5‐23

 しばらくすると、先ほどのアナウンスの声の主と思われる、1人の男性が、レストランに現れた。よわい60くらいだろうか。

「紹介が遅れました。我妻さん。私は桟原優歌が現役だったときに、ドラマの監督で何回か一緒した、葭川よしかわさかえと言います」

「あ、どうも、いつもうちの妻がお世話になっています」

 儀礼的に挨拶を交わしたが、よくよく考えるとおかしな話かもしれない。

 妻がお世話になっていたのは7年以上も前の話だろう、と自分で自分にツッコミを入れた。


「お見事でした。さすが、桟原優歌が選んだ旦那さんだ。これほどまで聡明で、しかも桟原が言ったとおり、男前と来たものだ」

 初対面の人物、しかも業界では有名だろう人物にいきなり褒められて、顔を紅潮するのを自覚した。津曲や耀がいるから、余計に面映おもはゆかった。

「監督、男前やないですよ。アタシは『地味にイケメン』って言ったんですよ」

 やめてくれ。力の限り恥ずかしい。っていうか、この言葉、最近どっかでも聞いたな、とここでもデジャヴュを感じざるを得ない。大体、地味にイケメンって何なんだ。褒めてるのか? けなしているのか?


「今回は、私からも、茶番を企画したこと、大変失礼しました。で、失礼ついでに、作品化させてもらってもいいでしょうか。うまく編集しますので」

 ほぼ事後承諾に近いなと思いながらも、相手が相手だけにダメですとは言いにくい。我妻興信所の名前を出さないようにすれば、良いことにするか。探偵は、顔が大っぴらになると、尾行や張り込みがしづらくなる。

 しかし、私が答える前に妻が乗り出してきた。

「そんなら、アタシ許可しましたよ? じゃんじゃん使ってくださいって! 興信所の名前も出してくださいって」

「えええ? そりゃ困る! 調査どこじゃなくなるよ!」

「何うてんねん。これから立派な家建てるんやろ? オプション付けると、お金膨れ上がんで。あ、耀ちゃんの前ではあんま言わんほうがええか。でも、耀ちゃんも興信所に入ったことやし、もっと依頼が来んとあかんやろ? 強には名探偵として、もっと頑張ってもらわんとあかんねや」

「ちなみに、姫総ひめふさデザインは、この企画を使って、めっちゃ売名させてもらうよ!」と、姫野耀が言う。

 何だそれは、大体、この最初から最後まで船の上か船の中の映像で、どうやって姫総の名前を出すんだ。合成で姫総デザインののぼりでも立てる気か、と聞きたくなった。

「アタシはなぁ、うちの旦那が、この我妻強が、自慢の夫だって言いたいねん。まだ、一部のファンには、アタシが電撃結婚したことにショックを受け取る人もおんねん。それこそキュウジとかガリツマちゃんもそうや。でも、これだけできる旦那なら、サジコ様に相応しいって、納得してくれるんや。アタシは、ING78を卒業したけど、ファンに対して神対応をしたいっていう気持ちは、いまでもあんねん。だから、ずっと心残りがあったってのもある」

 桟原優歌は、卒業を発表したライブで、ソロで活動を続けると宣言したが、その日に市川に襲われてしまった。その精神的ショックで、ソロ活動継続を撤回してしまった。そして、電撃結婚。神対応を心がけてきたのに、最後の最後にファンに対してとんでもない裏切りを働いてしまったと悔いているようだ。しかし、子どもが2人生まれ、弁明のチャンスは遠のくばかり。心残りだけは募っていったそうだ。

 ちなみに妻は、市川が働いた狼藉ろうぜきについては、もう怒っていないと言う。市川に対して厳しい態度を取ってきて、自分にも非があったと、いまでは考えている。「もう、刑期を終えて更生したんやし、ええやろ」と。妻は、こういう豪放磊落ごうほうらいらくな性格も併せ持っている。


 そのとき、また、ここにいる誰でもない男性の声が聞こえた。

「ももももし、ファンに弁明することを企画してるんなら、ぼぼ僕も、協力させてもらってもいいですか?」

 話し方も特徴だが、ルックスはもっと特徴的。何と、お笑いコンビ『剃り込みピーナッツ』のギョートくんこと中山なかやま行徳ゆきのりがそこにいた。モヒカンのせいで帽子がその分、浮いているのはご愛嬌か。


