春・桜は

芽吹き


「よし、こんなところかな?」


 姿見に映った自分の姿を再度見て、問題が無い事を確認する。

世間は「人は見た目だけじゃない」などと宣うが、初対面なら見た目が九..いや、十割と言っても過言ではないと思う。勿論、深く関わるのであれば話は変わってくるが、それでも見た目が良いに越したことは無い。

 

 梳いて揃えたミディアムショート、化粧水で湿らせた肌、そしておまけ程度にアイラインも引いて見た目はバッチリだ。少なくとも、この歳で化粧に手を付けている男子は少ないだろうから後れを取ることは無いだろう。地の顔に自身が無いとこういう所で苦労する。聞けば「顔面偏差値」という言葉があるらしいが、全く羨ましい話だ。

 しかし、その苦労さえすればある程度まで引き上げられるので実際そこまでの問題ではない。真に問題にするべきは声質や口調――いや、それはどうでもいいか。

それよりも鏡に映るこの仏頂面を何とかするのが先決だ。


「笑顔を保て、キーピングスマイルが第一歩だ」


 口角を上げ、目元は優しく、それでいて舐められないように。

古来より、笑顔は余裕を示す威嚇であり、また現代では友好を示す道具でもある。

緊張して顔が強張ってしまえば、それだけでここまで見た目を整えた努力も無駄になる。ひとまず満足のいくセットが出来たので洗面所から玄関へ、少々時間が早い気もするがトラブルで遅れるよりはマシだ。

──まぁ、隣人への挨拶だけでも済ませておくべきか。


 揃えておいた一足の靴に足先を通し、傍らのリュックを背負う。

準備は出来た。ここから先、ドアの外に出た瞬間からが僕の高校生活。

始まりの第一歩は、今まさに踏み出されて――


「やぁ~やぁとおる君!新生活の始まりだねぇ!結構制服似合ってるよ~?」


パタン


可能な限り音を鳴らさぬようにゆっくりとドアを閉める。

森でクマに遭った時、蜂がすぐ傍に飛んできた時の対応と大体同じだ。


「......っと、鍵鍵」


 危うく鍵を忘れるところだったが、これで防犯完了で忘れ物も無し。

ついでにドアの前にも何も無し、僕は何も見ていない。多分春の妖精か何かだろう。

改めてドアを開けて、春の暖かな空気に包まれて――


「無視は悲しいなぁ...お姉さん悲しくて泣いちゃうよ?よよよ......」


 ...どうやら妖精でも、ましてや見間違いでもなかったようだ。わざとらしい泣きまねも若干鬱陶しい。せっかく挨拶をしようと思っていたのに、向こうから来られてはその気も失せると言うもの。相手の意欲を削ぐ才能に関してこうも優れているのは何故なのだろうか?それこそ、初対面であれば不干渉の一択以外はあり得ない。

だが、まぁ、


「おはようございます、東谷さん」


仮にも恩人なのだから、多少残念な性格であっても口には出せない。


「いやぁ、その冷たい視線ゾクゾクするねぇ、もう春なのに凄く寒いよ...」


「そう感じるならもうちょっと厚着したらどうです?まだ夏じゃないんですしその格好はどうかと思いますけど」


 実際春はまだ始まったばかり。更に言えば、朝方の時間帯ならまだ肌寒い季節だ。

そんな中でTシャツ1枚にハーフパンツは流石にどうかと思う。演技ではなく実際に寒そうだから余計に困惑する。洗濯機に服を入れたまま忘れたのだろうか...?


「いやいやぁこれには訳があってね?洗濯機に服を放り込んで忘れちゃったのよ」


沈黙、抑えきれずに大きくため息を吐く。


「はぁ......僕はもう行きますよ?もともと軽く挨拶するだけの予定だったんで」


「うんうん、学生に許される時間は限られているもんね!行ってらっしゃ~い」


 ...思いのほかあっさりと解放されると反応に困る。へらへらとした笑顔でひらひらと手を振っているが、何かいい事でもあったのか?いや、それならもっと見せびらかしに来るはずだ。だとしたら一体何が......


「難しい顔しないの、せっかく練習してた笑顔が見る影も無いよ?」


何故それを...この人に会った瞬間に笑顔は解除したはず。


「あなたには何も言ってない筈なんですけど」


「ふふふ、乙女の秘密を探ろうとしないしな~い。ほら、行った行った!」


そう言って背中をバンバンと叩かれる。

はぐらかされたようで胸の奥が落ち着かないけど...言っても無駄だろう。


「ちょ、あぁもう!わかりましたよ、行ってきます、行ってきますから」


「よろしい、調子に乗って初日から変なことするんじゃないぞ~!」


 後ろから聞こえてくるその声は、僕のことを入学初日に浮かれる子どもか何かだと思っているようだ。...まぁ、高校生も十分子どもか。心配してくれる誰かがいるだけでもありがたい事なのかもしれない、と前向きにとらえるしかない。


「はぁ...、あはは」


 小さく息を吐く、けれどその後には笑いが漏れる。

それは微笑から来るものか、それとも苦笑から来るものか。

どちらにせよ、あの人に緊張を解されたことには違いない。

せっかく手助けして貰ったんだ。ここからは完璧に、かつ最高のスタートを決めなければ。


 そう決意を改め、まだ人の少ない通学路を歩き出した。




――――



「......行きました、か?」


「うん、あの子は忘れ物するような子じゃないし戻ってこないよ」


「ありがとうございます」


「お礼なんかいいって~。家主の依頼を聞くのは当然だし?」


「いえ、こちらはお願いを聞いてもらっている立場ですので」


「固いねぇ。まぁ、それが君の個性でもある...か――よし、そろそろ君も、」


「はい。 ......あぁ、食事の支度くらいなら出来ますので、買い出しなどあれば――」


「そんなに気負わなくても大丈夫だよ? お料理もお姉さんに任せなさい!」


「......はい、わかりました。では――行ってきます」


「はいはい、行ってらっしゃ~い」

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