家族のカタチ、ラーメン屋での一コマ、手紙
所と時は変わって。
今、僕は駅の近くに来ている。と言うのも
さっきの話の
夜の駅前は賑やかだ。日曜の18時過ぎ。親子連れが僕の側を通り抜ける。父親と母親と小さな女の子。その子の両の手は両親に繋がっている。両親はそんな我が子を見守る。僕が知らない家族のカタチ。ウチは両親が共働きだし、ワーカホリックだったのもあって休みに皆で出かける、という事が無かった。
幼少期にはお手伝いさんが家事を
小学校に入ってからは週末は習い事を詰め込まれていたっけ。高学年になる頃に習い事はほとんど辞めてしまったけど。中学生からは部活もあったし、勉強もあった。それでも
基本、ボルダリングは登っては休む。連続して登るのはマナー違反だし、そもそも腕が悲鳴を上げる。その休憩中に知らない人から声をかけられ仲良くなる事もあったけど、お互い名乗りはしなったし、連絡先も交換しなかった。大体は年上の人が多かったような記憶がある。難易度の高いルートを検討している時なんかにアドバイスをくれるのだ。
でも。突っ込んだ身の上話はしなかった。中学生だっていう事くらいは言うけど。そんな話よりはボルダリングの話をしてた方が楽しい。そのせいだと思うけど―みんな僕に突っ込んだ身の上話は振って来なかった。
チョークで真っ白な、でも力を込めているからほの赤くなった
だけど。福岡に来てからはめっきり行ってない。なんでだろう?まあ、余裕がなかったから、と言えばそこまでだけど。なんだか懐かしいな。まだ道具は部屋に残していたはずだけど…なんて考えている僕を呼ぶ声。
「済まん。待たせたな」と柿原さんが言う。
「柿原さん、それ女に言うセリフだから」と久井さんが言う。
「いや、今来たところですから」と僕は応える。実は僕はオンナなんだけどね、生物学上。そろそろ二人にも明かしておいた方が良い気がする。長田さんよろしく気が付いていなければ、僕はユニセックスな見た目の青年なんだから。
「メシ、ラーメンでいいか?
「こっちに来てからラーメン食べてないですし良いっすよ」と僕は言う。
お店は呑み屋街のなかにあった。酒を呑みながらという言葉に反して店構えは
「取りあえず生中2つ」と久井さんは言う。
「で、ラーメン3つと
「で?
「食いながらしゃべんな…久井」と柿原さんは叱る。まるで兄弟みたいな2人だ。見た目は全然似てないけど。
「まあ。その通りですね。長田さんがウチの母に話をしてくれる事になってまして」
「あのオッさんに任せとけば大抵の親御さんは納得するよ。元詐欺師だからな」と柿原さんは言う。
「詐欺師って…営業でしょう?元は」と聞いてみる。
「おう…でもまあ法人も個人も相手にしてたらしいからな。別に話が上手いって訳じゃないが」と柿原さんも餃子を摘みながら言う。
「長っさんは
「あの人は要点だけ伝えて、後は間の置き方で説得してくるからな。
「で?いおり君はどうするつもりなん?」とジョッキを傾ける久井さん。
「まあ―長田さんの説得が上手くいったら来るつもりです」
「おおー。部屋何処になるんやろ?空いてるところにいきなり一人は酷だろ?柿原さん」
「まあ。無害なヤツとくっつけるのがセオリーだわな。だからお前は無いぞ?」
「ええ…今の相棒、そんな得意でもないんだが」と久井さんが珍しく人を悪く言う。
「お前な。俺にそれを言うな」と柿原さんが釘を刺す。
「だってよ?生活リズムがズレてんだもん。朝仕事の俺がいるのに夜中に騒ぐヤツが一緒なのはキツいぜ?まったく」久井さんは言う。共同生活は大変らしい。こういう側面がある事をすっかり失念していた。
「ええと」と僕はエクスキューズを置く。性別のことを打ち明けるなら今だからだ。
「あ?」と二人は揃って僕を見つめる。あんまり見つめられるのは恥ずかしい。
「あの…僕…生物的にはメスなんですよ。今まで黙ってて悪いけど」こう言った瞬間、綺麗なタイミングで二人は黙り込んだ。どうやら2人共男性ホルモンが薄めのオトコの子だと思っていたらしい。
「通りで。
「ああ…言われてみれば男にしては
「君でこれからもお願いします。別に
「じゃ、そのようにするか…」と柿原さんはため息をつきながら言う。なんか悪い事をしてしまった気がする。気を悪くしてなければいいけど。
