思えない発言ね…葛城かつらぎの血かしら?」冷笑を浮かべる彼女。

「ああ。アンタに似た部分が無くて有り難いと思ってるよ。そこだけは父さんに感謝してる」と僕は彼女の冷笑に痛罵つうばを投げつける。でも、彼女にそれは響いていない。なんとまあ滑稽こっけいな。僕の一人相撲だ。

「そうねえ…アンタ、この家出たいの?」と彼女は僕の話の初めに立ち返る。

「出来れば、ね」

「生計、立つのかしら?家から出たら何かと物要ものいりよ?それとも―そこから学校に通う?その方が楽でいいんだけど。そういう事ならカネは出すわよ?親としての最後の義務を果たすためにね」

「学校には―戻らない」

「へえ。働きなさいよ、じゃあ」

「でも―すぐさま完全な独立は無理だ…そこは認める」妥協だきょう

「ふむ。で?その追い出し屋の寮の費用だけは出して欲しい訳ね?要するに」と僕に先回りし、彼女が道をふさぐ。

「そうです…」ああ。このままでは彼女の思い通りにされてしまう。

「…」と急に黙り込んだ彼女。多分、どうやったら一番自分が損しないか検討しているのだろう。

「今日、共生組合きょうせいくみあいの代表と面談した。その時、アンタに電話番号を渡すように指示されてる。コレね…」と僕はポケットに入れていた紙切れを渡す。

「これで話はお終いでいいかしら?」と彼女はうんざりしたような顔で言う。

「ああ。でも―電話してくれよな」と僕は彼女に念を押す。

「まあ、珍しく貴女が私に頼み事をしてきたんだから、してあげましょう。これは貸しよ」

「ああ。その内返す。家を出るって形でな」


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 翌日。レースのカーテン越しのだいだい色の朝日にまぶたをくすぐられ、僕は目を覚ます。昨日色々あり過ぎたせいなのか―夢見ゆめみは最悪だった。

 僕が見る夢は想像力の欠如けつじょも手伝ってその日の要約であることが多い。脳科学的にもコレは普通の事だ。パソコンのメモリ―電源を切ったら一時記録は揮発きはつする―よろしく一時的に蓄積ちくせきした記憶を長期記憶の座、ハードディスク―揮発性ではない―みたいな海馬かいば他諸々ほかもろもろに移し替える作業が行われる。

 一時的な記憶が長期的な記憶に置き換わる時、連続した形ではなく細かく切り刻まれ、脳の各所に分散され刻み込まれる。そう。このカットが厄介やっかいものなのだ。

 僕の見た夢は昨日の出来事の時系列がめちゃくちゃになっていて。楽しかった記憶のすぐ次にあの母の冷たい目が挿入インサートされた。悪趣味な編集をほどこされた映画みたいな夢。

 まったく…。ホント、彼女は僕に害しかなさない。直接的に手を下さなくてもきっちり苦しめてくる。

 枕もとのスマホを見れば時刻は七時前。冬とはいえ西の方にある福岡の日の出は早い。この時刻なら、リビングに出ようが彼女は居ないはず。寝ぼけまなこをこすりながら廊下に出る。そして一番奥の扉を開け、リビングへ。想定どおり彼女は居ない。

 リビングの窓にかかったカーテンは開けてあった。お陰で明るい日差しが部屋に注ぎ込まれている。でも、その明るくきよらかな光に反して散らかってはいる。確か金曜に気合いを入れて掃除をしたはずなのだけど。あの女が休みをこの家で過ごすとあっという間に散らかる。

 ダイニングテーブルの上には昨日の晩酌ばんしゃくの残りと今日の朝食の跡がありありと残っていた。イタリアの有名な赤いリキュールとオレンジジュースの空の紙パック、細長いグラス。白の機能的なマグカップと食パンの食べさし。そして経済新聞と地元の新聞が2紙。

 ダイニングテーブルの向こうには巨大なテレビが鎮座ちんざしていて、その前の床には海外ドラマのDVDボックスが広げられた形で散乱している。ストリーミングサービス全盛の現代に何を時代遅れな事を、と思うけど、彼女は財力がある。金に飽かせていろんな海外ドラマのDVDボックスを集めている。何が楽しいんだろう?

