5‐12

「あかん、あいつらみんな、信用ならへん!」

 妻は激しくご立腹である。私にははっきりと見える。スーパーサイヤ人のように頭髪が逆立っているのが。

「もし、アイツらの誰かが、強を襲いに来たら、返り討ちにして血祭りに上げたれや! それか、足首ロープで縛って、甲板から海に吊るせ! 分かったな!? この元・柔道部!」

「はっ!? ははぁ……」私は情けない返事をするにとどまる。

 妻は、私ではなく参加者の面々にているのだが、火の粉が容赦なく私にも降りかかってくる。いつも以上に強い口調で、私まで責め立てられている。このよりも怖すぎるんですけど。妻が機嫌悪いだけで、寿命1年余裕で縮まる。

 

 ひょっとして妻が機嫌が悪くなることで、夫婦仲を切らせる作戦か。それがもしミッションクリアの条件なら、相手の作戦勝ちである。

 しかし、私は、夫婦の修羅場を幾度となくくぐり抜けてきた。百年戦争にも戦国時代にも引けを取らない死線(私にとって)を生き延びた私は、そんなことでへこたれない。


 そして、そのときの恐怖に比べたら、たとえ命を懸けているとは言え、謎を解決しさえすれば良いわけだから、まだまだ生温なまぬるい。

 と、おそらく一般的な感覚からしたら、大いにぶっ飛んでしまっているほど、怒ったときの妻は怖い。でも、妻は好きだ。だから、これくらいで別れることはない。


「とにかく、解決のための糸口を見つけなきゃ」

 ようやく平常心を取り戻し、妻と一緒に謎解きを再開させる。

「どっから手ぇつける?」

「自分なりに事件を整理してみたんだ」

「ほう。どう整理したん? 聞かせてもらおうか」

 妻が私の推理を聞こうとするのはかなり珍しい傾向だった。普段なら、私の調査に首を突っ込んでは、妻の推理を一方的に披露するだけだが、そうしないのは妻も行き詰まっているのだろうか。

 私は、昨日、トイレに篭もっていたときに整理した、解決すべき謎を開陳した。


「なるほどな。分かりやすぅなったわ。確かに整理されとる」

 これも極めて珍しい傾向だ。私の推理を否定せず、賛同の言葉を示すなんて。それだけ、妻も、極限の状態なのだろうか。ただでさえ、命を狙われている。それも緊急避難という合理的な理由で。

 彼女は、芸能界の最前線を張り続け、イニシアチブを執ってきたが、その分アンチや逆境とも戦ってきた。妻もまた死線をくぐり抜けた戦士ではあるが、ここ最近は、結婚し子供を生み、芸能界からも離れ(YouTuveはやっているみたいだけど)、彼女にとって安寧な日々を送っていた。そんな妻が久しぶりに直面する、安心、安全、命を脅かされる事態。昨晩の身体の震えが物語っていたかもしれない。

 あまつさえ、極度の船酔いが災いして、ろくに食事が摂れていない。妻はまさに極限な状態だ。


 改めて、この状況は危険だと認識した。どこかで、推理は妻がいるから大丈夫と思っていたけど、ブドウ糖が欠如し、充分思考力が働かないから、私の推理を肯定してくれているかもしれない。それだけ、妻のダメ出しは、私を安心させる強みだった。それがない今、すべて私一人の力で解決に導かねばならない。


「糸口は掴めそうか?」ほら、妻はいつもと違い、私に意見を求めてくる。妻に頼ってばかりはいられない。

「そうだな。自信はないけど、切り口は、笠原さんを刺した張本人からかな?」

 取っ掛かりはまさに消去法だ。カモフラージュつまり『偽装の殺害』を行った人物が必ずいる。その人物を特定すれば、何か見えてくるかもしれない。

「でも、どうやって見つけ出す? 喫煙所は施錠されてんやで?」

「もし、運営が、もしくは運営に指示された何者かが鍵をかけたのなら、喫煙所の中を見なくても、特定できるってことだろう」

「なるほどな。性善説に基づいて、これだけで解決できる情報は提示されているってことやな」

 性善説か。だとしたら極めて意地の悪い運営だ。人1人の命をゲームの題材として扱っている。運営という名の黒幕を、絶対引きずり出してやりたい。


「あのとき、笠原さんを刺した人は、少なくとも喫煙所に行ってるはずだけど、大前提として笠原さんは喫煙者なのかな?」

「少なくともアタシの追っかけやっとったときは吸っとったな」

 そう言われて、急に7年前の光景が思い出される。笠原久嗣は確かに手にタバコを持っていた。

「じゃあ、笠原さん以外の喫煙者は?」

「そんなもん、知らんがな」妻は私の質問を一蹴する。

 そう聞いておきながら、喫煙者かどうか確かめるのはちょっと難しいような気がした。聞いたところで、本当のことを答えるかどうか怪しい。なぜなら喫煙者なら、刺したと疑われると思うはずだからだ。

 しかも、非喫煙者だからといって、刺したことを否定したことにはならない。つまり、この質問にはあまり意味がないかもしれない。だから、考え直す必要がある。少なくとも、あの凶器の在り処を知っていて、その場所に行っているはず。

 