「いやーまあ。女性寮生ねえ…過去にいた事あんの?柿原さん」と久井さんが問いかける。
「…っとなあ。まあ、居たけど…即逃げたっけな。
「扱いとしては男みたいに扱ってくれて問題ないっすよ」と僕は言う。風呂とトイレが別れていれば後は問題ない。
「隠しといたほうがいいんじゃないかなあ。つか
「そうなるのは―ちょっと嫌かも」と僕は言う。
「ん?自分も家嫌いな人?」
「母の顔を見なくて良い生活に憧れています」
「ってなると―止めにくいな」と柿原さん。
「アレ?止めようとしてました?入寮」と僕は聞く。
「まあね。野郎の
「美少年?」と僕は驚いて聞き返す。
「うん。まーモテるクチだよな、どっちからも」と久井さんが言う。
「その手のトラブルだけは起こしたくない…寮の
「っても俺ら、無害な草食男子の群れよ?」と久井さんは言う。
「んー?お前は…そうだな。ウブ野郎だもんな。その上フェミニンな女性好きだって知ってるし」とうなずきながら柿原さんは言う。
「え?俺言ったっけ?」と驚いた久井さんは言う。
「ま、お前の身の上話と―前、ボランティアで来た女子大生ガン見してたじゃねえか」と柿原さんは久井さんを弄る。
「うんうん…ああいう娘はいいよね。また来ねえかなあ」
「アレ、もう来ないぞ?」とあっさり柿原さんは突き放す。
「え?」固まる久井さん。
「…お前には隠しとくつもりだったが―お前のガン見のせいだかんな?」と無情な宣告。
「マジでぇ…」
「あんな
「そんなに野獣めいて見える?いおり君?」と僕に話を振ってくる。さて、どう答えるべきか?当たり
「もうええわ…イメチェンするわ…ワシ」
「おう。就活もあるからそうしろ」と柿原さんは無情なコトバをかけるのであった…
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初めて食べる豚骨ラーメン。
福岡の豚骨ラーメンは
極細麺を
「オンナは豚骨嫌う事が多いが、いおり君良い食べっぷりだな?」と久井さん。
「まあ、元が運動好きで食べますから…」
「ん?何かやってたのか?」と柿原さんが言う。
「ええ、中学では硬式テニスしてましたし、後、趣味でボルダリングも」
「ああーあの壁登るヤツな」
「その内レクで行こうぜ?柿原さん」レク?何の事だろう?
「最近ネタ切れ感あったし、いいかもな…ああ、いおり君。レクってのはな?週一くらいで
「でもまあ、寮生の中でレクに積極的なのは俺位かも分からん」と久井さん。
「俺がどー誘っても出てこないもんな、アイツら。まあ、寮生以外の参加者も募っているから何とか成立してるけど」と柿原さんが言う。
「今―寮生って何人居るんですか?」僕は聞いてみる。
「んーまず俺だろ、後、俺の同居人…長老の石田さんとギャンブラーの橋本さん…」
「で。後、元大学生院生の渕上に…ミュージシャン志望の古河…で6人かな」と柿原さんは言う。何というか
「多分、いおり君みんなに会ったらびっくりするぞ…いろんな意味で」と意味深な事をいう久井さん。
「僕…うまく入っていけますかね?」と柿原さんと久井さんに
「ん?まあ、みんな元は引きこもりだからな…似たような
「俺もうまく入っていけるか心配だったけど、まあ、上手くやってる」と久井さんは僕を励ます。
「まあ…親との交渉が決裂したら…そこに入っていく事すらないですけど」
「そこは―ま、心配するな」と柿原さんは言った。
「そう言えば」僕は久井さんに問う。
「ん?何ぞ?」と食後の煙草を吹かす久井さんは答える。
「バイトしてるんですよね?」
「まあね。俺ん
「何の仕事をしているんです?」
「ほれ、近所にショッピングモールあるだろ?」
「買い出しに行ったあそこ…」
「あの中のスーパーの肉屋でな。まあ、フルタイムじゃないけどなあ」
「一応、共生組合でも仕事は
「オーナーさんの手伝いな。アレ気楽でいいけど時間、短いんだよな」
「手伝い?」またアバウトな名前の仕事だ。
「オーナーはあのトーラスビルディングのオーナーでもある…で、あそこの共有部の清掃とかな?」柿原さんが教えてくれる。
「後―あの人、
「はあ…色々あるんですねえ…」働いた事が無いからあまりピンとは来ない。
「俺もなあ…」と柿原さんは言いだす。なんだろう?
