5‐22

「はあ? 我妻さん、何言ってんだ!?」

「船が沈没しそうで、気が触れたか!?」

「そんなこと、どうだっていい。早く助かる方法でも考えて!」


 皆、けんもほろろな対応だ。しかし、当該妻は、何も言わない。ただ、にんまりと不敵な笑みを浮かべている。

 そのとき再び、衝撃音。しかし、船が傾いたり、煙や炎の気配は感じない。大きな音と、わずかばかりの揺れだ。


「我妻さん。犯人はこの俺っすよ。この期に及んで、部下をかばってくれるのは嬉しいけど、その代わりとして奥さんを犯人呼ばわりしたら、鉄拳制裁どころじゃなくなりますよ」

 犯人とされた津曲すら、私に対する妻の仕打ちを恐れ心配される始末。

 しかし、津曲が犯人だとおかしいところがあるんだ。

「津曲は、逆に優に加担してたんじゃないのか? キュウジさんへの恨みも、きっとこのために作ったでっち上げだろう」

 津曲は何も答えないが、私の記憶では、津曲から笠原久嗣に対する恨みの声を聞いたことはない。むしろ、いまでも昵懇じっこんの仲だと思っている。


 ようやくここで、妻が口を開いた。意外にも落ち着き払った声で。

「ええやろ、聞いたる。何で、アタシが犯人やと思うねん!?」

 私はひとつ深呼吸をした。


「確かに、妻の立てたロジックは一見しっかりしているように思えます。でも一方で、どうしても無視できない違和感があった。それも、船に乗せられたときから。そして、いまも解決されていない」

「もったいぶってないでさっさと言ってよ!」美羽が、明らかにいらついている。


「まず、あれだけ、用意周到に殺人事件を回避しつつ、事件も解決に導いた妻が、アナウンス用のリモコン以外に、船を沈没させる用のリモコンがあると考えないのがおかしい。本当なら、それこそ、あの場で津曲を全裸にしてでも、所持品をあらためさせるでしょう」

わりぃ。リモコンは油断しとった。でも、さすがのアタシでも、お年頃のガリツマちゃんのご尊体を、みんなの前でさらけ出させるほど鬼畜やない。公然猥褻わいせつ教唆で捕まってまうわ」

「まだ、それだけじゃないよ、優。そもそもこの船に招き入れられる前に、僕は裸絞はだかじめにされた。柔道経験者で身長180センチ以上ある僕に技をかけ、頸動脈けいどうみゃくをちょうどいい力加減で圧迫し、失神させた。これは素人には難しい芸当だ。覚えている限り、あれは180センチはある大男だったはず」

 津曲は身長170センチ弱といったところで、体格も男性としては華奢きゃしゃな方だ。

「技をかけた張本人は、藤村探偵じゃないかと思っている。私をで投げ飛ばしたくらいだからな」

 当該、藤村太はだんまりだ。沈黙は却って肯定のサインなのか。

「襲われたとき、アタシやって被害者や。何でアタシやの?」

「襲うように教唆したんだと思ってる。そもそもこの時点おかしいのは、津曲の単独犯だったら、我々2人同時に襲撃することはできないはず」

 正直言うと、何でもっとこんな初歩的なこと早く気づかなかったんだという思いだ。


 他にも、犯人が津曲ではおかしな点はある。津曲は良家のボンボンなのは知っているが、いくらなんでも客船1つ買い取って、客室の鍵を壊したり、アナウンス装置を整備したり、カメラを配備したり、参加者全員の食事を用意したりするほどの経済力があるとは到底思えない。リモコンを用意して、船のアナウンスを操作できるように準備する芸当も、彼には難しかろう。

 それに、経済学部出身の津曲が、毒の薬物動態に詳しいのもどうも不自然だし、スベスベマンジュウガニを大量に用意してテトロドトキシンを抽出するのも無理があろう。


「それだけなら、ガリツマちゃんが藤村探偵とタッグを組んで、やったという方が自然やないか? 藤村探偵が強を襲い、ガリツマちゃんは私を襲う、みたいな。どうしてアタシの自作自演になる?」

「それも根拠はある」

「ほー」妻はやや目を細めて、興味深そうに聞く。

「いちばん不自然なのは、2日目の朝、優がトイレで化粧をしていたことだ」

 朝起きて、妻の身に何かあったんじゃないかと、焦りながら、女子トイレの扉を開けてしまったときのことだ。

「僕らは、襲われてここに来たんだぞ。メイク道具なんか持ってるのが不自然なんだ」

「おもろいとこに気づいたな」妻は逆に感心している。

「あと、子どもの安全は保証されてると言ってたけど、自分が死ぬかもしれない状況で、ここまで冷静でいられるのも、いま考えると変だ。他にも、笠原さんが血塗れで倒れているときに、優が『もう助からへん。それに、現場を荒らすことになる!』と言って制止したのは、笠原さんが実は死んでいないことを分からせないようにするため。そんな感じで、優が怪しいなとは思った。そこである仮説を立てた。実は優は、芸能界の誰かと、この客船を使ったクローズド・サークルを企画した。ドラマみたいにシナリオはあるけど、大まかなもので、セリフはアドリブが入る。緊迫感を増すために、あえて、悪役ヒールとして、市川さん、美羽さん、藤村探偵を呼んだ。そこに、僕を参加させて、殺人劇デス・ゲームを繰り広げるが、それはドッキリだった、という企画。僕は業界には全然詳しくないけど、いまでも顔の広くて行動力がある優ならやりかねない」