 昨日着ていたナイトウェアは窓の近くに置かれたクラシックな木のフレームのモケットカラーのツーシーターのソファの上に乱雑に脱いである。どうせここで酔って寝たに違いない。でも、彼女は平日になればギアを変え、早朝から出社し、夜中しか帰って来ない。

 ああ。今日もアイツの後始末で一日が始まる。そう思うと胸糞むなくそ悪くなる。

「まったくもう…」そう言いながら僕は部屋を片付けてしまう。リキュールのボトルを棚に戻し、朝食の跡をリビングの端に繋がったアイランドキッチンのシンクにぶち込む。

新聞は排紙回収用のボックスに入れる。テレビの電源を点け、朝のニュースを見ながら乱雑に散らばるDVDのディスクをボックスの決まったところに戻し、コレも棚に戻す。

 ソファの上のナイトウェアを洗濯機に入れ、僕の洗濯ものと一緒に回してしまう。

洗濯機を回している間に自分の朝食の準備。冷蔵庫のヨーグルトと適当な果物を合わせて、コーヒーメーカーでホットコーヒーをマグ2杯分作る。グラノーラを小さなボウルに入れ、牛乳をそそぐ。ああ。やっと朝ご飯が食べられる。

 グラノーラをみしめながらテレビのニュースをぼんやり眺める。年の瀬の話が多い。そう。もう今年も終わってしまうんだな。

 ニュースは7時半に朝の連続ドラマに切り替わる。別に追っかけては無いけど、毎日あの人後始末をしながら聞いているので話の筋は知っている。お得意の―女性が苦労して立身りっしんしていき、イケメンの理解ある旦那と結ばれ幸せに暮らす話。まったく、その話のパターン、何回使ってるんだよ…とあきれながらもシンクの中身を洗いながらしっかり見てしまう。文句を言いつつも僕はその手の話が好きなのだ。唯一の女性らしさなのかも知れない。

 洗濯機が止まる音を聞いてから、中身をバスケットに移し、ベランダに持って行って干していく。下着の類は―母のモノだけ部屋干ししている。どうせ20階にあるベランダなので外からのぞかれる事はないが―母の下着は無駄に派手なのだ。僕のモノは男物みたいなもんだし、ブラなんて着けない―ブラトップで十分―から気がねなく外に干せる。外干しのほうが乾きいいからね。

 洗濯ものを干したついでに換気。窓の前に立って一杯目のコーヒー。砂糖抜きのカフェオレ。ブラックも嫌いじゃないけど、胃に悪い。一時期、逆流性胃腸炎をわずらっていた僕は我慢してこのにごったコーヒーを飲んでいる。雑味ざつみが気になるけど。

 コーヒーを飲んでしまうと、僕は冷蔵庫の中身をチェックする。自炊はあまりしないけど、最低限のものは買い込んでおかなければならない。母とは食性しょくせいが違うから物の減りはそこまで早くないけど。

 で、今の状況は―最悪だ。買い物に行かねばなるまい。いや、母が食うに困るのは、どーでも良いけど、自分の分を最低限確保しなくてはならない。

 新聞の折り込みチラシやネットのチラシを眺めながら二杯目のカフェオレ。今日は近所のショッピングモールの中のスーパーで冷凍食品が3割引きか…ストック作りに行くかなあ、なんて思うと、久井ひさいさんの事が頭によぎる。あのスーパーでバイトしてるんだっけ?ちょっと覗きに行ってみようかな?確か昼まで働いているんじゃなかったっけ?


 家事が終わった僕は、自分の身支度を始める。顔を洗って、歯を磨いて。メイクはしない、というかほとんどしたことが無い。化粧水や乳液なんかでのケアは欠かさないけど。


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 かくして。ショッピングモールにやって来た。平日の昼間という事もあって専門店街は人少な。のんびりと一階のアベニューを歩いて行く。アベニューの奥にスーパーがある。全国各地に存在する大手のアレだ。

 こちらは主婦連しゅふれんが買い物をしにきているので専門店街ほど人が少なくない。でも多すぎるって訳じゃない。心地いい人込み。野菜売り場から入っていく。季節のものを眺めたり、フルーツを吟味ぎんみしたりする。あの女は果物を食べないけど、僕は好きだ。旬のものを食べるとその時々の美味しさが身にみる。今の季節は林檎りんごかな。柿はもうそろそろお終いになる。

 赤い果実。果皮かひにはみつがほんのり。うん。旬だ。嬉しくなって3玉買ってしまう。

 そして、魚介類を見て、精肉コーナーへ向かっていく。ここのスーパーの精肉コーナーはオープンの冷蔵ケースだけの構成じゃない。直営の肉屋の他に地元の業者が対面販売の売場をもっている。そこに久井さんはバイトに行っているらしい。いわく―