「ああ、柿原さん、収入厳しいもんな?」と久井さん。ここのお会計も持ってくれると言っていたのに。
「おう…あんましお前らに愚痴る事でもないが…まあ、共生組合の仕事はフルタイムって訳じゃない。安藤さんと長田さんは
「大変そう…ですね。柿原さんは何処でバイトを?」
「ん?近所のパン屋よ。昼には上がるからさ、夕方に寮に行ってメシを作る。それが今の生活だなあ」
「自分の時間あるんです?」と僕は聞いてみる。寮の食事以外にもレクリエーションや今日の鍋の会だってやってるんだ。案外に忙しそうだ。
「ま、適当にサボるから気にすんな…長田さんはワーカホリックだが、俺はサボり魔だ」
「ならいいんですけど…」
「今は独り身だからいいんだろうが―どうすんの?彼女出来たら?」と久井さんはま、出来る訳ないだろうけど、みたいな顔をしながら問う。
「そーなったら…辞めるかもな。共生組合」とあっさり彼は言う。
「え?」と僕は驚く。今回の事の始まりは彼で。そんな彼が入寮してまもなく辞めたら結構心細い。久井さんだって卒寮はそんな先の話じゃないらしいし。
「安心しろ。お前が寮に入って安定するまでは面倒みるさ。ケツは持つ。それに
「なんか済みません…」
「いや、謝るなよ」と柿原さんは苦笑する。
「そそ、ありがとう、で良いんだぜ?」と久井さんは言う。
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彼らと別れたのは20時頃。駅までみんなで行って、久井さんは寮に、柿原さんは電車に乗って帰っていった。
真っすぐに延びた広い道。そこを一人家へと帰っていく。街灯は明るいけど、住宅地であるから
自宅の高層マンションのエントランス。
エントランスの中ほどには呼出用のインターフォンが
中に入ると、ポストを確認。暗証番号どおりにダイアルを回す。中身は―何時も通りゴチャゴチャとしている。キャリアウーマンの
お風呂に入ろうとしたらバスタブに冷水が満ちていて、焦って電話した時、ガス会社の人に
呼び出したエレベーターは時間をかけて僕の居るエントランスに降りてくる。高層マンションの欠点の1つ、それはエレベーター待ちの時間が長すぎる事だ。他にも色々不満はある、でもまあ、住まわせてもらっているのだから文句を言うのは
乗り込んだエレベーター。上に
母は色んな所で買い物するらしく、服屋や眼鏡屋、百貨店なんかのダイレクトメールが今日の収穫。
そんな郵便物の中で異彩を放つものがあった。茶色のクラフト紙の封筒。そっけない字で宛先が記されていたのだが―
「
「
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
僕の父の話。
僕の父は一言で言えばお気楽なオジさんってところになるだろうか?取りあえず、母とは正反対の性格をしていたように思う。社会でやっていくためのペルソナとして、『表向き』クールだった母に対し、父は『表も裏も』何処かのほほんとした雰囲気を放っていた。仕事は長田さんと同じ営業。お菓子メーカーの営業部長。一応そこそこ偉いさんだったらしいけど、母と比べると
適当、という言葉で形容したけど、決していい加減、という訳ではない。
休みの日に取引先に呼び出される事が多い男だった。小さい頃、2人で買い物に出かけたら、急に会社からの連絡を受け、僕を放置して対応に行ったことがある。
その時、僕はこの人まで僕を放っておくのか―と
「済まん。お前が大事じゃない訳じゃないんだ。でも、いおりを
そう。思えばこの頃から父と母の
昔ながらの価値観で言うのなら。
男が女を養う、家を経済的に支える。
でも現代ではそんな古臭い価値観はお呼びじゃない。男女同権の世の中では、男が稼ごうが、女が稼ごうが、結果として家が支えられるのであれば問題はない。
でも、父は昭和の時代に生まれ、平成の時代に下積み時代を過ごした男だったのだ。自分が2人を支えたい、と願い、それを
しかしながら母は。キャリアウーマンで。結婚、出産に伴って職を
「このまま家で一生を過ごす?
