5‐15

 改めて妻に感心した。いや感心なんてみみっちいもんじゃない。憧憬、崇敬に近い感情を抱いている。

 この際、探偵としてのお株を奪われたかもしれないが、それでも奪われたのが愛するパートナーなら良い。


1.直接の死因が刺殺でないならば、どうやって殺されたか。

2.既に別の方法で殺されていた(もしくは死にかけていた)久嗣を、改めて刺し殺そうとした誰で、何のためか。

3.2の理由が1をカモフラージュするためだった場合、アナウンスのヒントであっさりと打ち明けたのはなぜか。

4.1~3を明らかにした上で、直接的な死をもたらした犯人は誰か。


 このうちの、1から3は、妻の中で大方の解決がなされていることになる。4はどうだろう。


「強、アンタ、昨日の夜キッチンにおって、何か異変とか感じたか?」

「異変?」

 妻の質問の意図がつかめない。食物や皿に毒物を付着させる可能性はないって話じゃなかったのか。

「もし、運営がキッチンにいた人間を犯人に仕立て上げようとしてんなら、キッチンにそれ相応の仕掛けがされとると思うてな」

 なるほど。妻は常に、解決に向かって直線的に調査を進めているわけではない。こうやって、可能性のないところにも何か解決の糸口があるかもしれないと考えている様子だ。

 あのとき、1つ気になることはあった……。

「異変ってことはないけどな。厨房は結構魚臭かった。生ゴミ用のゴミ箱に、魚介類が大量に捨てられてたな……」

「それは変やな」妻は言下に答えた。「だって、魚は基本、焼き魚として冷凍保存してあるんやろ?」

「そうだよ」

 冷凍庫には様々な食材があったが、魚は焼き魚だ。つまり、長い船旅でも腐らないようになっている。逆に船内で生きた魚をさばく想定になっていないのか、刺し身など生魚はない。

「この食材を用意した人は、わざわざ魚を船内に運んで、捌いて調理したってことになるな。アタシだったら、そんなことやらへん。船の外で調理して、冷凍ボックスに持って運び入れるな」

 妻は、調理に当たって、わざわざ使い慣れない船の厨房を選択しない、という意味だろう。調理器具の配置、使い勝手、その他もろもろの効率を考えると、使い慣れたキッチンのほうが良い、と。それに、12人分の魚を船に入れるのは、それだけでもかなり重労働だ。

「つまり、何かしらの理由で、船内のゴミ箱に捨てる必要があったってことや」

「な、なるほどな」

 それは何だろうか。魚の臭いが重要だったのか。それともゴミ箱に何か隠しておきたいものがあったのだろうか。

「そうと決まれば行くぞ!」妻は強引に、私のかいなを引いて厨房に向かった。


 しかし、厨房には、嫌な光景が広がっていた。

 私と妻を除いた、9人が集まって、我々を凝視していた。

 そして、その厨房にはお香のような匂い。この匂いは、私が嗅いだことのない匂いだ。でもお香と言えば、嫌でもあの苦い記憶が蘇る。

 その証拠に、9人はどこか目が据わったような表情。まるで、我々を標的だと刷り込まれたかのように。


拮抗薬アンタゴニストは持ってないか?」

「持っとるわけないやろ。襲われてここに運ばれたんやで!」

 ダメもとで聞いてみて、聞く以前の愚問だということが分かった。我々は、つまるところ何も所持していない。


「おめぇら、ここに何をしに来た」藤村太の声だが、やけにドスが利いている。お香の影響だろうか。

「来たらアカンのか!? え!?」妻は1ミリも怯まず、逆に威嚇し返した。

「お前らは、俺らのために、さっさと死ぬしかないんだ。じゃないと全員死んじまうからな」

「てめぇは、探偵のくせに推理を止めたか! このウドの大木が! だから、てめぇみてぇのはな、悪徳探偵事務所で、依頼人騙しながらのさばってやるしか能がねぇんだ!! ゴラァ!」

 妻がブチキレている。妻がキレるのはよくあることだが、いちばんキレているかもしれない。口調がもはや、完全に堅気かたぎでない。

「推理なんて、よく言うぜ。そこにいる我妻強が犯人のくせによ!」

「あんな、穴だらけの推理で、ようそんなこと言えんな! 反吐へどが出るわ!」

 しかし、藤村は、耀の方を向いた。「耀ちゃん、君のボスは、厨房で毒を盛ってたか?」

 すると、信じられないことに、耀は首肯した。「我妻さんは、笠原さんの皿に、毒物を塗りたくってました」


 洗脳されている。記憶を捻じ曲げる催眠療法なのか、それともお香の効果なのか。

 せっかく、妻が証人として厨房に立たせた耀が、その役割を完全に失っている。


 しかし、妻は怯まなかった。

「じゃあよ! そんなに自信があんならよぉ! その推理をここで披露してみろや! それで助かってみろや!」

 これは妻の挑発だ。でも挑発に乗ってもらっては困る。この推理は間違っている。推理を開陳したら、その瞬間、船は沈没し、全員海の藻屑となって消える。

「いやぁ、俺らァは、確実に助かりたいんだ。99%の確率で全員助かるか、アンタたちの1人を殺して、残り全員が100%助かるなら、後者を選ぶ!」

「甲斐性なしが! アホンダラぁ! 天下のサウザンド・リーブスだったら、いますぐ、その推理うてみろや! あぁ!?」

 ダメだよ。優さん。間違ってるんだから、海に沈んじゃうよ、と私は心の中で言ったが、それが声帯を通じて音声化されたかは分からない。妻の威厳に、私まで圧倒されているからだ。


「ああ。試してやるよ。でも、その前にあんたらを殺して、保険はかけておいてから、答え合わせさせてもらうよ。行け! あいつらを殺せ! これは『緊急避難』がまかり通るからな! 遠慮はいらん!」

 藤村太の号令とともに、洗脳されたメンバーが私たちに襲いかかってきた。


「上等だぁ! ゴラ! このサジコ様に刃向かうなんざ、ええ度胸しとるわ! まとめて充分可愛がってやらァ!」

 妻はとうとうドラゴンの如く雄叫びを上げた。見えないはずなのに、私には妻の口から確かに火が吹き出ていた。

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