「オヤジさんと奥さんだけの店でさ、忙しい午前中までは俺が接客と肉切りどっちもやってる」

 その肉屋さんの売り場はクローズドの冷蔵ケースにお肉を並べていて。そのケースの上で接客が行われる。ケースの中には牛、豚、鶏、三種の色々にカットされた肉が並んでいる。お値段は直営の商品の1割増し。まあ、ブランド系を主に扱っているみたいだからしょうがない。

 ケースの上に居る人を見ると、恐らく『奥さん』の方だろう、愛想のいい40位の元気なお姉さんが呼び込みをかけている。今、久井さんは肉を切っているのだろうか?今日は引き上げてまた見に来ようかな?

 売場の近くのバックヤードへの通路に―頭を完全におおう白い帽子を被ったエプロン姿の若い男性が現れる。さて?彼は直営の肉屋の人なのか、はたまた久井さんなのか?特徴の茶髪が見えないから少し迷う。でも視線を下に落とすとその手には角切りにされた鶏モモ肉が満載された皿を持っている。久井さんだ。売場の方に運んでいく。

あねさん、モモ角切り持ってきました!」威勢いせいのいい声で彼は売場のお姉さんに声をかけている。どうやら、まだ僕に気が付いてない。

ひさくん遅い!機会損失だよ!五人はイケたよ?君が切ってる間で」とお姉さんは彼に言う。

「スンマセン!どうにも鶏は水っぽくて…包丁がね…豚ヒレなら余裕なんすけど」

「言い訳しない!」と叱られる久井さん。熱血指導だ。お姉さんは久井さんが切った鶏肉を吟味しだす。そして1つを持ち上げる。すると、角切りにされているはずの鶏モモが繋がっていた。

「おい…分かってんだろうな?」と妙にドスの利いた静かな声を出すお姉さん。

「えろうスンマセン!今すぐやり直してきまっす!!」と久井さんはバックヤードに戻っていくのだった…。いかん。らんところを見てしまった…声かけ辛いじゃないか…


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 僕はとりあえずその場を離れた。まだ冷凍食品を吟味してなかったから。吟味し終わったら―もう一度だけ様子を見に行こう。なんか盗み見たみたいで申し訳ないし。


 3割引きの冷凍食品。炒飯チャーハンとかパスタはあると何かと重宝ちょうほうする。後は弁当のおかず系。コレも小分けにして使えるから便利が良い。冷凍食品と言えば業務系の店も安いけど、あそこのは小回りをかせるのが難しい。何かと大容量だから無くなるまでに飽きることもままある。安いのは嬉しいんだけどさ。

 カゴにそこそこの量の冷凍食品を詰め込んだ僕はまたもや肉売場に足を運ぶ。さて。久井さんはいるだろうか?

 クローズドの冷凍ケースの上には先程とは違い二人の顔が並んでいる。奥さんの方は接客中だ。久井さんは呼び込みの声を出している。今日は豚肩ロースのしゃぶしゃぶ用が安いらしい。僕は意を決して冷蔵ケースに近寄ちかよっていく。

「いらっしゃいませ!今日は何をお探しですか?」普段と違う声のトーン。少し高めと言えばいいのだろうか?男の人の低い声は威圧いあつ感を与えかねない。だから、えて甲高かんだかい感じでしゃべっているのだろう。下手したらひっくり返りそうだよ?それ。