「……」妻は目を閉じて押し黙っている。

「優が船室で襲われて、僕は鍵をかけられて廊下に締め出されたときも、おかしなことがあった。あれだけ強引に体当りしても開かなかった扉が、いきなり何の抵抗もなく開いたんだ。あれも、襲われてる演出であって、僕が優を助け出すシナリオを演出させるため、わざと誰かに開けさせたと考えると、辻褄つじつまが合う」

 妻は、だんまりを続けている。

「──違うのかい?」

 10秒くらいの沈黙。10秒くらいのはずなんだけど、2、3分くらいに感じた。

 そして、ようやく妻は口を開く。


「よう分かったな。さすがアタシが見込んだ旦那や!」

 7年前にも、妻(桟原)から、同じような言葉をかけられた。非常にデジャヴュを感じる。あのときも、ある意味、僕を試す言動があった。

「実はな、YouTuve始めて、アタシの人気が再燃しとるのは知っとるやろ? メディアや業界の人間からも、アタシの芸能界復活を願う声がごっつう上がってな、この企画を立ち上げたんや。で、さらに言うと、アタシ、こういうドラマの原作や脚本作りも昔から興味あって、ずっとやってみたいと思うてたんや。こっそり考えとったミステリー、ホンマは、門河かどかわ文庫の小説投稿サイト『カケヤヨメヤ』の第8回コンテストに出そうと思うとったやつを、昔お世話になった監督に見せたら喜んでくれて、探偵が出るなら『旦那さんも出てもらえばいいじゃない』ってなった。でも、強はシャイやねん、相談したら200%断るやろ? だから、アドリブとドッキリをかけ合わせた、リアリティショーのようなミステリードラマにしたんや。せやから、ここにいる強以外みんな、ドッキリ仕掛け人や!」

 私は大いに驚いた。しかし、あまりに鮮やかな、シナリオ進行。まるで、本当に自分が、ミステリー小説の中の登場人物になったかのような緊迫感を味わった。

 ある意味、妻の演技力の高さの賜物かもしれない。布団の中で震えたりしたときは、本当に、妻が恐怖に打ちひしがれていると思い込んだほどに。

 そして、ここにいる他の皆も演技力も目をみはるものがある。


「完敗だよ。優はドッキリを仕掛けたり、アドリブでドッキリを仕掛け返したり、とにかくトリッキーなことを考えるのがうまいからね。でも、今回、普段とは違って、私の推理を聞こうとする姿勢を見せたから、もしや試されているのかと思った。でも、その割には、優から津曲犯人説を披露したり、言動がチグハグだった……」

 今回は、いつもと妻の様子が全体的に不自然だった。船酔いのせいかと思ってたけど、それだけじゃなかった。すべては私を試そうとしていたのだ。

「ちゃんと、見抜いとるやんか。完敗なんかやない。アタシの旦那が完敗するわけないねん」妻はいつになく、優しい言葉をかけてきた。

「ありがとう」

 私は続ける。

「毒のことは、このために勉強したの?」

「そうや。別に、強を毒を盛ろうと、普段から考えてるわけやないから安心しいや」

 さらりと怖いことを言う。でも、奇妙なことに、こういうジョークの1つや2つ、心地良さすら感じる。


「でも、さすがにお香はビビったよ。誰が持ち込んだのかと」

「あれは、船内のレストラン用のアロマを急遽使わせてもろた。みんなには、薬で頭おかしなったように演じてもらってな。違法なやつやあらへん。ホンマの、ただのアロマや」

 私に効き目がなかったのは当然だったのだ。でも、『精如会』の一件があったから、私をビビらせて、作品に緊迫感を持たすには充分な演出だった。妻は、冗談でしなを作り、薬効があったようなフリをしていたけど。


「我妻さん、騙してすみませんでした」急に津曲は、私に頭を下げた。

 すると、他のメンバーも続々と襟を正して、「すみませんでした」と謝罪してくる。

 私は、気にするな、とも、やってくれたな、とも言えず、「あ、いいんですよ、別に」とまごついた。


 すると、いきなりピンポンパンポンと音が鳴った。一瞬、条件反射的に身構えたが、

『はーい! カットーおっ! 我妻さん、サジコさん、皆さん、お疲れ様でした!』

 知らない声のアナウンスだったが、威勢の良い労いの声が流れてきた。

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