「な、何でここにいるんです?」私は、驚きのあまり、つい聞いてしまった。

「あ、実は、ぼぼ僕、海技士の資格持ってるんですよ。もも、元・海上保安官ですから! こここー見えても、大型船舶、そ、操船できるんですよ」


 私自身、詳しくは知らなかっったが、自動運航技術はまだまだ実証実験、開発段階らしく、船には、当然ながら船長や運行管理者が必要。この船にもちゃんと、船長をはじめとする船舶職員がおり、そのうち二等航海士の役割をギョートくんが担っていた。操舵室に来たときは隠れていただけだ、とのことだった。

 そう言えば、船に乗るときは甲板の上にギョートくんはいた、と相方のソリピーは言っていたような。アレも伏線だったのか。


「ギョートくん、そのときはよろしく頼むで!」

「ももも、もちろんです! ではこれから、ああ、安全運航に努めさせていただきます」

 ギョートくんは、しっかりと敬礼をして、また、操舵室の方に戻っていった。



 無事に船は帰港し、その後この作品は極めて絶妙に編集された。


 実はこの話には裏がある。本当にここだけの内緒の話である。

 私は、最初から、この茶番劇が起こることを内々に知らされていた。ついでに言うと同意していた。

 というのは、実際に私が何も知らされていない状況で、これが起きてしまうと、犯罪行為が成立してしまう。具体的には、私が船に連れ込まれるシーンにおいて、加害者が略取・誘拐罪、暴行罪に問われる可能性がある。

 裸絞をかけた藤村と、それを幇助ほうじょした妻が罪に問われてしまう。

 だから、秘密裏に、藤村にこの件について相談を受けていた。


『我妻さん。実は、俺にいったん首を絞められるふりをして、船に誘拐されて欲しいんだ』

 ある日、そんな電話がかかってくるから、びっくり仰天した。あまりにも唐突で、意味不明だった。

 客船を使ったクローズド・サークルのリアリティーショーを企画し、それに、現実に関わっている一般人も含めたキャストで撮影するという、極めて異例なプロジェクト。


 最初は、何かあるんじゃないかと断ろうと思ったのだが、妻が関与しているという話を聞き、観念して同意した。


 ここからは、私が謎を解いた後に聞かされた話だ。

 この企画には、密かに奥さんを、芸能界に復帰させる本意があったのだ。

 いまでも、妻を慕うファンは多いらしく、YouTuveの爆発的な再生回数の伸びはその現れであるということ。そして、7年経った今も、美貌を保つどころか大人の色気が加わり、さらには図抜けた演技力がある(ゾンビを鏖殺おうさつしているのは、演技ではなく素の言動だということは、口が裂けても言わない、言えない……)と話題となり、復帰を望む声がとにかく多くあったそうだ。妻自身も、芸能界に復帰する意志があり、さらには、ドラマや小説を作ったりと新たなチャレンジにも意欲的であった。

 そして、いちばん妻が復帰したがっている理由は、かつてのファンへの贖罪しょくざいであること。7年という期間が空いたが、ずっと心残りであったことを知らされる。


『あんたの奥さんから頼まれたんだ。奥さんが関わっている企画が始動していて、それをうまく軌道に乗せるために、旦那さんも協力してもらわんといかんのだと。その企画とは、あるドラマに出てもらうことなんだけど、じかに旦那に頼むと断られるのが目に見えている。でも、同意がないと、気絶させて船に連れ込んだ時点で犯罪になってしまう。一方で、テレビ局の重鎮が奥さんの考えたドラマの原作を絶賛しており、何が何でもこのリアリティショーを形にしろと息巻いてる。だから、奥さんもめちゃくちゃ悩んでて、内々に相談されたんだ。だから、奥さんのためにも、この茶番に同意して欲しい。一応、何かあったときのために誰も不幸にならないように、ちゃんと録音をして同意した記録も残しておくから』

 