「君、仕事出来るもんな」その寂しげな父の言葉は僕の耳にこびりついてる。
「子どもとは血が繋がっていても、
この言葉は離婚の際に父が僕に言った言葉だ。当時の僕は15歳。その当時の栃木の家での事。その家は父の会社の社宅で。母はそこから首都圏に勤めに出て行っていた…この騒動が始まるまでは。今はウィークリーマンションに避難している。
「…でも、僕の
「アイツのアレを突けば―イケると思ったが、さすがに強いな、あのクールビューティーは」アレ。母が
「でも―お父さんは―」
「そう、別の伴侶を見つけちまったからな…宇賀神さんとはここで契約終了。お互い、別の道を歩む」
「結婚するの?あの人と?」と僕は尋ねる。顔を合わせた事は無いけど、彼の新しい伴侶の事は聞かされている。それが離婚の際のアレコレの争点になったのは明確で。
「多分―するだろう」父は無情に言う。
「これで―僕は一人ぼっちだ、アンタが捨てたから」
「とは言え―面会権はあるからな…まあ、俺、転職で京都行くけどな」そう、この騒動の中でも彼は次の一手を進めていた。同業他社のヘッドハントを受けた。
「僕は―あの人のアレの絡みで福岡だよ…
「これが今生の別れって事にはならんだろう…お前、大学は京都に来たらどうだ?俺の出身校とかさ」
「僕、あの大学には興味ないよ?」
「京都…青年期を過ごすには悪くないぜ?」
「アンタの新しい伴侶に出くわしたくないから遠慮しとく」と僕は言う。
「そうか。元気でな…いおり」
「お父さんもやっとあの人から解放されたんだ、次は上手くやんなよ?」
「言われずとも…まったく気の強いトコは宇賀神さんに似たな」と彼は言う。いや、僕はどちらかと言えば父親似のつもりなんだけど。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
それから父と会う事は無かった。年に一回、電話をかけてきて京都に遊びに来いと誘って来たのだけど、僕は断り続けていた…そう。用があるなら電話してくればいいのに。なんで
エレベーターを降りた僕は家に向かって歩んでいく。この20階の一番奥がウチなのだ。
鍵穴に鍵を差し込み、回す。扉を音がしない様にゆっくり空け、入って直ぐの自分の部屋に逃げ込む。そして、明かりを点け、ダイレクトメールを適当な所に放りやると、茶色のクラフト紙の封筒を乱暴に開ける。中には薄い
「久しぶりだな?いおり。面倒な時節の
「そういう状態のお前に伝えるか迷いはあったが、知らせないのは義理に反すると思うから知らせる…子どもが出来てな。お前の母親違いの兄弟って事になる。男の子だ。それに
「出産に伴って、
「だから―この機会に京都に来い。どうせ暇してるんだろう?こっちで遊んでいけ。別にお父さんと一緒じゃなくても大阪や神戸も近いから暇はしないはず。金の事は気にするな。こっちで用立てる。もし。来てくれる気があるなら電話をして来い」いや…これから暇ではなくなるつもりだったんだけど…
「お前はなんで俺が手紙を書いたか不思議に思ってるんじゃないか?」という文が
「宇賀神さんが―ポストを見ないのは昔からの事でな?この方法なら彼女に俺の新しい子どもの事が聞えないだろう、知れないだろう、そう思って手紙を書いた。電話だと…お前の受け答えからバレかねん…別に知れてもいいが―もう他人の彼女に
さて。
今からすぐ電話をかけてもいいのだけど―この家には今、母が居る。日曜のこの時間は家で
電話をかけるのは明日でいいか…そう思った僕は、お風呂に入る事にした。母がお楽しみの間に、さっさと済ませてしまった方がいい。
父さんからの手紙は破いて、他のゴミと混ぜて、
部屋の扉から廊下の様子を軽く
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