共生組合にようこそ!!

 柿原かきはらさんは日曜日の11時にアイランドシティのトーラスビルディングの中庭に来い、と電話をかけて来た。それは土曜日の昼間で僕は早朝に家を抜け出し、繁華街の大型書店で時間を潰していた。週末は大抵そうしている。母の仕事が休みだからだ。

「何か周りが騒々しいけど、お前さん、今外かい?」

「ええ。天神の書店で立ち読みしてますね」

「まーた、渋いところで時間潰してんなあ?」

「あんまりお金ないんですもん」

「学校行ってないなら、バイトでもすりゃいいのに」

「案外、雇ってくれるところがないんすよ」

「そんなもん?まあ、ええわ。明日、来いよ」

「了解です。そー言えば…携帯はどうしたんですか?」

「ん?昔の端末残ってたから、それにSIMしてる」

「ああ…案外何とでもなるんすね」

「おう、大抵の事は取り返しがつくもんだ。じゃ、明日来いよなー」と柿原さんは電話を切った。

 僕は大抵の事は取り返しがつく、という言葉に対して本当にそうか?と思いながら、林立りんりつする本棚の間を歩いて行く。人生経験が少ないせいかも知れないけど、一度起きてしまった事は取り返しがつかないのではないか?と思うのだ。

 人生は選択の連続でできている。人間はその都度つど限られたリソースを使って選択を行い、選ばれなかった可能性たちは時の狭間に埋もれていく、無くなっていく。

 でも、人間は毎度、正しい選択が出来るわけではない。だから後悔は常に付いて回る。あの時、ああしていれば、こうしていれば。たられば話は人生の友だ。

 後悔がクリティカルに自分の人生に刺さった時、人間は選択した事を巻き戻せないかともがくことがある。ただ、時間の狭間はざまに埋もれていった可能性は取り戻せない。タイムマシーンが無いつまらない現代では、一度起こった事は永遠にそのままだ。

 やっちまった事が大きな事であればあるほど、取り繕えない。いや、小さなことでも雪玉式にふくれ上がって取り返しがつかなくなっている事もままある。僕が学校に行かなくなった顛末てんまつがその典型例だ。


 18にして暗い人生観をしている、と我ながら思う。もっと能天気に生きていれば人生はもっと明るいのかも知れない。でも、多くの人が普通に進むレールすらまともになぞれない自分はアウトサイダー(はぐれもの)なんだよなあ、とも思う。

 ひとりぼっち。

 そう、僕はひとりぼっちだ。友もなく、母は終末思想にりつかれ、父は遠くで知らない女とよろしくやってる。転勤族だから親族との付き合いは無い。祖父母や従妹の顔を見たのはもう、10年近く前だ。

 足が地についてない。そんな感じがする。

 コミュニケーションの為の技術は日々進歩している。ソーシャルネットワークサービスは数多あまたある。ちょっと勇気を出せば、インターネット上で友人をつくる事もできるだろう。

 でも、僕は。人と関わるのが億劫おっくうになってしまっていて。

 人恋しくない訳じゃない。だから創作物なんかを見るのは好きだ。でもそれは窓越しに他人がよろしくやっているのを観察するだけ。自分は関与しない。何も発信しない。

 そんな生活をしていると、自分が本当に生きているのか不安になる。主観的な自意識の外の客観的な世界の存在が遠くぼやけていく。そして、その内、自意識だけが大きく膨れて、主観的な意識の他に何も存在しないのだ、というような哲学的に言うところの独我論どくがろん的な見方が強まっていく。僕は僕の中にとらわれ―何処にも行けない、そんな気持ちになっていく―母はそういうところを『孤島に行ってしまった』と形容したのかも知れない―

「そんな生き方って、辛くね?」

 と、自らに問うなれば―苦しい。孤独は人をむしばむ。でも、何かの拍子で一度、孤独に甘んじるようになった人間は、他者が怖い。自意識の先にある、最も理解しえない他者と言う謎が怖い。傷つきたくはないし、自らの領分をおかされたくもない。