「あの剣って、何なのかな? 誰かが持ってきたもの? それとも船にあったもの?」

 普通に考えて、船に剣なんてミスマッチだ。どう考えても使いどころがない。では、誰かが持ってきたのか。それなら、剣を収める鞘とか持っているかもしれない。海に捨ててしまっているかもしれないけど。

 まずは、もう一度喫煙所に行ってみようかと思ったが、あっさりと妻は答える。

「たぶんやけど、マジックショーのやつやで」

「マジック?」箱の中に人を閉じ込めて、箱の外側から次々と剣を刺すマジックだろうか。「あれって殺傷能力あるの?」

「あるよ。実際にマジックの事故で、亡くなった例もあるとかないとか」

「えっ……」それを聞いて、身の毛がよだつ思いをする。被害者もそうだが、刺した張本人も、観客もトラウマものである。

 しかし、何で、刺した人間はそれを凶器としてチョイスしたのか。私なら、厨房に行って包丁でも取りに行く。

 でも、よく考えてみると、刺した人物の心理はさして重要ではないかもしれない。なぜなら黒幕に操られていたかもしれないからだ。


 そもそも、あれだけ派手な出血のあった死体だ。刺した張本人には、それなりの返り血を浴びているはず。そして喫煙所の中に洗面台はないし、着替える場所もない。いったん血塗ちまみれで喫煙所の外に出て、数十メートル離れたトイレに行って、血を洗うなり着替えるなりしなければならない。その間に、誰かに遭遇する可能性もあるし、血のついた服だって捨てないといけない。でもそれをあっさりとやってのけている。

 これはシンプルに謎だ。偶然上手くいった、で済む話なのか。それともある程度、いや、確実に上手くいくという勝算があって、なしえた行動なのだろうか。


 いかん。謎を解決する前に、どんどん新たな謎が生まれてくる。ドツボに嵌ってきたような気がする。


「単純に、アリバイで何人かは切り捨てられるんやないの?」

 妻が私の心中を悟ったが、助言してくれた。そうだ。誰がそもそも犯行可能だったかを探る必要がある。


「あんとき、晩飯食った後、キュウジと同じ方向に行った人なら、何となく覚えてるで」

「本当に!?」こういうときの妻のアシストは本当にありがたい。調査に首を突っ込みがちの妻で、一見、思いつき、感情的に推理しているようにみえることもあるけど、実際は確かな観察力とそれに裏付けられた確かな洞察力が備わっているのだ。

「えっとな……」

「待って、メモ取るから」


 そのときだった。

 メモ帳をかするように、何か銀色の直線状の物体が横切った。

 顔を見上げると、黒い衣装に身を纏い仮面を被った何者かが立っていた。


「何や!? お前は?」

 ドスの利いた関西弁が廊下に鳴り響く。その声に臆してか、その仮面を被った人物は、二の太刀たちを浴びせることなく逃げていった。


「待て!」と私は、追いかけようとした。きっとこいつは、事件に関わっている人物だ。仮面を剥がせば、解決にぐっと近づくはず──。

 しかし、こういうとき、私よりも率先して、闘将、元・中日ドラゴンズの星野ほしの監督さながらに飛び出していくアグレッシブな妻が、その場で立ち尽くしている。思考よりも感情と行動が先走る妻としては、こういうのも珍しい。よく見ると体を震わせている。

「どうしたの!? 追うよ!」

「ゅぅかだった……」妻は、絞るように声を出した。

「ええ!?」残念ながらよく聞こえない。

「あれ、ゆうかだよ! 桜岡悠華だよ! 何で!?」そう言う妻は、明らかに泣いていた。


 あの鋭い一太刀ひとたちで、妻は仮面を被った何者かが桜岡だと言い当てた。

「だって、あの娘、剣道の元・国体選手やで!? それにあの背格好は女子! 確実に悠華や……」

 言われてみると、7年前、市川の口からそんなことを聞かされたような気がする。かつてING78のツートップ、桟原優歌と桜岡悠華は、それぞれボクシングと剣道で、頂点と突き詰めようとしていた。優勝とまでいかなくても、それぞれ培った身体能力は、確実にダンスに活かされてきた。それぞれボクシングと剣道。ダンスへの活かされ方は違えど、2人とも抜群にキレは良かったと津曲は言っていたような気がする。

 とにもかくにも、かつての戦友が自分の夫である私を狙ったことに、憤慨を通り越し、悲しみの感情が妻を支配したのだろう。普段、悲しみとは無縁そうな妻にとって、これも有り得ない状況だった。

 逆に、どう声をかけて良いか、私は戸惑う。


 まごついている私をよそに、妻は言った。

「強、周りはみんな敵や! ぼーっとしてたら殺されるで、私もアンタも。一刻も早く解決しないとアカンで、じゃなきゃ、アンタが殺されるか、アタシは殺されるか強姦レイプされる!」

強姦レイプ!?」妻のことからそんな言葉が出てきたので、仰天した。ということは、レイプはミッションクリアの条件というのか。

「ああ。ホンマに強制的にアタシら別れされるで! そんなの耐えられるか!」

 そう言う妻の声は力強かった。そして妻は続ける。

「アタシは、アンタのことを世界でイチバン愛してるんや! 渡してやるか? このアホがぁ!」

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