5‐9

「なるほど、それは何か理解できるな」

「だから、みんなカップルや夫婦で呼ばれてたんだね」

 なぜか、みんな口々に納得する声を上げる。


「じゃあ、光之くん! これまでありがと! 今日から、別々ね」

 三浦美羽は笑顔で夫、光之に三行半みくだりはんを突きつける。アナウンスが流れないあたり、やはり、するだけでは発動条件にならないようだ。


「何やそれ!」妻は、三度みたび憤慨する。「みんな、何、納得してん!?」

 怒りをあらわにしているのは妻──だけではなく、もう1人いた。しかし、理由は妻と違う様子だ。

「アタシ、あんたとは、最初から恋人でも何でもないでしょ!? 最初から別れてんだから、ヒント出たっていいでしょ!?」

「しゃーない。運営者が、そうみなしてないんだから!」

「こら、運営! アタシらのどこがカップルやねん!」

 怒っているのは姫野耀。怒りのあまり、千葉出身のはずなのに、妻よろしく関西弁になっている。津曲とは断固付き合っていないと運営に不服申立てしている。しかし、アナウンスはうんともすんとも流れない。


「強、あんた、分かってんやろな!?」私を、いきなり蛙を狙う蛇のような目で、睨みつける妻。背筋が凍る。

「は、はい」条件反射的に返答する。

「たとえ、アタシらが別れたり寝取られたりすることが、ミッションクリアの条件やとしても、絶対、別れさせんし、寝取られたらあかんで!?」

「も、もちろんです」

 私ははなから、恐ろしい妻を前に、寝取られる想像すら怖くてできないが、改めて妻に念を押された。


「それはどうかな? 命には代えられなくってよ」と、美羽。やめろ、妻の怒りに油を注ぐ真似は、と心の中で叫んだ。

「上等や! もし、寝取るゆうことあるんなら、強とアンタ、まとめて、血祭りの刑にあげたらぁ!」

 仮定の話なのに、すでに脅迫されている。沈没よりも怖いのは私だけか。


「じゃあ、我妻強さんを寝取るんじゃなくて、桟原を寝取るのも、クリア条件になるってことかな? 運営もよく分かってんな。イチバン寝取るのが難しい気の強い女はっただけで無条件クリアだとよ」

 そう言ったのは、市川だ。妻のことを桟原と呼び捨てで呼ぶのは、市川くらいだろう。

「でも昔のよしみだ。たまにはさ、久しぶりに水入らずで楽しもうよ」

 市川が妻に近づく。嫌悪感よりも、機嫌の悪い妻に接近するのは自殺行為だ、と心の中で警鐘を鳴らす。

「正気で言ってんねんか?」

「沈むのと、一晩俺と一緒に寝るのと、どっちがいい?」

 そう言うと、見えないほどの素速さで、市川の顔をかすめるような右ストレートが、壁に打ちつけられる。

「じゃあ、逆に聞くが、沈没して死ぬか、沈没する前にアタシに殴られて死ぬか、どっちがええ?」


 市川と三浦美羽は飄然としているが、それ以外の参加者、特に男性陣は、恐怖を感じただろうか。誰も何も言わなくなった。



「あー、腹立つ! 何、アタシたちの夫婦仲を破壊しようとしてんねん! 運営どこねん! 出てこいや、ゴラァ!」妻は自室に戻りながら、見えない敵に暴言を吐いた。

 サジコ様のファンが見たら、一発で幻滅しそうな、堅気かたぎじゃないような発言。普段は、私の前か、バイオハザードでゾンビを殲滅せんめつするときくらいしか出ない(YouTuveでは配信のための演出と思われている)のだが、今日は、こんなみんなが聞いているかもしれない前で、悪態が吐露される。

 しかし、正直腹が立っている場合じゃない。何とかヒントを足がかりに、解決に導かなければならない。


「あの剣はミスリードって言ってたけど、他に殺されるような凶器ってあるのかな」

 私は呟いたが、それに妻が呼応した。

「アタシも気になって見てみてんけど、鈍器もなけりゃ、首絞めるようなコードもあらへん。まぁ、キッチンには包丁とかあるけどな」

 厨房には私と耀がいた。でも包丁を持ち出そうとする人間はいなかった。

 もし、剣以外の凶器が厨房にしかなかったら、私が疑われていたことになるかもしれない。このとき、耀が妻の指示で偶然にも一緒にいたことに安堵した。アリバイを証明してくれる証人となる。もしこれが妻なら、家族ゆえ有利な発言をするとして、証人とならないだろう。耀は従業員だが、付き合いは短い上に、相手が私でも、悪いものは悪いと断罪する強さがある。