 ナイーブすぎる自我。高すぎるプライド。コミュニケーション能力の欠落。まったく、僕は人の世向きにできてない、なんて言い訳。


 そんな僕は、明日、久しぶりに新しい場所へ行く。

 神様が僕に差し出した可能性。柿原さん、共生組合。どう転ぶか分からないし、上手くやる自信もない。


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 僕は孤島で独り暮らしていた。

 でも、僕が孤島だって信じているだけで、本当はトンボロみたいに陸地―他人たちの世界―と繋がっている。潮汐ちょうせきの具合で一日に数度、陸地への道が繋がる。

 ひとりぼっちの僕は、いつも、道が出てくる時は眠るようにしていた。道の事は知っていても、傷ついて孤島に渡って来た時、二度とそこを歩くまい、と決めてしまっていた。

 でも、陸地とそんなに離れてしまっている訳ではないから、陸から楽しそうな声が聞えてくるのだ。僕はそれを盗み聞いて、無聊ぶりょうなぐさめていた。

 ある日の事。僕は願う。

「助けてください、ひとりでは生きれません」

 神に願うか細い声。それは空に消えていく。本当は分かっている。そう願うのではなく、行動を起こさなければ、叶わない事は。

 僕が願ったのは神ではない―他者に願ったのだ。失望したはずの他者に。自らに対して最大の謎である他者に。滑稽こっけいだと言われれば滑稽だ。お前は何を期待しているんだ?

 自らと相似そうじした者を見て安心したいのか?自らと違う者から学びたいのか?それとも孤独に耐えられなくなったか?

 甘えている、そう誰かに言われたら否定できない。ずるいと言われれば狡い。

「誰か、此処ここに来て!」

 叫び。僕の心の奥底の叫び。ああ、分かってた。アウトサイダーを気取っていても、本当は人を望んでいる事は。でも、それを言葉の形にしてはいけないんだって、思い込んでた。

 空に消えていった、僕の言葉、願い。

 神様が本当に居るかなんて知らないけど、何処か、誰かに届いたみたい。

 ちょっと変わった形だけど、本当は偶然かも知れないけど、それは起きた。

 人生は取り返しがつかない。

 選べる時に選ばないと、可能性は時の狭間に消えていく。

 孤独に毒された僕は怖いけど、それをつかみ取る。そして潰さないよう、両のたなごころに納める。そして新しく祈る。

 どうか―人と関われますように、人の輪に戻れますように、人の中で何者かになれますように。


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 トーラスビルディングは人工島アイランドシティの南の端の方にある、比較的新しい団地だ。ただ、カステラみたいなビルが林立している訳ではなく、カッコの「(」と「)」を1つずつ組み合わせたような円の恰好をしている。トーラスは英語で円環えんかんを意味するはずだけど。

 この団地のビル2棟の間には切れ目がある。輪の内側は共有スペースの中庭になっていて、柿原さんと待ち合わせている。

 「(」と「)」の間から入っていくと、芝生が引かれたスペースが現れる。ちょうど太陽が昇り切る頃で、柔らかい日差しが差し込んでいる。住人と思われる親子連れが日向ぼっこしているのを横目に見ながら、早く着き過ぎたかな、と僕は思う。すみの方に空いたベンチがあったので、腰かけ、何となく空を見上げる。

 円形にふちどられた冬の空。珍しく灰色がかってない。どこまでもあおく、そこに雲が幾筋いくすじか走っている。まるで海みたい。ただ空には果てがない。いや、あるんだろうけど、海より広大な空間が広がっている。僕は何故か、そこに向かって落ちていく自分を幻視する。重力に逆らい、宇宙に向かって。その内酸素が無くなって、僕は息絶える…


「お、ちゃんと来たな、少年」空を見上げる僕のあごの向こうから、あの朴訥ぼくとつなお兄さんの声が聞えてくる。僕はデイドリームから覚める。重力に引っ張られて地上に落ちてくる。

