5‐21

「な、何で、キュウジくん、生きてる……?」

 いちばん驚いているのは津曲だ。どういうことだ。私もわけが分からない。


 とうとう死体だったはずの笠原久嗣は、何事もなかったかのように、立ち上がった。剣は刺さっておらず、床にコトリと落ちた。

「もうつらかったですよ。ただ横たわってるだけなんて」ついに喋りだした。

「すまん。協力に感謝するよ」


 そうか、私が、喫煙所を覗いたときの違和感はこれだったんだ。死体と思っていた笠原のいる位置が変わっていたのだ。

 彼は死体を演じていた。たまには起き上がったり、窓を開けに行ったりしたのだろう。生きていれば、ずっと動かないなんてことは不可能だ。

 死んでいなかったことは、喜ぶべきことだが、どうして、死んでいなかったのか。


「キュウジ! 生きてたの!?」ソリピーは、服についた血(?)のことなんて気にせず、たまらず泣いて彼に抱きついている。

「ごめん、驚かせたね」キュウジは優しく妻のソリピーの頭を撫でる。

「バカバカバカ!! こっちは失意のどん底だったんだよ」抱きつくことをヤメたら、笠原の胸を両手でボコボコに叩いている。


「ソリピー、騙してすまん。アタシに免じて許したって。こうするしか仕方あらへんかったんや」


「ど、どういうことなんだ!」津曲は目を見開いている。

「至って簡単な話や。アタシが、キュウジが殺されるかもしれへんと予測できたからや。だから予防線を張った!」


 いとも造作もないことのように話すが、とんでもない話だ。妻は人智を超えた存在に見えた。

「何で!? どうして!?」


「まず、厨房に12人分のプレートがあったやろ。1枚だけ、魚のないプレートに、これ見よがしに、何か塗ってあったわ。黒っぽいのがな。これは毒が皿に塗ってあることをミスリードさせるための細工やと思った。同時にターゲットがキュウジだってこともな。じゃあ、ミスリードだとしたら、どうやって殺すのか。みんなが昨日の晩飯待っとる間、マジシャンの道具部屋を見つけたんや。そのとき、1本だけ、わざわざ刃の部分が引っ込まないようにされた剣が見つかった。きっと何らかの形で、凶器に用いられると思った。なので、キュウジが喫煙室に向かったあと、剣の細工を取り除いた。簡単やな。瞬間接着剤で固められてただけだから。あとは、キュウジに死んだふりをするよう、食紅を使って上手く演じてもらえばいい。もっとも、キュウジには寂しい思いをさせることになったけど、おかげで死なさずに済んだわ」


「な、何でだ!? じゃあ、そんな演じなくたって、喫煙所に行かないように指示するなり、犯行に及ぼうとした時点で、阻止すれば良かったじゃない」

 そのように異議を唱えたのは、ソリピーだ。

 当然だろう。茶番に付き合って、みんなを恐怖に陥れる必要はなかったのでは、と思う。


「本当はそうしたかった。でも、それをやると、みんな死んでしまう可能性がある」

「みんな、死ぬ?」

「ああ、ガリツマちゃんは、人を1人殺すシナリオを作っとる。つまり、この船が帰港したら逮捕。しかし、そもそも、いま海の上だ。誰も解答できなかったら、この船は沈むって言ってたやろ。これは、つまり、自分も死ぬってことや。死ぬ覚悟でおる犯人を前に、自暴自棄になって沈没させられたらあかんねや。だから、いったん事件を解かねばならんわけや」


 妻はそこまで計算していたのか。海の藻屑とならないための、正当な茶番だったのだ。

 妻は続ける。

「せやから、いま、リモコンを取り上げた。これで安心や。集団無理心中むりしんじゅうは起こされへん」

「良かったぁ!!」「ありがとう!!」

 妻を除く女性陣を中心に、胸をで下ろすような声が次々と出る。さっきまで洗脳されたように、私たちを襲おうとしたのに、調子が良いものである。ひょっとして、の副作用か何かで、あのときの記憶が丸ごと欠落しているのか。


 しかし、ここに来て、津曲から信じられない発言が出た。

「この船は、日本に戻りません。みんな、海の藻屑になって消えてもらいます!!」

 津曲は、右ポケットから、また何か違う何かを取り出して、高々と掲げた。


 みんな、私も含めて、津曲が何を言っているか、意味が分からないという感じで、5秒くらい沈黙があった。

「は!? 何言ってんだよ、おかっぱ頭の兄ちゃん」

「え!? ミッションクリアしたら、千葉に戻れるんでしょ?」

「話が違うじゃないか!?」

「いやぁあああああ! 悲劇は続くんだ!」

 藤村太、ソリピー、三浦光之、美羽が次々に言う。


「リモコン、もう1個あったんか!? しくったな! でも、約束違反や。責任を持ってアタシたちを日本に戻せ」

 ついに妻まで動揺が見られる。

「約束違反!? 約束違反じゃないですよ! 事件が解決しなかったら沈没すると言いましたけど、解決した場合はミッションクリアとなるだけでっすから!」


屁理屈へりくつや!」妻が激昂げっこうした。果たして何度目の激昂か。


 すると、船内のどこかで、ドンという衝撃音が鳴った。船の機関室を爆破する音なのだろうか。それをいま所持しているリモコンで意図的にやったというのか。

「キャアー!」とか「助けて!!」とか「ヤメて! お願い!」などと、悲鳴とともに泣きすがる女性陣(妻を除く)。

 あまりに想定していない事態に、パニックに陥る。藤村太や市川妙典は、津曲に浴びせ、いまにも胸倉を掴まんとする勢いで詰め寄っている。


 しかしながら、不思議なほど、私は冷静にいられた。

 この船に乗った最初の方から抱え続けた違和感、気持ち悪さ、モヤモヤ。いろんな些細な出来事が積み重なり、胸の中で消えることなくおりのように蓄積している。


 ひょっとして……。私はある1つのを感じ始めていた。もちろん希望的観測も大いに含むが、でも、私がこれまで抱いてきた違和感などは、これで説明がつくんじゃないのか。


 ただ、少しそれを言うのは躊躇ためらわれた。現場はこのとおりパニック状態で、収拾がつかない。一方で、私のというのは、途方途轍とほうとてつもないものだったから。


 しかし、ここはちゃんと言わないといけない。私に対する試練のような気がした。

「あのー、み、みなさん、ちょ、ちょっといいでしょうか?」

 大事な場面なのに、妻のように弁舌よどみなく切り出すことができなかった。しかし、思いっきりどもったって良いという開き直りさえある。


「何? 救出方法でも考えたの?」と言うのは姫野耀。精神的に窮地に陥っているのか、完全に私に対してタメ口だけど。

 いったん呼吸を整えてから私は口を開く。


「いや、違います。私、この事件の黒幕なんですけど、実はじゃないかって思うんです」

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