「―久井さん。僕です、宇賀神うがじん」と僕は彼に言う。少しうつむき加減でさっきの言葉を投げてきたから顔が良く見えてなかったのだと思う。

「ん?ああ。ゴメン。俺目があんま良くないから顔が良く見えてなかった…で?どしたん?」

「買い物のついでに―」と僕は買い物カゴを示しながら言う。

「顔を見に来ました」

「冷やかしかい?」と彼は揶揄からかう。最初はそのつもりだったけど。

「そうですねえ…鶏のモモの角切りでも買おうかなあ」と僕は水を向けてみる。

「まさか―見てたのか?さっきのくだり?」少し焦った声色の彼は言う。

「そのつもりじゃなかったんですけど…ごめんなさい、しかられてるの見ちゃいました」と謝っておく。

「ま。別に良いけどな、俺の不手際ふてぎわだから」と先程の声色こわいろは捨ておき、何もなさそうに言う。

「そ、この子、まだ駆け出しだからねー」と接客が終わったお姉さんが僕らの会話に入ってくる。

「ああ―お仕事中に済みません」と僕はすかさず言う。

「ん?いいのいいの。じゅん君のトコの子?」と聞いてくる。共生組合の寮生だと思われているらしい。

「ああ、彼はその予定のツレです、姐さん」と久井さんは答える。

「ツレ、ね。良いじゃん、仲良しさんなんだね」とお姉さんは微笑ましいものを見る顔でいう。ツレ、か。友達って事だ。その言葉が嬉しい。

「んで?マジに鶏モモの角切りる?安くしとくぜ?」と久井さん。今のところご飯を作る予定、無いんだよなあ。どうしよう、好意を無下むげにするのも申し訳ない。

「唐揚げは―めんどいか」とお姉さんは僕の買い物カゴを見ながら言う。何か恥ずかしい。僕の買い物カゴは冷凍食品で一杯で。自炊なんてめんどくせー!って黙しながらも主張しているようなものだ。

筑前がめ煮とか楽だけど―めんどいか」と久井さんも言う。

「んー何か手軽に作れて小回りの利くのがあれば―有り難いんですけど」と僕は言ってみる。

「じゃ、セールの豚肩ロース買ってくれ…発注のアレで在庫凄いんよ。しゃぶしゃぶならダシと酒で煮るだけだ。千切りキャベツにでも合わせりゃ良い。ポン酢で食うと美味い」と久井さんが提案する。

「お、済まんねぇ純君。ウチの肉えもんがヤっちまったからねー」と奥さんが言う。肉えもん?旦那さんの事を指してるのだろうか?

「肉えもんに引っかかってるな?」と久井さんはニヤニヤ顔で言う。

「ええ。肉は分かるけど…えもん?」

「ああ。某猫型ロボットに似てるんだよ」と久井さん。

「ほら、商品の検品…もとい味見で丸まるしてんの。ウチの」と奥さんは言う。僕の脳裏にあの猫型ロボットにそっくりなオジさんが現れる。思わず吹き出しそうになる。

「ま。その内見れると思う…ここに通うなら…で?買う?」

「じゃ、例の豚肩ロース、一人前下さいな」と僕は言う。



 プラスチックでできたヘギ―よくたこ焼きなんかが乗ってるアレだ―に薄くスライスされた赤身と脂身が混じる豚肉を久井さんは盛る。そして冷蔵ケースの上のはかりに乗せる。

「っと…ざっと150gで一人前なんだが…今は145g。これで良いかい?」と聞いてくる。まあ、僕が食べるだけだからこれでオーケー。

「で。お願いします」

「ん。毎度!」と言いながら肉を包んでいく久井さん。ヘギをハトロン紙で包み込み、保冷材をかませる。それをビニール袋に入れ、口を止め、さっき乗せた秤が印字したラベルを貼る。こいつをレジに持って行けばいいらしい。

「そー言えば。長話になるかもだが―親御さんには話せたか?」と久井さんは去りぎわに言う。

「…危うく久しぶりに親子喧嘩するところでしたけど」

「ううーん。前途多難だな?」

「長田さんの連絡先は渡したんで…彼に任せます」と僕は希望的観測を述べる。

「ま、おさっさんなら―うまくやってくれるだろ…」

「ああ―後ですね…父親から京都に呼出よびだしくらったんで―しばらく空けるかも知れません」

「おん?別件なの?それは?」突然の話に彼は驚く。

「いや…もし母がダメだった時の事を考えて―プランBを打っておこうかと」と僕は言う。そう、昨日の顛末てんまつから考えたのだ。父の方に頼る事を。縁は薄く繋がるだけだけど。

「ん?なるへそ…考えるなあ。親父さんをスポンサーにえる訳だ」と彼は言う。

「そうです、使えるものは使わないと勿体もったいない」

「そりゃ道理だな…じゃ、またな?」

「また会いましょう…今度は寮で」と僕は気合いを彼に披露する。

「ん。待ってる。柿原かきはらさんも俺も長田おさださんも…何かあったら連絡しろよ?」

「ええ」


 母のクレジットカードの家族カードで会計を済ませると、僕は帰路きろに着く。少し買い過ぎだったのかも知れない。大きな袋が2つ一杯になってしまった。両手に重量感。

 真っすぐ伸びる道をのんびり歩いていると、紺色のアノラックのポケットが震えている。何だろう?大抵のスマホの通知はオフにしてるんだけど―ああ。電話、電話だ。いや、でも誰から?買い物袋を片方の手に纏めて、お腹の辺りのポケットをいじってツルリとしたスマホを何とか取り出し、画面を見る。