「…柿原さん」彼に目を向けると、顔を潰して人の良い笑顔をしている。

「約束ブッチされないか心配だったわ」と彼は言う。

「いや、誘われたんだから来るに決まってるじゃないですか」

「案外そーでも無いぜ?」

「…誘っても、当日ドタキャンする輩が居るって事ですか?」

「そそ。俺が仕事の上で関わるのは、人の世をねた奴らばっかだからよ」と彼は言う。

「僕も似たようなモノですよ?」

「ま、人間、色々あるわな。でも、来てくれて嬉しーぜ?歓迎する」

「どうも」

「じゃ、会場に行きますか」と彼はビルの一棟の入り口を目指して歩いていく。僕は少し駆け足で彼の猫背気味の背中を追いかける。


 オートロックの扉の取っ手に柿原さんは鍵をかざす。すると、カチンと音を立てて扉の鍵が開く。

「開けゴマってな」なんて独り言をつぶやく彼。うやうやしく扉を開いて僕を招き入れる。

「レディファースト気取りですか?」なんて軽口を僕は叩く。久々のジョークにはウィットが不足している。

「お前さんは野郎だろい?」と軽く打ち返してくる彼。ああ、気を悪くしなくて良かった。ここでつまずいたら、今晩眠れない位後悔する。

 エレベーターに乗り込んだ僕ら。取りあえず今日の会について聞いておきたいな、と思った僕は柿原さんに問いかける。

「今日って何するんすか?」

「んー?鍋作って、食って、酒呑んで、みんなで駄弁だべる、それだけさ」

「まんまっすね」

「同じ釜の飯を食う、もしくはパンを分け合う…会食ってのは案外社交向きなんだぜ?お前さんは知らんかも知れんが」

「なるほど…参加者はどうなんです?柿原さん以外は?」

「まあ、常連が2、3人は居るかな?後はウチのスタッフと、寮住みの連中がタダ酒目当てに来るかな?」

「寮の人は分かるけど…スタッフ?」柿原さんだけじゃないのか?

「俺が属している共生組合きょうせいくみあいには一応代表が居るし、事務方じむかたも居る」

「ああ…ちゃんとした組織なんですね?」

「世に数多ある営利組織とは大分毛色が違うけどな?」

「そもそも…共生組合って何なんですかね?」

「んー?ざっというとなあ…引きこもり支援団体?」

「情報量増えてないっす、財源とかどうなってるんですか?」

「ガキが銭の事気にせんでいい…と言いたいとこだが。ま、当然の疑問だわな」

「ええ」

「一応スポンサーは居るな、事業家なんだけど。その人が俺らが事務所にしてる一室や寮の部屋―このトーラスビルディングの中に散在してるんだが―を提供してくれてる」

「オーナーさんって事ですか?」

「いや、金は出してるけど、運営には口出ししてこない」

「まるで慈善家ですね」

「おう、日本ではそういう団体は出来にくいみたいだが―まあ、その人の息子も長期の引きこもりでな?それをウチの代表が引き出してな」

「ふぅん…今その息子さんはどうしてるんですか?」

「オーナーの事業手伝ってるよ」

「ふむ」

「ま、建物だけじゃ組織は回らない、人件費や他諸々もある」

「その辺は?」

「ウチ、寮やってるだろ?寮費って形で謝礼は頂いてる。後は市の助成金とかももらってるかな。それを組み合わせてトントンで何とかやってるらしい」

「営利組織ではないから利益は出さない…」

「そ。あくまで互助組織ごじょそしきというか、何というか…ま、今日の会で観察してけ」エレベーターが3階に到着する。


 トーラスビルディングの一棟の3階の3号室。そこは共生組合の事務所と寮住みの人たちの共有スペースらしい。間取りは広めの3LDK。玄関から入って直ぐの廊下には扉が2枚。一室は事務所、一室は応接室らしい。廊下の先の扉にはリビングダイニングとそれに続く和室があった。12畳と6畳位のスペースだろうか、そこに人が集まってる。

「柿原戻りました、今日のゲスト連れてきましたよ、っと」

「お、柿ちゃんおかえりー」と返事をしたのは和室の方でくつろいでいた中年男性。40位だろうか。坊主のような髪型、大きな体に黒の太めのフチのセルフレームの眼鏡をかけている。何処どこかの会社の係長です、と言われたらそうなんだろうな、と思えるようななりをしている。

「初めまして。宇賀神うがじんと言います、18歳で不登校です。よろしくお願い致します」と挨拶をしてみる。

「ん。ご丁寧にどうも。オジサンは長田おさだって言います。ここの偉い人です。でも堅苦しくしなくて良いよ、めんどくさいしね」

「良いんですか?」僕は驚く。見た目でいえば、上下関係にうるさそうな感じなのに。何というか体育会系というか。

「あー。少年、気にすんな、そのオジさん変人だから」と柿原さんが口を挟む。

「上司に向かって言うこっちゃないけど…ま、柿ちゃんの言う通りだな」と長田さんは言う。

 挨拶あいさつを終えたところで僕はあたりを見回す。今日は僕をいれて8人集まっているらしい。柿原さん、長田さん、後は男女半々。年齢は長田さんが一番上みたいで、後は20から30代ってところだろうか?これは僕が一番年下って事でいいらしい。少し身が縮こまる思いである。ソワソワしている僕に柿原さんは、