 しかし、妻は、あっさりと包丁が凶器となる可能性を否定した。

「でも、あのアナウンスじゃ、『刺殺以外の可能性も』と言うとったな。だから、刺されたということ自体、真実じゃないってことになるな! あの話を信じるなら」


 確かに言われてみればそうだ。アナウンスを完全に信じていいかどうかは疑念があるが、それでもいまのところ嘘の内容は言っていない。確かに事件は発生しているし、食事に毒は入っていなかった──。


「──毒?」

 気づくと、私はそう独りごちていた。仮に、笠原久嗣の食事にだけ、実は毒が混入していたとすれば……。

 いや、すぐにその可能性を否定した。毒が盛られていたのなら、食事のときに苦しんでいるはず。食事を終えて、喫煙所で事切れていたわけだから、食べたものに混入していたのはおかしい。しかも、全員同じものを食べていたのだから、彼だけを狙い撃ちすることはできないはず……。

 待て、笠原久嗣は魚全般が苦手だ。彼の皿には何か黒っぽい汚れがついていたような気がしたが、あれが毒だったのか。私は気になって、すべての皿を盛り付け直したけど、もし、皿が新しくなっていることに犯人が気づけば、そして、魚嫌いを知っている人であれば、事前に皿に毒を塗ることは可能かもしれない。


「もう一度、喫煙所に言って確認できないかな」

 思わず妻に賛同を求めた。

「ああ、ええんちゃうの」

 私と妻は、喫煙所に行く。凄惨な現場に立ち入るのは勇気が要るが、本当に刺殺なのか、確認する手がかりが得られるかもしれない。

 これが運営が用意したゲームである以上、緊急事態で寄港して警察が現場に立ち入ることは期待できない。我々は黒幕の掌の上だから。


 しかし……。

「あかん、鍵かかっとるで」

 妻は扉をガチャガチャさせているが、開かない。見事にしてやられた。

 喫煙所の扉には小さな色のついたはめ殺しのガラス窓があって、少し中が覗けた。私はちょっとした違和感を覚えたが、うまく表現できない。


 でも、さすがにこの位置では、死因が分からない。刺されて死んだように見える。

「誰が施錠したんや」と妻は呟く。

 そうだ。何か死体に秘密があって、施錠したのなら、犯人がそれをやったことになる。となると、犯人は、船内にいる誰かになる。これは大きな進展だ。乗組員が見つからない以上、11人の誰かが犯人ということになる。

「参加者の誰かということ?」

「その可能性はあると、アタシは思うとる」妻も同じ考えのようだ。


 途端に、あの殺人現場の謎が気になり始めた。刺殺ではないとしたら……。

 先ほど一瞬頭によぎった皿に毒を塗りつける方法。しかしながら、それを確かめることができないことに気づいて悔やむ。

「しまったな、皿洗っちゃったよ」と私は頭を掻く。そう、耀とともに、自らの手でその可能性を隠滅してしまったのだから。


「いや、確かめることはできる。でもアタシはその可能性は低いと思うとる」

 妻が即座に返した。頭の回転が速い。私の思考の数手先を読んでいるようだ。

「な、何で?」

「ま、まず、確かめることはできる。他のプレートを見ればええねん。あの日、鮭のムニエルを出したのは、偶然だったはず。言い換えれば、必ずあの日にキュウジが殺されるようにするためには、他の食事のプレートにも同じ細工がされているはずだと言える。魚のないプレートだけにな」

 なるほど、と舌を巻く。同時に妻も、笠原久嗣が魚嫌いということを知っていることも分かった。

 

「じゃ、皿に毒が塗られている可能性が低いと言うのは?」

「そら、簡単や。指に毒がついていたとして、その指を舐めない限り毒は身体に入っていかない。タバコ吸ったときに死んだのなら、毒のついた指でタバコを触って、それが口についたことになると思うねんけど、それだけで死ぬかな? どんな毒か知らんけど、いくらなんでも致死量には満たん気がする」

 確かに言われてみればそうだ。食事に直接混入していたのなら、致死量を摂取させることは簡単だ。しかし、皿についていて、かつ喫煙所で死ぬことを想定した場合、一気にその確実性が減る。


 一方で、アナウンスは、確かに被害者は笠原久嗣で場所も喫煙所だということを言った。あのアナウンスが仮に事前に録った音声を流しているだけだとしたら、確実にそうなることを予言し、そのように誘導していたことになる。

 ダメだ。いまはこれ以上思いつかない。推理は探偵の見せ場なのかもしれないが、それは小説の話だ。私はシャーロック・ホームズや名探偵コナンみたいに、殺人現場の実況見分に長けているわけではない。実際には警察の捜査一課の仕事なのだから。


「ま、ゆっくり考えよか。とりあえず、キッチン行って、皿に毒があるか、確かめるか」

 妻にしては珍しく、慰めるような口調で、私の方を軽く叩いた。

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