 だから、私も茶番の演者だったのだ。

 私は船に連れてこられることを聞かされ、かつ承諾し、何かしらの事件が起こることも知っていた。しかし、どんな事件が起こるかは聞かされておらず。

 事前に、推理して事件を解いてほしい、とだけ言われて、いち出演者として解き、このリアリティーショーを演じきったのだ。


 一気に、感動ががれてしまったかもしれないが、藤村の言ったとおり、この件で誰かが不幸になったら、元も子もない。仕方がないことなのだ。

 私が承諾した事実は、出演者、監督、編集スタッフら、全員内々に伝えられ、企画の実現に踏み切ったのだ。



 帰港した当日、私たちは、妻の母親宅に預けられていたみぎわあんを迎えに行った。すっかり夜だ。杏は疲れて寝てしまっている。

「ごめんなー、3日間もいなくなって」

「ダイジョーブ。ママとパパがラブラブするための大事な時間やったんでしょ?」

 沙は恥ずかしいことを言う。正確に言うと現実に起こったことと随分乖離かいりがあるけど、沙は5歳だから、そういう認識で構わない。

 沙は続ける。

「私たち、ばぁばの家で、お風呂も入って歯みがいてもろて、あと寝るだけよ。帰ったらすぐ寝るね。そーしないと、ラブラブできないでしょ?」

「このマセガキ~! そんなに言うんなら、要望どおり、パパとラブラブしてやるよ。そん代わり、起きてきたらママ怒るでな!」

「キャー、怖い」と、言いながら、沙は笑っている。

 やはり、この家族がイチバン落ち着くな、としみじみ思う。



 家に帰ると、沙は約束どおり、すぐ寝てくれた。

「何か、久しぶりに家に帰ってきたような気がするね」

 思えば、信夫夫妻の事件で、自分のマンションに帰るのはかなり久しぶりである。


 疲労のため晩酌をする心の余裕がない。暗黙の了解のように、二人ともベッドの布団に入った。沙も杏も寝息を立てて寝ている。

「今日さぁ、強、何の日か知っとる?」突然、妻がそんなことを言う。

 私は条件反射で、心臓がバクバクした。

 何だっけ。誕生日でも結婚記念日でも披露宴を挙げた日でもない。何か記念になるイベントが、この日にあったとは思えない。

「す、すみません」とりあえず謝っておこう。「分かりません」

「11月22日、『いい夫婦の日』や」

 私は拍子抜けしてしまった。この10秒間、頭をフル回転で、結婚してから7年間のありとあらゆるイベントを検索したのが、徒労に終わった。

「そ、そーですね」相槌を打った。


「ホンマ、感謝しとる。究極のアタシのわがままやったと反省もしとる。芸能界に復帰したい気持ちはあったにはあったけど、強は嫌がるかなと思うて……。でも気持ちはどんどん膨れ上がってもうて、今回、ドラマの原作を頭に描いてみたら、こんなことになった。ゴメンな……」

 それに関しては、怒りたい気持ちもないわけではないが、無理に妻のやりたいことを抑えつけるのは本望ではなかった。結論を言うとゆるしている。

「僕はいいよ。優が望むことには協力したい、ってのもある……」


「アタシさぁ、船の初日の夜、震えとったやろ」ここで、急に船の出来事の話をし出す。「あれさ、演技やないんやで」

「え?」

「おかしな話やろ? アタシが考えたシナリオに沿ったドラマなのに、アタシ、船ってちょっと苦手で、でも強と手ぇ繋いどったら、すごく安心してな。アタシ、無敵無敵と言ってるけど、怖いもんや苦手なもんもある。そーゆーときに強の存在ってデカいなと思ったんや」

 妻の思わぬカミングアウトだった。弱みを自分から告白するなんて、これまでなかった。

「ありがとう。いつもそばにいてくれて。強のこと好きやで。そして、これからも『いい夫婦』でいてな? お願いします」

 そう言うと、妻はパジャマと下着を脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿でおもむろに私の布団の方に入ってきた。別の意味で、心臓がバクバクする。

「え、あ、こちらこそお願いしまs──」

 返事する前に、妻が艶やかな唇で、私の唇を塞いできた。

「あかん、不合格。ちゃんと返事するまで、ずっとチューし続けるから」

 そのように話す妻の、小悪魔のような笑顔は、とても麗しく妖艶で最高に愛おしかった。


【Case 5 おわり】

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