「ま、そー固くならんでいい。どうせココに集まってる連中は引きこもりとかだから。最低限の礼儀さえ守ってりゃ、取ってったりしねーよ」と言う。笑いが起こる。

「そそ、気にしなくて良いぜー」と言う声が聞えてくる。そちらに目をやると、肩まで伸びた茶髪と耳にピアスが幾つかのいかにもヤンのキィな男性。20前半くらいだろうか。

「あーアイツは久井ひさいって言う寮生だ。見た目はアレだが引きこもり6年選手だったんだわ。あんまビビらんでいいぞ」と柿原さん。

「おう。中2からまったく外出てなかったぜー」とヘラヘラ笑う久井さん。あんまり想像できないなあ。

「僕は高校からっす。先輩ですね」と僕は言ってみる。また軽口を叩いてしまった。飛ばし過ぎると事故りそうなのに。

「おう。ま、くつろいでけよなー。でも酒呑めないのかあ」

「未成年に呑ましたらシバくからな?久井?」と柿原さんがけん制球を投げる。

「いや、そこまで悪い男じゃねーって、俺」と久井さん。

「お前の振る舞い酒で何人潰したと思ってんだ?長田さんのよめさん潰したの覚えってからな?」と柿原さん。振る舞い酒?甘酒でも配るのだろうか?正月の神社みたいに。

「いやさ、俺、バイトで稼いだ金で色んな酒を買うのが趣味なんだけどさ、それを色んな人に呑ませるのが趣味なの」と久井さんは話を引き取る。

「大盤振る舞いっすね…」

「通称久バー。彼、シェイカーとか持ってるからね」と長田さん。

「さ、ぼちぼち始めよう、買い出し行くぞー」と柿原さんが号令をかけ、僕たちは近所のショッピングモールに繰り出したのだった…。


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 近所のショッピングモールのスーパーで食材を買い出し、共生組合の事務所に帰って来た。今日は寄せ鍋をするらしい。リビングダイングとそれに連なるキッチンで下ごしらえが始まる。参加者たちは野菜を切ったりしている。僕は柿原さんに尋ねる、

「えーっと…何しましょう?僕」

「ん?じゃ、大根よろしく。いちょう切りな?包丁は流しんトコ開けたら入ってるから。まな板は目の前の棚な?」と参加者たちに指示を出しつつ、細々としたものを用意している柿原さんが答える。

 僕は指示通り、流しに向かい、包丁とまな板を用意して、流しの作業台で横半分に切った大根の皮を剥く。包丁を握るのって何時振りだろう?小学生や中学生の頃はたまに料理していたけど。最近は料理、してなかったな。せいぜいパスタをゆでる位だ。おっかなびっくり大根の皮をき終わると、それを縦半分に切る。四つになった大根をさらに縦半分に切って、銀杏いちょうの葉の形に切りそろえれば頼まれた事は終わりだ。

「や。宇賀神君、上手い事やってるかな?」作業に集中している僕の背中に長田さんの声。

「…はい、久々に包丁触るんで怖いっすけど」

「左手は猫の手にしてるかな?指切ったら大変だからね」

「ええ。それは何とか覚えてました」

「うん。上手い上手い」

「長田さん」と僕は銀杏の葉の形に切った大根を皿に移しながら彼に声をかける。

「うん。どうした?」僕の隣に立つ熊みたいな長田さんが答える。

「ココってどういう所なんですか?柿原さんにも聞いたんですけど」

「ん?そうだなあ…柿ちゃんが話した通りの理解でいいと思うけど?」と長田さんはあごをさすりながら答える。

「引きこもりの支援団体…って聞きましたけど?」

「支援団体…まあ、柿ちゃんなりに分かりやすく言ったんだろうね。間違っちゃない」

「支援以外の側面もあるって事ですか?」

「うん。僕らスタッフは寮費って形で、寮生の親御さんから謝礼を頂いてる。だから頂いた分のシゴトはする、それが支援って側面」

「ええ、それは分かります」

「もう一つの側面、それは何というか…この現代社会で生き辛い人間たちが集まって助け合う、って感じかな?」

「助け合う?互助ごじょ、って感じですかね?」

「うん。柿ちゃんも僕も、今、この共生組合に関わっているみんなに助けられているんだよ?」

「スタッフなのに?」僕は驚いて聞き返す。サービスの提供者の彼らは与えるだけの存在だと思っていたから意外だ。

「うん…柿ちゃんの話は本人から聞けばいいから言わないけど、僕の話をするなら―僕もまた世の中でうまく生きていけない大人なんだ」

「この組織の代表ってアイデンティティがあるじゃないですか」

「ん?成り行きの上でそうなっちゃったけどね…そうなる前は何者でも無かった」

「働いてなかったんですか?」

「流石にそうはいかなかったよ、大学出てから普通にサラリーマンしてたさ」

「なら、普通のまっとうな人生を送っているじゃないですか?」

「君は―そうか、まだ高校生くらいか…バイトとかの経験は?」

「無いです」

「ん。じゃ、学校を出て働くって事を一面的にしか見れて無いと思うな…いいかい?世の中でまっとうだって褒めそやされているような生き方をしていても案外人間満たされないものなんだ」