長田おさだ仁志ひとし」アレ?長田さん?一体何の用だろう?取りあえず応答。

「もしもし?」

「そちら、宇賀神いおり様の携帯でよろしいでしょうか?いつもお世話になっております、共生組合の長田ですー」と取引先に電話をかける調子で長田さんがまくし立てる。何というか、馬鹿丁寧ばかていねい過ぎて逆に吹き出しそうになる。

「ええ…宇賀神です」と僕はまず、名乗る。その調子を止めてくれないと吹き出しかねない。

「良かった。間違えてなかったね…うん、ゴメン、昔の癖でついやっちゃうんだよね」と長田さんは僕に弁明する。

「ウチの父親そっくりでびっくりです…」と僕はこたえる。

「なんかねー営業や接客してると、こういう癖が染みついちゃってプライベートでもやっちゃうんだよね…あるあるネタだよ」そうなのか?僕は働いた事が無いから、よく分からない。

「うん。閑話休題それはさておき。お母さんに僕の連絡先、渡せたかな?それが気にかかってね。電話しておこうかと」と続けて言う。

「ええ。喧嘩しかかりましたけど…ただ―手応えは微妙です」

「僕らの事、怪しまれた?」と彼はく。母はかなり失礼な形容をしていた。それをそのまま伝えるのは忍びない。

「まあ―かなりの抵抗がある感じでしたね」と僕は当たりさわりなく、でも良くは思われてない事を伝える。

「あちゃあ…交渉が難航しそうだ」と長田さんは参ったな、と言うような声を出す。

「済みませんが…お願いします。一応の為にもう一つ手を打ちますが…」

「ん?作戦があるの?お母さんとバトル?」物騒な物言いの長田さん。

「いや。実は昨日、父親から連絡がありまして―」

「君を置いて行ったお父さんか」と少し厳しい口調の長田さん。

「ええ。新しい奥さんとの間に子どもが出来たらしく…」

「君にとっちゃ腹違いの弟か…複雑だねえ…で?奥さんが里帰りしてるからその隙に君の顔を見ようって魂胆こんたんだ」と長田さんは正確な予測を言う。

「そのまんまです…まあ、最初はどうなんだ?と思ってましたけど、母があの調子なので、彼も使おうかと」

「スポンサーとして、か。どう思うだろう?彼は」

「まあ。母よりはマシ、でも新しい子どもが出来たから余裕がないかも知れない…5分の賭けです」

「0よりマシだ。分かった。行ってくるといい。その間に僕はお母さんを説得する」

「時間無いのが自慢の女なんで―何時いつ捕まるかは保証しかねますが」

「…色々あるとは思うけど―産みの親を女呼ばわりは感心しない」といさめられた。声のトーンが重たい。マズい事をしてしまった。なので素直に謝罪する。

「済みません。昨日の今日でカッカしてて」

「ま、その年ごろだ。感情にまどわされる時期ではある。でもね?最低限のところは守らないと―君は軽蔑する人間と同じてつを踏むハメになる。僕はいおり君にそんなオトナになって欲しくない」まるで父親が子を諫めるように彼が言う。

「ごめんなさい…」娘のように僕は言う。

「いいんだよ。気にしないで」

「…コレの埋め合わせと言っては何ですが―お土産、楽しみにしててください」と僕は言う。

「…子どもが気を使わなくても良いのに。でも、君の気持を無下にもしたくない。適当なお菓子か日本酒でも頼むよ」

「了解です」

「じゃ、作戦開始だ。上手くいきますように」彼は切り際に祈る。

「上手く行きますように…それでは」と僕は電話を切ったのだった。


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 家に帰り、冷凍食品を冷蔵庫にしまう。それから流しの下から深めのフライパンを取り出し、水を張る。そして少し日本酒を注ぐ。料理酒のたぐいが家にはないから代わりだ。それをコンロにかける。その間に適当なお皿を出して、カット済みの千切りキャベツを盛る。フライパンの中の液体が沸騰ふっとうしたら顆粒かりゅうのダシの素を入れる、コーヒーシュガーみたいに小分けになっているモノを1本。少し多くないか?と思うけど、久井さん曰く―それくらいで良いらしい。

 ヘギに盛られた肉をフライパンに落とす。固まっていた肉がほぐれる。それを菜箸さいばしでバラけさせる。厚紙位の厚みの肉にすぐ火が通る。アッという間に赤身の肉がピンクになり、火が通った状態になる。それを流しの中のザルに空ける。水を切ってさっきのお皿に盛ったキャベツの上に乗せ、上からポン酢を振りかけて―完成。