「そんなものですか?何だか夢の無い話ですね?」と僕は驚いて言う。

「うん。僕もビックリしたさ。推奨されてる事は大抵うまくやってきたつもりだけど」

「何を目標に生きて行けばいいのか分からなくなりました、長田さんの言葉で」

「あらら…若者をたぶらかしてしまったな」

「まったくです」

「僕はね…会社って組織の中で仕事を上手くやり遂げていく事で自分の満たされない部分を満たそうとした、ま、周りの環境を見渡したらそれが一番手っ取り早いように思えてね」

「ワーカホリック」と僕は長田さんを形容する。

「そ、ワーカホリック。いやあ、あの頃はよく働いてたな…休みなんてほとんどなかった」

「我が家の父と母もそんな感じです」

「ただ、僕はさ、ある時疑問をもってしまった」

「疑問?」

「うん。仕事をうまくやって、カネを稼いで…その先に何があるのかな、って」

「結婚して…子ども作って…生物としての本能に従えばいいのでは?」

「ん。確かにそう。でもさ、それって即物的そくぶつてきすぎない?」

「そうですか?」当たり前に疑問を持つ長田さん。

「どれだけ頑張ってもね、僕は何処にも行けないって思ったんだ…抽象ちゅうしょう的な言い方だけど。そしたら、まあ、メンタル的に調子を崩しちゃってね」

「失礼な言い方ですけど…似合わないですね?」なんと言っても屈強そうな見た目をしているから。

「うん。我ながらそう思うよ。で、医者に行ったら今すぐ休職しろって言われちゃって」

「ワーカホリックの長田さん的には厳しかったのでは?」

「うん。最初は病気の事を否定しようとしたさ」

「認めない…」

「そ。でもね。自分の認知をだます事が出来ても、体は騙せない。その内出社するのもしんどくなっちゃって。よく朝に玄関でうずくまってたよ…胃がね、しぼり上げられたように痛む訳。胃ってのは肝臓なんかと比べると正直者だからね」

「ああ…分かります」僕も学校に行かなくなる前は胃がよく痛んだものだ。胃液が食道を逆流する気持ち悪さも知っている。

「結局…僕は会社を休職することにした、これで出世は望めなくなった」

「メンタル持ちを管理職になんてけられないから」

「そ。いやあ…あの時はこたえたよ…疑問はあっても仕事で身を立てていく事が信念みたいなものだったから」

「価値観の転換を迫られた…って感じですか?」

「言葉にするのは容易たやすいけど、やるのは難しいよ?それ。僕は2年かかったもん」と長田さんは頭をきながら言う。目元には哀愁あいしゅうただよっている。

「2年丸々休職してたんですか?」

「いんや。休職は…半年位かな。その当時、会社の業績が傾きだしてね。やんわり退職を迫られた僕は、調子が悪いのもあって呑んでしまった」

「収入が無くなりますね」

「しばらくは健康保険の傷病手当って制度で最低限の保証があったんだけどね。後は休みなく働いた結果できた貯金もあったし…ま、しばらく休まざるを得なかった」

「バカンス…って感じではないですよね?」

「もちろん。病院に通って薬を処方されながら、ベットで寝て暮らしてた」

「まったく動けなかったんですか?」

「うん。テレビを眺める位しか出来なかった。眺めてても会話が頭に入って来ないから、ボーっと眺めてるだけだったけど」

「そして、日々は流れていく…」僕もここ一年は似たような過ごし方をしている。長田さんほど動けない訳じゃないけど、目に入る景色や情報を解釈できない感じだ。

「僕がわずっていたモノは…調子の上がり下がりが激しくなる奴でね?まあ、そのスパンは数年周期なんだけど。丁度ちょうど、絶不調の時期があの時だった…風呂に入るのすら億劫になってさ」

「風呂に入るのって案外体力要りますもんね?」

「日々、あかまみれていく自分。でも、誰も僕に会いに来る人間なんて居ないし、外にも出てなかったから頑張って入る必要すらなかった」

「食料とかどうしてたんですか?」

「週に一度、夜中に24時間営業のスーパーに行ってまとめ買い」

「いよいよ、引きこもりめいてきてますね?」

「まあ、半分そうだったね。たまに親が様子を見に来てたけど、隣の県に住んでるから、しょっちゅうは来てくれない」

「孤立無援…無人島に独り流されたような…」この人も僕と同じような経験をしている?

「うん。比喩としてそんな感じだ…っと、もう切る大根無いんじゃないか?宇賀神君?」そう、頼まれた大根はとっくの昔に切り終えている。ぼちぼち鍋を始める時間帯らしい。いそいそと動き回っていた柿原さんは僕らに目を留め、問いかける。

「ん?長田さんと何話してたんだ?少年?」と。

「いや、ほら、僕の昔話さ」と長田さんは言う。

「ああ。アレな。長い話だろ?続きは鍋食いながらしてくれ。そろそろ始めっぞ」


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 ダイニングに折り畳みのちゃぶ台が現れ、その上にカセットコンロと土鍋。中身は寄せ鍋。まあ、市販の鍋つゆで調味した無難なものだ。美味しそうな匂いがあたりに立ち込めている。ちゃぶ台を囲むのは、長田さん、柿原さん、久井さん、後は20代くらいの男性、30代くらいの女性、そして20代の女性1人と年齢がよく分からない―若そうだけど妙に老成ろうせいした雰囲気を放ってる―女性、彼女はこの共生組合の事務方を務めている安藤あんどうさんと言うそうだ。

「えーっと…それじゃあ、会を始めます。乾杯」と柿原さんが開始の号令をかけ、僕らはグラスをわす。カチンとガラスのぶつかる音が響き渡る。そして皆鍋を突きだす。最初の内は食べることに専念してて会話が無かったけど、10分もすれば各々おのおの好きなように過ごしだす。黙っている人もいればしゃべっている人もいる。一際騒がしいのは柿原さんと久井さんだった。彼らは久井さんの振る舞い酒―「今日はおビール様で始めるぜ」―をわしている。二人とも酒が強いのかペースが早い。みるみる内に1本空けてしまっている。

「久井ー?コレ高いヤツでねぇの?」と柿原さんは久井さんに言う。

「んー?ま、酒屋で400円くらいだったかな?」

「このサイズでぇ?普段偽もん呑んでる俺には高級品だぜ?お前、バイト代全部酒にしてねえか?」

「あーそれはあるかも分からん」

「馬鹿!貯金しとけっての…お前、ここ卒業した後が苦しくなるぞ?」卒業?ここの寮は何年か過ごしたら出て行かなくちゃいけないのか?

「あー来年くらいには期限か…俺も。面倒臭ェなあ、もう」

「家借りるにしたって敷金、礼金考えたら10数万単位で要るんだぞ?引っ越し…は俺らがトラック出してやっけど家具は自分でどうにかしろよな?」

「へいへい…わーってますって」と久井さんは軽く流そうとしている。

「いーや。分かってないね」と柿原さんは噛みつく。

「まあまあ…そう急かしてやらないでよ…」と日本酒を傾けている長田さんがなだめる。

「アンタは甘いんだよ、代表」と柿原さん。

「そら僕はそーいう立場だし」と長田さんは柿原さんの強めの言葉をやんわり流す。

「そうだな。俺がケツ叩き役でアンタが良い警官だ」と柿原さんが嫌味を返す。

「人を捕まえて詐欺師みたいに言うなよお」と長田さんは笑いながら言う。

「アンタ営業畑の人間だったでしょうが…」と柿原さん。彼から解放された久井さんは僕に話を振ってくる。

「えーっと…何クンだっけ?君は何でここに来たんだ?親御さんの働きかけ?」

「いや…えっとですね」と僕は言葉をにごす。

「それはだな!宇賀神少年は俺を救ってくれたんだよ!」と柿原さんが長田さんを振り切って僕らの話に入ってくる。

「アンタを助けただあ?何?柿原さん何かあったの?」と久井さんは興味津々だ。

「そいや…少年には話してなかったな、俺があの日海で何してたか」

「ええ。スマホを海に投げ込んだのは知ってますけど、そこに至る経緯は」と僕は言う。

「は?ああ…だから古いデンワな訳ね、今日」と久井さん。

「あの日はなあ…俺、傷心だった訳よ」

「そら、そんな無茶をする日はそーだろうね」と長田さんも話に入ってくる。

「ん?んー?俺、理由分かったかも知らん」と久井さん。

「柿ちゃんが凹むねえ…玉転がしか馬で有り金スッたとか?」と長田さんが笑いかける。

「いやいや、おさっさん、最近柿原さん、アレだったじゃないっすか」久井さんは言う。

「え?何かあったっけ?」

「女でしょ…」

「そ!俺はまたもや玉砕したんですぅ!」と自嘲じちょう気味の声を出しながら柿原さんは言う。

「で?何敗目よ?柿原さん」と久井さんがいじりモードで問い詰める。

「10…いや、もう忘れたわ。まあさ、傷心の俺は海を眺めに行ったんさ」

「やっすいメロドラじゃないんだから」と長田さんは言う。

「どうせ俺は時代遅れの遺物だっての」柿原さんはふくれている。この人はホント、表情がコロコロ変わる。

「で?海を眺めてたらムシャクシャして思わず手元にあったスマホを放り投げてしまった、と?で、後からやべえ、ってなって海にザバザバ突入してた、と?」と僕は尋ねる。

「んで、そこに宇賀神少年が通りかかり―自殺と勘違いして引き留めにきた!以上!」と半ばヤケになった柿原さんが締める。

「ウチの馬鹿がゴメン…」と長田さんと久井さんが僕に謝罪する。いや、長田さんは分かるけど、久井さんがそう言うのはどうなんだろう?