パックご飯と豚のしゃぶしゃぶの昼食。お箸で肉とキャベツを一緒に取り口に運ぶ。

 酒のうまみ成分、ダシのコク、ポン酢の酸味、それと赤身と脂身のバランスの良い豚肩ロースが合わさる。うん。これは中々美味しい。大した手間なんてかけて無いのに。

 思わずがっつく僕。ご飯とも合うなあ。コレ。

 あっという間の完食。ありがとう久井さん。お陰で良い思いが出来ました。

 腹ごなしついでに皿とフライパンを洗う。フライパンは少し油っぽい。この脂が少し落ちたからあの肩ロースはあっさりしてたんだな、と思う。そして掛け時計を見やる。現在12時半。普通のサラリーマンならお昼時。我が家の父は営業職だから時刻通り動いてない可能性もあるけど、第一報を入れるにはちょうどいいかな?

 洗い物をラックに移し替え、タオルで手をいた僕は、スマホの久しぶりに見る電話張から父の番号を探す。そして見つけた番号をつついて、耳に当てる。呼出音を聞くのって何時ぶりだろうか?

 機械と機械が繋がる音を聞きながら、僕は待つ。もしかしたら出先でさきかも知れない。ざっと1分待った。ま、着歴ちゃくれきけとけばいいだろ、と思って切ろうとした時、能天気な声が僕の耳にぶつかる。

「おう…久しぶりだなあ?いおり?元気にしてるか?」長田さんと違っていきなり僕を呼び指す父。相変わらずだ。周りがうるさいのを勘案かんあんすると、外か。

「ゴメン。仕事中だった?」と僕は事務的に返す。

「おん?まあ、1つ片付けてメシ食おうかと思っていたところだ。気にすんな」

「そ?じゃいいけど―手紙読んだよ。変な気だけは良く回るよね、お父さん」

「あの冷血に感づかれるのが嫌だっただけさ」とそれがどうした?の口調で聞いてくる。

「その冷血と結婚して子をしたのは何処どこのアホだよ?」と僕は嫌味を言う。

「俺だな…うん。お前が生まれたのは良かったって思ってるけど」

「あっそ。あのさ、あの京都行きの話、乗るよ」と僕は父の愛を避けて言う。

「…は?来る?今まで嫌がってたじゃん?ダメ元だったのに」と意外な事態に出くわした彼は言う。

「気が変わった―って訳じゃない、悪いけど」

「なんだよーもっとお父さんを大事にしてくれよなあ…」と父。ややうっとおしい。

「頼みたいことが出来た」

「…出たいんだろ?あの家?」まったく、勘『は』良いのだ、この親父。

「そ。まあ、諸々もろもろは顔を見ながら話したい。でさ、僕はどうしたらいい?」

「そうだなあ…福岡だろ?飛行機でも新幹線でも動きやすいよな?」

「空港も駅もすぐだね」そう。福岡はコンパクトシティなのだ。都市部に機能が集中している。

「じゃ、こっちで何らかの便を抑える…行きの発券のカネは立て替えてもらうが…大丈夫か?」

「お年玉は貯金してるから大丈夫」

「よろしい。泊まり先はどうしたい?ウチでもいいが―」

「断る!」他の家族の住む家に上がり込んで泊まる趣味は無い。

「だろうな…ま、ホテルとっとくわ」

「ありがとう」

「どういたしまして…っと切る前に1つ」と父は言う。なんだろう?もう用事は済んだじゃない?

「ボルダリング…続けてるか?」と聞く。そう。僕のボルダリング趣味の始まり、先生は彼だ。たまに一緒に登りに行っていた。上手くなったらロッククライミングに行こうな、って彼は言ってた。それが果たされる事は無かった。

「こっち来てからはご無沙汰ぶさた…チョークバッグとシューズはまだあるよ」

「ん。じゃ、持って来い」

「一緒に行きたいの?」

「まあね…何もしないでは―場が持たんかも知らんだろ?」まったく。こういうところには気が回るんだから。

「分かった。じゃ、段取り組めたら連絡して」

「宇賀神さんにはお前から言うか?」

「いや、悪いけど頼まれてくれる?喧嘩したばっかなんだよ」

「しゃーねえなあ」と彼はウンザリした声で言う。

「可愛い娘の頼みだろ?」

「まったく…手間のかかるヤツだ。じゃあな」で、電話は切れた。































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