「ま、そしてコイツと話したらさガッコ行ってないって言うからお礼も兼ねてココに招待した訳よ、今日は気にせず色々食ってけよな?デザートもあるからよ」

「じゃあ…遠慮なく」と僕は言う。

「俺も何か振る舞うぞーバカのケツぬぐい的に」と久井さん。

「いや、僕未成年っすから…」と僕は言う。実際、今この場でも周りは酒を呑んでいるけど、僕はコーラを飲んでいる。

「ん?じゃあ…ノンアルカクテルでも振る舞っちゃろう」と久井さんはキッチンに向かっていく。ノンアルカクテル?そんなものがあるとは知らなかった。

 久井さんはキッチンのテーブルの上に氷が入った細長いグラスとジンジャエールとライム果汁を用意している。

「ジンジャエールに…ライム果汁を加えて…ガムシロは要らんだろ…混ぜて…ほい!サラトガ・クーラーの出来上がり」と僕の方にグラスを持ってくる。

「カクテルって言うからシェイカーを使うものかと…ありがとうございます」と僕はお礼を言いながら受け取り、ゆっくりと飲む。生姜の爽やかな香りにライムの酸味が加わる事でくどい甘さを和らげている。美味しい。

「ステアも立派なカクテルよ?」と久井さんは僕に言う。

「そうなんです?」

「ま、俺は趣味でこういう事してるからくわしかねーけどな」と得意げな笑みを浮かべる久井さん。そこに、

「おーい、マスター!傷心の俺にジントニックくれやー」と柿原さんが注文を入れる。

「へいへい。ただいまーっと」と久井さんはまたもやドリンク造りを始める。

 作ってもらったサラトガ・クーラーを飲みながら会話の隙間に沈みこむ僕。長田さんは他の参加者に声をかけている。さて、何をしようか?と思っていると、年齢不詳の事務方、の女性、安藤さんに声をかけられる。

「えーっと…宇賀神…くん?」

「はい?」と僕は返事をする。

「どう?共生組合の鍋の会は?」

「そうですね…賑やかです。久しぶりですね、こういう感じ」

「そうなの?みんなとワイワイ話してたじゃない?」

「いや…学校いってないし、家ではクチをきかないもので」

「ふーん?」と安藤さんはセミロングの黒髪をき分けながら僕の目を見つめる。彼女の目は心の奥底をさらわれるような―そんな目をしている。特別目力めぢからが強い感じではないけど。

「親御さんと仲、悪いんだ?」

「まあ、学校も行ってないですし?」

「そう?不登校を容認するような方ならアナタの事理解してくれそうだけどね?」

「でもないです。不登校以外でも意見の相違があって…後、片親なんです」

「機能不全ね。家族が」

「ええ。崩壊してないのが奇跡です」

「なるほど…柿原君が君をココに連れてきた理由が分かった」と安藤さんは言う。

「いや、柿原さんには学校に行ってない、って事しか伝えてませんが…」

「彼はね、色んな子を相手してきてるから、すぐ分かっちゃうのよ。苦しんでるって」

「職業病みたいなものですかね?」と僕は彼女にく。でもなあ、彼、そんなに勘が鋭い方じゃないと思うんだけど。

「職業病もあるけど…ま、彼にも色々あったのよ」と彼女は応える。答えの半分でしかない返事。それが顔に出たらしい、彼女は続けてこう言う。

「ま、何かの縁で君もココに関わってしまったんだから。その内彼のクチから聞いてみなさい。まさか―今日一回限りで来なくなったりしないよね?」と。さて。どうだろうか?今、そこまで居づらさは感じてないけど…これから先、ココに通うようになるのだろうか?

「別に無理強いはしないけど…」と考えをグルグルまわす僕に彼女はそう言ってひさバーの方に向かって行くのだった…。


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 久井さんはこの会の参加者みんなに何かしらのドリンクを振る舞っている。酒が呑める人にはカクテル。呑めない僕みたいな人にはノンアルカクテル。キッチンでいそいそしている彼が元引きこもりの寮生だとは思えない。注文を受けたり、まだ飲み物を振る舞ってない人に声をかけ、オーダーを引き出している。

 僕は思う。この共生組合の寮に入れば彼みたいに―人と関われるようになるのだろうか?いや、彼はもともとの社交能力が高いのかも知れない。何かの拍子ひょうしで引きこもりはしたけど、天賦てんぷの才のようなものがあるのかも知れない。

「さぁーて。お集まりの皆々みなみな様。ボチボチ自己紹介でもしてもらいますよ」とジントニックを片手に持った柿原さんが言う。自己紹介?

「これは鍋の会の決まりみたいなもんだな。参加者同士名前くらいは知りあっておこう、ってね」

「恥ずかしいかも知れないけど―ま、気楽にね」といつの間にかハイボールに切り替えている長田さんが僕に言う。

「今日の一言トークはどうすんべー?」とバーのマスター久井さんが柿原さんに言う。

「ん?そうだなあ…お題サイコロは先週使ったばっかだし…宇賀神少年、何か聞きたい事はあるかい?」と僕に話を振ってくる。急に振られても困…いや、聞きたい事はあるけど、久井さん本人に聞くべきことであって、みんなの前で聞くことではないし、下手したら個人的なトラウマに踏み込みかねない。無難な話に逃げ込むべきだろうか?

「おう?何か難しい顔してるな?ま、急に頼まれても困るか」

「ええ…」

「じゃ、俺が決めよう…最近コケた俺からの提案!凹んだ時の対処法!」と柿原さんがフォローを入れてくれる。

「なんだよーそれって最近ヤらかした自分にとって使えそうなネタ引き出したいだけじゃん!」と久井さんが茶化ちゃかす。

「うるせーわい!とりあえず俺からな!柿原友悟、30歳、男!共生組合の世話役的存在だ。凹んだときの対処法、それは海に行って叫ぶことだ。案外すっきりする。以上。次、久井行け!」海で叫ぶ…あの日、柿原さんは叫んでいたらしい。そして―それでもスッキリしないからスマホを海に投げ込んだらしい。

「はいはい、ご紹介にあずかりました久井ひさい純也じゅんや、21歳の野郎です。一応ココで寮生やったりバイトしたりしてます。凹んだ時は…何か壊すなあ。実家の俺の部屋とか惨憺さんたんたるもんでしたわ…最近は落ち着いて来たけど…じゃ次は…あんねえさん」そう言った彼の顔には少しのかげりがあった。酒を振る舞っている時の顔とは別の引きこもりだった彼の顔がチラついた気がした。

安藤あんどう瑞希みずき、年齢は教えません。ここで事務関係…いや何でも屋的仕事してます…凹んだ時?アタシ凹まないから分かんないなあ。イラッとした時はキツ目の酒を呑んで寝ますね。次は参加者の皆さま方、お願いします」

 この後、共生組合陣以外の人たちの自己紹介があったのだけど―まったく覚えてない。何を話そうか考えていたら内容がちっとも頭に入って来なかったのだ。

「じゃ、トリは僕と宇賀神君、どっちにしようか?」とのんびりと言う長田さんの声で僕は気を取り戻した。アレ?何時の間に…。

「済みません、何言おうか悩んでて…」

「ん。そっか。じゃ、僕から行こう。はい。ええと、ここの長を務める長田おさだ仁志ひとしです。初めましての人は以後お見知りおきを。ああ、年齢は40…位だね。多分。凹んだ時はね、僕はそれをそのまま受け止めるかな?何か代替だいたいの行為でまぎらわせるのが上手くなくてさ。だから前の仕事を辞めた後は随分ずいぶんと苦労しました。ま、今の仕事も上手い事やっている訳じゃないけど」

「いや、アンタはもっとしっかりしてくれよな?」と柿原さんが茶化す。

「代表…今思い出したんですけど…予算の」と安藤さんが言う。クールなトーンで言うからジョークなのか分かり辛い。

「まあ、ほら…僕はココを保つのが仕事で―ま、ストレス解消法なのかも」と長田さんは締める。次は僕か…。

「ええっと。宇賀神…いおりです。18歳で不登校してます。凹んだ時の対処法…をずっと考えていたんですけど、分からないです。強いて言うなら逃げるって事になると思います…」と僕は言う。久々に人前で話すと、妙な動悸どうきがするのはなんでだろう?心臓が脈打つ音が気持ち悪い…顔に脂汗が浮かぶのが分かる。多分、今、真っ赤になっているのだろう、僕の顔は。

「今日はこれ位にしとこうか?」と長田さんが引き取ってくれる。助かった…。


                    

















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